第三話『放課後教室にて二人』
フィアラート。そう呼ばれる彼女は当初周囲全体から、儚い少女という立ち位置を獲得していたに違いない。クラスの人間からも、担任からもだ。
いや正直その本質を知れば儚いなどと呼ぶのは、憚られるというか。儚いという言葉に失礼すぎてとてもすることは出来ないのだが。
それでもまぁ、彼女が儚げな雰囲気を持っていることは確かなことだった。
口数は多くなく、読書や勉学に親しむ。笑い方も何処か上品だ。深窓の、と言ってしまえば言い過ぎだがそれでも胸をざわつかせるものは確かにある。
そんな雰囲気ゆえか、フィアラートは男子の中では大きな人気を得ていたらしい。
成績は優秀。彫が深い顔つきは何処か大人びたものを感じさせるし、スタイルだって他の女子より一段上だったのだから当然といえば当然だ。
綺麗だが表情に険があり近寄りがたいと思われていたカリアよりはよっぽど男子連中の目を引いていたのだろう。
けれどだからこそ思うのだ。未だ、フィアラートが儚い少女、深窓の何とかだと信じているやつらが今の彼女を見たら。ひょっとすると卒倒するのではなかろうか。
「ルーギス、今の見た!? 今の! もう一回、もう一回見ましょう! いいわよね!?」
「見た。もう十回以上見た。いい加減話を進めさせてくれ」
「嫌よ。見るわ」
「なら最初から聞くなよ!? 何のための問いかけだったんだよ!」
「この世界に意味がある問いなんてどれくらいあると思う? 貴方、テストを前にしてこの問いは何のためにされてるのかなんて一々考えるの?」
お前それで俺を言いくるめた気か。急に主語を大きくするやつは大抵が詐欺師なんだぞ。
大体さも俺に選択肢があるように見せかけておいて実はないというのは、流石に卑怯というものじゃないのかフィアラートよ。今時のテレビゲームでもこれほど意味がない選択肢は設けないぞ。
そんな問いかけを続ける間も目の前でぐるぐると巻き戻されている画面の内容は、俺達がそれこそ小学生だった頃に大流行りしていた魔法少女アニメだった。
子供のころは多くの少女と一部の少年の間で一大ブームメントを起こし、セレアルもテレビに齧りつくようにしてみていたのを覚えている。
ストーリーは典型的な魔法少女もののようであって、その実当時の社会問題を大いに提起する内容を含んでいたり。案外と重苦しいテーマを掲げていたりと大人も楽しめるアニメとして有名だった。
その所為か何度も中の魔法少女たちがバージョンアップを繰り返し、幾度も衣装やグッズを売り出す手法を取って多少問題になったりはしたのだが。まぁそれは別の話だろう。
何にしろ今俺が何の気なしに見ていても、それなりには楽しめる内容ではある。だからそれ自体には問題がないのだ。
見る場所が俺の部屋で、そうしてフィアラートがリモートコントローラーを握りながら何度も名場面を繰り返したりしなければ、だが。
「良いものは何度見たっていいじゃない! 名作は何度見ても飽きないのよ!」
「そうかもしれんがこの場面何度目か分かるか? もう十度目だぞ。セレアルどう思う」
膝元に抱いたセレアルは一言も発さずに画面を食い入るように見つめていた。駄目だ、こいつフィアラートと同類だ。
そんな様子のセレアルを見てか、フィアラートは得意げにある胸を張った。
「ほら見なさい。さぁ見なさいよ。何か私に謝る事あるんじゃない?」
「お前それ以上言ったら、俺の部屋に置いてるお前の魔法少女グッズ全部売り払うからな」
「あ、待って。そういうの止めて。泣いちゃう、本当に泣いちゃうから。許して。駄目、そういうのは駄目」
勝った。具体的に何にかは知らないが、俺は尊厳を売り渡さずに済んだのだ。フィアラートは頼むから涙を潤ませてまで裾を引っ張るな。
何時の頃からだったかはもう覚えていないが。現時点、押し入れを含む俺の部屋の四分の一程度は、フィアラートが所有する魔法少女グッズに埋もれていた。
色とりどりのそれらは何とも俺の部屋をファンシーに飾り付けてくれている。
これらの為に、俺は友人を誰一人として自室に呼んでない。そんな事をすれば次の日から俺の綽名はミスターファンシーになってしまう事は確定だ。
ここに入り込む人間は身内を含め、フィアラートと事情を知っているヘルトやカリア、アリュエノ位のものだろう。
