第二十三話 黄泉路の奥底で1
「こういうのは納得いかないっス」
「碧のそういうトコが、いいんだよな」
第八圏・第一嚢は、力弱き亡者が角ある悪鬼に鞭打たれ、虐げられる世界だった。
「事情は分からないけどな。もしかしたら虐げられてる方に、落ち度があったのかも」
「そんな事情は無さそうっスよ。私たちも襲われそうっス」
「分かりやすい悪役で助かるよ」
この悪鬼たちは、かつては神々であったかもしれない。
だが、永劫の時の中で生きることに厭き、ただ弱者を虐げる喜びに浸かる間に、醜い角ある悪鬼に姿を落とした者どもか。
それでもなお、meを具えたこの魔物達には、応雷も苦戦を強いられた。
第四圏で争った亡者たちの時とは違い、闇雲に飛び掛かって来ることは無く、一体一体が間合いを測り、周到に攻撃の手を加えて来る。
敵はその数、百体はいるだろうか。
ニンギルス、ネルガルには及ばないにせよ、その両者を除けば、この地下世界に来て以来、この悪鬼一人ひとりが最強の敵と言えた。
碧をかばいつつ、囲まれることを恐れ、駆け回りながら二挺斧を振るう応雷。
「天星より来たれ、ネビルの怒霊、我が其に請うは裁きの雷電、汝の汝たるかを示せ」
三叉の戟を突きつけようと繰り出す悪鬼が、応雷の戦斧より飛来する電光の一撃を浴びて、絶叫を挙げつつ絶命する。
それを目の当たりにした他の悪鬼たちが、浮足立つ。もとより、力なき亡者を鞭打つような卑怯者どもだ。自分の身が傷つくような立場になれば、すぐに怯みだす。
ここが付け目と判断した応雷は、今の自分に具わるmeを、かつては神であった悪鬼達にも感じ取れるよう発動させる。
あからさまに怖気づき、戦意を挫かれる彼の者ども。その時、今まで虐げられていた弱き亡者たちが、一斉に奮い立った。
ある者は、己が身に具わる爪と牙で、ある者は悪鬼どもから武器を奪い、死をも恐れず反撃に出た。
こうなってしまえば、個々の強さより勢いがモノをいう。反乱の火の手は、この場を中心にして第八圏・第一嚢全土に一気に広まった。
応雷を陣頭に備え、幾千人とも数え切れぬ亡者の群れが、百体足らずの悪鬼どもを吞み込む。
見ている碧の方が情けなくなる程の惨めな体たらくで遁走するかつての支配層たちは、やがて一つの方角へと逃れて行く。
その先にあったのは、過剰な装飾を施された忌まわしい砦。芸術の粋をゴテゴテと集め過ぎたため、華美というよりいっそ下品と言うべき建造物である。
それでも砦としての最低限の防御機能は果たしていたが、地獄で産出するイーブルメタル製の重門扉も、今の応雷の底力の前に敢え無く粉砕されてしまう。
追い詰められた悪鬼は、ついに亡者たちの前で命乞いの醜態まで晒し始めた。
「亡者達を憐れんでおいて、この人達には無慈悲なのか、と言われても、この人達を見逃してあげる気には、なれないっス」
「同感。こいつらは亡者に虐げられるといい」
ここでこの悪鬼を見逃したら、後日必ずこの連中は亡者に報復するであろう。許しを請う資格が無いことを自ら証明した者に、慈悲をかけても仕方が無い。
応雷と碧は、この砦の最奥部を目指して行く。そこで、その広間にて、二人は遂に目的の一つにたどり着いた。
巨大な彫像のように、圧倒的な存在感と、生命力を感じさせない無機質感とを、見る者に懐かせる魔神の骸。
「クリール………」
人型を象った魚体。
エメラルドブルーの光沢を具えた、全身を覆う滑らかな鱗。ギリシャ彫刻の様な、雄々しい人体。何よりその存在を特徴する魚顔。
