第十四話 ケイソツは力なり4
「応雷はラハムのこと、どう思ってんスか」
「応雷にとって、ラハムって何なんスか」
そんなことを問い詰めて、何になるというのだろう。もともと応雷は、自分が犠牲になってラハムと碧を逃がすつもりだったのだから。
碧が決断してさえいれば、あの場に取り残されるのは応雷で、ラハムと碧は逃走出来た。もちろんそんな結末を望んでいる訳では無い。
碧の望みは、三人で今の生活を続けること。その為に戦いを挑み、破れ、ラハムを失った。
「ごめん、碧。俺がバカだった。ここまで歯が立たないとは、思って無かった。もう少しは何とかなるかって、三人一緒に逃げ延びるくらいは出来ると思っていた」
「わたしはもっとあまく見てたっス。全然、真剣に考えてなかったっス」
碧が事前にもっと手の打ち方を考えておけば、今の事態は回避できた。
碧に重く圧し掛かる自責の念は、今すぐ二人で引き返してラハムを取り戻すという、余りに自暴自棄な決断を迫らせていた。
だが、それを見透かしたような応雷の目は、拒絶の光を映している。応雷のその態度への反感が、先の問い詰めを、碧に洩らさせていたのだ。
「ラハムは今すぐにどうにかされる訳じゃ無い。少なくとも天命成就の時まで、命は奪われない」
「それなら問題無いって言うんスか! 女の子があんな得体の知れないヤツの手に落ちてるって言うのに」
「だからこそ、最も早く確実な方法でラハムを取り戻す。その方法は今すぐ引き返すことじゃねえ」
「そうっスね、今すぐ出来ることは何も無いんスね。だから今日はもうマンションに帰って、食事でもして、ゆっくり寝て、明日作戦でも考えよう、なんて真似、私は嫌っスよ」
「分かるよ。今すぐに反撃に乗り出さなけりゃ、居ても立ってもいられない気持ちはな」
碧は応雷に問い質す前に、自分を落ち着け、頭の中で考えてみることにした。
応雷は絶対にバカではない。そしてそれ以上に、卑怯者でも臆病でも無い。応雷には既に、何らかの反撃の手があるのだ。
そしてそれは、
「私を置いて、一人で何かしでかそう、っていうんスね」
碧の前に絶望的な巨大な壁が立ちはだかり、足元の地面が崩落して落下して行くような喪失感を同時に味わった。永遠に続いて欲しいと願ったものが、今この瞬間に永遠に失われようとしている。
「俺は必ず戻って来る」
「その間、私に何をしてろって言うんスかっ。もう、私は応雷に出会う前の生活には、戻れないし戻りたくないっス。私も連れてって」
「危険なんだ。俺は碧まで失いたくない」
「本気でそんなつまらないこと、言ってるんスか。ヤバいなら応雷が頑張って、守ってくれればいいだけじゃないっスか。私が邪魔で足引っ張ったって、そんなの応雷が覚悟決めて助けてくれればいいじゃないっスか」
「俺には無理だ」
「応雷、まだ分かんないんスか。応雷、自分の幸福は自分で選んで、自分の為だけに生きるって、そんなの無理に決まってるじゃないっスか」
「………………っ!」
「他の誰かの為に、他の誰かと一緒に生きなきゃ、楽しくなんかなれないっスよ。私が応雷の為に、ずっと傍にいてあげるっス。だから応雷は私を守ってくれればいいっス。所詮この世は打算と損得勘定のギブ・アンド・テイクっス」
「でも、でも俺は」
「ここで私を置いて行って、ラハムを取り戻せても、応雷、確実に何かを失うことになるっスよ。私と一緒に行くっス。二人でラハムを助け出すっス。私だって応雷に守ってもらうばかりにあまんじる気は無いっス。必ず私が役に立つっス」
応雷の目に、何らかの決意の色が灯った。
「俺がこれから向かう先は、地獄だ」
「え?」
「比喩として言ってるんじゃない。本当の亡者の住まう世界、地獄の世界に俺は行く」
「そこに行けば、あのニンギルスとかいう、いけ好かない野郎に、勝つことが出来るんスね」
「ああ、約束する。もう二度と、誰にも負けない。だから」
「うん」
「俺とずっと一緒に戦ってくれ、碧」
「はいっス」
初めて碧と出会った時、そこには混乱だけがあった。そして混乱のまま、その元凶であるはずの碧を失いたくないと思った。
と、同時にそこで、碧が失われることに恐れを懐くようにもなった。それは今まで懐いたことの無い思いだった。
まだその時には、すべての想いは混乱の中にあった。
ムシュフシュとの戦いの後、混乱は途惑いに代わっていた。この時もずっと、応雷には碧の行動の意味も解らず、碧が何を思っているのかも、霧の中をうかがうように、何も見えてはいなかった。
次には、ラハムがそこに加わった。
この時には、途惑いは大部分薄れていた。碧と共にいることが、自然なことのように思えていたからだ。
自分と同じように戸惑っているラハムを目にすることで、ようやく自分を第三者的な目線で捉え直すことが、出来るようになったからかも知れない。
そして少しずつ気がつき始めたのだ。
自分の最も遠い記憶、始まりのその時から今日まで、ずっと求め続けていたものが、この碧と、碧が共にいてくれる生活だったのだと。
やがて、かつて共にいながらも、本当の仲間だとは思えないでいた異形の獣たちのことも、これまでとは違った捉え方で見えて来た。
彼らにも今の自分の幸福を、教えてやりたいと思えていた。彼の者達にも、きっと自分と同じように、求めるものが在ったのではないか。
かつて彼らを仲間だと思えなかったのは、自分だけが別の何かを求めているのではないか、自分は彼等とは違うのではないか、そう思えていたからなのではないか。
応雷は今、そのこだわりが払拭されていくのを感じた。だが、応雷とそのかつての仲間たちの前に立ちはだかる、宿命がある。
決して彼らの幸福を許さない、神々達だ。
応雷は、自分に幸福をもたらすのが、碧そのものであると同時に、その碧を取り巻く人間の社会だと知った。
今はまだ、応雷は、自分たちが生き残るため、そして自分たちの幸福のため、神と戦うつもりでいる。そう、あくまで自分という殻の中で、神と戦う目的を見出している。
だが、少しずつ、ほんの少しずつ、応雷は気づき始めている。自分が守らなければならない、自分が戦う理由に。
自分の殻の中だけでなく、もっと広く、もっと大きな世界が、応雷の前に開き始めている。その世界は、碧という視点の先に、広がっている。
生きるなら碧と共に
滅びるなら碧と共に
碧が自分と共にいることを望んでいてくれる。それが分かった時、応雷は初めて広い世界が在ることを知った。
ならばその先に進むのも碧と共に。何があろうと、この身が砕け散るその時まで、碧を守りながら共に在ろうと、誓いを立てた。
本日18時過ぎに、次話、投稿します。よろしくお願いします。