事情といっても、そう難しいものではない。以前問題なんてのは自分で向き合って、自分で解決するしか出来ないというような事を言った覚えがあるが。これはまさしくそれだ。
フィアラートが自分の問題を自分で解決する為に動いていて、俺は少しばかりそれに協力しているに過ぎない。別に何か不具合が出ているわけでもないし、それはそれで良いと思っていた。
「ルーギス。今の所、聞いてた? 今の名台詞!」
「…………」
「聞いてなかったのね、最初からいくわよ」
「最初からの必要ないだろう!? 今の所だけでいい!」
「駄目よ! 最初から全部見た上での余韻があってこそあの台詞が生きるの! 名台詞だけ見てこの話を分かった気になってもらっちゃ困るのよ!」
セレアル、思い切り同意するように頷くな。お前がそんなに激しく頷くところ初めて見たぞ。
うん、不具合は出ていない。そう思いたい。
*
フィアラートと一番最初に出会った頃は流石に覚えていないが、話すようになった切っ掛けはよく覚えている。
「なぁ、何時になったら教室出るんだ」
それが第一声だった。恐らくそれ以前にも業務処理みたいな機械的な会話をした事くらいはあるだろうが、俺が能動的にフィアラートに話しかけたのはそれが初めてだろう。
まぁ今回のこれも、鍵当番としての義務を果たす為にかけた声に過ぎないのだが。
フィアラートは俺の声に驚くでもなく、能面のように表情のない顔で言葉を返した。手元には勉強道具が広げられている。恐らくは勤勉な事に放課後まで勉学にいそしんでいたのだろう。塾へいくまでの時間つぶしと言った所だろうか。
「……ごめんなさい。もう時間だったわね。図書館に移るわ」
「別に急ぐ必要はないけどよ」
その時フィアラートから返ってきた声から読み取れる印象は、紛れもなく儚げなものだった。
押せば倒れてしまいそうな。そっと鋭い言葉を突きつければそのまま崩れ去ってしまいそうなといえば良いのだろうか。
存在の雰囲気がどうにも朧気だったのだ。
だから余計に眼にとまった。そうして同時にクラスや周囲の男子の中でどうして彼女の人気があるのかもよく分かった。
何かしら守ってやりたくなる雰囲気というのがあるのだ彼女には。
男というやつは悲しいもので何のかんのそういうのに弱い。
今にも崩れ去ってしまいそうなものを見ると、少し手を添えてやりたくなるというのが男心というものだろう。いやそこは女にしろ男にしろ変わらないのかもしれない。ならば人情と言い換えよう。
だからつい、言わなくても良い一言を加えてしまった。
「あ゛ー……何か事情があるなら教師に言っておいて鍵は開けとくが」
「………………」
「………………」
完全スルーだった。
無視にも幾らか段階というものがある。視線はこちらに向けるが反応を示さないものから、何一つ反応を返さないものまで色々とだ。
フィアラートのやつはその究極系だ。本当に俺の声が聞こえてない風でそそくさと荷物を纏めて廊下を歩いていきやがった。
よし。聞こえていなかったという事にしよう。どう考えても声が届かない距離ではないし、俺の声量もどちらかと言えば小さくなかった気はするが。
いや、止めよう。それ以上に追求すると俺が死にたくなってくる。
案外俺の精神は脆弱なんだ、ガラスのハートと呼んでいる。もしここでもう一言声をかけて、それまでもが完全スルーされたら俺は多分もう立ち直れない。
触らぬ神に祟りなしとは少し違うが、自ら生傷を開いて塩を塗り込むような趣味は俺にはなかった。というかこれだと俺が凄く恥ずかしい男子みたいじゃないか。いやまごう事なきその通りなんだが。
「何してるんですか、ルーギス。もう下校時間ですが」
「女心について考えてた」
「疲れてます? カレーでも食べに行きますか?」
通りがかりにそこまで気を遣ってくれるのはお前だけだよヘルト。やっぱり男同士の友情が一番だとそう思った。後少しだけ、ヘルトが異様にモテる意味もわかった。
それから暫く、フィアラートと言葉を交わす機会はなかった。
というか元より交友関係の内にはなかったし、その後からはフィアラートも俺が声を掛ける前に教室を出る様になっていたから当然ではある。この時点では俺はフィアラートにこれ以上関わる気もなかったし、あちらも同様だろう。
だから次の接点があったのは、教室ではなく全く別の場所でだった。