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願わくばこの手に幸福を『学園IF』  作者: ショーン田中
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プロローグ『その日常とご友人達』

「朝はお味噌汁いらないのよね、ルーギス」


「食べられるものなら、何でも良いさ」


 キッチンから声をあげた幼馴染のアリュエノが、俺の名を呼んでそう言う。眠気眼のまま頷いて応えた。軽く欠伸が喉を通っていく。


 本来幼馴染が朝っぱらから自宅のキッチンにいるなどというのはあり得ない出来事であるはずなのだが、我が家にとってはもはや日常風景になってしまった。それもこれも、俺の周囲の環境が少しばかり異常だからだろう。


 名前はルーギス。高校二年生。家族構成は両親が他界済み。弟と妹が一人ずつ。


 両親が早死にした事もあって工場でのバイトだの親戚からの支援だので何とか日々を暮らしている高校生にして苦学生の御身分だった。


 いやまぁ切り詰めれば、日々の生活くらいはなんとかなるのだが。弟のウッドと妹のセレアルは何とかして不自由ないように生きさせてやりたい。それもあってバイトは続けていた。


 幼馴染のアリュエノもきっとそんな俺を憐れんで、日々飯を作りに来てくれているのだろう。アリュエノという人は、良くも悪くも優しい人間だ。それは誰にでも分け与えられるもの。


 それゆえにアリュエノは学校で教師生徒に関わらず信望を得ていたし、またそれにふさわしい人間だった。


「セレアル、悪いがウッドを起こしてきてくれ。まだ寝てる」


 食卓についてぶらぶらと脚を揺らしていたセレアルは、小さくこくりと頷きながら、二階へと上がっていく。我が妹にしては無口な奴だ。もう少しくらい喋ってはくれないと兄として心配なのだが。学校で上手くやれているのだろうか。


「ルーギス。今日は私生徒会活動があるから早めに出るの。だからご飯も早く食べちゃってね」


 バイト先へのシフト連絡をメールで返しながら、食卓に置かれた朝食へと手を伸ばす。アリュエノの言葉に頷きながら、ふと思った。


 いやそれ別に俺は早く出る必要性は全くないのでは。今日は特に朝から学校に行く用事もない。俺は生徒会にも属していない。


 小学生のころからアリュエノと共に登下校を行うというのが習慣になっていたので当然のように今まで受け入れて来たが、よく考えると俺が早くから学校に行く意味は何もない。何となくアリュエノに押し切られてそうしていただけだ。


 そろそろこの習慣は断ち切ってしまってもいいのではないだろうか。人には人のライフスタイルというものがあってしかるべきだ。


 そう思い、朝食を食べ終わると同時に口を開く。と、すでに目の前には制服とカバンが用意されていた。


「私も用意はすぐ終えちゃうから、ルーギスは玄関で待っていて。大丈夫よね?」


 妙に良い笑顔で、アリュエノがそう言った。朝食を作ってもらい、ここまで用意されて、流石に大丈夫じゃないとは俺には言いづらい。


 結局この日も、大した用事があるわけでもないのにアリュエノと共に登校をする運びとなった。


 *

 

「良い、ルーギス。簡単に人に手は出しちゃ駄目。知らない人に声を掛けられても無視をするのよ。後、それから――」


 登校中に次から次へと、よく出てくるものである。彼女にとってそれらの言葉はもはや定型句として脳内にインプットされているに違いない。もしかすると口に出していない時だって、ずっと頭の中でそれらの言葉は流れ続けているのではないだろうか。


「もう大丈夫さ。俺は小学生か、アリュエノ?」


 流石に辟易して、幼馴染の方を向いて言った。俺と違い随分と厚い学生鞄を持っている。優等生の彼女らしくその中には教科書以外にも辞書だの参考書だのが入り込んでいるのだろう。


