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高橋の話

作者: 桜ノ夜月

 

 夏の匂いが残っていた。


 日だまりの匂いと、青臭くて優しい葉の香り。それは微かな香りのはずなのに、一度意識をしてしまえば、たちまち絡み付くように思考を溶かしていく。

 夏期休業中の学校に漂う、あの何処か気の抜けた感覚が味わいたくて、夏休みの間、ずっと学校の図書館へと通い詰めようとしていた僕に、「変わった奴だな」と友人達は笑った。プールに夏祭り、家族旅行に花火に海。彼らから聞く夏の予定は華やかで、けれど少しだけ、その華やかさが怖かった。

 休みでも学校へ行こうとする僕を憐れに思ったのか、彼らに夏休みの間、花火と祭りの約束を取り付られる。それは、まるで開けたばかりの炭酸飲料のように、びりびりとして、新鮮な感覚だった。

 そんな僕達を、後ろの席からじっと見つめていた視線を思い出す。ふと後ろを向けばかちり、と視線が絡み、彼女は興味の無さそうにふいと視線を窓の外へ向けた。

 なんだあれ、と隣で誰かが小声で呟く。どうでも良いよと、また誰かが呟いて、話題をそらす。

 僕は、彼らの話に相槌を打ちながら、先程の彼女の目を思い出す。誰かに見付けて貰いたくて、それでも、その誰かを拒絶するような、相反するような目をしていた。

 聞いてる、と友人に声を掛けられ、ごめんと返事をして思考を彼女から切り替えようと、もう既にまっすぐに揃えた教科書を再びとんとんと机の上で整えた。教科書に目線を落としてから、再び、高橋の方へと目線を向ける。彼女は相変わらず、何を考えているのかわからない表情で、小さく小声で何かを呟きながら、ノートを取り出して何かを書き付ける。

 うわ、と小声で誰かが呟く。それは感嘆ではなく、気持ちが悪いと、嘲笑する声だ。彼や彼女らにとって、高橋はまるでにきびのような、不愉快な存在なのだろう。

 けれど、僕は────彼女がノートに走らせるシャープペンシルの音が、彼女の独特な世界観が、何よりも言葉を綴る瞬間の、彼女の優しい眼差しが、心地良かった。



 (たか)(はし)(ゆき)。僕は彼女に出逢ってから、彼女に救われ、そして、惹かれ続けている。



 カラカラと図書館の引き戸を静かに開ける。ふと目があって軽く頭を下げれば、まだ若い男性教諭は、ひらひらとこちらに手を振って、笑った。


「こんにちは。夏休みなのに偉いね」「先生こそ」


 仕事だからね、と彼は二重の目を細めて笑う。柔らかな声で授業を行う彼は、生徒からも信頼が厚い。

 図書館の中は空調が効いていて、ぶうん、とエアコンが低く唸り声を上げていた。


「今日図書館に来たのは、君と高橋さんくらいだよ」


 世間話のように出された名前に、ぴくりと肩を動かす。けれども、動揺を呑み込んで、「そうですか」と答える。

 僕は貸し出しカードが置かれたクラスから、そっと自分のカードを引き抜く。ちらりと見た高橋の貸し出しカードは、相変わらず真っ白だった。


「彼女、借りる前にここで全部読んじゃうんだ。帰ってゆっくり読んだらって言うんだけど、ここが一番落ち着くから、って」


 彼は楽しそうに、高橋の話をする。彼から聞く知らない高橋の話が、僕は好きで、けれども同じくらい、苦しかった。

 閉館時間までゆっくりして良いよと言う彼の言葉に甘え、数冊の本を引き抜いて窓際の端に座る。

 鞄を床において椅子へ腰掛ければ、足元からトン、と言う音がした。不審に思って、本を机の上に置いて、下を覗き込む。


「────あ」


 机の下から見付けたノートに思わず声をあげる。コンビニによく売っているような大学ノートは、彼女が何かを書き付けているノートだ。

 彼女のノートだ、と意識した瞬間、あの柔らかな眼差しと、相反するような、無関心な表情を思い出す。

 その瞬間、無意識に右手がノートのページを(めく)っていた。あの眼差しに綴られた言葉を、読んでみたかった。

 ぱらぱらとノートを捲れば、どうやらそれは、高橋の中にある言葉を綴ったノートのようだった。小説と言うにはあまりにも短く、かと言って詩と言うほどには整っていない、散らかった言葉。

