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晴れて候  作者: 桃 春花
13/17

 《二》




 華南津かなつ北西にある千静寺せんじょうじは、十年も前に住職が亡くなって以来無人の廃寺である。

 市街区から抜けて、辺りは田畑の広がる農村区だ。近くに民家はなく、廃屋となった寺には時たま肝試しの子供が訪れる以外、人が近づくこともない。

 普通の姫君なら、こんな寺の存在自体知らないだろう。幼い頃から華南津中を遊び回っていたひな菊には地図も案内もいらなかったが、そこまで読んでこの場所を指定したのだとすれば敵もけっこう知恵が回るものだ。

 ひな菊は一人、寺の門をくぐった。


 夜半に入ってみぞれは本格的な雪となり、尽きることなく降り続いていた。髪や肩に白いものが引っかかっては溶けて冷たい水滴となる。夏には背よりも高く生い茂っていた草が、枯れてはかなく倒れた上に、雪の覆いが積もり始めていた。

 本堂の手前でひな菊は足を止めた。無人のはずの夜闇の中、大勢の気配がうごめいている。隠れてこちらのようすをうかがっている曲者たちに、ひな菊は声を張り上げることもなく普通の口調で語りかけた。


「いかにもな所に呼び出してくれたわね。さあ、せっかく雪の中来てやったんだから、さっさと出迎えてちょうだい。いつまでも突っ立ってると寒いのよ」


 澄んだ声は夜のしじまによく響く。やがて、一つ、二つ、と周囲に灯りがともった。灯りはどんどん増えていき、荒れた庭が明々と照らし出された。


「よくぞ参られた」


 龕灯(がんどう)松明(たいまつ)を手にした男たちが周囲を囲んでいる。ざっと見回して五十人ばかりだろうか。ひな菊一人にたいそうな出迎えだ。

 正面に立つ男には見覚えがあった。たしか本丸の番士だ。名前までは知らないが、何度か見かけていた。


「大勢でご苦労さま」


 ひな菊は小さく息をついた。白く曇った吐息が、すぐに流れて消える。


「大歓迎ね」

「多少は手勢を引き連れて来られるかと思うて用意していたのだが、よもや馬鹿正直に一人で来られるとはな。いささか拍子抜けといったところか」


 男は鼻で笑う。それはどうかしらと、ひな菊は声には出さずつぶやいた。


「そちらが一人で来いと言ったんでしょう。で、七枝ななえは?」

「中に」

「無事なんでしょうね?」

「無論。あなた様のお命と引き換えに、解放するとお約束いたしましょう」

「それは、それは……」


 そらぞらしい言葉にひな菊は笑った。そんなことがあるものか。首尾よくひな菊を仕留めたとして、生き証人を残すような愚かな真似を誰がするというのか。


「うれしい言葉だけれど、もうひとつたしかめさせてほしいことがあるわ」

「なんですかな」


 二重三重の包囲の中、圧倒的優位を信じて疑わないのだろう。性急に斬り付けてこようともせず眼前の男は鷹揚にひな菊の問いを許した。


「そなたが黒幕というわけではないのでしょう。せっかく出向いたのだから本人と対面したいわ。そこにいる者、出てきなさい」


 男の背後、閉ざされた本堂の戸に向かって声をかける。まだ目の前に現れない敵意の主を、ひな菊はしっかり感じ取っていた。


 一介の番士ふぜいが姫君暗殺などという大事を企てるはずもない。そんなことをしてなんの益があるというのか。よほどのうらみを個人的に抱いているというなら別だが、そこまでの覚えはひな菊にもない。そして、この人数だ。どう考えても背後に別の者が存在する。おおかた出世か金品でも条件に協力を求められたのだろう。

 そんな条件を提示してひな菊の暗殺を指示する者といったら、誰か。

 さすがにそれはわからない。幾人かの名前が脳裏に浮かんだが、誰であってもおかしくないとも言えるし、誰であっても少々強引にすぎるような。


 ひな菊は男を無視して本堂の戸を見つめた。つかの間の沈黙のあと、戸は内側から開かれた。

 現れた姿は、ひな菊が考えた誰のものとも違った。一瞬言葉を失い、ひな菊はその人を見つめる。だが、すぐに納得はした。


「……それほど、あやかしの子は認められない?」


 苦笑が止められない。出てきたのは、本丸大奥総取締の田島だった。


 奥女中の筆頭たる女は、夜目にも絢爛豪華な着物をまとい、高々と結い上げた髪には片手で足りない数の(かんざし)(こうがい)を飾っていた。すそを上げていなければ大奥にいるのとなんら変わりない姿だ。

