第十九話 黄泉路下り5
第四圏を過ぎ、第五圏に至る二人。
「全部で第何圏まであるんスか」
「第九圏まで」
「ここで真ん中っスか」
「第六圏にはディーテ市という街がある。そこで、そこから先の地獄に関する話を拾おう」
「つまりまだ、これからが大変な訳っスね」
しばらく進むと、真っ黒に濁った水の湧き出る泉に行き当たった。湧きあふれる濃黒色の水は、泉を起点に延びる溝から流れ出し地平の彼方へと続いている。
流れる小川に沿って、路ともつかぬ路をたどり、彼方を目指す碧と応雷。その彼方には、大地を隔てる暗黒色の沼が広がっていた。
この沼を避けて進もうにも、左右のどちらを見渡しても回り道など見当たらぬほど、完全に大地を隔てている。
だがこの沼の前後の幅は左右程には無く、対岸は見通せる。対岸には巨大な城壁がうかがえた。
「これがスティージェの沼。あの城壁の向こうが、ディーテ市だ」
応雷たちの立つ岸の外れに、櫓が築かれている。その櫓の上に赤い灯りが燈る。何らかの合図のようだ。
その合図に呼応するように、対岸に見える城門の上にも同じ灯りが燈り、信号による意思の疎通が図られた模様。
やがて一艘の小舟が、城壁のたもとから応雷たちのいる岸辺へと漕ぎ着ける。船頭に向かって応雷が話しかける。
「フレジアス、俺が分かるか」
『ウシュムガルか』
ただ一介の船守と言った風情には見えない、中々のオーラを放つ人物だ。
「ディーテの城門まで、俺たちを渡してくれないか」
フレジアスと呼ばれた船頭は、碧を一瞥してから返事を返す。
『いいだろう。しかし、自分の身は自分で守れ』
応雷と碧は、ためらうことなく船に乗る。艪も帆もない小舟は、ただフレジアスの意志にのみ従うように、暗黒の沼を泳ぎ渡る。
「この真っ黒い水って何なんスかね」
船縁から水底をのぞき込む碧。と、その時、沼の底から水面まで急浮上する水よりもさらに黒い影。
慌てて船縁から顔を引っ込める。しかし同時に水面から突き出た手が、碧を沼の中に引きずり込もうとする。
「やめろっ」
とっさに応雷が戦斧を振るい、黒い影の手が碧をつかみ取る前に、払いのける。
「はあ、自分の身は自分で守れ、こういう意味っスか。うん? どうしたんスか、応雷。テンション低いっスよ」
「ニンギルスのmeを捉えた。ヤツも地獄に来て、俺たちを追っている」
「まあ、驚く程のことじゃないっスね。でも、それだけじゃ無さそうっスね、悩みなら聞くっスよ」
「悩むようなことじゃ無いのかも知れないが、すべての強さを取り戻した後でも、俺は俺のままでいられるか、フと気になってな」
「それは………、応雷のままでいてくれないと、困るっスよ」
「ああ、頑張るよ」
(応雷、実はもう、相当強さを取り戻してるんじゃないっスか。大丈夫? っスよね)
船は、城壁の前の水路の様な囲いの中へと乗り入れる。恐らくこの城塞都市の濠の中に入ったのだろう。しばらく進むと桟橋に行き当たり、そこで船が止まる。
『着いたぞウシュムガル』
「すまなかったな、フレジアス」
応雷と碧は船を下り、船は桟橋を離れ、水路の奥へと進んでいった。濠と城壁の間の石造りの側道を少し進むと、そこには城門がそびえていた。
「第一圏で見た城門よりも、デカくて頑丈そうっスね」
「ガルラ霊ども、この門を開けろっ」
「お、いつもより強気っス」
「下手に出る必要も無いヤツラ相手に、下手に出ても無意味だしな」
「その発言、誰に対しても下手に出てるマスオさんの性格を否定してるっスよ。うちの祖父さんもっスけど、入り婿の苦労は認めて欲しいっス」
「そうか、そういう未来が待ってるのか」
「なんスか」
「何でもないです」
やがて城門の上の方が、騒がしくなって来た。
『ウシュムガル、神託によりここは通せぬ』
「なあ、お前等、いつまでヤツラの奴隷の地位に甘んじているつもりだ」
『我々を懐柔する気か。聞く耳持たぬぞ』
「俺はいずれこの流刑地を、楽土に変えて見せる。この神々によって焼かれた灰土と、亡者の流す血を吸って腐った地力みなぎる沃野を拓き、地上世界の様に草木茂る清浄な大地に変えて見せる。
大河の流れを引き込め。大地を掘り起こせ。この荒野から、生命を芽吹かせろ。俺たちは永劫の流刑囚じゃない。咎人ではない。ただ神々の恣意的な裁きで不当に罰せられた冤罪者だ。
俺達は平穏な世界を乱した反逆者か。違う。神々が神々自身の繁栄のみを築こうとし、その繁栄に都合のいい者達のみに幸福の追求を許し、自身に不都合な者達をこの廃土に追いやるその神々のやり口に異を称えただけの、自由者だ。
俺たちの手で変えるんだ。俺たちの意志で始めるんだ。俺たちがやり遂げるんだ」
「ごにょ、ごにょ、ごにょ、ごにょ」
隣で碧に耳打ちをされながら、城内にも届く大音声の演説で煽る応雷。
そのうち、城内が動き始めた模様。だが、まだ決定打ではない。未だ神への恐れが彼らを抑えつけている。
「応雷、ここが切所っス」
この時、応雷の内から、ネルガル、ニンギルスに匹敵するほどのmeが発動する。
応雷の体内で生じ、体内で発動したその巨大なエネルギーを、頭頂から爪先に至る全身にめぐらし、次には逆に、拳の先、その一点へと収束させる。
全身の運動を駆使して繰り出す渾身の一撃。大地を震わす程の踏み込みと共に、城門へ右拳が撃ち出された。
周囲の城壁ごと、その荘厳たる門扉が吹き飛ばされる。
応雷によって、轟音と共に彼の城壁の一角が崩れ去ったのを見届けた城内の悪霊、亡者、異能者達。彼らは、歓呼と共に応雷と碧を迎え入れた。
次話も明日、投稿します。 よろしくお願いします。