73.そして時が動き出す
「えむりんー。シアだよー」
「えむりんだよー」
呼ばれたえむりんはパタパタと羽を揺らしニクの鼻の上に片足を乗せた。
何故かそのまま、きゃっきゃと通じ合うフェリシアとえむりんである。
考えるな、感じろとは良く言ったものだなあ……。俺にゃあ分からん。
「戻りました」
遅れてモニカが屋敷に戻って来る。
いつもの礼を行った後、彼女は俺の隣に腰かけた。
「ありがとう、モニカ」
「先に行かれてしまったので、ひょっとしたら……とハラハラいたしました」
フェリシアとばんざーいをしているえむりんへ目をやったモニカの目じりが下がる。
全く二人して何やってんだか。
えむりんはともかく、フェリシアが目的を忘れていないか心配だ。
「えー、注目ー」
立ち上がってパンパンと手を叩く。
しかし、えむりんとコアラは反応しない。心配だったフェリシアは緩みっぱなしだった顔を引き締め、こちらに目を向けてくれた。
……えむりんが彼女の頭に乗っかってぐでーってしているけど。
「これから、えむりんにアリシアの状態を見に行って来てもらおうと思う。シア」
「はい」
「純粋な魔力で、空間に穴を開けてもらえないか? そこからえむりんがハザマの世界に行くことができるか試したい」
「分かりました! よろしくです。えむりん」
「んー。えむりん、おなかすいたー」
だ…大丈夫か、これで……。
タラりと額から冷や汗が流れるが、コアラと同じように食べさせないと動かないんだろうか。
「えむりん、何が食べたいのー?」
「えむりん、甘い物がたべたいなー」
フェリシアが問いかけると、えむりんが口元に手を当てのんびりと答えた。
甘い物って何かあったっけ。なければ収穫しに行かねば。
すると、フェリシアが懐をごそごそやって、赤い小さな木の実を手のひらに乗せた。
あれは木苺かな。
「わーい」
えむりんが木苺を両手で抱え、かじかじとやり出した。
彼女の頭くらいあるものだから、すぐに果汁でベトベトになってしまう。
「総士の名において依頼する。水の精霊よ。かの者の身を清めよ。ウォッシャー」
えむりんが食べ終わるのを待って、ウォッシャーを彼女にかけた。
「きれいきれい」
「おう。綺麗になったぞ」
クルクル回るえむりんに拍手で応じる。
「それじゃあ、落ち着いたところで、シア。頼む」
「はい!」
アリシアの眠るベッドの前で、両膝を付き祈るような姿勢で目を瞑るフェリシア。
「行きます。我が内なる魔力よ」
フェリシアは頭上に開いた両の手の平を掲げ、全身を震わせた。
彼女の額に玉のような汗が浮かび、体に更なる力を込める。
すると、直径にして三センチくらいの魔力の球体が手のひらから浮かび上がってきた。
一メートルほど浮き上がったところで、球体が弾け、空間にぽっかりと小さな黒い穴が開く。
「えむりん、あの穴を伝って中に入ることができるか?」
「うんー」
パタパタを羽を揺らし、宙で弧を描いたえむりんが小さな黒い穴に手を触れる。
その瞬間、彼女の姿が忽然と消えた。
「ソウシお兄さま。維持が……頑張ってあと20を数えるくらいしか」
「もう術を解いても大丈夫だ。えむりんは穴が無くても自力で這い出せる」
「分かりました」
フェリシアが体の力を抜き、ふうと大きな息を吐く。
「おっと」
相当力を使ったのか、そのままクラリと倒れそうになったフェリシアを両手で支える。
「ありがとう、シア。よく頑張ってくれた。あとはえむりんが戻るのを待とう」
「はい」
体を捻りぎゅーっと俺に抱き着いてくるフェリシアに、モニカが息を飲む。
まあまあと彼女に目線を送ると、「仕方ないですね」と呟いた彼女はキッチンに向かう。
