第二十四話 黄泉路の奥底で2
第八圏・第四嚢
そこは、この地下世界に来て以来、最も呪わしい場所だった。
「これ………、何なんスか」
「こいつもやはり、呪いだろうな。しかしこんな………」
この地に住まう亡者たちは、全て首が百八十度、捻じれ曲がり、真後ろを向いていた。体の向きに対して、決して正面を向くことが出来ないようだ。
首の捻じれ自体には、苦痛が無いらしい。だが、
「前を向くことが出来ないって、それって」
「ああ、想像を絶した責め苦だろうよ」
「応雷、この呪いをかけた者が誰か、心当たりついてるんスね」
「この地でそいつの名を声に出すのは、危険だ」
「それは、応雷でも、そいつの呪いにかかるかもしれないってことっスか」
「むしろ、何故俺達が今ここでそいつの呪いを受けないのか、その方が謎だな」
「そいつに、試されてる気がするっス」
「このまま無事に進めれば、いずれそいつの下に行きつくことになる。いや、その前にニンギルスに追い着かれるか」
この地の亡者たちは皆、一様にうずくまっている。後ろを向いたまま進むことが、言いようもなく苦しいのだろう。
この第四嚢の中で、応雷と碧のみが正面を向いていられる、それを目にする亡者たちの、羨望の眼差しが、碧にはつらかった。
「この呪いをかけたヤツ、私達を今も見てるんスね」
「第七圏・第二円で亡者に呪いをかけた時にはもう、俺たちに気づいていたのは確実だな」
「ぜってぇー、そいつに負けたくないっス」
この地の果てに至り、四体目の異形の獣の亡骸を目にする。
蠍人間 ギルダブリル
「地上で強さを取り戻している連中が、そろそろ動き出しているかもな」
「いよいよ、本格的に神への反乱っスか。呪いの主と神々って、関係的にどうなってるんスか」
「対立関係、敵対し合っている。でも俺はどちらとも共闘する気はねえよ」
「もちろんっスよ。私もどっちも気に入らないっス」
第八圏・第五嚢
「このmeはラハムだ。ここには原初のラハムの骸がある」
「今、現生のラハムの傍には、ニンギルスがいないんスよね。何らかの手段で拘束されてるかもっスけど、ここでmeを取り戻せば自力で突破して、逃げられるっスね」
「いや、それどころか、いっそこの地に召喚出来るかもしれねえ」
「やっと、最大の目的が達成できるっス」
だが、この地はこれまでの行程の中でも、最も困難な場所となるかも知れなかった。ここでは大地は全て、マグマのようににえたぎる瀝青によって覆われていた。
唯一、瀝青から突き出た堤の上が、この地を進む活路になる。
そしてその活路、堤の上には、悪鬼たちが屯している。堤の上から瀝青目掛け、禍々しい槍を突きつけている彼の悪鬼ども。
よく目を凝らせば、瀝青の中には亡者たちが落とし込まれ、焼け爛れた粘液から逃れようと必死に身躯を浮かび上がらせたところで、悪鬼に突き刺されているのだった。
「まずはこいつらから、亡者たちを救い出す所から始めるか」
「応雷⁉」
(応雷の、いや、ウシュムガルの亡骸に近づいて来てるからっスか。応雷から感じるオーラ、半端じゃねえっス)
「中途半端な事はしたくないからな。全力で行かせてもらう」
応雷と碧に気づく悪鬼達。残忍かつ卑怯な輩だが、臆病では無かった。
「天星より来たれ。ネビルの怒霊!」
応雷の両手に、二挺斧が喚起される。
この地の悪鬼どもは、全力のmeを呼び覚ました応雷に対しても、怯むことは無かった。彼等もまたかつては神であり、それもかなりの高位に属していた輩らしい。
槍や熊手、狼牙棒を構え、己が身に具わるかつてとは変質を来たしたmeを奮い起こす。強い。そして多い。
生身の人間に過ぎない碧には、当然meの質量を推し量ることなど出来ないはずだが、
(悪鬼達全員が相手では、今の応雷ではまだ、勝てない気がするっス。何か別の手を)
碧は後方に退き、応雷が前に進み距離を詰める。応雷は片手の戦斧を投擲し、もう一方の手に握る戦斧を振りかぶり、悪鬼に打ち掛かる。
