第三十話 地獄の覇者2
相も変わらず同じ氷土のみが存在する世界の中で、ここが既に第一円カイーナでは無く、第二円アンテノーラだと分かるのは、世界を異にする猛吹雪が吹き荒れているからだ。
以前の圏の様に安全なルートという物も無く、生身の人間であれば即座に凍り付くであろう中を、碧とラハムは進む。
碧にはラハムが絶えずmeを注ぎ、神性術を施している。
さらにラハムが碧を抱きかかえるように進むのは、突風による風圧で、ただの人間など容易く吹き飛ばされてしまうためだ。つまりここでは碧は、完全なラハムの保護の下、自分だけでは何もできない状態だった。
「すまないっス、ラハム」
「大丈夫。この程度なら今の私のmeは、ほとんど消耗しない。碧に遠慮されることの方が負担。気にしないで欲しい」
やがて、ある一点にたどり着いた時、その周囲一帯のみ吹雪が止み静寂につつまれている。突如として視界が開いたその場所には、キングに等しい大きさのクリーチャーが横たわっていた。
それは、竜の様であり、牛の様でもあり、人の様でもあった。そしてまた、そのどれでも無かった。
「母なるティアマトって聞いてたっスけど、これ化け物っスね」
「強そうでしょ」
怪物の骸は、だが、しかし、腹部を裂かれ既にしてボロボロである。
「この亡骸には、わずかなmeの残滓しか残されてない」
「どういう事っスか」
「分からない」
「例えば、亡骸以外の別の物に、封じられているとか」
「そうかも知れない。うん、そう、今、探ってみたら、この先から微かにティアマトのmeが感じ取れた」
「それなら進むっス。多分それが私たちの仕事っス」
「でも、この先にいるイルカルラの魔性は強大。私では碧を護り切れない」
「私が何とかしてみせるっス。これ以上、応雷の負担を増やしたくないっス」
「碧の、自分が何とかしたいって気持ち分かる。うん、碧に頑張ってもらう。それにヤッパリ、私ももっと頑張りたい」
「決まりっスね」
碧とラハムは氷土の上を、休みなく進み続けた。そこから先は、この地下世界の中でも地上世界から遥かに隔てられた、地球の中心に近い『深き場所』である。
第九圏・第三円トロメーア、地獄の女王の棲まう宮殿・クルヌギア。
「まさしく世界の果てって様子の宮殿っスね」
「これを敢えて宮殿と言い当てる碧の感性、スゴイ」
「東京辺りで核戦争すれば、こんな雰囲気の景色に成るんじゃないスか」
「私には、ここが何かの結果でこうなったとは思えない。この場所は最初からこう在るべくして存在していたような気がする」
「う~ん、私にはやっぱり、最初からこうだったって言うよりも、世界の終りの景色に見えるっスね」
つまりはそのような場所である。
轢き潰された蛇の死骸を思わせる不快な道の上を、頭蓋骨の堆積にも見える階へ至るまで進み、やがて天蓋の崩落した宮殿の、毒蛾の羽にも似た門扉を開き、くぐり入る。
「内部はそんなに不快じゃないっスね」
天蓋が崩れ去った後も取り残される、等間隔に並ぶ円柱以外、目に付く物の何もない廃墟を進む。だが、何もないその行く先から、次第に漂って来る濃密な妖気。
何かがいる。とても怖ろしい何かが。
「碧、この先にイルカルラがいる。どうする? 戦って倒せって言うなら、一か八かやってみる?」
「私たちの目的は三つあるっス。
一つ目はティアマトさんのmeを解封する。
二つ目は全ての呪いを解き、亡者たちを苦しみから解き放つ。
三つめはこの地獄に敷かれていた仕組みを変えて、この地下世界を豊かにし、ここに暮らす者達に幸福を与えることっス」
「分かった。そのためにイルカルラを始末する」
「違うっス。説得するっス。そのイルカルラってのが凄い力を具えているなら、それを使って協力してもらうっス」
「私は以前、イルカルラに会ったことがある。この世の全てを憎んでいるような、恐ろしい人だった。その一方でとても冷静で理性的な人だった。話し合い自体には応じてくれると思う。でも説き伏せるのは大変だと思う」
「正直、私にそれが出来るって根拠は全く無いっス。でもここまで来てそれをしないで引き返すって、今さらあり得ないっスよ」
「うん、もちろんそう。ごめん、行こう」
