第四話 よくある出会い4
「応雷に初めて会った時、あの岡の上にいた死骸の仲間っスか。あの時、あの死骸はそのままにして置いてきたっスけど、問題無かったんスか」
「あれは放っておけば、勝手に土塊に還る。それより今は、この新手をどうするかだ」
「危険な目に遭う覚悟なら、応雷に初めて会った時から決まってるっス」
「そりゃすげえな。俺には碧を巻き込む覚悟は出来てない」
「勝手にいなくなるのは無しって約束っスから。死なばもろ共っスよ」
「ああ。覚悟が出来た。ここでお前を守り抜いて戦う」
(碧が俺にかまう理由って、こういう非日常的な展開に憧れていたからなんだろうか。まあ、それでもいいけどな)
いいけどなと言いつつ、そうだったら少し寂しい気もする応雷。
(連中の狙いは、今まで通りなら俺一人。碧まで襲われることは無いはず)
日の沈んだ後の黄昏時に、静かな空気がざわめき出す。獣の気配だ。もうすぐ近くにまで迫っている敵への闘志より、一つの懸念が応雷の脳裏を過る
(碧は危険な目に遭う覚悟が出来てるっつうが、実際にヤツラとの戦闘に直面したら、もう俺とは一緒にいられなくなるんじゃないのか)
碧の覚悟を信じる意志は、ずっと強い。だがその意志が強まるほどに、碧が離れて行くという想像は応雷の心を刺す。
応雷は生まれて初めて、自分の命以外に失いたくない者を持ったのだ。相手への信頼と、それが失われる恐れは、必ずしも打ち消し合う物ではなく、共に心の中に存在し合う。
一方が強くなる程、もう一方も強くなる形で。
ついに異形の獣が姿を現す。
「あれが、応雷の敵………っスか」
そいつは薄闇の中から、影をまとうように出現した。異様に首の長い角の生えたトカゲ。いや、鱗の生えた四足の獣。
体表は爬虫類や魚類の具える外皮に似るも、そのフォルムは哺乳類、虎や豹の様な猫科の大型肉食獣。
しかもそれらよりさらに大きい。こんな生物が存在するはずが無い。
碧は、最初に応雷と出会ったあの岡を離れて以来、一度も応雷の素性を訊ねはしなかった。今この状況下においても。
(俺に巻き込まれて、今、一緒に死ぬかもしれないこの状況下で、自分がどんな事情に巻き込まれて命を落とすのか、それを知りたいとすら思わない。そんなこと、あるはずねえんだよな。これが碧の覚悟か)
応雷の意識は、目を向ける異形の獣より、背後から自分に寄り添う碧の方に向けられていた。獣もそれを察したかのように、口を開く。
『ウシュムガル、ウリディンムを殺したのか』
異形の獣は声を発した。人間の声帯とは異質の声音。だが器用にも流暢な言葉を話した。
「ムシュフシュ、お前もそうなりたくなかったら、もう俺を追うな」
『あなたは所詮、得られない物を求めている。もういいではないか、ウシュムガル。あなたは十分戦った。すべて天命からは逃れられない」
「天命――― 俺を前にしてそれを言うのか。ウリディンムを殺した俺を責めながら天命は許容するのか」
『己が意志を棄てよ、ウシュムガル。天命の遂行のみが、生有る万象に幸福をもたらす』
「俺は―――、俺の為に生きたいっ」
『愚かな、苦しみを増すだけの生き方だ』
「あぁ、そうだ、苦しみ抜いて抗い続けて、今度こそ天命を覆してやる」
碧にその場で待つよう手をかざし、応雷はムシュフシュと呼んだ異形の獣に向かって駆け出す。
「天星より来たれっ。木星の怒霊!」
応雷の両手から放電が生じ、その雷光の後から黒鉄が現れる。左右の手にそれぞれ柄の長い戦斧を握る応雷。
二挺斧を交差させながら、上段に構え突進してくる応雷に対し、ムシュフシュは焦る気配なく、されど迅速に反応する。