 僕はそれを、ゆっくりと呑み込むように目で追っていく。彼女の言葉の中に沈んでいく感覚は、何処か満たされるような感覚を抱かせた。

 その中に書かれた、高橋のある詩に目を止める。


 ────閃光が、頭の中で瞬く。気付いた瞬間から終わっているなんて、まるで、まるで、まるで、


 その言葉は、他の言葉とは違い、未完の言葉だった。それは僕に、言葉と言うよりも、感情の羅列のような印象を抱かせた。

 まるで、まるで、まるで、と、声に出さずに呟く。まるで、まるで、まるで、まるで────



「────まるで、淡い淡い夢のようだ」



 頭の上で聞こえた、澄んだ声に思わず振り返れば、その声の主────高橋が立っていた。


「悪趣味だね」


 相変わらず無表情に呟いて、彼女は僕の手からするりとノートを取り上げる。

 慌てて謝ろうと言葉を言い掛けた瞬間、男性教諭────永瀬先生が「高橋さん」と言った声に掻き消される。

 すると、彼女は先程よりも柔らかく笑い、「先生」と答える。先程とは打って変わったその声色に、少しの苛立ちが募る。


「どう、最近は」「お陰様で、少しずつクラスに馴染めています」


 嘘つけ、と白い目で彼女を見れば、彼女はまるで僕なんて初めから居なかったかのように振る舞う。その頬が、ほんのりと上気していることに気付いたのは、きっと僕だけだ。


「そう、良かった。また何かあればいつでもおいで」


 ありがとうございます、と答えた彼女に、緩やかに先生が笑う。それは、柔らかなようでいて、どこか他者が入り込めない雰囲気を纏っていた。

 ふと、閉館時間を知らせる鐘が館内に響く。閉館時間だ、と先生が呟いて、僕らの方を向いて、


「さ、もう下校時間だよ。気を付けて帰りなさい」


 その言葉に、僕と彼女はそれぞれバラバラに返事をし、僕は椅子から立ち上がり、高橋はスクールバッグを肩に掛け直した。


「…………あの、何か私にお手伝い出来ることはありますか」


 おずおずと高橋が切り出した言葉に、先生はゆるゆると首を振って


「いや、大丈夫だよ。残りは先生一人で片付けられるから、高橋さん達は気を付けて帰りなさい」


 その言葉に、高橋が目を伏せて頷く。すると、先生は、「でも、気遣ってくれてありがとう」と笑った。その瞬間、高橋はふわりと破顔する。


僕は、生まれた行き場のない苛立ちを抱えながら、二人をただ静かに眺めていた。


 二人揃って館内を出れば、高橋は僕に向き直って、


「貴方って、他人のノートとか勝手に見る人だったの」


 もっと誠実だと思ってた、と言う言葉に、自分を知っていたのだ、と言うことに、ほんの少し驚きつつも、僕も言葉を返す。


「…………君も、先生に恋をする普通の女の子だったなんて知らなかったよ」


 うわべだけ見て理解した気になって、勝手に僕を決めつけないでくれ、と言えば、高橋は驚いたようにこちらを見る。


「なんで、」「わかるよ」


 君はわかりやすい、と言えば、高橋は少しだけ傷付いたように瞳を揺らす。

 僕はそんな彼女を見て、一瞬、少しだけ自分が優位に立ったような、浅はかな優越感に浸る。そうしてすぐに、そんな自分に嫌気が差して、「ごめん」と言えば、高橋は左右に首を振った。

