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願わくばこの手に幸福を『学園IF』  作者: ショーン田中
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第五話『留学生の姫君』

 交換留学生として我が高校に転入してきたエルディスの事を知らない者は、恐らく全校生徒の中でも稀だろう。見たことはなくとも、聞いた事はあるという人間は数多くいるはずだ。


 と言ってもそれはカリアのように家柄がとてもつなく良いであるとか、逆にフィアラートのように突出して学力が高いとかそういった要因ではない。


 無論、交換留学生として選ばれるのであるから優秀である事は間違いないのだが、一番の要因はエルディスの人柄の良さだ。


 人柄が良い、とだけ聞けばなんだそんなものかと思う人もいるだろう。人柄が良いだけの人間なんて幾らでもいると言うやつもいるはずだ。


 けれど彼女のはそういうものじゃない。まさしく人を呑むのだ。


 美麗で、それでいてたおやかな容姿と言葉遣い。とても留学生とは思えない声と抑揚の使い方は、何処までも人を圧倒する。その所作一つ一つも、同じ高校生とは感じられない位に完璧だ。


 いや本音を言えば同じ人間だとは余り思いたくない。高校生なんてのはある程度適当で奔放で、それでいて自由で良いと皆思っている。


 エルディスはそんなだらしない思いを正面から打ち崩しておいて、それでいて相手を十二分に受け止めるのだ。


 彼女にはそれだけの度量があった。だから一度や二度エルディスと言葉を荒げる人間はいたが、皆最終的にはエルディスの取り巻きの一人になっている。


 最初はそれもクラスの中だけであったのだが、いずれ噂には尾ひれと背びれがついて、学年が違う生徒すらエルディスと関わるようになった。


 そんなものだから、一週間も学校にいれば何処かでエルディスの噂を聞くことになる。やれ何処かの部活動に体験入部をしただとか、ファンクラブが出来ただとか、声をかけて貰ったとかいうものまであった。


 実を言うと、俺はそういった噂話を聞く度にちくちくと胸が痛むのを感じていたのだ。


 今すぐなんとかしなければならない痛みではないのだが、それでもどうしても胸の中に残ってしまう鈍い痛み。


「それはどうしてかな、ルーギス。もしかして転校してきた時、君が僕に言ったことが関係してるのかい」


「……俺は何か言ったっけか。ひと悶着ありながらも校内を案内した事しか覚えてないが」


「そうなのかい。へぇ、忘れたんだ。ふぅん。傷つくなぁ」


 アリュエノが作った弁当を口に含みながら、エルディスに応える。


 何時もエルディスは女子グループや他のクラスで昼食を取る事が多いし、俺もヘルトかアリュエノ、もしくはカリア、フィアラートなんかと取るのだが。一週間に一度くらい、互いの時間があえば二人で食事をする事があった。


「ねぇ、僕は傷ついたんだけどルーギス」


 エルディスは唇を尖らせ、不満をありありと表情に浮かべて言った。言外に何かを言いたげだ。エルディスが何を言わんとするのかは俺も察してはいたが。そこには俺も意地というものがある。


 多少なりとも延命措置をはからせてもらおうじゃないか。


「人間案外、傷ついた方が成長できるって言うじゃないか。かけがえのない青春時代だ少しくらい傷ついて思い悩むのもいいかもしれんぜ。それで何か得るものもあるさ」


 我ながら、酷い適当を抜かしたものだとそう思う。もう少しましな弁はなかったのだろうか。これではきっとキケロー先生だってため息ものだろう。


 けれど俺の感触に反して、案外とエルディスの反応は良いものだった。携帯電話を持ちながら、吐息を漏らしてエルディスは言う。


「なるほど、そうだね。君の言う通りだ。傷ついて悩む事も時には必要さ。僕の母国でもそれに近しい慣用句があるよ。こちらにもそういうコトワザがあるんだろう?」


 そんな都合の良い諺あっただろうか。災い転じて福となす、は用例が異なるし、敢えて言うなら臥薪嘗胆が近いのか。これは諺でなく四字熟語だが。


 エルディスは恭しく肩をすくめて答えた。


「喉元過ぎれば熱さを忘れる。君、懲りないよねルーギス。良いんだよ僕は。君と戯れるのは好きだし、次はどう楽しませてくれるのかなって想像するのも楽しいからさ。でも君は大変じゃない?」