「小学生ではないけれど……ええ、多分」


 真面目な顔で言うんじゃない。そこまで思案されると惨めになってくるだろう。


 高校生にもなって登校中これほどまでに身辺を気遣われる人間がいるだろうか。どうかいないでほしい。いられたら流石に少し悲しくなってくる。


 今だ思案顔でこちらを見つめるアリュエノとは家が近く殆ど家族同然に育てられてきたのだが。何時頃からだっただろうか。彼女は自分の方が誕生日が数か月早いというだけでやけに姉面をするようになってきた。小学生のころからこのありさまだ。同学年だろうに。


 学校への登校通路を見ながら、アリュエノは言う。


「良い事? ちゃんとお弁当を食べるのよ。貴方の嫌いなものは入れてないから」


「そこまで言うか!? 小学生より退化してるだろうそれ」


「……小学生のころの方が素直で良かったわ」


「十数秒考えた結果がそれかお前!」


「そうよ!」


 力強く断言するんじゃあない。その一言がどれだけ俺の心を傷つけているか分かっているのか。


 アリュエノは昔からこういう所があった。人が誤った事をしていればそれを指摘せざるを得ないというか。正しい事を正しいと言わざるを得ないような性分だ。正直損な性格だと思う。


 まぁ、その分彼女は信頼や尊敬を勝ち取ってもいるので、一概にどうとは言えないだろうが。俺にはとても出来ない生き方だ。というか、俺を一から十まで矯正しようとする癖はやめてくれ。


 それに大体、俺だってもう高校生だ。分別の一つや二つ、いや三つはついているとも。


 そう簡単に愚かしい事はしやしない。多分。


 アリュエノは重そうな鞄を軽く揺らして言った。


「何にしろ、大人しくするのよ。そうしたら、ちゃんと晩御飯も良いものを作ってあげる。ええ、構わないわ」


 だから子供か。俺だって馬鹿じゃないんだ。


「安心しろよ、何かする時はばれないようにする」


「馬鹿!」

 

 *


 生徒委員会室に向かうアリュエノが何度もこちらを振り向きながら去っていく姿を校門で見送って、ようやく身体が自由になった。


 アリュエノがしゃべり続けていた所為か、右耳が少しおかしい。音が聞き取り辛くなっている。このままいくといずれ右耳がアリュエノの声しか受け取れなくなってしまうかもしれない。明日からは立ち位置を逆にしようか。


 いち早く蝉がけたたましく音を鳴らしてはいるが、時間はまだ随分と早かった。アリュエノの生徒会活動とやらが、始業時間の一時間前から始まっている所為だ。


 まぁ、こういった時間は持て余しはするが、俺自身この少し余裕のある感覚は嫌いではない。何がというわけではないが、妙に得をした気分になるのだ。それに無駄に誰かに遭遇するという事もなくて良い。心がやけに落ち着く。


 そう思い、久しぶりの校舎に脚を掛けた瞬間。


 視点が俯き横を向いた。首が嫌な音を立てたのが、分かった。


 当然、俺は校舎に踏み入ったが最後、首がへし折れるような嫌な特性は持っていない。むしろそれならとっとと通信制の高校にでも変えている。


 詰まり誰かしらの干渉があってこうなったというわけだ。首回りが何者かに締め付けられている。それも急激に、本当に締め落とすかのような力強さでだ。


 いや待て。本当に加減がない。分かった、もう分かった。


 俺のキワモノ揃いの友人共の中でも、こんな事をするのは一人しかいない。いや、いてほしくない。これが別の奴だったら俺は失神する覚悟がある。


「……カリア、お前俺が被害届出したら捕まるからな」


 俺の首を引き寄せるその女に向かって言った。彼女は盗人猛々しいという言葉が余りに似合うそぶりで言う。


「その時は私も貴様を強姦未遂で訴える」


「した覚えは一切ない。お前の身体に欲情した覚えすらない」


「酷い言いぶりだな、人の肌を散々見ておいて!」


「誤解を口から産みまくってるんじゃねぇ!」


 カリア。粒ぞろいの友人達の中でも特にキワモノだった。俺と同学年にして、剣道部の主将。そうして大会やインターハイでも数々の好成績を残し、それでいて名家のお嬢様とくれば学内でも有名人になる。


