第二十八話 黄泉路の奥底で6
「距離から見て、ここが第八圏・最終嚢だ」
「いよいよこの次が最後の圏、第九圏っスか」
「碧、気が早い。まずはここを抜けてから」
第九嚢から続く堤の上を歩きながら、両側に際限なく広がる地下空間の荒野を見渡す三人。
と言うより、他に眺められる物がない。草木も水源も無く、砂礫と巨岩ばかりの寂寥たる大地。
(アケロンテからここまで灌漑用水を引くのは、ちょっときついっスか。スティージェからフレジェトンタのあの水を浄水化して引ければ。第二嚢の腐泥を鋤き込めば土を肥やせるっス)
ここまで来ても、いや、行けば行くほど、この地の緑化を己が使命と考える碧。いずれは農耕を中心に産業を興し、亡者たちに豊かな生活を与えようと思いをはせている。
第八圏・第十嚢。
この地の亡者は以前の嚢の様に、苦痛を訴える事無く倒れ伏してはおらず、苦鳴を挙げながらもがき喘いでいる。
「これは、何の呪いだと思うっスか」
「この呪いの症状は知ってるな。熱病を操る魔神、死神ナムタル。一万年前に生きてた頃は地上世界にいたはずだが、こんな所に放り込まれてやがったか」
「ナムタルの術に罹ってるとしたら、堤の下の大地にアイツの呪いは仕掛けられてない」
「亡者たちは堤の上に逃れても、ナムタルの術からは解封されない訳か」
「じゃあ、堤から降りて、そのナムタルって人を懲らしめに行くっスね」
「まずその前に、碧を熱病の術から守る護法を施さなけりゃな」
応雷が碧の額に手をかざす。その応雷の掌から、碧に向けmeと思しき光が注がれる。春の日差しの様な光を浴びて、陽だまりに寝転ぶネコの表情を浮かべる碧。
「む~う」
餌をもらいそこない、不満顔になったネコの表情を浮かべるラハム。二人の温度差に気づきつつ、気づかないフリで通そうとするハーレムの主。
三人は堤を下りて、亡者を苦しめる元凶、ナムタルを探しに行く。
「野郎、気配を断ってやがる。探し出すのは難だな」
「オウライ、ニンギルスのmeが迫って来てる。それにこのme、おかしい」
「ここはナムタルを無視して、異形の獣ムシュマッヘのmeだけ解放し、第九圏を目指した方が得策か」
「でもこの亡者さん達、今まさに苦しんでるんスよ」
「ならニンギルスは私が殺る。オウライと碧はムシュマッヘの解放とナムタルの捜索をして。今ならそれで勝てる」
(聞いたらまずいと思って黙ってたっスけど、ニンギルスに囚われてた間、どんな扱いだったんスかね。報復する気なら、思う存分やらせるべきっスか。
しかしニンギルスの動向にもまだ、疑問が残るっス。ウシュムガルの亡骸に近づいて、応雷のmeがもうニンギルスのmeを超えてるっていう上に、ラハムも亡骸からmeを解封されてニンギルスより強いのに、迷わず追って来るって、何かまだ切り札があるんじゃないっスか? ここはひとつ)
「どの道、ニンギルスとやり合うつもりなら、あえて別行動取る必要は無いっスよ。まずムシュマッヘさんを解放して、その間と後でナムタルを捜し出し、ニンギルスに追い着かれ次第、応雷とラハムで迎え撃てばいいっス」
「うん、碧の言う通り。オウライ、そうする?」
「そうだな。ナムタルは熱病の術さえ防げれば、それ自体難しい事じゃ無いんだが、そんなに手強い相手じゃない。どっちかっつーと弱い。一刻も早く亡者たちを救いたいって条件さえ無ければ、それ程、問題視しなくて済む相手だ」
「じゃあ、この段取りで行くっスよ」
三人はその方針に沿って、ムシュマッヘの亡骸の下へとたどり着いた。
七つの頭を持つ大蛇。今まで見て来た異形の獣の中でも、最も禍々しく、そして同時に最も神々しい姿をした魔神だ。
骸とは思えぬほどの存在感。骸でなくてはあり得ない生命感の無さ。碧は思わずその造形美に見入らされた。
「はっ! いけないっス、色即是空」
「じゃあ、行くぜ」
ためらう間も無く戦斧を振り下ろし、七岐の大蛇を一刀両断にする応雷。まばゆい光を散らしながら、魔神の骸は土塊と化した。
「次はナムタルか」
「ナムタルの方はこっちの気配に気づいてるんスね。それで私たちから逃げ回られてたら、探し出せなくて当然っスけど」
「でも、お互い気配を断ったまま追い回しても、偶然以外で出会えることは無い訳だろ。こっちの居場所を教えることで、向こうの出方の裏をかくしか無いんじゃないか」
