第一話 よくある出会い1
「ちくしょう、どうすりゃいいんだ」
青年は背後の木にもたれかかりながら、わき腹を抑える。そのわき腹からは赤黒い血液が溢れ出ている。傷は相当深そうだ。恐らく内臓にまで達しているだろう。
「死にたく、ねえ………。だ………れか、助けてくれ」
青年は顔を歪ませる。深手から来る苦痛が故でなく、このままだと何れ訪れるだろう死への恐怖からだ。
(誰でもいい。誰かここに現れてくれ。俺ならそれだけで)
木漏れ日の指す林の中、春の陽気と涼しい風に包まれた穏やかな風景。無残にも死に次第となった瀕死の青年。
その目の前に、すでに死体となった異形の怪物。
人の目を避ける為に、人が訪れることの無さそうなこの岡の上に逃れて来たのだ。誰か通り掛かってくれとは、今さらな都合だ。
(何一つ報われない人生だったんだ。最後に少しくらい救いがあったっていいだろ――――)
無慈悲な運命を呪い、せめてもと救済を願った正にその時、
「あの、大丈夫っすか」
遠目にもただならぬ様子に見えたのだろう。当然だ。青年の目の前には他に見た事も無いはずの、異形の怪物が横たわっているのだから。
そんな状況を目の当たりにしながら、わき腹を抱えてうずくまる不審な青年に、心配を寄せ、声を掛ける人影。
理解の及ばない事態に遭遇しながら、それでも青年の下までその人影は近づいて来た。人影は屈みこむように、青年の様子をうかがう。
綺麗さと可愛さのバランスのとれた、あか抜けた顔立ちの少女だった。長くしなやかな手足をした小柄な少女。
癖のある色素の薄い髪と、大きく邪気の無い春の陽光の様な眼差しが印象的な目を、不安に曇らせながら、青年を眺めて来る。
「え! 血だらけ⁉ うわっ、ひどい怪我してるじゃないっスか。すみません、私ケータイ持って無いんス。救急車までひとっ走り行って来るんで、待ってて下さい」
青年が生死の境目にいると知るや、隣で息絶えている異形の怪物のことなど、頭から離れてしまったらしい。
(なんだってまた、こんな子が…………)
これから自分が、この少女に対して行おうとしている仕打ちから、罪悪感に苛まれ、再び運命の無情を呪う青年。
だが一方で、死に直面しかけた自分を救うのがこの少女であることに、自分の願った救済がかなった様な安息感も覚えていた。
(何にせよ、こうしなければ俺はもう助からねえっ)
青年は少女に向けて手を伸ばす。自身の血に染まったその手を、少女が両手を差し伸べてしっかりと握る。
その瞬間、
「あうっ―――」
体の中心から強烈な衝動感情の様に、熱いエネルギーが湧き上がるのを少女は感じた。体内の奥底から噴き上がるその力は、すぐに全身に、さらに全身の末端まで、急速に走り抜けていく。
全神経をしびれさせながら広がるその衝撃は、頭の中まで真っ白に熱しながら全身にみなぎると、青年とつながる両手の先から、勢いよく抜け出して行く。
一瞬の出来事だった。
全神経を焼く様な、しびれる様なその刺激が駆け抜けた後、酩酊感にも似た脱力感に酔い、フラフラとしゃがみ込む少女。
青年は少女から手を放すと軽快に立ち上がる。
「悪いな、無体なマネをしちまったが、別に道徳的にも倫理的にも問題ない。すぐに忘れろ」
虚ろな目をして、「はぅ」と小さく吐息をこぼした後、青年の説く言葉の意味を読み込んだ少女は、しゃがみ込んだ体勢から、自分を見下ろすその青年に、
「も――」
「は?」
「問題無いわけっ、あるかァーー‼」
「グベらっ」
カエル跳びアッパーをかました。
「わ、わ、私に何をしたっスか⁉」
生まれたての子鹿の様にヒザを震えさせながら、目一杯涙をため込んだ目と真赤にほてらせた顔で、少女は青年をにらみつける。
「い、いや、ほら、おかげで怪我も治ったし、しょうがねえだろ」
見れば青年の脇腹にはこびりついた血とともに、傷のふさがった痕がのぞいている。
「むう、納得いかないっス。きちんと説明して下さい」
すぐ足元には、ずっと無視され続けている、異形の怪物の死骸。理解不能な目に合わせて来た、見ず知らずの不審な青年。
かくも異常事態に遭遇しながら、まったく怯む様子も臆する気振りも見せない少女。もはや謎の青年の方が、訳が分からず混乱しつつある。
「いいっス。赤の他人の私に言えない事情だっていうなら、まずは私の素性から説明してあげるっス。だから一度、お互い落ち着いた後で、私に何をしたか説明するっス」
この少女は何者か、それを語るにはまずこの岡のある少女の生まれ育った街、そこから話を始めなくてはならない。
その街が生まれたのは、今から三十年ほど前のことだった。
それ以前、人口もようやく十万人に届くかと言える程度の、広さこそあれ産業の無い、水田ばかりが拓かれたその町に、突如として開発の芽が見開かれたのが、その頃だった。
喜ぶ者も拒む者も、ほとんどいなかった。
それが自分達の生活に何をもたらし、何を廃棄させることになるのか、予見できる者などほとんどいなかったのだ。
三十年前のこの町の姿と、今のこの街の姿を、直接に見比べればそれは驚くほどの変化であろう。
だが、三十年という月日の間に、生まれ育ち、成長し、折り返し老いて行く自身の肉体の変化と、同一歩調で移り変わる都市の姿を眺め続けていれば、案外とその異常さには気づけないのかも知れない。
いや、この都市の抱える異常さは、変化そのものに有るのではない。変わってしまった部分。変わらずに取り残されてしまった部分。
その二つが隣り合わせというよりも、ほぼ同じ場所に混在してしまっている有り様。呆れるしかない。
垣根を具えた民家の周りを水田が囲むその裏に、アーティスティックに設計された近代高層ビルが建ち、都会的に区画された街灯を備える幹線道路と交差する、畦道と呼んでも差し支えの無い農道。
造成もされずに取り残された、恐らく中世より続くであろう手つかずの林や鎮守の森と、張り合う様に建てられたショッピングモール。
意味が分かりません。
『須弥山市』
それがこの都市の名だが、現在人口六十万を超え、県庁所在市の四十万人すらしのぐこの都市の外れ、他県まで続く山間部から、幾分か手前の小高い岡。
高校の裏山に当たるその岡を登る一人の少女。明るい色の、少しクセのついた柔らかそうな髪の上に、古風な学生帽を乗せている。
学校側の指定という訳では無く、ファッションやこだわりという訳でも無く、ただあるべき場所にそれがある。
その古風な学生帽が似合っている訳でも無いのに、そう思わせるのは何故だろう。服装の方は、完全に学校指定の制服だが、学生帽とはミスマッチなブレザーだった。
こちらの方は、この少女のあか抜けた容姿とよく似あっている。
背丈は全体として小柄な割に、スラリと伸びた長い手足を、軽快な律動で弾むように蹴り上げながら、石段を駆け登って行く。