 だがそれに反して何というかこいつは、人との接し方が死ぬほど下手なのだ。唐突に人の首を絞めるくらいには。


 カリアの腕を数度叩く。普段はこれで解放してくれるのだが、今日ばかりはそうもいかないらしい。妙に拘束が強固だった。


 何だ。俺が何をした。アリバイはあるぞ。弁護士を呼べ。


「ルーギス。貴様、日曜日にあった大会に何故来なかった……? 来ると言ったはずだろう。私はずっと貴様を探していたのだぞ」


 ほう。大会。カリアが大会という以上、恐らくは剣道部のだろう。少なくとも俺が知る限り彼女はそれ以外の活動をしていない。というより俺が知らない。


「…………いや、行ったぞ。バイトが入ってたからすぐ帰ったが」


「嘘だ。貴様の位置情報はずっと武道館の外にあった」


 怖いよ。何でさらっと位置情報とか言えるんだよ。お前俺の位置情報を常に把握しているのかよ。頼むからその無駄に高性能な部分を無くしてくれ。


「いいか、ルーギス」


 カリアは含むように口を開く。


「貴様がこれ以上口をつぐむなら」


「……なんだよ」


「私は泣くぞ。大声で泣くからな。貴様に裏切られたと言ってやる。汚されたと喧伝してやる」


「分かった俺が悪かった。不毛な争いは止めよう俺の人生が死ぬ」


「泣くぞ」


「分かったって言ってるだろう!? バイトが入って行けなかったんだよ。悪かった! 埋め合わせはするから!」


「最低だ貴様は! 今日の放課後と今度の土日を必ず明け渡せ! さもなくば泣くからな!」


 駄目だ。こいつはやると言えば必ずやる。誇り高い所もあるのだが、妙にそういう所は素直だ。


 というよりカリアは何故剣道着のままなのだろう。朝練を抜け出してきたのかこいつ。そこまでして俺の首を極めに来るか。


「いいからそろそろ朝練に戻れ。汗の匂いするぞ。シャワーでも浴びてこい」


「よし、泣く」


 やめろ。本当にやめろ。俺が社会的に抹殺される。


 *


 俺の席は以前は教室の中央辺りにあったのだが、座席表を見てみるとやけに端の方へと追いやられていた。この前バイトで休んだ時に席替えでもあったのか。それとも除け者にでもされたのか。俺にしてみれば端側の方がずっと気が楽で良いのだが。


 何せ四方八方を人に囲まれているというのは、どうにも気が詰まるではないか。万が一でもカリアのような人間に囲まれたらそれこそ窒息だ。


 そんな馬鹿らしいことを頭の中に浮かべながら、学生鞄を机の上に放り投げる。未だ誰もいない教室ではそれを見咎める者はいなかった。


 まだまだ登校時間には早い。朝練か、生徒会活動であるものでもないと学校に足を運ぶやつはそういないだろう。


 一人でぼんやりと教室の中に居座るというのは居心地自体は良いのだが、こうなると少し警戒心のようなものが湧いて出てくる。


 つまりは、次この教室に入ってくるのが誰かという事だ。もしそいつが一人で入って来ようものなら、俺とそいつは暫く二人きり。そうして俺は正直素行が良いとは言えない。不良と言われればそうだろう。


