第十七話 黄泉路下り3
ミノスの法廷を通過して、第三圏へと歩を進める。
そこは、重く足にまとわりつく泥土と、雪や雹の混じった泥雨の降りしきる陰鬱な世界だった。
「小学生の頃は、雨が降っているだけでも大はしゃぎ出来たんスけど、この歳にもなると雨も鬱陶しいだけっスね」
「歳の問題だけじゃ無いと思うんだが。それより用心してくれ。ここにはアレがいる」
「あれって何スか?」
「地獄の番犬、ケルベロス。くっっ、早速気づかれた!」
幾層にも重ねられた紗の如き降雨を切り裂きながら疾走する、巨大な四足の獣の影。
「伏せろ、碧っ」
慌てて伏せる碧の目前に、一瞬で迫る獰猛な『うねり』。獣の足が前方に弾く泥土の飛沫だ。
その大地のうねりの影を引き裂きながら、巨大な凶器、魔獣ケルベロスの爪牙が突き出される。
「させるかァ!」
その凶器を二挺の斧を交差させて凌ぐ応雷。この間、全く速度を殺さず、応雷と碧を跳び越えて駆け去る四足の獣。
大きく迂回し、半円を描く軌道を取りながら再び応雷と碧を正面に捕らえ、再び疾走する魔獣。
先ほどにも優る速度で現れ、一方の前足を振るい応雷を引き裂こうとするも、戦斧によってはね返される。
と同時に応雷も、もう一方の戦斧を、応雷の間合いより高い位置にある獣の首筋に狙って投擲する。
「天星より来たりしネビルの怒霊。滅びの怒りをまといて来たり、滅びの殊勲を伴い去るべし」
応雷の投擲した戦斧は、激しい雷光と恐るべき雷音を轟かせながら回転し、雷光をも刃と成し、雷音をも打撃と化して、獣の首を苅らんとす。
とっさに身を退こうとするケルベロス。
だがその時、斧を投擲して空いた手で、今まで突き出されていた獣の片足を脇腹に抱え込む応雷。
圧倒的な巨体を誇る魔獣相手に、人並みの体躯しかない応雷が力技を仕掛け、その場にくぎ付けにする。
その一連の動きは、碧の目には一呼吸の間よりも短い瞬間の出来事だった。
その次の一瞬には、回転しながら飛翔する戦斧によって、魔獣の首は半ばまで断ち斬られていた。
奇矯な悲鳴をあげて、今度こそ逃げ去る四足の魔獣。
「普通の犬なら死んでる怪我なのに、元気いっぱい逃げてくっスね」
「アイツならあれくらいじゃ、死なねえだろ」
泥雨の中を潜り抜け、第四圏に到達した二人。
「頼むからもう少し離れてくれ」
「無理っムリっむりっっス! 離れたらゼッタイかくじつに殺されるっス!」
目まぐるしく回転しながら、四方より襲い掛かる亡者を二挺斧で薙ぎ払う応雷と、その腰にしがみ付きながら、全身で振り回されている碧。
ある意味、碧を護りながら戦う上では、理想的な形態を取っている二人だった。迫りくる亡者の数は、半端では無く、本気で冗談にもならない。
「この数、誰かがけしかけてやがるな」
「襲い掛かって来る方は怖くないんスかね。ほとんどが一撃でやられているのに、全く一匹もためらわずに突っ込んでくるって、どういう神経っスか」
「集団心理ってヤツが働いてるんじゃないか? 一対一ならここまで無造作に死ねるもんじゃない」
「うわ、ちょっと君、足咬まないでっ」
「限がねえ。突破する。そのまましがみ付いていてくれよ、碧」
「大丈夫っス、死んでも放さねえっス」
ついに正面突破を図る応雷。
まっすぐ目の前の敵だけを吹き飛ばしながら、急速前進。
当然、背後は無防備になるが、敵亡者が飛び掛かる速度より、応雷の進む速度の方が、かろうじて早い。
それでも追い着かれそうな時は、腰からぶら下がっている碧が、亡者の顔面を蹴り飛ばす。
なんとか亡者の囲みを抜けるとも、休んでいられる余裕もない状況。
「こいつらのボスは、誰だ。どこにいる。情報が欲しい」
「情報を聞き出す為に話の通じる亡者を探すっス」
「だから、そんなヤツをどうやって見つける」
「私が囮になるっスよ。私を見ても襲い掛かってこない亡者がいれば、そいつがそれっス」
「大丈夫か、ホントにやるのか、それ」
「もし襲われたら、応雷が斧を飛ばして、やっつければいいっス。このまま役立たずじゃ、ここまでついて来た意味がないっス」
その後、碧は三度まで襲われ、四度目でやっと話の通じる亡者に出会えた。
「そうか、敵はネルガルか」
「また知り合いっスか。ミノッさんの時みたいに、上手く話しつけられると好いんスけど」
「ヤツはプルート、ハーデスとも呼ばれる地獄の支配を任された神。ニンギルスの野郎の仲間だ。話し合いの余地は無い。亡者や悪霊、生命達の命なんざ、何だとも思っていないようなヤツだ」
「ア~、今の話であのいけ好かないニンギルスのこと、思い出したっス。改めてラハムを一刻も早く助け出さなければっス」
「しかし、こうも早くネルガルに、俺たちの地獄潜入が伝わるとはな。アイツはニンギルスと互角の強さだ。避けられない戦いにせよ、出来ればもう少し先に進んでから、出くわしたかった」
「meとか言うのが分からない私から見ても、応雷、先に進むほどに強さが増して来てるっスもんね」
「たぶん、あの亡者どもに俺を襲わせたのは、今現在の俺の強さを推し量るためだ。これで俺の強さがヤツに及ばないと、おおよその見当がついた以上、すぐに野郎自身が現れるだろうな」
「勝ち目は無いっスか」
「人間だったらどうする? 腕力・脚力・その他あらゆる運動能力において、自分に勝る敵に、戦って勝利する方法」
「戦いの流れを自分の方に持って来る為の、技や理論、戦闘法っスか。でも、そういう勝負センス自体を含めて、相手の方が優勢なんスよね」
「勝負の流れ、戦術その物の幅が、本人のスペックに基づいて立てられるものだからな。スポーツならともかく、兵器の劣性を運用で補う戦闘なんざ、バカのすることだ」
「今まさにそのバカをしなくてはならないんスけど」
「出来ると思うか」
「ニンギルス戦と同じように、無策で体当たりっスか。学習の無い、というより今まさにそれを学習するための戦い。応雷が私を使って負傷を回復できるのが、唯一のアドバンテージっスね。私もここはやるしかないと思うっス」
「意見の一致を見たな。ここで迎え撃つ」
「じゃあ、そのネルガルさん、来るまで休ませてもらうっス」
応雷はその場に腰を下ろし、碧は手頃な岩に腰掛ける。
「ネルガル、meを探られないように、気配を断ってやがる」
「ちょっと気になることがあるんスけど」
「ん?」
「応雷の例の回復能力のこと、私以外、誰にも知られてないんスか」
「ああ、少しばかり理由があってな」
「それって怪我を治す事だけしか、出来ないんスか」
「まあ、そのはずだが」
「でも、私から回復力を吸い出した時、消耗してたmeも少し回復してなかったっスか」
「えっ」
「応雷も気づいて無かったみたいっスから、私だけ例外なのかなって思ってたっス。それで、じゃあ、meが最初から満タンの時にこの能力使ったら、meの量、底上げ出来るんじゃないっスか」
「ええっ」
「それと、そのネルガルさん――――」
明日も投稿します。よろしくお願いします。