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晴れて候  作者: 桃 春花
14/17

 《三》




「下りてください。その妖たちを退()かせていただけませんか」


 七枝ななえの首筋に短刀を突きつけて、いつもと変わりない口調で海棠かいどうは言った。

 いつもと同じ笑顔、いつもと同じ声だ。けんかをしたことも忘れたような、穏やかで優しい顔をして、ひな菊を脅してくる。

 不覚にもひな菊は茫然となって動けなかった。ここで矢でも射かけられたら、あっさり命を落としていただろう。そうする者がいないのはさいわいだった。


「あなたはきっと一人で来るだろうと思っていましたよ。ご自分の腕にたいそうな自信を持っておいでですからね。そうやって、なんでも一人で解決してしまおうとするから、こんなことになるんですよ」

「なにを……」


 この男は一体、なにを言っているのか。

 どうして海棠がここに現れるのか。どうして七枝をつかまえているのか。どうして、刀を突きつけているのか――


「なぜ……あんたが」


 田島が甲高い笑い声を上げた。


「愚かなことを。この海棠どのは恵泉院けいせんいん様の甥。あなた様の味方なはずがありましょうか」


 動揺するひな菊に勝ち誇って笑い続ける。


「上様も、そしてあなた様も、恵泉院様にとっては憎い仇。そのために海棠どのを送り込まれのだとおわかりになりませぬか」

「…………」


 ひな菊は言葉もなく海棠を見つめた。

 相変わらず彼は優しい笑みを浮かべてひな菊を見上げている。その腕の中にいる七枝は気づかわしげな顔で二人を見比べているが、喉にふれそうな刃に声も出せずにいるようだ。


「さあ、その化け物どもを下がらせてくださいませ。それとも乳姉妹の命ごとき、お見捨てになりますか」


 田島が声高に迫ってくる。ひな菊は拳を握りしめた。


 主君と認められていたわけではない。友人ですらない。本音のところで海棠の好意など得られていないことはわかっていたが。

 権威に頭を下げるような男でもない。表面だけとりつくろって、裏で舌を出しているだろうとは思っていたが。

 それでも、敵だとは思っていなかったのに。

 はじめから、ひな菊を殺すつもりでそばへ上がったというのか。


 ――やることは、えげつなくてねえ。


 ふいに、お蝶の言葉が脳裏によみがえった。

 そう、海棠は武士道なんてものはきっと笑って投げ捨てる。ひな菊が大樹公の娘だろうと、そんなことになんの意味も見いださない。忠義だの正義だの、鼻で笑って終いだろう。

 ……けれど。


「さあ、いかがなさいますか!?」


 田島がたたみかける。声にいらだちが混じっていた。じっさい、ここでひな菊が七枝を見捨てたら彼女の優位などありえない。強気な態度を取りながら田島もいちかばちかの勝負にかけているのだった。

 一瞬瞑目した後、ひな菊は決意とともに目を開いた。

 大蛇が地中へ姿を消していく。ひな菊の身体はどんどん沈み、やがて足の下に地面を踏みしめる。土蜘蛛と猩猩も命令に従い闇に消えた。

 ふたたび、ひな菊は一人敵中に立った。

 なぎ払われ地面に倒れていた男たちが身を起こした。刀を拾って身構える。彼らも必死だ。妖姫(あやかしひめ)への恐怖と、ここで負けては身の破滅という焦りに、夢中で殺意を向けてくる。最も近くにいた一人がひな菊の背後で刀を振りかぶった。


 ひな菊は動かない。


「姫様!!」


 七枝が悲鳴を上げた。目の前の刃も忘れて飛び出してこようとするのを、海棠に止められる。

 ひな菊はただじっと、海棠を見つめていた。


「御免!」


 ひな菊の首をめがけて、刀がふり下ろされる。

 ――その、直前。


「ぐ――っ」


 背後の男はくぐもったうめきを上げ、そのまま崩れ落ちた。

 ひな菊の脇をかすめて倒れ伏す。喉に深々と、海棠の持っていた短刀が刺さっていた。


「な――!?」


 田島が目を剥いた。

 彼女がふり返るより早く縄を投げ捨て、七枝を抱え込むようにして海棠はささやいた。


「七枝どの、離れないで」

「はいっ」


 ふり向こうとした田島の横を駆け抜けて、二人は庭に下り立つ。

 ひな菊も足を踏み出した。まっすぐに駆けてきた七枝を、腕を伸ばして抱き止めた。


「七枝!」

「姫様、ああ、姫様……っ」


 涙声でしがみついてくる七枝を、ひな菊はしっかり抱きしめる。降りしきる雪の中、互いのぬくもりがいとおしかった。


「あそこで言うこと聞いちゃだめでしょう。おとなしく殺されたって人質は助かりませんよ」


 しゃあしゃあと言って海棠がそばに立つ。ひな菊は半眼で彼をにらんだ。


「七枝を押さえていたのがあんたじゃなきゃ、あたしもそう考えたわ」

「おや、ご信頼いただけましたか」

「お蝶さんたちをね」


 ひな菊は海棠のことをまだよく知らない。だが、あの温かい人たちが身内と言い、悪口を叩きながらも非道は働かないと断言した人物だ。その言葉を信用しようと思ったのだった。

