60.口は災いの元
ついて来ると思ったのだが、木の洞を出たところでさっきまでふよふよと宙に浮いていたえむりんの姿が見えなくなってしまった。
まあ、ユーカリの木がどこにあるか探知できていたようだし、そのうちやって来るだろう。
「そんじゃあ、戻るか」
「はい」
笑顔でソリを片手で持ち上げるモニカ……。
それ、バランス悪いから、うわあ。端っこを持つだけで支えているよ。なんてえパワーだ。
一体何をどうやったらあんな筋力をつけることができるんだろう?
「どうかされましたか?」
「え、いや、あれ?」
口をぽかーんと開けていたところをモニカに突っ込まれてしまった。
だが、不可解な現象に別の意味で驚いてしまう。
モニカが抱え上げたソリの頂にえむりんがいたんだ。ブレードディアの毛皮の上にぐでえっと自分の顎をつけた状態で。
「えむりんが、そこにいるんだ」
「さっきまで姿がお見えになりませんでしたよね?」
「うん。モニカがソリを抱える前まで、確かにブレードディアの上には何もいなかった。えむりんが飛んでくる様子もなかったし」
「不思議な事象ですね。妖精だからでしょうか」
「姿を消す能力があるのかもしれないな」
えむりんに聞こうにも、まともな回答が返って来るとは思えない。
あ、またえむりんの姿が消えた。
モニカもこの現象のことを知らないようだし、俺にもとんと想像がつかない。
魔法の一種なんだろうか、妖精は通常の生物と異なるのかもしれないよな。いろんな可能性があり過ぎて、絞り込めないんだよな。
◇◇◇
ランバード村のユーカリの木の前を通りがかった時、またしてもえむりんが不意に出現した。
彼女? でいいのかな。彼女は木の幹にべたーっと張り付き頬ずりする。
「まだ余り大きくないんだけど、大丈夫かな?」
「うんー。じっくりとー」
枝の上ではコアラがスヤスヤと眠っていた。
相も変わらず足を枝のしたに投げ出し、でろーんとしている。
「あー。らいんはるとだー」
誰だそれ? 知らない人ですね。
首を傾けていると、モニカが耳元に口を寄せ囁く。
「コアラ様の本名なのでは?」
「そういや、そんな名前だったかもしれない」
モニカよ。助言してくれたのはいいんだが、俺と同じように後ろが疑問形になっていたぞ。
しかし、えむりんが呼びかけるもコアラは目覚めない。
うん、予想通りだ。
でもこれでハッキリした。えむりんは危険な生命体じゃないってことが。
コアラはああ見えて、警戒心がとても強い。訂正。ユーカリの木が傷ついてしまうことに対して、警戒心が強い。
ユーカリの木の幹に張り付いたえむりんに対し、何ら行動をしないってことはえむりんに危険性がないってことなんだよ。
そうは言っても、大木の洞で出会って少し会話した時から彼女に敵意がないことは分かっていたつもりだ。
じゃないと、連れてこないって。
「屋敷に戻ろっか」
「はい」
このまま放っておいても大丈夫そうなので、モニカと共に屋敷へと向かう。
◇◇◇
屋敷に入り、肉を切り分けブリザベーションの精霊魔法を施す。
まだ夕飯まで時間があったので、モニカは縫製に向かい、俺はまだ魔力に余裕があったのでユーカリの木の元へ行くことにしたんだ。
木の幹にまだ張り付いていたえむりんごと、ヒールを五回ほどかけ屋敷に戻る。
寝たら回復するとはいえ、連続使用は結構堪えるんだよなあ。戻ってきたら、そのままボアイノシシのベッドにダイブしてしまった。
夕飯は昨日に続きカレーライスだ。
四人だからと思ってたくさん作ったら、作り過ぎて余ってしまった。
俺としては今日もカレーライスを食べることができて幸せなんだけどね!
