第二十五話 黄泉路の奥底で3
第八圏・第六嚢、ここでも進むには堤の上を行かねばならないらしい。
堤の下に広がるのは、巨石と砂礫からなる無彩色の荒野。背景だけを捉えれば、白と黒の濃淡でのみ表現された、モノクロームの世界。
だが、背景以外の奇態な被写体がそこには映し撮られている。それは極彩色のマントや衣装をまとわされた亡者たちだった。
「あの衣装を着た亡者たち、なんだかすごく苦しそうっスね」
「あの衣装とマント、相当な重さなんじゃねえのか」
「ほんとう、今にも圧し潰されそう」
「これも呪いなんスね」
「恐らくこの堤を下りて、この荒れ果てた大地に足をつけると、あの呪いに囚われるんだろうな」
「やっぱり助け出せないんスか…………」
亡者たちの惨状から敢えて目を背けず、確固不抜たる歩調で進む碧。だがしばらく(とは言え果てし無い程の距離を)行くと、意志を強く持つだけでは如何ともし難い難関に突き当たった。
「これは………」
応雷、碧、ラハム、三人とも思わずつぶやく。
「大崩落だ」
堤はそこで、崩れ去っていた。二キロメートル程先には堤が無事に残っているのがうかがえるが、そこに至るまでの間は跡形もなく道が失われている。
「ここから降りて荒野を渡れば、俺たちもこの呪いの餌食か」
「ムシュフシュみたいに空、飛べないっスか」
「今のラハムならあるいは跳躍出来るかも知れないが、俺と碧は無理だな」
「飛べないんスね」
「一人ずつ背負ってだと、私でも無理」
「私は呪いを受けてでも進むっスよ。この亡者たちをこの苦痛から必ず解き放つっス。この世界の果てで待ち構えている呪いの主に、自分のしている事がどういうことか、分からせてやるっス」
その時、その宣言を耳にしたと思しき、堤の下で臥せっている亡者が、周囲の他の亡者に何事かを語り掛けた。その訴えを受けた亡者が、さらにその周囲の亡者に語り掛ける。
かくして次々と亡者たちが、耳伝えに動き出す。呪いの重荷をまとわされた亡者たちが第六嚢からここに集結し始めた。
応雷達は、その光景が何を意味するか分からぬまま、立ち尽くす。
わずかな時間で長大な距離を移動できるこの世界の法則をもってしても、随分な時間を経てそこに集結したのは、圧し潰されそうな呪いに耐え抜いて、ここまで這いずって来た、数万体の亡者たちだった。
彼らはその身を以てして、崩落した堤の代わりに、道と道を繋ぐ架け橋と成ったのだ。
「まさか、この亡者たち、自分たちの体を踏み越えて行けって言ってるのか」
「そうっスよ。この人達、自分たちを解放してもらう代償として、こんなことしてるんじゃないっス。ただ、困ってる私達を助けたくて、ただそれだけで………」
「行こう。オウライ、碧」
ここに至るまでの経緯を知らないラハムにも、亡者たちをこの流刑地から解放したいという意志が芽生えたのは、この時だった。
ただでさえ重圧に苦しむ亡者たちの上を、可能な限り負担を掛けず、かつ一刻も早く渡り切ろうと進む三人。
やっとのことで対岸にたどり着いた後、崩れた巨石と瓦礫の中に、六体目の異形の魔神の亡骸を見つけ出した。
嵐の魔物ウム・ダブルチュ
応雷達は亡者に祈りを捧げ、この地を去った。
第八圏・第七嚢
「このmeはウリディンムだ」
「それって応雷と最初に出会ったあの岡で倒れていた………」
「そうだ。現生でのアイツはすでに死んでいる」
「もう骸を引き裂いても、復活はしない」
言い辛そうな応雷に代わり、ラハムが説明を締めくくる。碧もそれだけ聞けば充分だった。ここは素通りなのだろう。
この地もまた、おぞましい呪いに被われた世界だった。
堤の下には大地を埋め尽くすほどの蛇が、群れ成していた。多くの亡者が呪いの蛇の毒牙に罹り、群れ成す蛇の渦に吞み込まれている。
もはや、苦痛に抗う気力すら失われてしまっているようだ。為す術を探す様子も無く、ただ、のたうつ蛇の群れに流されていく数多の亡者たち。
蛇にも毒虫にも嫌悪感を起こさない質の碧も、この蛇には悪感情を懐いたようだ。とは言え、懐いたのは君の悪さでは無く、義憤の類だったようだが。
自身の容姿に似合わない悪態をブツブツと言い続けながら、応雷に相づちを要求している。
あるいは応雷に余計な雑念(ウリディンムへの罪悪感)を考えさせない気配りかも知れないが、碧にしては露骨すぎる気の使いようだった。やはり、足元のすぐ下に渦巻く蛇の群れが、意識に影響を及ぼすのだろう。
そうしてこの第七嚢を抜けようという所まで進んだ時、一匹の蛇が堤の上まで這い上がり、鎌首をもたげ、碧のかかとに喰いついた。
厚手のトレッキングシューズだったのが幸い、蛇の牙は碧の足に食い込むことは無かった。だが、突然の 事態に驚いた碧は、咬みつかれた利き足を大きく振り払い、喰いついた蛇を蹴り放そうとする。
応雷、ラハムが、碧に手を伸ばそうとする寸前で、碧の軸足が利き足の勢いにつられ、地面を滑る。バランスを崩しながら横倒しになった碧は、そのまま堤の下へと転落して行く。
「「碧っ!」」
ためらう間も無く、自分も堤の下へと躍り込もうとする応雷を引き戻しつつ追い越し、自分こそが飛び込もうとするラハム。単純に応雷とラハムの現時点におけるmeの差だ。
一拍の遅れを取り戻すべく、再び堤の下に身を乗り出した応雷が見たのは、転落して行く二人。
そして呪いの渦に呑み込まれる寸前で、逆に、蛇の群れの中から飛び上がって出た巨大な影が、碧、ラハムの順に拾い上げ、そのまま堤の上に乗り上がる光景だった。
「ウリディンム⁉」
『よう、またすぐに会えたな、ウシュムガル』
「おまえ、なぜ――――」
『神に復活させられて、お前がmeを取り戻すのを阻止するよう、仰せつかってきた訳だが』
「本気か」
『まあ、待てよ。この前ぶっ殺された時、誤解があったからそれを解いておきたくて、神の口車に乗ったふりをして会いに来たのさ。この地の呪いを浴びる前の、絶妙なタイミングで抜け出せたのは、ちょっとした奇跡だな』
「大丈夫、オウライ。meを取り戻したウリディンムでも、今のオウライだけならともかく、同じくmeを取り戻した私と二人掛かりでは、勝てないのは分かっているはず」
『そう言うこった』
明日も投稿します。よろしくお願いします。