第一話『怪談話と甘い物』
これは演劇部の友人から聞いた話だ。時期は丁度今日みたいに汗が滴る熱い夏の日の事だったらしい。
演劇部の夏合宿は毎年同じ合宿所で寝泊まりして、朝晩とも稽古に費やす。それで最終日には公民館で一般客相手にそのお披露目をやるっていう日程だ。部員も普段とは違う環境での練習と発表に大いに気合が入るって言ってたな。
だが折角気合を入れた舞台練習だって二日目、三日目となると流石に気がだれてくる。超人じゃないんだからな。人間そんなものさ。
そんなわけもあって間一日は舞台じゃなくて、河川敷で練習をする事になってたんだ。まぁ合宿所みたいなのがあるのは大抵が田舎町だ。夜の河川敷なんて誰もいないし、星は綺麗だしでそれなりに楽しいらしい。
だがやっぱ、合宿旅行って事で浮かれて気が抜けてたんだろうな。部員の数人が借りてた公民館の舞台に台本を忘れてきちまった。それがちょっとした役ならいいんだが、台詞も中々多いやつらばかりだ。
顧問はそりゃあもう怒って全員連帯責任で走って取りに行かせたわけよ。馬鹿らしいとは思うが、まぁ部活動なんてのはそういうもんだろう。一人は皆の為に、皆は一人の為になんてな。
田舎の夜道ってのは本当に暗い。街灯なんて数十メートルに一つあれば良い方だ。懐中電灯の細やかな灯りはいかにも頼りげない。大勢とはいえ全員おっかなびっくり公民館へと向かった。
それでようやくの思いで公民館についたと思ったら。都合が悪い事に夜は主電源が落としてあるのか公民館の電気がつかない。最悪だよ。皆懐中電灯の小さな灯りだけを頼りに台本を探すわけだ。
広い公民館で懐中電灯なんてあってないようなもんだ。もう殆ど手探りだよ。女子なんて半分泣いてるやつもいた。
それで数分経ってようやくそれっぽいものが見つかった。懐中電灯の明かりを頼りにぱらぱら捲ってみると間違いなく台本だ。ああよかった、これで怒られずに済む。
そう思ったんだがな。何でか知らないが、そこで持ってきたはずの懐中電灯の電池が一斉に切れちまった。もうそりゃあ皆が皆大慌てさ。
女子連中なんて泣き叫ぶし、もはや冷静な奴なんて誰もいない。皆転んだり怪我したりしながらなんとか公民館を出て、河川敷までたどり着いた。そこで皆ようやく落ち着いたってよ。
先生には何をやってるんだとまた怒られるし、劇の練習は余計に長引くしで散々だったって話だ。
で、これだけだったらちょっと偶然が重なっただけの話なんだが。悪いのがこの後でな。
その夜は持ってきた台本を使って稽古は終えて、本来なら星の観察でもやるんだが女子連中が気味が悪いって宿舎に帰っちまった。
それならまぁ仕方がない。男子連中だけで星の観察なんて面白味もないって事でその日は何とも締まらない思いで皆宿舎に帰って早々に寝ようってなったわけだ。
そこからが少し変なんだ。忘れた台本がよ、宿舎のバッグの中にあったんだ。
いやよく考えたら当然の話で、台本なんて寝る前でも見るわけだから舞台に忘れるはずがない。というよりそもそも、公民館なんて夜に開いてるはずがないわな。幾ら田舎とはいえ鍵の一つはかかってる。
正直友人はその時まで何とも思ってなかったんだが、そこから嫌な気分になってきた。じゃあ、今自分が持ってる台本は何なんだってなるよな。それで――。
――バンッ、バンッ!
