第二話 よくある出会い2
季節は春。
市政において、予算消化のために、余った血税は取りあえず桜を植えるのに使え、という方針で、この都市には桜並木が多く、華やかな春を演出している。
地下下水道の普及率がやたらと高く、生活廃水や工場廃水が、水田に張り巡らされた用水路や小川を汚すことが無いのは、この都市の隠れた自慢だ。
用水路の中を天然のメダカが泳ぎ、田の畔道も野花や土筆に被われる。三十年にわたる開発も、この景観の前には影を潜めてしまう。
この少女が駆け上がるこの岡も、真っ直ぐに頂上まで敷かれた石段の両脇に桜並木が植え込まれ、桜のアーチを成している。
見る者によっては目を奪われる程の美しさなのだが、この少女の他に人影は見当たらない。
高校の裏山ではあるが、高校生の感性では桜を眺めるよりは、近代的なショッピングモールにくり出す方が楽しい物なのだろう。
この都市には現在、十五校の公立高校と同じく十五校の私立高校があるが、その生徒のほとんどは都会的な物に憧れ、田舎的な物、自然的な物を嫌っている節がある。
別に悪い事では無い。
この少女も顔立ちで言えば、現代的・都会的な目鼻を具えているが、本人が望んでかく在ろうとした訳では無く、勝手に生まれつきそういう顔なのだ、という事だそうだ。
現在、この都市の人口の大部分は、三十年の間に他県他市から移り住んだ人々で構成されているが、この少女の家は違った。
祖父母は先祖代々、この地で農家を営んでおり、今もそうである。
所有する農地の半分は、シャレにならない高額でマンション建設のために買い取られたが、残りの農地でも十分生活していけるし、土地を売って手に入った金額なら孫の代まで生活していける余裕もあった。
それでも両親は共働き。父は(かつては町役場という名の)市役所、母はパートに出ている。
完全にこの地に根付いている一家で、この少女自身、この街を出て行くなどと考えたことが無い。
というより、この先の進路について考えたこと自体一度も無いという、この春晴れて進級した現役高校二年生である。
この少女が今、この岡を登って来るのは偶然だった。
始業式が終わった後、ふと思い立ち、満開の桜と共に裏山から高校の校舎と街の全景を、見渡したくなったのだ。
少女の思い立ちの中に、何者の作意も働いていない以上、いかなる意志とも関わりの無い、奇跡のような偶然だ。
息を切らせることも無く、春の湧き立つ輝きを取り込み、活力に変換しているかの様な躍動で、最後の一段を駆けあがる。
しかし、活力が余り過ぎたか、勢いを押し殺しきれないのか、景色を顧みることも無く広場になった頂上を駆け抜けてしまう。
「おっちゃん、タオル投げないでくれ。完全燃焼したいんス」
一度火の付いた若さゆえのエネルギーが、絶えず運動を欲したのだが、本人は今まさに、世界チャンプに挑む境地だった。
あるいは、この少女にだけ見える丹下のおっちゃんが、そこにいるのかも知れない。中々に変わった少女だ。
そして結局、そのまま頂上広場を突っ切って、この裏山の奥の雑木林の中に駆け込むことになった。
木々をかわしながら、道なき腐葉土を踏みしめてしばらく走り、ようやく一息入れつつ弾む肢体を落ち着かせる。
「ああ、楽しいな」
独り言を言った後で、誰かいないか確かめる。
「ん?」
少女の観察眼は、雑木林の景観の中に不自然な物を捕らえた。幹回り一メートル以上はある堂々たる木が、胴部を砕かれたようにへし折れていた。
落ち葉の積もる地面にも、巨大な何かが這いずり回りでもしたかのような、痕跡がうかがえる。砕かれた木の傷跡を確かめれば、今しがた折られたばかりの瑞々しさが残っていた。
(今ここで、何かがあったっスね? でも何が………)