 間違いなく気まずい。主に相手が。かといって気軽に話しかけられる相手であればよいが、そうでなければなんとも沈痛な空間が少なくとも十数分は続いてしまう事になる。


 ゆえに誰か早く来ないものかという思いと同時に、どうせなら大勢でどっと入ってきてくれればいいのだがという思いがあった。


 けれど残念ながら、聞こえて来た足音は一つだ。几帳面とも思える足音がゆったりとこちらに近づいてくる。


 畜生。どうせなら他のクラスであってくれ。


 そんな俺の思いは知らぬとばかりに、その優雅な足音は我らがクラスの前で止まり、そうして言った。


「おはよう、ルーギス。今日は早いのね」


 綺麗な黒髪を揺らしながら、優等生然とした態度でそいつは言った。


「フィアラートか。緊張して損した」


「酷い言いようじゃない。久しぶりに会う友人に掛ける言葉がそれだけ?」


「いや全然久しぶりじゃないだろ。昨日もあっただろう」


「それはそれ。これはこれよ」


 どれだ。それだとかこれだとか指示語を使って話すのはやめてくれ。少なくとも俺と彼女が久しぶりでないのは確かなはずだ。


 カリアと同じく俺の友人である彼女は、とある事情も手伝って足しげく俺の家へと通っていた。そのおかげかバイトが忙しい時にもたびたび顔を見ている。


 フィアラート。彼女を表す言葉があるとすれば、筋金入りの優等生といった所だろう。成績は常に最上位。確か家は官僚一族で、その普段の生き方を見ていると、勉学と知性を蓄える為に生まれて来たような奴だった。恐らく縁がなければ、俺なぞとは一言も交わすことなく学校を卒業した事だろう。


 助かった。彼女となら少なくとも気まずい思いをする事はない。


「それにしても早いな。朝は弱かったんじゃなかったか」


「弱いわよ。でも仕方がないじゃない。貴方が早く家を出るんだもの」


「お前、まるで俺の登校時間を常に把握してるみたいな言い方やめろよ」


「完璧ではないけど把握してるわ」


「何でだよ。そこは否定しろよ。いや否定してくれよ!」


「妹ちゃんがメールを送ってくれるのよ」


 俺の個人情報が身内から漏れていた。


 我が妹セレアルは一体全体何をやっているのだろう。よもやいつの間にかフィアラートに抱き込まれていたのだろうか。とりあえず今日帰ったらセレアルの携帯電話の履歴を全てチェックしよう。きっとろくな事に使っていないに違いない。そんな気がする。


「そんな事より、ルーギス」


 そんな事。そんな事かこれ。結構、いやかなり重要な事だと思うんだが。


「貴方、バイトの為に欠席した件で職員室に行かなきゃいけないんじゃないの。別に、私はここにいて貰っても構わないけれど」


 なるほど。確かにこっちの方が重要だった。だがそれに関して一つばかり、気になることがある。


 口に出していいのか躊躇われたが、教室の戸に手を掛けてから言った。


「お前、なんで俺が職員室行ってない事知ってるんだフィアラート」


「さぁ?」


 顔を背けるな。せめて俺の目を見て話せ。


 *


 職員室と言う奴は、学校の中でも異質な空間である事は間違いがない。もしくはそこだけが真面で、他の空間が異質なのだ。


 子供だらけの場所で大人たちが集まる部屋は、明らかに違う匂いがしていた。ここが得意なんて奴はそういないだろう。優等生なら別なのかもしれないが、教師の目がある場所に自ら好んで身を置きたいなんて奴はそういないはずだ。


 御多分に漏れず、俺もその一人だった。


「早いなルーギス。どうした、珍しく反省でもしたか」


「したよ、しました。反省文でも書けばいいんなら書きますよ。面倒な事は嫌なんでね」


「お前のそういう賢しい所、私は嫌いじゃないぞ」


 ナインズ教師。年が比較的近い所為か多くの生徒からはさん付けで呼ばれる事が多いが、俺にしてみれば一番教師らしい教師だった。教える事は分かりやすいし、生徒の言葉にも多少は耳を傾けてくれる。それでいて判断はシビアな大人だ。


 無駄に厳しいだけでなく、弱気に生徒を無視するでもない。何とも分かりやすい存在で接しやすいではないか。


「ならその要領の良さで、あいつの説得もして欲しいんだが」


 そういってナインズさんは、生徒指導室の方の扉を指さす。職員室内に併設されたその場所は中身こそ見えないが、誰がいるのかはもう分かっていた。


 そういえば最近、珍しく俺以外にも問題を起こした奴がいたのだ。


「書かないって言ってるんですか」


「ああ、お前と同じく賢しく振る舞ってくれると思ったんだが。反省文も何も書く気はないとさ」


 何と頑固な。こんなもの所詮は形式に過ぎないのだから、とっとと書き上げてしまえば良いものを。教師だって内容がどんなものだろうと、書きさえすればこれで生徒は反省しましたと決着をつけられるものだ。