レタスを中心としたサラダもしゃきしゃきでおいしいし、言う事ないぜ。
「ごちそうさまでした!」
ダイニングテーブルがあると、食事がさらにおいしくなった気がする。
折りたたみ机は、それはそれで味があるって言えばあるんだけど。やっぱり広々とゆったり食べることができるってのはいいものだ。
ニクも膝の上じゃあなく、椅子の下で大麦をカリカリしているし。
「ニクを眺めておいでですか?」
対面に座るモニカが「ごちそうさま」と手を合わせつつ、問いかけてくる。
「ん、いや。ニクが椅子の下にいるから、いつもより食べやすいなあと思ってさ」
「食事は食事、愛でる時は愛でる。分けた方がどちらもより楽しめるということですね」
「そんな感じだ」
「愛でる……」
「ん?」
「いえ、独り言です」
一瞬、モニカの口元が緩んだ気がしたが、彼女は澄ました顔でそう切り返してきた。
これ以上何か突っ込んではいけない気がして、他の話を何か、うーんと。
「そういや、今日はコアラが来ないな」
「まだお休みになられているのでしょうか。それとも、えむりん様と歓談されているのかもしれませんね」
「かなあ。朝方に毎日起こしているから眠たいのかも」
「ソウシ様は毎朝修行されておりますものね。わたしも見習わなければなりません」
「いや、モニカはもうこれ以上ないくらい頑張ってくれてるし」
モニカが控え目に首を横に振る。
食事も大抵モニカが作ってくれているし、掃除も彼女の精霊魔法だし……荷物運びまで彼女に任せちゃっているから。
これ以上彼女に何かをしてもらおうなんて思っていない。むしろ、俺がもう少し彼女の手伝いをしないと。
よっし、やれることはコツコツと。
テーブルの上からモニカと自分の使っていた空になった皿をひょいっと取り、サラダの皿を重ね、食器も上に乗せる。
立ち上がろうとする彼女に「まあまあ」と目で示して、シンクに向かう。
「ソウシ様」
「いや、いいんだ。洗い物くらいするって。今までもたまにやってたじゃないか」
「ですが」
「手持ち無沙汰だったら、縫製でもしてきていいよ」
「分かりました。わたしなりに、ちょっと頑張っちゃったんです」
「へえ。それは楽しみだ」
「もう完成しております。持ってまいりますね。お気に召して頂けるか……」
「何言ってんだよ。モニカの作ったものが気に入らないわけないじゃないか」
何て言ったことを俺は激しく後悔した。
モニカはすぐに二階へ向かい、彼女が戻って来る頃には俺の洗い物も終わる。
さて、後は寝るまでまったりとした時間を過ごそうと思っていた。
モニカが桜色の何かを胸に抱えて戻って来るまでは。
あまりはしゃぐ様子を見せない彼女だったが、ちょっとばかしウキウキしているように見える。
「モニカ、それは……」
「わたしなりで、申し訳ありませんが」
モニカがボアイノシシのベッドの上に件の桜色を広げて見せる。
うん。
ワンピースだな。
もう一度言う。ワンピースだ。
そう言えば、彼女はまず最初に俺の寝間着を作ると言っていたよな。
確かに、パジャマ用だけに裾が長めにつくってあって、着ていないから正確には分からないけどくるぶしの少し上くらいになるんじゃないだろうか。
「俺に?」
「はい。やはり……お気に召して頂けませんでしたか……」
そ、そんなあからさまにしゅんとしなくてもいいじゃないか。
俺は二つのミスをした。
モニカに言おうとして、「男物で」と念押しすることをえむりんがいたりで言いそびれた。
もう一つは、先ほど俺は「モニカの作ったものが気に入らないわけがない」と言い切ってしまったのだ。
「い、いやあ。計ったように俺にピッタリのサイズじゃないか。それにこう、桜色の生地に胸元の小さなリボン、肩口の刺繍だけじゃなく、裾がレースになっているのとか手が込んでいて、可愛いと思う」
「そ、そうですか」
「うんうん。そうだって。今すぐにでも着てみたいなあ、なんて」
「是非!」
ああああああ。
何言っちゃってんのよお。俺。




