第十五話 黄泉路下り1
静岡駅から高速バスに乗り、河口湖へ。そこからタクシーに乗り、富士の樹海へ。
「あのタクシードライバー、若い二人が富士の樹海へ行くって言うのに、気にも掛けなかったっスね」
「気に掛けられても、困るんだけどな」
「それで、この樹海のどこかに、地下世界へ通じる秘密の洞窟があって、その地下世界こそが、亡者の住まう地獄の世界なんスね」
「地獄と呼んでいいかどうかも、微妙なんだがな」
「もう、その説明は何度も聞いたから、分かってるっス」
応雷の言う『地獄』とは、死者の霊魂が裁きを受けて送られる、死後の世界のことでは無かった。
そもそも、神にしても応雷にしても霊魂や死者の魂なる物が、本当に存在するのかどうか、分からないというより知った事では無い、という態度だった。
一応、在るとは思っていない。だからと言って、あると主張する人に否定の論を述べる気も無い。生命を創造したと名乗る神々にしてから、この態度であるらしい。
では、応雷の言う地獄の世界とは何か? 神に反逆した輩たちを幽閉するために地底に設けられた、流刑地だそうだ。
「応雷たち十一体の異形の獣って、一万年おきに復活させられては、また殺されてるんスよね。臨死体験とか霊魂とか、死んでる間の記憶とか、私でも興味あるんスけど」
「死んでる間のことは、記憶が無いから意識も無いんじゃねえの。死んでる間、霊魂になってるとは思えねえな」
「地獄にいる反逆者たちって、どういう連中なんスか」
「神々誕生以前に、アプスーとティアマト、ムンムから生まれた魔神たち、俺たち十一体の異形の獣の同胞、その末裔たる悪霊ども。それ以外にも神に創られた生命の中から、突然meを具えて生まれた異能者。神々の一員でありながら、マルドゥークに叛いた者。そういった連中さ」
「その人たちは、なんで幽閉されるだけで抹殺されないんスか」
「神の技を以てしても、地獄に閉じ込めておくのが精一杯で、殺し尽くす程のことは出来ないんだろうよ」
「応雷もそこに行けば、もっと強くなれるんスか」
「今の俺のmeは、天命の為に復活させられた際に、神によって与えられた力でしかない。ニンギルスに勝てなくて当然だ。一番最初の反逆の時には、ヤツラを怖れさせるほどの力を具えていたが、その力は全て奪われちまった」
「地獄の底に行けば、その強さが取り戻せるんスね」
「俺だけじゃなく、他の異形の獣の強さも取り戻せる。ラハムもな。それに仲間に加わってくれる魔神や悪霊、異能者もいるかも知れねえ」
「いいことずくめじゃないっスか。なんでニンギルスに挑む前に、始めからそれを選ばなかったんスか」
「過去に幾度、挑んでも、途中で阻まれて来たし、今回は碧をどうするかってのもあったからな。それにほとんどの魔神や悪霊たちは襲い掛かって来るから。神を恨みながら抹殺を怖れて、神々の手先に成り下がった連中ってのが、幅を利かせてやがって」
「そういう相手には、力技より口八丁手八丁っスよ。私に任せるっス」
応雷は碧を案内しながら、樹海の中に足を踏み入れて行く。
「俺たちがこれから向かうのは異界だ。常人では訪れることの敵わない地だ」
黒々とした樹木と溶岩石からなる地の続く樹海の中を、二人は進む。
「どこまで行っても、同じような景色ばかりっスね。行き先の見当、どうやってつけてるんスか、応雷」
「地獄の底に封じられた俺が、俺を引き寄せ導いている。感覚的にな」
「ウィッス。何かカッコいいっスね、それ」
やがて二人は、樹木の無いクレーターのような岩場に出る。すり鉢状の岩場を下り、スロープの底にたどり着くと、そこには鍾乳洞の入り口がアギトを開いていた。
応雷はもちろん、碧もためらうことなく洞窟の中を下っていく。
「甲賀三郎になった気分っスね」
「誰、それ?」
「東〇文庫の神道集って本に載ってるんス」
「碧って確か女子高生だったよな」
「それ以外の何に見えるって言うんスか」
「その学生帽、似合ってるよ」
「うん、えへへ」
碧はこの洞窟の異常にようやく気が付いた。光源がどこにも無いのに、内部の様子が全て鮮明に見渡せるのだ。
さらなる異常にも気がつき始めた。ゆっくりと慎重に足を運んでいるにもかかわらず、移動距離がわずかな時間にとんでもない事になっている。
「応雷! これ、どういうことっスか」
「ここは異界だって言ったろ。距離と速度と時間の法則が、地上世界とは違うのさ」
洞窟内部の空間は、進むにつれ際限なく果てしなく広がっていく。まさしく地下世界という通りの広さになって行った。
「うわ、地平線が見えるっス」
どれだけの時間を掛けたのか、どれ程の距離を経たのか、感覚が完全に失われた頃、見渡せる限りにあるのは、広大な荒野だった。
「あっ、何かいるっス」
「亡者だ。異能の技を生まれつき持たないか、神に奪われた悪霊たちだ」
それは中世の絵巻物に見る、小鬼のような姿をした獣たちだ。
応雷の腰辺りまでの身長しかなく、獰猛さも見受けられない、捨てられたノラ犬の様な物悲しい獣たちだった。応雷と碧に関心を示さず、トボトボと徘徊している。
「行こう、碧」
「…………はいっス」
やがて二人の行く手を遮るように、長大な大河が現れた。
「アケロンテ、三途の川だ」
「対岸は水平線の向こうっスね。どうやって渡るんスか」
「どこかに渡し守のカロンと奪衣婆がいるはず。出来れば奪衣婆に見つからずにカロンの船に乗せてもらいたいんだが」
「渡し賃は六文銭っスか」
「渡してくれるとしたら只だけど」
「渡らせてくれないかもっスね。奪衣婆に見つかると、着てる物をすべて剥ぎ取られるって話を聞いたことが――――」
『三途の川の奪衣婆じゃ~』
「い、意外と若い! っていうか全然若いきれいな女の人じゃないっスか」
『失礼な口利いてるのは、お前か~。服を寄こすのじゃ~』
「キャー、応雷助けてー」
(むしろ嬉しそうだな)
「よせ、奪衣婆。俺だ、ウシュムガルだ」
『ホントじゃ~。ウシュムガルじゃ~。それならワシが脱ぐのじゃ~』
『おめえら、何やっとんじゃ』
「よし、カロン。いいタイミングだ。すぐに船を出せ」
「応雷、全然いいタイミングじゃないっスよ。奪衣婆さん完全にマッパっスよ。手遅れじゃないっスか」
「早く船を出せ、カロン」
『ヒ~、逃げられたのじゃ~。脱がされ損じゃ~」
「この調子で行ければ、この先も何とかなりそうだな」
「惜しいっス」
「は?」
アケロンテ河の中に、何やら恐ろしく巨大な何かが潜んでいる。水面下に、巨大な魚影のようなものが、過るのだ。
「碧、分かるけど気にしたら負けだ」
応雷を信じて気にしないことにする。
次話は明日、投稿予定です。よろしくお願いします。