たぶん、フェリシアのためにお茶か何か入れてあげようとしたのだろう。
「コアラ」
「……」
ユーカリ茶を飲み干したコアラは、ザルの上に置いてあったユーカリの葉にまで手をつけていた。
ちょうど最後の一枚を口に含んだコアラは、俺の声に気が付いた様子はない。
「コアラ」
「ん?」
食べきるのを待ってから呼びかけると、コアラがこっちの世界に戻って来てくれた。
「えむりんがアリシアの様子を見てきてくれる」
「そうだな」
「その後、彼女と会話して、アリシアの時を動かすにはどうすりゃいいのか、どの程度、ハザマの世界に彼女の体が在るのか聞いてくれるか?」
「おう。ユーカリ茶をくれるならいいぜ」
「分かった。必ず」
「任せろ!」
ユーカリを渡せば何でもやってくれるコアラ……ちょろい。
こいつにとって、ユーカリ以上に価値があるものがないから、当然の反応と言えばそうなんだけどさ。
基準がユーカリってところに、我ら人間としてはこう、何だか微妙な気持ちになるんだよ……。
「えむりんが戻るまでしばらく待とう」
「お茶を」
モニカが全員分のハーブティをお盆に乗せて持ってきてくれた。
「シア」
「ソウシ兄さまが飲ませてくださいい」
「フェリシア」
モニカの鋭い声に俺に抱き着いたままのフェリシアがべーっと舌を出す。
「シア、魔法で疲れているだろう。しばし休むといい。あとはえむりんが戻ってくれば一旦、今日のところは終わりだから」
「はあい」
フェリシアの体を起こし、彼女にハーブティを持たせる。
彼女は俺に肩を寄せながら、ハーブティを飲み始めた。
「ソウシ様もどうぞ」
「ありが……うわ」
「ばー」
受け取ろうと手を伸ばしたところで、鼻先にえむりんが出現する。
彼女はさっきと同じように両手を開いて頬に引っ付け口をいーっと横にしていた。
「えむりん、どうだった?」
「ソウシがふたりー」
「ん?」
誰か解説してくれ。
意味が分からない。
困惑していたら、モニカに腕を引かれる。
「アリシア様が!」
「ん、お、おおお!」
思ってもみないことが起こった。
なんと、アリシアの目がパチリと開いているじゃあないか。
まだ虚空を眺め、視線が定まっていない様子だったが、確かに彼女の目は開いている。
それに、僅かに胸が上下していることから心臓の鼓動も、呼吸も戻ったんじゃないか!
「聖女様ー!」
アリシアに抱き着こうとするフェリシアの首根っこを掴んで押しとどめる。
まだ彼女の状態が分からないんだ。いきなり触れて、取返しが付かなくなったら困る。
まずは確認しなきゃ。
「コアラ」
「んー。アリシアの時は動き出したぜ」
「えむりんは様子を見に行っただけなんじゃ」
「一緒にかえってきたのー。だってー、ソウシがいたんだものー」
えむりん……君がハザマの空間で出会ったのは俺じゃあなくてアリシアだって。
俺がいたと勘違いしたえむりんはそのままアリシアをハザマの世界から現世に連れて来ちゃったってわけか。
「まあいいじゃねえか。上手くいったんだし」
コアラの言う通りだ。一足飛びにアリシアの時を動かすという目標を達成してしまった。
彼女がどういう状態だったかは不明だけど、えむりんの力で何とかなったのならそれに越したことはない。
「シア、大丈夫みたいだ」
ばたばたと手足を振っていたフェリシアから手を離すと、彼女は飛ぶようにしてアリシアの前で膝立ちになって彼女の手を両手で握る。
「シア……」
アリシアが弱弱しくフェリシアの名を呼ぶ。
この声、消え入りそうではあるが、俺がずっと聞いていた声だ。
柔らかで春の陽気を感じさせ、不思議と心が穏やかになる声。
聖女として勤めを果たしていた間、ずっと俺の口から出ていたあの声と相違ない。