十一体の異形の獣の一人、魚人クリール。その初めてこの世に誕生し、そして命を絶たれた後に残された遺骸。
「この遺体にはまだ、強大なmeが宿ってやがる。それを解放すればそのmeは、現世の地上世界に復活している今のクリールの内に宿る」
「どうやって解放するんスか」
「こうするのさ」
戦斧を振り上げ、魔神の像を一刀両断にする応雷。二つに切り裂かれた異形の獣の躯、そこから眩い光輝が放たれ碧は一時、目をくらまされる。
視界が戻った時、そこには土塊と化したクリールの遺骸の痕跡のみが横たわっていた。
第八圏・第二嚢、大地の全てが腐泥で覆われたおぞましい世界の中を、唯一の足場となる堤をたどって進む、応雷と碧。
この地に生きる全ての亡者は、腐泥に浸かり、そこから堤の上には、這い上がることが出来ない。
「引っ張り上げてやれないもんスか?」
「それが出来るくらいなら、自分の力で這い上がって来れるだろう。恐らく呪いだな」
碧の脳裏に第七圏・第二円での呪いが思い起こされる。樹木へと変貌してしまった亡者たち。
「その呪いを仕組んだヤツ、許さないっス」
「そいつは多分、この地下世界の最下層、第九圏の果てにいる。そこに至る前に俺のmeが取り戻せるなら、必ずしも争わなければならない相手では無いんだが、こうなったらそうも言ってられないか」
「ラハムを救い出すことも、応雷の強さを取り戻すことも、同じくらいこの地獄の亡者たちを解放することも、やり遂げるっス」
「その言葉が聞きたかった」
やがて腐泥に浸かる亡者たちが、動き出す。
あるものを求めるように移動して行き、そして腐泥の底に沈められた何かを引き上げ、大勢の亡者がその何かを応雷、碧の下まで腐泥をかき分けながら運んできた。
「バシュム!」
十一体の異形の獣の亡骸、毒蛇バシュム。
「絶対、みんなを助け出して見せるっス」
第八圏・第三嚢。
硬い岩盤で占められた大地に、無数の竪穴が刻まれている。元から自然と開いていた穴なのか、意図をもって何者かが掘った穴なのかは分からない。
ただおぞましいのはその竪穴の存在より、その竪穴の用途だ。
人一人が、かろうじて収まる程度の狭い穴に、その個体の大小に構わず、亡者たちが一人ずつ逆さに埋められている。
最小の亡者であっても、手も足も曲げ伸ばし出来ぬほどの狭さに、頭から詰め込まれている。
幾十年、幾百年。あるいは幾千年、幾万年、そうして全く身動きできぬまま、拘束されているのだろうか。
碧はその冷酷な仕打ちに、その行為とその苦痛以上に、そんな仕業が出来る者の狂気に恐怖を覚えた。
応雷は何とかしてこの亡者達を穴から抜け出させようと試みるが、引き上げようとしても全く引き抜けない。下手に引っ張り上げれば、足から引きちぎれかねない、まるで呪いであった。
「岩盤の方を打ち砕けばもしかしたら」
だが、うかつにそんなマネをすれば、中の亡者も潰れかねない。
「この地にいる亡者悪霊、生命魔神、全部がこういう目にさらされているようだな」
「meを探って、異形の獣の遺骸がどこにあるか、分かるっスか」
「ああ、まっすぐ進めばいい」
碧はもう、この亡者達を助けるよう、応雷にすがらなかった。
数え切れぬ竪穴を縫って進み、やがてこの嚢の果てにたどり着く。そこには、強力な存在感を発しながら、生命力を感じさせない、異形の魔神の亡骸があった。
神々しい翼を具えた雄々しき闘牛、クサリク。
「一刻も早く、最果てにたどり着くっス」
明日も投稿します。