 だいいちひな菊を殺したいなら、今まで彼にはいくらでも機会があった。


「海棠どの、どういうことじゃ!?」


 田島が金切り声で叫んだ。少女たちをかばいながら、海棠はやはり飄々と笑って答えた。


「どう、とは? 僕は姫の守役ですよ。おわかりでしょうに」

「ばかな――恵泉院様を裏切るつもりかっ」

「いつ、そのようなことを?」


 ひやりと冷たい声になる。


「恵泉院様が一度でも、姫の暗殺など命じられましたか。あなたにこのようなことを求められましたか。あなたがなにを感じたにせよ、けっしてご命令などなかったはずですよ」

「そんな――だが!」

「あなたはあの方の懊悩を口実にして、己が欲望を満たそうとしただけでしょう。そう、正義でもなんでもない、ただの欲望ですよ。あさましい」


 容赦のない口調で海棠は吐き捨てる。ひな菊はそっと七枝を放した。


「もちろん、僕は恵泉院様を裏切ったりしませんよ。あの方の望まれたことを果たします。かならず姫をお護りするように、とね」

「ばかな……」

「広根っ、貴様が俺たちを誘ったのではないか! それをっ」


 男たちの中から一人が怒鳴った。さきほどひな菊と対峙した者だ。海棠はそちらへも笑って答えた。


「ええ、疋田(ひきた)どの。あなた方は、いわば獅子身中の虫。忠義心のなきことは明らかで――じっさい、ちょっと誘いをかけたら飛びついてきたでしょう。姫にもけしからぬ眼を向けていましたし、とても安心してお役目を任せてなどおけませんよね。害にしかならぬ者は、ついでに始末するに限ります」

「き……貴様ぁっ!」


 ひな菊は息をつき、海棠と背中合わせに立った。


「ほんっとーに、いやなやつよね、あんたって」


 ふたたび現れた猩猩しょうじょうが七枝の身体を抱き上げた。高く跳躍し、誰も手出しできない屋根の上へと連れていく。


「心外ですね。身を挺してお守りしていますのに」

「はじめからその気なら、なんだってこんな回りくどい真似したのよ」

「だって、ちまちま毒を盛ってるところを抑えたくらいじゃ、トカゲの尻尾切りになるに決まってるじゃないですか。しびれを切らせた御大が出てきてくださるのを待っていたんですよ」

「毒のこと、知ってたの?」

「途中からね。だめですよ、ああいうことはちゃんと言わないと。松尾様にはご報告しておきましたから、もう出てこなくなったでしょう?」


 ひな菊は口ごもる。例の棒を腰から抜きながら、海棠はちらりと彼女を見た。


「松尾は、自分で毒味をしたわ。そのせいで倒れた」

「…………」

「さいわい命は助かったけど……」


 海棠は小さく息をつき、棒の両端を持った。身体の前で水平に構えるようにする。


「姫のお気持ちを汲まれたんですね。あの方も存外お甘いな。困った人たちだ」

「反省してるわよ」

「それは重畳」


 海棠は薄く笑った。取り巻く殺気がいよいよ高まってくる。


「まあ、これで終わりです。姫のおかげで黒幕も引っぱり出せましたしね。現行犯という動かぬ証拠をつかみましたから、これ以上なにもさせませんよ」

「つまり、あたしを囮にしたわけね」

「虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うじゃないですか」

「あんたが入ったんじゃなくて、あたしを放り込んだんでしょうがっ」

「そうとも言えますね」


 海棠は少しも悪びれない。彼の手元で軽い金属音がした。二尺ほどだった棒が、いきなりその三倍にも伸びた。


「……(じょう)?」

「なにをしていやる! 二人とも斬ってしまえ! 斬らずばうぬらとて死罪は免れぬぞ。生かして帰すな、かならず殺せ!」


 田島の金切り声が響く。斬りかかってきた刀を海棠は棒――いや、鉄杖(てつじょう)で打ち返した。


「そういえば興味をお持ちでしたね。僕が刀を使わないのは、こういう場合のためなんですよ」


 刀を払い、相手の喉や腹に突き入れる。旋回させてしたたかに首筋を強打する。得物を巻き取り、足をすくい、あざやかに投げ飛ばす。

 目にも止まらない見事な杖術だった。


「刀はたしかに一撃必殺の優れた武器ですが、四、五人も斬れば血脂(ちあぶら)がまいて斬れなくなってくるでしょう。打ち合えば刃こぼれするし、下手すると折れてしまう。多人数を相手にするにはかえって不便なんですよね」