「一つ気づいたんスけど、この地にいる亡者さん達も、みんな私達に気がついてるスよね」
「苦しくてそれ所じゃないって感じだけどな」
「それなら、私達が苦痛の元凶であるナムタルを退治しようとしてるって分かってもらえれば、私達に協力してナムタルの居場所を教えてくれるんじゃないっスか」
「どうやって、それを亡者たちに分からせるか」
「大声で呼び回るっス。ディーテ市の時の演説の様に」
「現状、それしか手は無いか。だが多分そのやり方だと、ナムタルを見つけ出す前に、ニンギルスに追い着かれるな」
「どの道、避けられない戦いっス。理想を言えば応雷のmeを解封してから戦いたいっスけど、第九圏がどんな状態か分からない以上、ある程度は勝手の分かっているここで迎え撃つのが一番マシな状況っス」
「分かった。それじゃラハムも声出せ」
「うん」
「おかしい、ニンギルスの追跡がとまってる」
「それにこのme、少しずつ強くなってやがる」
「ニンギルスが本当に発揮できるmeの限界が、応雷の予想以上だったってことっスか」
「そうらしい。つくづく嫌なヤツだな」
「そしてその発動には、時間がかかる、そのタイミングを見計らってたっスね」
「どうする? オウライ、碧」
「選択肢は二つっス。ニンギルスのmeが発揮し尽くされる前に、私達が取って返してニンギルスを倒しに行く。それとも急いで第九圏に進んで、応雷のmeを解封してから改めてニンギルスと戦う。どっちにするべきっスかね」
その時、亡者の叫ぶ声が響き渡る。ナムタルの居場所を教えてくれているのだ。
「よし、決めた。ナムタルをぶっ倒してから、急いで第九圏に進もう」
「確かに迷って考え込んでも時間の無駄っスから、応雷の直感に従うっス。ラハムもそれでいいっスか」
「うん。私はオウライと碧に着いてく」
三人は亡者の声を頼りにナムタルを追う。
「ナムタルには戦闘能力はほとんどねえ。だが、病魔の術で抵抗できないように締め上げる。だから亡者では倒せないんだ」
「ナムタルも多分、ニンギルスに気づいてる。ナムタルとニンギルスは敵対関係にあるけど、ナムタルは逃げ回っている間に、私達とニンギルスをかち合わせようと企んでるんだと思う」
すでに碧はラハムに背負われている。応雷とラハムは飛ぶように地を駆けた。ナムタルの逃走速度より速いことは、行く先々の亡者たちが次々と上げる叫び声の連鎖速度から読み取れる。
ついに亡者の呼び声に追い着く。
「そこか!」
応雷の投げつけた二挺の斧が、ナムタルと思しき人影で交差し、首をはね上げた。
「これで、この嚢の亡者は病苦から解放され――――」
その時、
「なにっ!」
第八嚢の彼方にて、meの爆発的な高まりが引き起こされる。
「ニンギルスかっ⁉ まさか、ここまで」
meを全く感知できないはずの碧ですら、震え上がるほどの強大なオーラ。
「第九圏まで逃げ切れるのか………」
応雷たちが逡巡に囚われた時、最初に行動に移したのは、病熱から解き放たれた亡者たちだった。ニンギルスのオーラを目指し、この地の亡者たちが進み始める。
「お前達、食い止める気なのか」
「第九圏に進むしかないっス、応雷。これが最後の勝機っス」
「でも、亡者たち、殺される――――」
さすがに三人とも決断が下せない。病魔に苦しんでいる時に見離せなかったものを、今さら見捨てられる訳が無い。
「行こう。こいつ等を見捨てることが、こいつらのプライドに応える唯一つの方法だ」
「プライドって、なんスかそれ………」
「虐げられ続けた者の、命を捨ててでも通したい意地、最後の誇りってヤツだ」
「私には分からないっス。虐げられたことの無い私には。でも確かにもう、それしかないっスね。ここでニンギルスへの勝機を失えば、再び彼らは永劫の虜囚っス」
「うん。私もあの人たちの為には、今はこうするしかないと思う。第九圏に行こう、オウライ、碧」
行き違う亡者たちの目には、すでに何かをやり遂げた者の輝きが浮かんでいた。彼らに背を向け、第九圏へと赴こうとする応雷たちにすべてを託しきった者の輝きだ。
この世界でこれから何かが始まる。
たとえそれを自分の目で見定めることは叶わなくても、自分がこれから果たす行為が、その結果に繋がるのだと言う確信が、これから死地へと向かう彼らに、未だかつて無き希望を与えたのだ。
明日、次話、投稿します。よろしくお願いします。