第十六話 黄泉路下り2
特に困難も無く、アケロンテ、三途の川を渡りきる。カロンの船を下り、続く荒野の縁を踏みしめる。
「こっちにいる亡者って、今来た対岸の亡者より、やる気を感じるっスね」
「こいつらはこの地で生まれ育った、地上を知らない亡者どもだ。まあ、まれに三途の川を渡り切って、地上にたどり着く者もいる。これから先に進むにつれて、亡者の力も強くなっていくな」
「ここはもう、地獄なんスね」
「ああ、アケロンテの岸とここから先にある門をくぐって、しばらく行った所までが地獄の第一圏、辺獄リンボ。力弱き悪霊・亡者の住む世界だ」
「よっし、一刻も早くラハムを助け出すため、休まず進むっスよ」
「おう」
応雷の言うようにしばらく進むと(この間、地上とは別法則の世界のため、途方も無い距離に達している)、大門がそびえていた。
「門と言うより、城っすね」
「ネティ、俺だっ、ウシュムガルだ。ここを通してくれ」
突然、応雷が声を張り上げる。すると城門の上に番人と思しき人物が現れ、身を乗り出してこちらを眺めて来た。
『ここより先に進みたくば、勝手に通るがいい。ただし再びこの門前に戻ることは許されぬ。たとえ、ウシュムガル、貴殿であってもだ』
「ここから先は一方通行だ、っスか。もちろん私は覚悟の上っスよ。応雷」
「ま、やること全部終わっちまえば、後は何とかなるかもな」
応雷と碧は足取りも軽く、開いた門扉を通り抜ける。
第一の門「ネドゥ」
第二の門「キシャル」
第三の門「エンダシュリム」
第四の門「エヌルウラ」
第五の門「エンドゥクガ」
第六の門「エンドゥシェバ」
第七の門「クエンヌギギ」
七つの門の先には、意外にも緑豊かな草原が広がっていた。
「ここにいるのは、別に悪しき輩じゃない。ただ、生まれながらにmeを具えていたせいで、神々により地獄に放りこまれた、地上世界の生命達だ」
応雷の言う通り、確かにここで見受けられる者達(人間もいる)は、悪しき者どころか、神聖な気配すら感じさせる。
草原を抜けて再び荒れ地に至る頃、次第に風が強くなる。進むほどに風は強まり、風圧が応雷と碧の体を打ち付けてきた。
ここにも悪しき亡者や異能を得た生命達が、強風にさらされながら彷徨っている。
「ここが地獄の第二圏、冥官ミノスの裁きの獄舎だ。神により地獄に放り投げられた者が地獄の第何圏に送られるかを定めるための場所な訳」
「そのミノッさんに、私たちはどういう扱いを受けるんスかね」
「分からねえな。帰れとは言われないと思うが、歓迎もされないだろ。あいつは神を嫌ってるくせに神の協力者だしな。ただ、まあ、何だ。そんなあいつだから言ってやりたいことがある」
(つまり説得したいって訳っスか。応雷はそのミノッさんの事、どう思ってるんスかね)
大分遠くからでも、その司法の堂は目についた。
不思議なことに、どこをどう進んでも、その裁きの廷は行き先の真正面に見え、必ずそこに向かい、そこを通らねばそこより先には進めないらしい。
やはり在り得ない時間で在り得ない距離を踏破し、裁きの庭へとたどり着く。
『お前は、ウシュムガルなのか』
それまで座したまま眠ったように蹲っていたミノスが、廷内に応雷が踏み入った瞬間に目を開く。
そして第一声がそれだった。
「ああ、俺だよ、ミノス」
「(何が始まるんスか?)」
「別に裁判ごっこ始める訳じゃねえよ。人類がやるような難しい法廷劇こなせる頭、俺たちには具わっていないからな。こいつ、ミノスの仕事は、この地獄で暮らさなけりゃならない連中に、住処を振り分けてやることだ」
『ならばお前も、この地で暮らすつもりで来たのか、ウシュムガル。そう、そこの人間の娘と』
「そんな訳ないだろ。本当は分かってんだろ。俺は天命を覆しに来た」
『お前こそ分かっているのだろう。私がそれを見過ごすはずがないと』
少しの間、黙ってにらみ合う二人。
「なあ、ミノス。俺はもう以前のように、自分の為だけに天命に抗う訳じゃ無い」
『ほお、あの意地っ張りの前が、自分の妥協を素直に言い出すとはな。確かに変わったじゃないか』
「妥協した訳でも、折れた訳でもねえよ。ただ、前の俺は自分とにらみ合って、自分相手に独り相撲を取っていただけだと気がついたんだ。あの頃よりは、ほんの少し首を回して、周りを見てみる気になったのさ」
『………………』
「俺はもう、俺の運命を嘆かない。俺の不幸は俺の手で塗り替える。分かってる。すべての不幸が神の定めた運命なんかじゃない。ヤツラにそんな力は無い。個々人の運命を押し流しているのは、本人を含む大衆の総意からなる群衆の意志だ。
その中には確かに理不尽な運命がある。本人の努力や決意を踏みにじるように、暴力的とも言える運命の流れで不幸な人生に落とされる者もある。俺もそう思って自分の人生を呪ってきた。
だが、すべてを押し流す群衆の意志と、俺を不幸に落とす理不尽な運命は、同一の根拠によるものじゃ無かった。
俺を苦しめていたのは、ほんのちっぽけな、くだらない悪意だ。そんなくだらないもの相手に、大げさな自己憐憫に陥っていた自分が、今ではバカバカしく思えている。
抗ってやる。俺の運命を決めつけようとしている、その一握りのくだらない連中の思惑に。そんなヤツラに負けてられるか。俺はもっと大きな世界に出て、すべてを押し流す大衆の総意の中で、俺の意志を唱えてやる。
俺たち十一体の獣に定められた天命。俺たちを抹殺して繁栄を約す循環。あるいは神々の企図する人類の滅亡。
それはそんなに大げさな話じゃない。理屈だけで言えば、ただの強盗殺人と変わらないだろ。そんなものヤツラより強くなって、殴り返して止めればいい。俺はもっと広い世界で生きる」
(キてるなァ。なんかもう、滅茶苦茶な理論っスね)
『なんだ、それは。ふっははは、はあっはは』
「(笑われてるっスね。実際、訳分かんないっスよ、応雷。その理屈)」
「(いいじゃねえか、本音なんだから)」
『それで結局、お前は何がしたいんだ」
「一先ず、地獄の最下層に行って、俺の封印されている強さを取り戻した後、神々、マルドゥークとその取り巻き共を倒して、人類の歴史にそいつらが干渉出来ないようにする」
『ならば、その時が来た暁には、この流刑地を解放しよう』
「しばらく見ない間に、お前も変わったな、ミノス。随分物分かりが良くなったな」
『すべてが終わったら、もう少し勉強しろ、ウシュムガル。言ってることが支離滅裂だ』
「勉強ってやると学力は身に付くっスけど、頭が良くなるんスかね?」
「碧、きついこと言うなぁ」
『人間の娘』
「碧っス」
『ウシュムガルを頼む』
「この人は仙丈応雷っス」
次話は明日、投稿予定です。よろしくお願いします。