第三十七話 始まりの終わり6
初めて人を刺したというのに、碧からは何の怯えも昂ぶりも見受けられなかった。
ムシュフシュはそんな碧から、恐れすら感じた。
「今ならあなたを倒せるっス。けど、一度だけ見逃してあげるっス」
「おもしれえこと、ほざくじゃねえかっ。てめえに俺を殺す度胸があるのか」
口調も形相も変えながら、シャマシュは碧に吠え掛かる。
「残念っスね」
ためらう間も無く、碧は剣の鋭利な刃をシャマシュの首筋に押し当て、引き裂こうとした。
だが………、
『止すがいい。お前の手を汚すべきでは無い』
碧が刃を引く寸前、その碧の手をムシュフシュが抑えた。
「私はもう、部外者じゃないっス。これくらいする覚悟はあるっスよ」
『そうではない。同じ仲間として、お前の分担する役割は、他にある』
(ウシュムガル、応雷に置いて行かれた事の結果か。そしてそれ故に、応雷はこの子を連れて行けなかったのか)
もとより、人類世界の繁栄の為に天命に従うことを肯じたムシュフシュ。その彼女にとって今の碧は正に守るべき象徴と映った。
『シャマシュ、失せよ。こちらもこれ以上戦えぬ。死ぬよりもつらい屈辱を浴びたくなければ、この場を去れ』
相手の矜持を立てているのか、踏みにじっているのか、どちらとも取れない言い様を唱えて、この場を無理やり収めようとするムシュフシュ。
「おのれぇ」
屈辱に打ちひしがれながらも、反駁こそ最大の屈辱と堪えたか、怪我を抑えながらシャマシュはこの場を逃れた。
『お前はどうする、バズスよ』
ムシュフシュも負傷しているとは言え、そのムシュフシュの強大なmeを碧自身が具えていては、連れ去ることは不可能と見て取ったか、バズスもそのまま飛び去った。
ここは住宅地のど真ん中。
今の騒ぎなら住宅地の中からでも見咎め得ようものだが、依然、どこからも人の気配はうかがえない。
バズスとの戦闘中など、灼熱光弾まで放っているし、かなり大声で騒ぎ回っているのだが、冗談のように誰にも気づかれていないようだ。
「その怪我、大丈夫っスか」
『致命傷では無い。いずれ回復する。それより碧、お前に協力する上で条件がある』
「今さらっスけど、確かに私に協力してもらっても、見返りは無いっスもんね。条件くらいなら飲むっス」
『碧は誰も殺すな。例え私が殺され、碧の目の前に敵が迫るその時にも、碧は誰も殺してはならぬ」
「予想以上に厳しいルールっスね。いいっスよ、ある意味、殺す覚悟よりは軽いっス」
決して軽い気持ちでは無いことは、互いに理解し合えていた。
「それより、貰ったmeってどうやって返したらいいっスか」
『時間が経てば自然に戻る。meの量に関わらずおよそ一時間程だな』
「じゃあ、悪用するならその間っスね」
『大手の銀行より信用金庫が狙い目だぞ。それより碧、シャマシュの言っていた金枝の話、理解しているか』
「サッパリ分からなかったっスけど」
『それでいい。今日は無駄足を踏ませたな。この騒ぎに介入して来ないとは、ここには仲間はいないという事であろう』
「じゃあ明日、別の場所を探してみるっスね」
二時間後
「須弥山信用金庫のガードは堅かったっス」
一仕事終え、縁側で祖父と並んで腰かけ、ジョッキから麦茶をすする碧。
「応雷に置いて行かれたっス。私って魅力無いんスか、祖父さん」
「なんだ、自分は捨てられたんじゃなくて、危険に巻き込まない為に、ワザと置いて行かれたんだって説明して欲しいのか」
「歯に衣着せず率直に言ってくれるっスね。ズバリそうっスよ」
「自分が惚れた男が信用出来るか、赤の他人の解説を聞かないと納得できないのか」
「実際、そういう男に惚れたんスからね。仕方ないじゃないっスか」
「そんなもの、地の果てまで追いかけて、捕まえて、とっちめて、本音を聞き出してみなけりゃ分かるはず無いぞ。女冒険者の旅は、そうして始まるもんだろ」
「そうして聞き出した本音がしょうもなかったら、虚し過ぎるっスよ」
「その時は、楽しい冒険をさせてもらったと言って、今度は自分が捨ててやればいいだろ」
「それって悔しくないっスか」
「自分が会いたい男に会いに行って、悔しいも何もないだろ。会いに行く価値も無い男なら、最初から忘れたらいいじゃないか」
「うぐっ、まあ、そこまでひどい男だったとは、思えないっスけど」
「つまり、男の器量の問題じゃ無くて、碧の男を見る目が信用出来るかどうかの問題なんだろ」
「うん、そうっスね」
「そいつを磨く為にも、まず、追い掛けるしかないな」
「つまり、それくらいの価値は有る男だと、祖父さんの見立てっスか」
「俺のメガネに頼るな」
「ウィッス。何となく吹っ切れたっス。まずは地の果てまで追い掛けてみるっス」
「あとな、碧にとっては何でもない事だから気がつかないようだが、普通、地獄の果てまで同行して、一緒に命の危険をくぐり抜けて、全て片付いた後で次の冒険の前に置き去りにするって、並大抵の覚悟じゃないぞ」
「あっ、そうっスね。応雷も結構、信用できるヤツっスか。ありがとっス祖父さん」
軽く飛び跳ねる感じで縁側から立ち上がり、祖父さんに礼を言いながら、自宅の敷地を出て行く碧。
通学路をたどり、自分の通う高校の周りのフェンスを迂回しながら、裏山の岡の石段を駆けあがる。
桜並木はすでに葉桜だ。
まだまだ続きますが、次話、投稿は1週間後に予定してます。がんばりますので、よろしくお願いします。