 夜陰にまぎれての襲撃現場には、あまりにふさわしからぬ、場違いな装いだった。けれどきっと、彼女はなんの問題も感じてはいないだろう。大奥の女にとって美しく装うことは、(いくさ)にのぞむ武装なのだから。


「まさか、そなたが出てくるとはね。てっきり世継ぎ問題かなにかだと思っていたのに」


 単に協力者がいるだけでなく、張本人も奥の人間だったのか。嫌われているのは知っていたが、殺さねば気がすまないほどだったのか。

 自嘲する思いのひな菊を、田島は冷やかな目で見下ろした。


「間違うてはおられませぬ。あなた様を廃し、しかるべき筋からご養子を迎えて正しきお世継ぎを立てることが、わたくしの望みにございます」

「妖の子などではなく、まっとうな人の子をというわけね」

「……そのようなこと」


 田島の顔に嘲笑が浮かんだ。


「たしかにいかがわしき話にはございますが、それが理由ではございませぬ」

「じゃあ、一体なにが理由だってのよ。他にそなたから命を狙われる理由なんて知らないわよ」

「ご存じないとおっしゃるか」


 田島の目にねっとりとした悪意がよどんでいる。殺気を向けてくる周囲の男たちよりも、はるかに強く、深く、ひな菊の存在を憎んでいる。

 なぜそれほどに、といぶかしむひな菊に、彼女は呪詛を唱えるような声で言った。


「お気づきではないと? ご自分が存在している、その一事ゆえに、女たちが絶望に叩き落とされているということに」

「それは……」


 田島は庭に下りてこない。あくまでも上から見下ろしながら、悪意を降らせてくる。


「大奥がなんのために存在するのか、お考えにはなりませぬか。大樹公の子を成すことが、御台所(みだいどころ)様をはじめとする大奥の女たちの役目、存在意義にございます。そのためだけに作られた場所であり、そのためだけに集められた女たちにございます。ゆえに、大樹公は、(おのこ)でなければならぬのです」


 ひな菊は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。意識しないと呼吸を忘れてしまいそうだった。


「先例のあることとは申せ、女大樹公はあくまでも仮の措置にすぎませんでした。世継ぎとなるべき男子があまりに幼少ゆえ、一時的な中継ぎとして姫君が擁立されたにすぎませぬ。十四年前も皆そのつもりでおりました。恵泉院けいせんいん様のご子息、鶴千代君がご成長あそばすまでと、そう思うておりましたのに……」


 細く白い指が、きつく袖をつかむ。


「あの女狐が! 人面獣心の魔性が、おのが手につかんだ権力を放すまいと、鶴千代君を暗殺して――」

「病だったと聞いているわ」

「いいえ! 鶴千代君は殺されたのです。あなたの母親に!」


 抑えきれない感情を吐き出して、田島は甲高く怒鳴る。ひな菊はまた息を吐いた。

 それは違う。亡き叔父、鶴千代君の死因は麻疹だったと確認されている。

 たしかにあの母ならば陰謀の一つや二つ、軽く企てるだろう。そこは認めるが、そのために幼い弟の命を奪うなどしないはずだ。彼女は無慈悲でも非道でもない。陰謀をめぐらせるにしても、もっと穏便な方法を選ぶはずだ。だからこそ反発をしりぞけ、味方してくれる家臣を増やしてこられた。

 鶴千代君は、本当に病死だったのだ。けれど田島はそれを認められず、母のしわざと考えずにはいられないようだ。


女子(おなご)が大樹公になどなって、なんの意味がありましょう。女の勤めは子を産み育てることにございます。大樹公は殿方であり、女は奥に。それが正しき形ではありますまいか。なればこそ、奥の女たちもお役目に励む甲斐があるというもの。それを、あの方は己が欲望のためにすべて踏みにじり、あまつさえ跡継ぎまでも女子にするとは――あまりの暴挙ではありませぬか。これで向こう数十年は、大奥の女たちからご側室が選ばれることがなくなるのです。そのようなこと、誰が認められましょうか!」

「……わかったわ」


 今度はいささか荒っぽく、ひな菊はため息をついた。これ以上聞く必要はなかった。

 彼女は彼女なりの正義感で動いているのだろう。大樹公の寵愛を得て出世するという、女たちの希望のため――ひいては己が権勢の維持のため、ひな菊を排除しようとしている。それも欲望ではないのかと、そう問うてもむだだろう。彼女にとっては当たり前の常識であり、正義なのだ。