 嫌な予感がした。


 エルディスは先ほどから携帯電話を弄りながら、何をしているのだろう。というより、何処に連絡しているのだろう。


 とても、とても嫌な予感がした。


「僕さ、ここに来てから結構な数の友人が出来たんだ。皆僕に言ってくれるんだよ。相談したい事があったらいつでも言ってきてって。なら今回折角の機会だし相談に乗ってもらおうと思って。ねぇルーギス、なんて言えばいいかな?」


「分かった、まってくれ。話し合おう。話せばわかる」


 それは相談と言わない、脅しだ。


「ルーギスが僕を無理矢理傷物にして、一方的にお前が悩めって言った、なんてどうかな。きっと皆親身になって相談に乗ってくれると思うんだ」


「そうだな、下手しなくても警察に相談する奴だっているかもな。分かった俺が悪かった。変な意地張ったよ許してくれ」


「御免送っちゃった」


「嘘だろ!?」


「嘘だよ」


 嘘かよ。エルディスとはこういうやつだった。人に誠心誠意謝らせておいて結果がそれか。いいだろう法廷であおう。法廷でも盛大に敗北を喫しそうだが。 


 ここだけを切り取ってみれば、エルディスは本当に人柄が良いのかと疑問符をつけたくなる。むしろ悪い方なんじゃないのかと。


 だが案外、この留学生様は他の人間の前では素晴らしい猫かぶりを見せてくれるのだ。いやもうあれは猫かぶりではない。もっと別の名前をつけてやらないと猫かぶりに失礼だ。


 それがどうして俺の前だとこんな残念な風になっているのかと言うと、俺と彼女との間に縁が出来た彼女の転校初日へと話を戻さねばならない。


 それはエルディスが転校してきた当時、俺が教師達から最も目が届き辛く且つ指名も飛びづらい最後列の席をジュース一本で買収していた事に起因する。買収といっても、席替えの際に籤を交換してもらっただけだが。


 それで丁度、最後列は一つ席が空いており、そこに留学生であるエルディスは収まる事になったわけだ。


 それが不幸の始まりだった。


 担任はまるでそれが通過儀礼だとでも言う様に、隣席になった俺を案内役に命じたわけだ。


 正直それは担任の仕事ではないのかとか、果たして生徒の自由を束縛することが本当に友好につながるのかとか思う所はあったが。


 それでも俺は従順にその仕事を承った。何せエルディスはだまっていれば驚くほどの美人だったし、留学生の美人生徒とお近づきになれるのであれば多少自分の時間を切り売りする位構わないと、そう思っていたからだ。


 けれど、それは俺の下心を大きく飛び越えて全く違う事態に発展した。それこそ俺だけでなく、カリアやフィアラートまで巻き込んでだ。


 そうしてその際に俺は確かにエルディスに向かってこう言った。


『せめてもう少し外面をよくすればな。嘘も方便っていうだろう?』


 そう、言ってしまったのだ。転校当時のエルディスが余りにつっけんどんとしていて、周囲の人間と打ち解けるような様子がなかったものだから。親切心というか、仲良くしろよ、という位の意味を込めて言ったのだが。


 これが思いのほか、エルディスの心には染み入ったらしい。そうしてエルディスはこうと思えば、それを実現するだけの力を持った人間だった。


「それでさ、何時になったら叶うのかな。ルーギス」


「唐突過ぎて何の話か分からない。流れ星への願いなら、ちゃんと三度言ってからにしてくれ。俺がちゃんと流れ星様に伝えておいてやる」


 とぼけたように言うと、エルディスは素晴らしい笑みを湛えて返してくれる。


「外面を良くすれば付き合ってくれるんだろう? 僕は君が何時告白してくれるのか楽しみに待ってるんだけど」


「いや待て。俺はそこまで言ってないよな!? 恋人も出来るって話をしただけだろう!」


「それって詰まりルーギスが僕の恋人になるってことだろう? 暗喩だと思ってたんだけど」


 いや違う。いくら何でも俺はそこまで豪胆な事を言いはしない。それに近しい事は言った気がするが。


 そもそも、お前の人付き合いが良くなったら付き合ってやるよ、なんてことが言えるのは漫画の中の美形キャラくらいのものだ。


 俺がそんな事を言ってみろ。失笑以前に恐らくアリュエノから飯が出てこなくなる。そうなると毎日ヘルトとカレー屋巡りをする事になるぞ。あいつ何であんなにカレー好きなんだろう。しかも本格派。いやいいんだけど。たまにはラーメンとかでも良くないか。