『火神ギビル、我が鎚となり、我が敵を焼け』
ムシュフシュの称え発した声そのものが、巨大な熱塊に変わる。そう。正しく超高温の熱量の塊だ。
熱塊は灼光を孕みながら、応雷に向けて撃ち出された。巨大な熱塊はだが、放熱することなく、ただ眼すら焼けるかと思える程の赤光を発しながら応雷を襲う。
応雷の斧が熱塊に叩き込まれる。否、応雷は一方の斧をムシュフシュに向けて、投擲したのだ。
斧はその鉄身に熱量を奪いながら、ムシュフシュを穿ち抜かんと飛走する。
四足の獣は、銃弾に比肩しうる速度で飛来する斧から、宙に舞い上がって逃れた。異形の獣はそのまま飛行し、今度は自分が応雷へと飛びかかる。
奇怪にも応雷の投げた斧は鋭角に進路を折らし、ムシュフシュの舞う軌道を追う。前方には、もう一方の斧を構えた応雷。
挟んだ。だが、ムシュフシュは、
『疫霊よ、災禍の造形を成せ』
黒い瘴気がムシュフシュの周囲に纏わりだし、そこから禍々しい鋸刃の付いた両刃の大剣が生じる。
両刃の大剣は後方より飛来する戦斧に、同じく飛翔し打ち付けられた。大剣に打ち払われ、勢いを削がれながら応雷の手元へと戻る戦斧。
戦斧を打ち払い、勢いを抑えつつムシュフシュの下へと戻る大剣。宙を見上げる応雷と、宙より見下ろすムシュフシュ。
ムシュフシュは応雷まであと数メートルの間合いまで迫り、両刃の大剣を触れる事無く自在に操る。
振るう速度も打撃力も応雷の二挺斧が優るも、触れられること無く空中を自在に走る両刃の大剣の方が、動きに制約の無い分、有利な形勢だ。
さらにムシュフシュは、近距離まで迫りながら、応雷に向け再び熱塊を撃ち出す。応雷は右手の斧で大剣を防ぎ、左手の斧で熱塊を薙ぎ払う。
目の前で爆ぜる熱塊から、応雷は火勢を被る。
「くっ………」
致命的な差にこそ成っていないが、現状、ムシュフシュが圧している。
「まだ、ここからだ」
背後から突きかかる大剣を、体軸ごと旋回させ払い除け、もう一方の斧でムシュフシュを薙ぎ払おうとする。
迅い。
体高を低く取り、地を滑るように逃れるムシュフシュ。追う応雷。一足に間合いを詰め、ムシュフシュの頭上に戦斧を振り下ろす。
疾い。
全身を真横に仰け反らせ、かろうじて避ける異形の獣。仰け反らせた体勢を立て直しきれぬ間に、間髪入れずもう一方の斧を逆袈裟斬りで打ち込む応雷。
捷い。
斜め下方から斬りつけられる戦斧を、再び宙へ舞い上がり逃れるも、首の皮を一枚断たれる四足の獣。
一撃ごとに速さを増す応雷に、うかつに踏み込めなくなるムシュフシュ。応雷はこの機にさらに、反撃の手を進める。
大剣を呼び戻したムシュフシュめがけ、今度は同時に二挺の斧を投擲する。応雷の放った斧もムシュフシュの大剣同様、自在に空中を駆け抜ける。
一本の大剣で、二挺の斧を防がなければならなくなったムシュフシュが、今度は劣勢に立たされる。
だがしかし、戦況は未だ決定しない。
『火神ギビル、我が檻となり、彼の敵より妨げよ』
焔の柱が格子状に織りなされ、熱塊の壁となる。熱塊の壁は、灼熱の盾であった。
焔の盾と、両刃の大剣。応雷の繰り出す二挺の斧。互いに相手をかわし、時に防ぎ、時に攻め、一時の隙も無く続くせめぎ合い。
このままでは終われない。応雷とムシュフシュ、共に焦りが見え始める。
どちらかが相手を出し抜き、裏をかかない限り決着がつかない事は、両者ともに分かっている。
二人の内、先にその機を掴むのは、応雷か、異形の獣、四足の獣、ムシュフシュか。勝負の行方は、その一点に掛かっていた。