それ程、深刻に考えてはいなかった。自分の身に危害が及ぶ事態がここで起こっていると、判断できる材料はそろってはいない。
ここは所詮、学校の裏山だ。それにここは平和な田舎町だ(と、この少女は認識している)。
何故、木がへし折れたのか。それを危険の前兆と捉えるより、好奇心を刺激する自然現象だと少女は思いこんだのだ。地面に残る奇妙な痕跡をたどって、雑木林のさらに奥へと足を進める少女。
その先で少女は遂に目にする。
見た事も無い、それ以上に少女の認識ではありえない、奇怪な姿をした巨大な獣、おそらくその死骸。
まるでその異形の獣と争い深手を負ったかのように、脇腹を抑えうずくまる不審な青年。
「あの、大丈夫っスか」
少女の中に危機意識が働かなかった訳では無い。だが、遠目にも苦しそうに顔をゆがめる青年を、放っては置きたく無かった。
結局、少女の脳内で出された結論は、
(大丈夫。私は女子高生。人生の特権階級)
むしろ、だからこそ気をつけなくてはいけないはずだが、、それで危険は及ぶまいと勝手に思い込んだのだから、大したものだ。
この時点ではまだ、青年が死の瀬戸際にいるとは知る由も無かったのだから、この苦しそうにうずくまる青年に、少女は何か心惹かれるものがあったのだろうか。
かくして話は元に戻る。
「そりゃ、私の体に何かしたおかげで、その傷が治ったって言うなら、仕方が無いと思わないでもないっスけど、一体なにをしたかだけでも聞かせてくれないと、納得できないっス」
「それはァ、ほら、あれだ。大人の事情だ」
「そうっスか。大人の情事っスか」
「確かに似たような意味だが、そこまでは言っていない」
「そんな言い訳ではごまかされないっスよ。さあ、早く私に何をしたか、その口からハッキリ聞かせるっス」
「おれがハッキリ言わない所為で、間違った期待を懐かせた様だな。
あー、代謝ってあるだろ」
「うん? 高校の生物の授業で習うやつっスか」
「そうそれ。それに関する仕組みらしいんだが、俺は他人の生体エネルギーを吸い出して、自分の体に与え、回復することが出来るらしい」
「らしい? 自分でもよく分かって無いんスか」
「自分の体の仕組みなんか知らなくても、体を動かせるだろ。どういう作用かは分からなくても、俺にはそれが出来る」
「それってホントに、倫理的にも道徳的にも問題の無い行為なんスか」
「もちろん」
「性的な意味合いは、全く無いと」
「さっきからお前、俺に何を言わせようとしているんだ」
「ほら、私って結構、良い体つきしてるじゃないっスか。そこから何か吸いだしたとなると、そこはやっぱり男と女の間の事っスし」
「えれえのと、関わっちまったな」
「もっと詳しく聞かせなさいっス」
「もういいや。実は俺、とある秘密の研究所で産み出された人造人間なんだ」
「と、いうと試験管の中で何かと何かをくっつけて生まれたんスね」
「――――俺はそこで、いろんな実験や教育を施されていたんだが、その中の一般教養に関する知識から、その研究が人の道に外れた行為だと判断できるようになった。そしてある日、ついに研究所を抜け出して、逃亡に成功したんだ」
「じゃあ、この変な生き物はそこから来た追っ手なんスか。それ石〇森先生が使い尽くした設定っスね。どうも本気っぽさが足りない気がするんスけど」
「そりゃそうだ。今言ったのは全部ウソだからな」
「ムキー、ヘイトな気分!」
「グべらっ、も、もうカエル跳びアッパー許して」
「ええと、例えば吸血鬼の吸血行為って、実は男女間の何かの行為と同じという噂があるじゃないっスか」
「あぁ、違う違う。そう言うのとは全然違うから」
「そうなんスか………。それで、あなたは一体なに者っスか」
「俺の名は仙丈 応雷。宿無しの行き倒れだ」
「ふうーん、宿無しっスか。じゃあ私が面倒、見てあげてもいいっスよ」