第七話『騒動の前日譚としての一幕と一時の閉幕』
手元にティーカップを持ちながら、ゆっくりとそれをテーブルに置く。中からは僅かばかりの湯気が立ち昇っていた。
「……これは?」
カリアが首を小さく傾げながら言った。小柄な彼女がそういった仕草を取ると、まるでハムスターのような小動物に見えてくる。
それに小さく頷いて応えた。
「紅茶だよ、紅茶。執事らしいでしょうお嬢様方」
紅茶といっても、茶葉をつかったものではなくティーパックのものに過ぎないが。それでも湯の温度だの淹れ方だの少しは拘った一品だ。勿論、その情報は全てヘルトから仕入れたものだが。何なら隣でヘルトが指導すらしてたが。
それでも、料理よりかは少し身を入れることが出来た。
「まぁ、お前らが普段飲んでる本格的な奴と比べたら天と地だろうが。少しはマシな味がすると思う、多分」
最初に口を付けたのはフィアラートだった。カリアは恐る恐るといった様子で紅色の湯を見つめていたし、エルディスは完全にフィアラートの反応を見てから呑む気だった。
そんなにか。俺は料理の一つでそんなに信用を失ったのか。流石に少し悲しくなってきた。
「……うん。そうね、人間的な味がするわ。温度も丁度良いし」
フィアラートが、満足したのかどうかは分からないが優し気な声でそう言った。
人間的な味がする。初めて聞く評価だ。恐らくこの評価、俺以外にされた奴いないんじゃないだろうか。
「そりゃどうも。お褒めにあずかり光栄ですよ。これ以上ないほどにね」
「もう少し素直に嬉しがってよ」
頬をほころばせながら言ったフィアラートを見て、カリアとエルディスも安心をしたのだろう。二人ともゆったりとした様子で紅茶に口づけた。
「先ほどの醤油漬けと比べればずっとずっとましだ。うん、良かった。嫌われていなかったんだな」
「そこまで言うほどのものだったか? というより過去の事は忘れろ。無しだ無し」
「二度と忘れられないくらい酷かった。私の人生のワーストの地点があるとすれば間違いなくさっきの一瞬だ」
こいつ何気に人の心を傷つけてくれるな。そこまで言ってくれるなら今度同じものをつくってやろう。
エルディスは紅茶を含みながら、特に何もいうことはなかった。しかし急に泣き出したり剣呑な色を眼に浮かべない所を見ると、まぁ多少はご満足いただけたのだろう。
結構。料理は散々だったが、一先ず家には帰りつけそうだ。どうやらヘルトの言う通り、彼女らが欲しかったのは美味しいものではなくまごころとやらであったらしい。
俺に、本当にまごころがあったのかは定かでないが。
「そうだな、これくらいで勘弁をしておいてやろう。それに文化祭は私と共に回るのが最優先だ。執事役はほどほどにしておくんだな」
カリアはようやく情緒が落ち着いたのか、口元をハンカチで拭きながらそう言った。
そういえば剣道部に顔を出した際、文化祭を回るチケットがどうだとかいう話をした気がする。その時に何処かを回ろうとか、約束をしたような。
いやしかし、待てよ。嫌な予感が、胸の端にあった。
「ちょっと待って?」
カリアの傍らでフィアラートが、表情を固くして口を開いた。奇しくもそれは俺が胸中に抱いた事とまるで同じことだったらしい。
「……ルーギス? 文化祭、私と回るって言ったわよね? 私その為に文化祭に参加するんだけれど」
確かにフィアラートは去年文化祭に参加していなかった覚えがある。何でも、無駄な余興やイベントに耽る暇などないのだという理由で。
いやしかしそれでは余りに物寂しい。学生として一つくらい想い出を残しても良いのではないのかと、今年俺から誘った。
そうして、それとは別に。エルディスも頬をひくつかせて口を開いた。
「ねぇ、僕との約束はどうなったのかな、ルーギス。確か一緒に演劇部の出し物を見に行く約束だったよね。セレアルちゃんが劇をするんだろう」
「――ルーギス?」
カリアの問いかけるような声を皮切りに空気が思い切り軋んだ。いっそ変な重みすら加わっている気がする。体感温度にして三度は下がった。
「いや待ってくれ、違う。誤解がある」
「違う? えっ、何が? 三股を掛けた事が?」
股を掛けるもなにもそもそもそういう話ではないはずなのだが。というより、本来文化祭は三日あるのだから三人と約束があっても何もおかしくないはずだ。
もとより俺もそれを想定して約束をしていたのだと、思う。
いや分からないな。俺、結構その場その場で適当に約束をするからな。割と自分が信用できない。第一アリュエノとも文化祭で約束していた気がする。
ああ、駄目だ。スケジュールが合わない。今度から手帳を持ち歩くことにしよう。