 そこの所の説明を掻い摘んでしてやると。エルディスはよくよく理解したといった風に頷いた。良かった物分かりは流石に良いらしい。


「詰まり、君の口はもういらないって事でいいかな」


 前言撤回。まるで分かっていない。


「どうしてそんな暴力的な結論になったんだ? もう一度よく考えてくれ」


「うん、そうだね間違っていた。君に喉はいらない」


「余計悪化してる!」


 何だ、カリアの悪癖でも乗り移ったのか。もう数段は理性的だと思っていたのだが。


「だって考えてもみてよルーギス。言葉というのは誰かと話して、それで意思疎通を図る為のものだよね。でも残念ながらルーギスはそれを人を誑かす事にしか使ってないだろう?」


 そんな俺が悪人である事を前提に話すのはやめてもらいたい。決して善人と自負しているわけではないが。それでも悪人とまでは言えないと思う。税金だってバイト代から収めていることだし。


「ならいっそ喉を潰した方が健やかな余生を過ごせると思わないかい?」


「まだ余生を考える年齢じゃないが!?」


「僕が全部余生にしてあげるよ?」


「それは優しいのか。それとも今から俺の残りの人生を消すって意味か。どっちだ」


「んー……」


「悩むなよ。そこは即答してくれよ」


「じゃあ後者」


「即答すれば良いってもんでもない!」


 エルディスは俺の反応に随分と満足したのか。その端正な顔つきを大いに動かして美しい笑みを見せた。大口を開けて笑うと人は大抵その顔つきが崩れるものだが、エルディスほどもなると笑みすらもちょっとした芸術のようだ。


 こういった面を見るとやはり人間というやつは不公平だな。美人というのは得だ。憎まれ口を叩かれても反論がし辛くなる。


 ひとしきり笑い切ると、エルディスは眦から涙を拭って言う。


「やっぱり君、甘いよね。僕だけじゃなくて皆にってのは気に喰わないけど」


 なんだ、その話か。最近妙に聞くな。俺から始めた話ではあるのだが。


「蜂蜜と生クリームを乗せたあんみつより甘いらしいけど」


「いや待て何処でおかしくなった」


 俺が聞いた段階ではまだパフェだったぞ。どこでおかしな進化に引っかかった。ダーウィン先生に謝ってきてくれ。そんな進化論はあり得ないと全否定してくれるはずだ。いやそもそも生物ではないが。


「でもさ、本当に――気をつけた方がいいよ?」


 エルディスは急に、やけに神妙な口ぶりで言った。何時も何処か明るい雰囲気を言葉に伴わせている彼女にしては珍しいと思うほど。


 そう、本当に珍しかった。心臓が一瞬強く鳴ったのが分かった。


「知らないかもしれないけど、甘味ってのは言わば薬であり毒なんだよ。砂糖だって大昔は万病に効く薬だとされてたのは知ってるかな。何にしろ、人を狂わせてしまうって意味で言えば同じさ。余りに甘すぎるものはさ、人の味覚をおかしくする。甘いものを取りすぎてると、人はもっともっとってどんどんと甘いものを取りたくなるものさ。そこにはもう理性なんてものはないんだよ」


 エルディスは順序立てて一つ一つを俺の頭蓋に言い聞かせる様に言う。それは何というべきか、まるで台本に筋書されている事をそのまま読み上げたような。何処か自然でない、口ぶりだ。


「気をつけなよルーギス。あんまり美味しそうだと、魔女に食べられちゃうかもしれないから。魔女は甘いものが大好きなんだ」


 それは何とも、英語作品を下手な翻訳家が日本語に訳してそのまま台詞に落とし込んだ様な、もったいぶった言い回しだった。エルディスらしいといえば、らしいのだが。


 *


 さて実の所、今まで俺が語ってきた事はただの登場人物紹介に過ぎない。


 俺の高校生活において日々に彩りと、それでいて騒乱と不可思議を齎してくれた彼彼女ら。勿論本来であればまだスタッフロールに名を連ねるべきは幾らでも存在するのだが。そこまで全てを語るのは困難だ。


 何故ならそれら全てと真実を語ろうとするのならばそれはそれは長い時間が必要になるし、それに偉い人も言っていた気がする。真実には語るべき場所、語るべき人というのがいるのだ。


 だからここから先に俺が語るのは、彼女らの全てを無理矢理に剥いでしまうような、暴力的な物語ではない。その語り部はきっと他にいる。


 どうせ時間も、そしてその舞台も与えられていないものだから。後一つだけ。彼女らのエピソードを語ることで幕としたいと思う。

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