 田島の背後に、無数の女たちの姿が見えるような気がした。

 女の敵は女と、よくも言ったものだ。本来同感し合えるはずの同性にこうも拒絶されては、いろいろ言いたいことはあっても、なにか負けてしまいそうだった。

 落ち込みそうな内心を隠して、ひな菊はわざと不敵に笑ってみせた。


「なるほど、そなたとあたしたちとは、どうにも相容れない関係であるわけね。わかりあうことができぬというならば、戦うのもやむを得ないでしょう。妖姫と呼ばれるこのあたしに、勝負を挑んできたその度胸は誉めてやるわ」

「ほ……そちらこそ、いかほど腕に覚えがおありか存じませぬが、たったお一人でいかにして戦われるおつもりか。この人数に勝てると思い上がっておいでか」

「誰が一人と言った?」


 ひな菊はすいと右手を上げた。反応して、周囲の男たちがいっせいに身構える。かまわずひな菊は呼びかけた。


「来やれ――大蛇(おろち)


 夜の闇がゆらめく。

 大地を割り、雪をはねのけて、百尺はあろうかという巨大な蛇の妖が、ひな菊の背後に鎌首をもたげた。


「うぉっ!?」


 周囲を取り巻いていた男たちが仰天して飛びずさる。さらにひな菊は妖を呼び出した。


土蜘蛛(つちぐも)猩猩(しょうじょう)


 無数の眼を持つ大蜘蛛が、燃えるように(あか)い大猿が、ひな菊を守るように左右に立つ。

 言葉を失い顔を引きつらせる田島に、ひな菊はにやりと笑ってみせた。


「さあ、どうする? あきらめておとなしくこの場を立ち去るなら、見逃してやってもよいが?」


 ゆっくりと男たちを見回す。おそろしげな妖たちの姿に、皆腰が引けたようすで遠巻きにしていた。とっさに刀に手をかけた者も抜ききれずに固まっている。

 これで、逃げてくれればよし。

 そうは思ったが、さすがに田島は肝が据わっていた。


「まこと、化け物の娘か……ええい、怯むでない! 妖といえど首を落とせば死ぬるわ! なにを恐れるか、まとめて斬って捨てよ!」


 (げき)を飛ばす声が闇と雪とを打ちつける。

 われを取り戻した男たちが、次々に刀を抜いて構えた。暗殺に加担するような連中とはいえ、さすが武士のはしくれと言うべきか。いちど開き直れば妖の姿におびえ逃げまどうことはなかった。

 何十本もの兇刃が雪を溶かせ、灯りを映して光る。もう、こうなってはしかたがない。


「――お行き」


 ひな菊は手をふり下ろし、妖たちをうながした。


 雪を蹴散らして四方から男たちが襲いかかる。柱ほどにも太く長い土蜘蛛の脚に斬りかかる。硬い音がして刃がはじかれた。驚くところへ土蜘蛛が脚を持ち上げ、相手かまわず踏みつける。

 猩猩が跳ねた。襲いかかる刃をかわして、長い腕で人間どもをなぎ払う。鋭い爪がふり下ろされた刃をがっちりと受け止めた。かと見た次の瞬間、怪力で持ち主ごと投げ飛ばす。

 突き込んできた刃をよけて、ひな菊は横へ跳んだ。その足元に大蛇が首を滑り込ませる。ひな菊を高々と頭に乗せて、長い尾で一度に十人余りをふっ飛ばした。


 数だけならば多勢に無勢。だが明らかに優位なのはひな菊側だ。妖たちの強さに人間たちは手も足も出せずにいる。

 田島は歯ぎしりした。なんということだ。これほどの手勢を集めておきながら娘一人を仕留められぬなど――そんなことが、あってたまるものか。

 彼女は本堂をふり返り、中にいた者に合図した。


「そこまでぞ! これを見やれ!」


 昂然と大蛇の頭上に立つひな菊に呼びかける。田島の背後、開かれた戸の陰から、突き飛ばされるようにして七枝の姿が現れた。

 縄で縛られてはいるが、怪我をしたようすもなくちゃんと自分の足で立っている。着物に乱れたところもない。ひな菊はひとまず安堵した。

 ――ここまでは、予定どおりだ。

 ひな菊はひそかに、別の妖を呼ぼうと口を開きかけた。敵が七枝を害するより早く助けることは可能だ。


 その、はずだった。


 けれど七枝に続き、彼女を取り押さえている者が姿を現した時、ひな菊の声も身体も凍りついた。


「お見事です。さすがのご活躍で」


 目の前の状況をまるで見せ物のように笑ってながめ、やわらかく言ったのは。


「でも、人質のことを忘れないでくださいね」

「……海棠かいどう……」


 ひな菊の守役であるはずの青年が、そこに立っていた。


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