応雷が先頭の悪鬼との間合いを詰め切る前に、二番手の悪鬼が槍を繰り出す。その突槍を半身に開いて空かし、今度こそ敵の一人を間合いに収める。
だが、そこで三番手の悪鬼が熊手を横薙ぎにし、振り上げた応雷の戦斧を打ち払う。今度は、応雷が狙っていた先頭の悪鬼が爪を立て、素手で応雷を引き裂こうと飛び掛かる。
その時、応雷が先に投擲していた斧が、回転しながら悪鬼の延髄に落撃し、その首を断ち斬った。
この戦闘、戦況をたどれば生身の人間の行うそれと大差は無い。しかし、そこに注がれるエネルギーは人の為せる技のそれとは違った。
圧倒的な速度と体力で行われたそれは、一瞬の間であり、足場の堤を崩落させかねない衝撃で繰り広げられた。
一瞬にして敵を一人討ち取るも、状況は以前、好転しない。仲間の死を悼むでもなく、自身の死を厭うでもなく、間断なく押し寄せる悪鬼の群れ。
今の応雷がそう易々と力尽きるとは思えないが、悪鬼を倒し尽くすまで、無傷で済むとも思えない。いや、反撃の手が一手でも詰まれば、応雷が致命傷を負わないとは言い切れない。
互いに先の見えない、息苦しい形勢を迎えている。
「応雷、あれをっ!」
碧が瀝青の中の一点を指す。そこには五体目の異形の魔神、海魔。あのラハムの化身とは思えぬほど妖艶な、半人半魚の姿をした骸が、瀝青から浮かび上がっていた。
それを支えていたのは、虐げられし亡者たちだった。恐らく応雷と悪鬼が戦闘にのみ気を取られている隙に、碧が亡者に呼びかけていたのだろう。
「ラハム、ここに来てくれ」
再び応雷が戦斧を投擲し、ラハムの亡骸を両断する。
両断された骸からは、今までの様にmeと思しき光が拡散して行かず、逆に一転に凝集し、人型の実体と成っていく。
凝り固まった人型の光は、瀝青から浮かび上がり、悪鬼と応雷の間に割り込む。やがて光は色彩を成し、あの存在感の希薄で儚げな、その雰囲気に反して気の強い少女の姿を現す。
「ありがとう、碧、オウライ。こんなに早く助け出してもらえるとは思わなかった」
「ラハム、………置き去りにしてごめんなさいっス」
「?………。碧は私を助けてくれた」
「碧は頑張ったよな。よくやったよ」
「オウライの言う通り」
「ありがとうっス」
「じゃあ、次の目的を目指そうか。俺の強さを取り戻すってヤツ」
あきれかえるように立ち尽くす悪鬼ども。突然現れたラハムのmeを捉え、現状認識が追い付かないらしい。
今のラハムに具わる神性『me』は、ニンギルス、ネルガル等、最高位の神々のそれすらも凌ぐほどのものだった。
下級神からさらに堕ちた悪鬼如きは、立ち塞がろうなどと言うのも愚かしい相手となっている。
「オウライが真の強さを取り戻せば、私より強くなる」
ラハムが手をかざすとそこに、あの大重量のランスが喚起される。たちまち情けない程に震え上がる悪鬼達。
「この者達、殺すのはやり過ぎ?」
「正直、許したくは無いっスけど、私たちがこいつらに制裁を加えるのって、こいつらがやって来た事の繰り返し、同じ罪を重ねることになるっスかね」
「かもな。だったら今までこいつらに虐げられてきた、亡者たちに報復させるのはどうだ。目には目を、歯には歯をって、受けた仕打ち以上の報復行為を諫める意味で使う言葉らしいぜ」
「そうっス、このマグマみたいな物から、亡者たちを救い出せないっスか」
「それは私にも出来そうにない。この呪いはmeとは異なる外法で掛けられてる。外法を使った呪術者本体を倒さなければ解放できない」
「ホント、そいつ何なんスか」
「せめてこの悪鬼どもも、この瀝青の中に落としてやろうぜ」
「分かった。やってみる」
憐れみなど感じないが、憐れと言う他ない末路。よく考えればそんなことをしても、何の解決にもならないのだが、これで悪鬼どもも、亡者を虐げるどころでは、少なくとも無くなった。
応雷と碧は、心強い味方を加え、次の地へと向かった。
明日も投稿します。よろしくお願いします。