 僕と高橋の間を、夏特有の絡み付くような風が通り抜ける。それは不快感だけを残して、何処かへと消えていく。



「………………君の言葉が好きです、って、言ってくれたの」



 少しして、ぽつりと高橋が言葉を押し出す。思わずそちらを見れば、彼女は泣き出しそうな顔をして言葉を綴った。


「初めてなの。認められたのも、褒められたのも。だから好きなの」


 子供のように呟く高橋に、じくじくと身体の中の何処かが悲鳴を上げる。それはどうしようもなく、痛くて、苦い。

 僕は、高橋に向き直って、


「君のそれは、恋愛じゃないよ。ただ、自分が認められた人に対して、依存しているだけだ」


 高橋はぴたりと動きを止め、まっすぐにこちらを見る。


「貴方に何がわかるの」


 高橋は小さく肩を震わせて、言葉を吐き出す。


「わかるよ」「だから、何が」


 僕は高橋を見て、呟く。嗚呼、どうしてこんなにも、彼女が気になるんだろう。どうしてこんなにも、彼女の一挙一動が気になるんだろう。どうして、彼女の熱を帯びた視線の先に、こんなにも苛立ちが募るんだろう。考えても考えてもわからないのに、言葉だけは勝手に口から飛び出そうとするのはどうしてだろうか。



「文化祭の時に書いた、君の詩を覚えてる?」



 すると、彼女は怪訝そうに頷く。僕は、彼女の目を見て、彼女の言葉を暗唱する。


「息をすることが苦しいときに、息をしているのは自分だけじゃないことに救われる。そんな詩を、君は書いていた」


 僕は目を閉じて、彼女の言葉を(そらん)じる。彼女は一瞬だけ、動揺したように瞳を揺らして、それでも動揺を飲み込んだ。


「僕は、あの詩に救われたんだ。そして、あの詩を書いた、「高橋 幸」に惹かれていた」


 そう呟けば、高橋は聞きたくない、と言うように耳を塞ぐ。その手を取って、聞いてくれ、と頼む。


「聞いてくれ。どうか、君の世界が「先生」だけじゃないことを、知って欲しい」


 彼女は泣き出しそうな顔で、「嫌だ」と呟く。今まで知らない振りをしていた癖に、と、呪詛を吐くように呟く。


「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!君は、友人がいるくせに!理解者がいるくせに!これ以上私の居場所を奪わないで!」


 私には先生しか居ないの、と彼女は呟く。違う、と口を開こうとした瞬間、



「…………僕は、君の理解者にしかなれないよ」



 ふと、先生の声が聞こえた。その声に、「先生」と彼女が笑う。

どうして、と彼女が呟けば、先生は「生徒の見送りをする義務があるからね」と呟く。今日の立ち番は、どうやら先生だったらしい。

 先生は、何処か悲しそうな顔で、「ごめんね」と呟く。

 唐突に紡がれた謝罪の言葉に、高橋が驚いたように目を見開く。

 先生は目を伏せて、再び言葉を紡ぐ。


「僕は、君の繊細な感性も、よく気がついて、素直なところも、とても可愛いと思う。でもきっと、僕も本当の意味では、君の理解者にはなれないよ」


 高橋はショックを受けたように、その場に固まる。先生は、まるで自分も傷付いているような顔をしていた。

 高橋は微かに頭を振って、その場から立ち去る。僕は、思わず先生に向かって追ってください、と言えば、それは出来ないと先生は返す。

 どうして、と呟けば、先生は「大人だから」と呟いて、自嘲した。彼女の未来を、僕が(せば)めることは出来ない、と呟いた言葉に、息が詰まりそうなほどの、苦しさを覚えた。


「好き、ですか」


 思わず問い掛けた言葉に、先生は「そんなに優しいものじゃないよ」と呟いて、ゆっくりと僕を置いて歩き出す。

その先生の表情から、本当は彼も、彼女の事を好いていたのではないかと思う。彼は彼女を好いていたのに、あえて全てを間違いだったと否定することで、彼女の目を、他者に向けさせようとしたのだ。


────それは、彼から彼女へ宛てた、愛だったのだ。


 僕は、その場に蹲って、誰にも聞こえないように、彼女への想いを呟く。愛情すら伝えられない僕は、最初から彼女の世界には存在しなかったのだ。

 逃げ出したくなるような青空が、気持ちも伝えられない弱い僕を見詰めていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 淡々とした文体だけどもの寂しいような雰囲気、凄く好きです(小並感) 好きな人に自分の方を向いてもらうために好きな人の何かを否定するっていう、矛盾(?)がいい味出してると思います。 好きって…
[良い点] 正直に申し上げて、桜ノさまの書く物語群では、とても読み易くとっつき易いお話でした。 [気になる点] ラスト、なんで主人公は高橋さんを追わなかったのか? 惹かれていたという割には、熱が足りて…
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