助けを請う様に、ヘルトへと視線を向ける。ヘルトは頷いて言った。
「僕とも約束してませんでしたっけ?」
お前今それを言い出すのか。違うだろう。男の友情ってのはそんな容易く手放して良いものじゃあないだろう。
せめて助け船というものを出してくれても良いのではなかろうか。
「……とりあえず、そうね。うん、文化祭当日を楽しみにしてるわねルーギス」
フィアラートがそう切り出して、素晴らしい笑みを見せる。それはそれは、他に何ら悪意なぞ込めていないのだと強調するように。
詰まり、それは何だ。当然自分を選ぶのよねと、そう言っているわけか。
「そうだな。私は折角その為に他のスケジュールを切り崩して時間を取ったのだ。よもや無碍にされるような事はあるまい」
カリアが、明らかにひくついている頬と潤んだ瞳を震わせながら、言う。
不味い。変な事を言いだすと泣きだしかねない。というより待ってくれ、せめてこの場で弁解をさせて欲しい。
けれど、そんなもの許さないという事だろう。畳みかける勢いでエルディスが口を開いた。
「――もし裏切ったら、許さないよ? それこそ、二度と立ち直れなくしてあげる」
*
「なんだか、色々と大変ねルーギス」
自宅で頭を抱えていると、アリュエノが苦笑するように言った。当然悩み事は文化祭当日の事だ。無い頭を絞ってスケジュールを割り出してみたものの、どう考えても何処かに無理が出る。
三日もあるのだからどうにか時間のやりくりなど出来ると思っていたのだが。案外と文化祭は短い。
「最近、妙にこの手の騒動というか、悩みが増えてな。青春っていうのには有り余るくらいだよ。特効薬でも処方して欲しいくらいだ」
そんな都合の良いものがあるわけはないのだが。ついついそんな愚痴を言った。セレアルやウッドがいればこのような事は言えないが、アリュエノの前だけなら良いだろう。
アリュエノは、何だそんな事とばかりに言った。
「簡単な解決方法があるじゃない」
「へぇ、そりゃご教示願いたいね。どんなのだよアリュエノ先生」
笑みを浮かべて、アリュエノは言った。
「閉じこもっちゃえばいいのよ」
閉じこもる。とは。
「文字通りよ。人間、社会に出て人と関われば当然悩みなんて出ちゃうんだから。悩みを無くそうとするなら、それを断ち切るしかないでしょう」
それはその通り。人が抱える悩みの大半は、誰かとの感情的摩擦だというからな。
けれどもアリュエノが語る方法は余りに強引だ。というよりアリュエノにしては珍しいな、その手の冗談は。第一全ての関係を断ち切ってしまったら、金も稼げないし生きていけないじゃあないか。
「そうだな。アリュエノ先生が養ってくれるなら考えとこう」
「……ええ、構わないわよ、それでも。ルーギスが何もかも放り出したいのなら、私だけが関係を保ってあげる。それなら良いでしょう?」
何て言うか。こいつ将来的に駄目人間を作り出しそうな気がするな。そういう人間が好きなのだろうか。
「冗談。流石にそこまで零落れる気はないさ。これでもまだ健全に生きてる方だと思ってるんでね」
「あら、そう。残念。なら私も文化祭当日は楽しみにしてるわね」
アリュエノは、やはり何処か楽し気に笑いながら、俺のスケジュール帳を指さしてそう言った。こいつ、完全に楽しんでるだけだろう。
いや本当、勘弁してくれ。
後日談にはなるのだが、実際の所文化祭は、勿論全て上手くはいかなかったし、だが全て誤ったわけでもなかった。
少なくとも大きな騒動を起こしたのは紛れもない事実だが。
まぁ、結局それを語るのも機会があればという事になるだろう。少なくとも、今全てを話すには時間も何もかも足りないし、相応しい場所でもない。
それに、この場は本来の舞台でもないしあくまで外側だ。ぺらぺらと何もかも語るには少し違う。
日常だって、本当の所は全てが面白おかしいものでもないし、奇妙で不可解で、歯を噛むような事もあった。それもいつか語る事もあるだろうが。今日この時ではない。
それでは一先ず、一連の登場人物紹介と、少しばかりのお話は終わり。それ以外はまた場があればということで。
とりあえずは、此処で幕を降ろすとしよう。
何時もお読み頂き誠にありがとうございます。
皆様にお読み頂けることと、ご声援等々が何よりの励みになっています。
さて、学園IFに関しては一先ずはこの場で幕とさせて頂く事になります。
何かと本編とは色の違う作品となりましたので、別世界の出来事と、そう思って頂ければ幸いです。
こんな彼らも、もしかしたらいるのかな、という程度で。
それでは、お読み頂き本当にありがとうございました。
宜しければ本編もあわせ今後とも、よろしくお願い致します。