*
そこまで話した所で、唐突に鳴り始めた音の出所へと目を向ける。セレアルが真っ青な顔をして肩を上下させていた。
俺が口を開こうとすると、再び両手の平をテーブルに叩きつけて阻止してきた。
「何だよ、ここからが良い所なんだぜ。その練習風景を撮影してたビデオがあったんだけどよ、皆気持ちが悪い笑みで一言も――」
「兄、さんッ!?」
珍しく声を荒げているセレアルの様子を見るに、本当に駄目らしい。
自分から怖い話が聞きたいと言ってきたというのに、我が妹ながら中々の勝手ぶりを発揮してくれる。誰に似たのだろうか。少なくとも俺ではないはずだ。
「姉さん! ルーギス兄さんが! いじめる!」
瞳に涙を潤ましたまま、セレアルが傍らのアリュエノに抱き着いた。何だその片言の喋り方。何人だお前は。
アリュエノはアリュエノで、セレアルを宥めつかせながら俺を咎めたてる様な目で見るんじゃない。
「ルーギスったら加減がないんだもの。余りそういうのが得意じゃないってのは知っているけれどね、ええ」
流石我が幼馴染殿、俺の性格をよく分かっていらっしゃる。ならその調子でもう少し俺を援護して欲しいのだが。これではまるで孤立無援のまま周囲から楚歌すら聞こえてきそうだ。
「まぁまぁ、ルーギス兄ぃも悪気があってしたわけじゃあねぇ。これはもう兄貴の性格っていうかよぉ」
ウッドが大きな身体を傾けながら言葉を選んで言う。選んでいる所悪いが、それ全くもってフォローになってないからなウッド。兄として言うがもう少し上手く人を立てる術を学んでくれ。決して俺の為というわけではない。多分違う。
そんな二人のフォローらしきものもあってか、セレアルは相変わらず涙ぐみながらも落ち着いたようだった。それでもやはり何処か挙動不審といった感じで震えているが。
「……ルーギス兄さんの馬鹿。ばぁーか」
本当に、この様子で大丈夫だろうか。
今回の怪談話は何も俺がセレアルの反応を見たいが為に話したわけじゃない。セレアルが所属する吹奏楽部の合宿で怪談話をする慣例があるから、その慣らしとしてだったのだが。
視線を向けて様子を見ると、セレアルはアリュエノの抱き着いたまま荒い息を整えている。何時もの様子に戻るにはもう少しかかりそうだ。
これ、合宿までに間に合うんだろうな。別に付き合ってやる事自体は嫌ではないのだが。今のセレアルの状態を見ていると、とても今後耐性が出来る様には見えないのだが。
むしろ草食動物に無理やり生肉を食わせているみたいな罪悪感すら湧いてくる。
「まぁ少しずつで良いじゃない。ルーギスったら過保護なんだもの。構わないけれど、将来の子供にまでそんな風になったら困るわね」
アリュエノは妙なしたり顔でいった。薄い笑みを浮かべている所から完全に冗談だ。
さらりと怖い事を言わないでくれ。俺はまだ子供の事を考えるような年齢じゃないし、第一世間的に見れば俺もまだ十分に子どもだ。
大体、過保護と呼ばれるのは少々違うのではないだろうか。
「家族身内に甘くなかったら誰に甘くなるんだよ。何よりも甘くなるべき所だと思うんだがね。そりゃあ、甘やかすってのとはまた違うが」
俺だって、自分がセレアルやウッドに対して多少甘い所があるというのは自覚している。
しかし世の諸兄というのは大抵そういうものだろう。我が家が多少特殊な家庭であるという事を差し引いても、俺は普通な方だ。
兄姉は弟妹を守る為に生まれて来た、とまでは言わないが。それにしたって多少の付随義務というものは発生するだろうさ。
「いえウッドやセレアルに、というより。貴方誰に対しても甘いわよ。大甘よ。びっくりするくらい」
「人を砂糖菓子みたいに言うんじゃない。せめてもう少しいい感じの例えにしてくれ」
「じゃあバウムクーヘン」
砂糖菓子じゃなかったら良いってわけじゃねぇよ。辛いより良い気はするが。
というか少なくともここにいる面々、弟ウッドに妹セレアル、幼馴染アリュエノ以上に誰かに甘いという事はないはずだった。
俺自身、それ位の人間的厳しさというやつを持っていると自負している。
「そうね、砂糖を振りかけたショートケーキのほうが良い? ええ、構わないわよ」
お前俺の事をなんだとおもってるんだ。
「誰にだって甘い顔をして、すぐ男女関わらず連れて来るんだもの。もう少し節度を持って欲しいわ」
「そこまでした覚えはない!?」
「安心してルーギス。私は覚えているわ」
驚くほどに安心出来ない。勘弁してくれ。そんな事を想っているのはお前だけだ。
きっと他のご友人達なら、もう少し俺のフォローをしてくれることだろう。間違いがない。
「なら、聞いてみなさいよ。きっと皆、私と同じはずだわ」
そこまで言うか。その言葉覚えていろよ。必ずほえ面かかせてやる。