「お前の新しい女だろう。早く指導してやれ」


「今の言葉教師として最低な上に俺の女ではない」


「皆最初はそういうんだよ」


 皆ってなんだよ。今までそんなにいたのかよ。どういう教師生活送ってたんだよ。


 何となく緊張して、生徒指導室の扉をノックする。返事はなかった。そのまま扉を開けると、中には一人の女生徒が座っていた。


 彼女は目の前に置かれた原稿用紙に何ら気兼ねする様子を見せず、むしろ悠然としてそこにいる。


 エルディス。異国からの転校生にも拘わらず周囲から慕われていて、本来はこんな所にいる人間ではない。その眼をひく風貌と性格から、スターのような扱いすら受けていた。


 そんな彼女が生徒指導室で原稿用紙とにらめっこをさせられているのはまぁ、何にしろ俺が原因だった。


 エルディスはこちらに気が付くと、悠々と口を開く。


「早いねルーギス。君の事だから、職員室なんて来ないじゃないかと思っていたよ」


 意外な事もあるものだねと、エルディスは長い睫毛を跳ねさせて言う。その余裕ある口ぶりはどう考えても生徒指導室で座っている人間が発するものではない。


「俺も意外だったよ。お前なら反省文なんて適当に書き上げちまえると思ってたんだが。別に意地張らなくてもいいだろう」


「いいや、張るね。思い切り張るよ僕は」


 胸を張って言う事か。そこまで堂々と言われると俺が間違っている気になってくる。


「どうしてだよ、此の世の中意地を張っていい事なんてそうないぜ」


「流石に僕も君にだけは言われたくないな。意地っ張りの世界選手権があるなら間違いなく君が世界一だ」


「おい」


 何だその褒めてるのか褒めてないのかよく分からない例えは。


「大体僕は間違った事をしたとは一度も思っていないからね。陰険な事を考えていた奴を少しばかりのしてやった。それだけだろう? そこに君が関わっていた、いないは別の話さ」


「にしたって、曲がりなりにもこの国じゃあ暴力は犯罪なんだよ。せめて反省くらいはしないとな」


「へぇ、なら君は反省してるのかい?」


「してるとも。もっとうまくやればよかった」


 事が大きくなり過ぎたのはまずかった。もっと露見しないようにうまくやれただろうに。そうすればエルディスも謹慎を受けるような事はなかったはずだ。


 エルディスは俺の言葉が腑に落ちたのか、なるほどと言って指を軽く動かした。唇を撫でる姿は何かを考え込んでいるかのようだ。


「そうだね。なら君が書けっていうなら嫌々書いてあげるよ。本当に嫌だけど、君がお願いしますっていうなら反省文を書いてあげよう」


「何様だよ。お姫様かお前」


「似たようなものだね」


 凄いなこいつ。よくもまぁ自分をお姫様と同列に立たせられるものだ。俺なら面はゆくてとてもじゃあないが同じことは出来ない。此れだから自分の面に自信がある奴は嫌なんだ。


 肩をすくめてわざとらしく溜息を吐きながら口を開く。


「へいへい、じゃあエルディス様。精々立派に反省文を書き上げてくださいませ。家臣からのお願いでございます」


「書く気なくなった」


 書けよ。そこは俺の顔を立ててくれよ。


「分かった分かった。ならどうすりゃいいんだよ。パフェでも奢ればいいのか?」


「僕を物で釣る気かい。心外だな。ああ、本当に心外だ」


「……お願いします。反省文を書いてください」


「最初からそう言えばいいんだよ」


 そう言うとエルディスはくるりと手の中でペンを回しながら、原稿用紙にインクを書きこんでいく。綺麗な字だ。俺なんかとは比べ物にならない。きっと俺が三十分かけて書いた原稿より、エルディスが数分で書いた原稿を人は評価するのだろう。そんなものだ。