 ひな菊を襲おうとした男が一撃で叩きのめされる。


「……師匠と同じことを言うのね」


 だからといって、あっさり刀を杖に持ち替えるとは。

 常に多数相手の乱戦を考慮に入れ、武士の誇りだの面子だのよりも威力が優先、とにかく勝てばよしというわけか。

 海棠のえげつなさとは、つまりこういうところなのだろう。

 

「まあ刃がないので殺傷力はありませんが、とりあえず戦えなくするくらいはね」

「あんたならそれでも十分に殺せるんでしょう。でも無理は言わないけど、なるべくなら加減して」


 ひな菊は海棠から離れた。かばってくれる気持ちは汲むが、このままでは彼も動きにくい。


「さっきの妖たちにも加減させていましたね。本当に、どこまでも甘い人だ。あなたの命を狙う連中ですよ?」

「わかってるわよっ」


 斬撃をかわし、肘の外側から蹴りを入れる。身体を旋回させてさらに首筋にも叩き込む。


「どうせ甘いわよ、知ってるわよっ。師匠にも言われたわ。『殺生がいやならはじめから戦うな、さっさと死ね』ってね!」


 怒りを込めて、拳であごを殴り上げる。ひな菊の周囲にも男たちが倒れ重なった。

 海棠は声を立てて笑った。


「すばらしいお師匠様ですね。ぜひ今度紹介してください」

「人じゃなくて天狗だけど」

「……それは、なおのことお会いしたいものですね。多分気が合いそうです。……でも」


 優しい目がひな菊を見る。


「あなたはそれでいいですよ。そのままで、いてください」


 おもいがけない反応に、ひな菊は虚を突かれて隙を作る。そこにまた新手が襲いかかったが、高い音とともに刃は打ち返された。


「――貴様、大井っ!?」


 見知らぬ侍が兇手との間に割りこんでいた。


「疋田、貴様らの謀叛、この目でしかと見たぞ」


 まだ若い顔だ。見知らぬでもないか。どこかで会ったような。

 と、さらに別方向から助っ人が現れた。包囲網が崩れ、侍たちを蹴散らすようにやってくるのは、


「よう」


 そっけない挨拶と不敵な笑み。与五郎よごろうだ。

 あの禿頭に髭面の男も一緒だった。


「海棠」

「いくらなんでもこの人数を二人だけでというのはね。ま、姫には無用だったかもしれませんが」

「……いいえ」


 ひな菊は微笑んだ。与五郎たちに向かって頭を下げた。


「ありがとう」

「おうよ」


 彼らが刀を構える。さきほどの侍はすでに眼前の敵と斬り結んでいる。


「殺すな! 生け捕りにせよ!」

「――はっ」

「無茶言うぜ」

「姫のご命令です。従ってくださいね」


 苦笑する与五郎に海棠が笑いかける。ちっと与五郎は舌を鳴らした。


「酒一斗追加だ」

「いやですねえ、呑んべえは」

「人のことが言えるかよ!」


 刀の(むね)が返された。口ほどにも難儀そうな顔はせず、与五郎たちはむしろ楽しげに飛び出していく。

 二人きりの防戦だったのが、強力な援護を得てたちまち反撃に移った。もう妖を呼ぶ必要もない。みるみる敵の数が減っていく。

 死に物狂いで斬りかかろうとした男の頭に、雪つぶてがぶつけられた。三平が尻を叩いてはやしたてた。


「へっへーいっ、ザマみろってんだコノヤロ。どっからでもかかってきやがれ! 二本差しが怖くてメザシが食えるかよーだっ」

「おのれぃ!」

「うひゃあっ」


 本当にかかってこられ、情けない悲鳴を上げてすっ転ぶ。怒り狂った男の横っ面が下駄で殴りつけられた。


「このばかっ、調子に乗ってんじゃないよっ」

「すんませぇんっ」


 お蝶が三平の襟首を引っつかむ。二人の前に与五郎が立って、やれやれと呆れながら敵を打ち据えた。


 ひな菊のそばには、常に海棠の姿があった。背後を守られ、力押しで負けそうになれば手助けが入り、ぬかるみに足を取られれば体勢を立て直すより早く抱きとめられる。

 これほど安心できる戦いははじめてだった。助けられたことでさらに化け物とおそれられ、ののしられるわけでもない。妖ではなく人間ひとがともに戦いかばってくれる。経験のない不思議な心地が、ひどくあたたかかった。

 仲間というものを、はじめて実感したかもしれない。人も心強いものだとひな菊は知った。


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