やがて二人は玉座の間にたどり着く。五十段ほどの階の最上段から続く壇上に置かれた玉座に、神聖な意味で鎮座する人物。
「あれがイルカルラ女王っスね」
碧の問いに、声を発するのをはばかる様に、無言でうなずくラハム。
純黒の髪と純黒の瞳をした禍々しいまでに美しい女性。意思や感情のうかがえない、それ故に攻撃的な美貌。
(まさしく、冗談言って笑わせたくなるタイプっスね)
お前が、おかしい。
『あの方が来ているのね』
唐突に女王が語り出した。不意を突かれて顔を見合わせる碧とラハム。話の内容こそ聞き逃さなかったのだが、どの道、意味が汲み取れない。
『ウシュムガル、早くここまで来て』
「(え? まあ、ラハムも会ったことがあるなら、応雷とも知り合いでもおかしくは無いっスけど、まさか、そういった御関係っスか)」
「(そんなはず無いっ。し、知らないけど、今さらそんなこと言い出されても………)」
「(応雷、ここまで来たことは無いって言ってたっスけど)」
「(イルカルラの方が神々の下に来たりしてた。それは復活の度にオウライとも会ってたけど、そんな関係だなんて)」
「(そんな関係って、どんな関係だと思ってるっスか。詳しく教えなさい)」
「(む~う)」
『(それはもちろんタダレタカンケイよね。子供には分からないでしょうけど)』
「(それを言ったら、応雷だって子供じゃないっスか。見た感じじゃ、応雷、私たちと一つ二つくらいしか年齢違わなそうっスよ」
『(そういう事、言ってるから子供なのよ。ウシュムガルはああ見えて、もう人生の酸いも甘いも知り尽くしてる大人なのよ)』
「(そんなことない! 変なこと言わないでっ)」
「(私は別にそんなのどうだっていいんスけど。私のことも大事にしてくれるなら、他の何人とつき合ってたって)」
『(あなた、それ、おかしいわよ)』
「(碧、そんなこと誰に吹き込まれたの)」
「(祖父さんと祖母さんっス。つうかラハムもそれでいいって納得したんスよね)」
「(碧と私だけならいい。それ以上は増やさない)」
『(ちょっと、優先権なら私にあるわよ)』
「(勝手に割り込んどいて、貴方誰っスか)」
車座になって顔を突き合わせていた三人。碧とラハムとイルカルラ。
「(…………………………………………。応雷はそれ、どう考えてるんスかね)」
「(は、碧‼)」
『(来る者、拒まずって態度よね)』
「(私がラハムと二人って提案した時も、悩む間も無かったっスから)」
「(今のこの状況を見て。碧)」
『もしかしたらウシュムガルって、そういうトコ、凄くダラシナイ人なのかも)』
「(この話し、どこに着地するんスか?)」
『(あの人の居ない所で言い合っていても、結論は出せないわね)』
「ところでイルカルラさん、私達のこと、知ってるっスか」
『奪衣婆が脱ぎ出した辺りから、ずっと見てたわよ。地獄を沃野に変えるって演説も聞いてたけど、あれって本気なの。それとも亡者を扇動するためのハッタリかしら』
「本気だって言ったら、イルカルラさん、どうするっスか」
『ウシュムガルを譲ってくれるなら、大歓迎よ』
「ごめんなさい。この話は無かったことにするっス」
『…………無条件で大歓迎よ』
「これからよろしくっス」
『でもその為には第四円ジュデッカにいる魔皇ディーテを倒さなければね』
「今も応雷とニンギルスが戦ってる最中っス」
『それも知ってるわ。あのレベルのmeにまで到達するともう、meの量が勝利のための絶対的なファクターには成り得ないわね』
「手を貸してはもらえないっスか」
『ティアマトの封じられているmeは、私が持っているわ。それは解封しましょう。それ以上の手助けは出来ないわね。
私は神々も、魔皇ディーテも嫌い。ウシュムガルに協力したいのは山々だけど、あなた達が、ウシュムガルの為にどこまで出来るのか、それを見せてもらいたいのよ』
「分かったっス。私は最後の地に向かうっス。そして全てが終わった後で、この世界の新しい時代の為にイルカルラさんに協力してもらうっス」
「碧が行くなら私も行く。それこそ、私一人でもニンギルスとディーテに勝つ覚悟で行く」
『若いってイイわね』
明日も投稿できるよう、頑張ります。よろしくお願いします。