「所で今日の放課後は空いてるかい、ルーギス」


「いや、埋まってる。残念だが諦めてくれ」


「空けておいてね」


 暴君かよ。埋まってるって言ったじゃねぇか。


 *

 

 その日は提出物だのやる事だのが多くて、殆ど授業が手に付かなかった。いいや、授業自体はもとからそれほど手についていないのだが。何時もに輪をかけてだ。


 この社会に縛られ続けるという感覚は、息苦しい。人間が社会的動物である以上どうにもならないのかもしれないが、それでも時には孤独こそ素晴らしいと叫びたいものだ。


 だからなのか。放課後の鐘が鳴った時に感じた解放感は人一倍のものだった。肩からは重いものが転がり落ちて、胸も軽くなっていく。素晴らしい、やはり自由こそ人の本懐だ。自由気ままに過ごせなければ人間はその内駄目になってしまうだろうさ。


 そう言うと、俺のご友人たるヘルトは一瞬考え込んでから言った。


「それが何故此処で隠れてるんです?」


「追いかけられてるからだよ」


「それはまたどうして」


「誤解が誤解を生んでな」


 生徒会室でペンを走らせるヘルトに返事をしながら、窓の外を覗き見る。どうやらカリアの奴は撒けたらしい。


 帰りがけ、偶然にも下駄箱でカリアとエルディスが互いに食い有ったのが最悪だった。奴らまるで犬猿のように互いを忌み嫌っているからな。互いに似通った部分はあるのだが、根本的な所で反りが合っていない。


 そうしてその二つが正面から衝突した結果、どうしたわけか矛先は俺へと向いたわけだ。


「でも多分悪いのはルーギスだと思うのよね。どうせまた二人に同じ約束でもしたんでしょう」


「どうしてここにいるんだフィアラート」


「そうね。貴方がいたからよ」


 そこに山があるから、みたいな風に言うな。ちょっと格好いいと思ってしまっただろうが。ヘルトはフィアラートや、外のカリアの様子を横目で見ながら言う。


「羨ましいですね、見目麗しい女生徒に慕われて」


「お前ここ一年で心にもないこと言うの上手くなったよな」


「とんでもない。心からの言葉ですよ。ええ」


 本当か。この言ってはなんだがとても真面とは言えない連中と顔を突き合わせるのがそんなに羨ましいか。というより女関係であればお前が一番恵まれているであろうに。


 ヘルトは俺の少ない友人の中では、恐らく最高に優秀な人間だ。生徒会長を務め、学業部活動両方の面で実績を残している。それでいて面も性格も良いというのだから手がつけられない。


 正直な所、どうして素行不良の俺と友人づきあいをしているのかが不思議なほどだ。


 そうしてそんな奴に女関係で羨ましいと言われても、正直全然嬉しくない。


 勿論俺とて彼女らが嫌いというわけではないが。その、何だ。これが慕われているというと少し、いいや大分違う気がする。


 これはもっと別の何かである気がするのだ。


「そういえばアリュエノはどうした、一応迎えに来たんだが」


「彼女なら、部活動に行きましたよ。歌唱コンテストが近いようですので」


 ああ。そういえばそんな事を言っていた気がする。なら仕方がない。今日は一人で帰るとするか。


 しかし、だ。

 

 ――こつ、こつ、こつ。


 二つの足音が、明確に此処に近づいてきている。一つは憤激したような荒い足音。もう一つは優雅な足音だ。


 まだ遠くはあるが、近い内必ず此処に来るだろう。だが今迂闊に此処を出れば自ら虎口に飛び込むようなもの。身動きがとれやしない。


 さて俺は、果たして何時になったら帰れるのだろうか。まるで帰れる気がしない。

 

 こんな事が日常茶飯だなどとは、思いたくはないのだが。間違いなくこんな下らない日々が、俺の日常そのものなのだ。


 ああ、今日もバイトに遅れる事は間違いがない。願わくば、もう少しばかり真面に学校生活を送りたい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最高です。現代社会の範囲内でルーギスとか女性集団が平常運転しててめっちゃ笑いました。
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