天高く、馬肥ゆる秋。
涼しさのしみわたる青い空。本日は、まさしく運動会日和だ。
競技施設を貸切っておこなわれるのは、二チームによる紅白戦。
けれども、ただの運動会ではない。地球の、というより人類の一世一代がかかっている。そう言っても過言ではない。
俺たち白組は五輪のもと、メダルを手にしたことがある選手たち。あるいは嘱望されている候補生たちがずらりと並んでいる。
スポーツエリートという冠詞がつくものの、一般人だ。
問題は、相手である紅組。
「おはよう、イツキ。今日はお手柔らかにね」
「お……おうっ」
カツンと土を打ち鳴らす音とは反対に、俺のこたえが尻すぼむ。俺の上背に匹敵する影があらわれたから。
ぬんっと出現した筋骨隆々の肉弾戦車は、女なんだ。ルルなんて名前はかわいいくせに、男子アスリートも裸足で逃げ出しかねないマッチョ体型。
ついでに言えば、どうして俺を気に入ったのか、絡んでくる唯一の、という形容詞つき。
「緊張してあまり眠れなかったの。イツキはどう?」
「まあ、ぼちぼちかな?」
至近距離に寄ったルルの顔から、思わず目をそらした。紅組の一角を担う女は、屈託のない笑みを浮かべている。繊細なフリルたっぷりのワンピースを好んで着ているんだ。今もそうだ。真紅のワンピース。胸の大半まで置き換わった筋肉がびっちり浮かび上がる、上半身がタイトなやつ。これから競技するのに、チェスでもあるまいし、この格好でいいのか? コイツ。当然、俺は白組単位で誂えた、白基調のユニフォーム上下を着ている。
「つかお前、眠れなかったとか言っておきながら、あまりそうは見えないが……」
長いまつげに縁取られた大きな目の下には、くま一つない。肌もきめ細かく、艷やかだった。とても寝不足のそれとは思えない。
ルルの顔のパーツは、女の子らしい。ぽってりとした唇のおちょぼ口とか。日に透けそうな手入れされた髪を、ふんわりと内側に巻いていることだって。そして運動前は案外いい匂いがする。
「やだぁ、イツキ! 今日も熱い視線をルルに送らないで♡」
だが、やはりノーセンキューだ! 空を切る音とともに発せられた野太い声が、まず減点対象! ばしっと叩かれた背中を走る激痛もなぁ……肉体はマッチョでもかろうじて許せるが、やはり声だけは妥協しない! 透明感のあるかわいいのがタイプなんた! しかも一人称の『ルル』が地味に堪える!
「送ってねーよ、バカ! おまえが俺の視線をばかでかい図体で遮っているだけだろう」
「んもぅ、照れなくていいんだよ♡ イ・ツ・キ」
「照れてねぇ! 呆れてるんだ!」
顔の位置は至近距離、決して屈んだり、ルルが背伸びしているわけでもない。俺が視線を下げずに会話できるようなタッパの主なんて、女ではルル以外知らない。
「ルル、集合がかかってるんだ。もう構う余裕はない」
「じゃあ、また、試合でね。お手柔らかに♡」
別れ際にウインクにハート乱舞のおまけつき。俺は灰になりそう。
ルル、顔だけはまあ女の子なんだよな。せめて、せめて声がもう少し女性的なら、笑顔五割増しくらいで見送れた……かもしれない。
これから、俺達は野球で紅組と競う。
運動会の種目に野球なんておかしいだろうと、白組に与する者たちの大半は考えた。実際にリーダー格はあちらにツッコんだ。
だが、紅組の連中がメジャーリーグの映像を見てぜひあれを! と強くおしてきたのだ。渇望されたらしかたがない。国際試合用のルールブックを互いに読破して、今日という日に挑んでいる。
日程が決まった段階で会場をおさえていたそうだ。競技内容は後から。ここは本来、野球をする施設ではないから、ベンチなんてない。だからこそ、ベンチは各組で持ち込むという話だったが……。
「あちらのベンチは透明なのか?」
「それにしては座っている連中は、みんな腰の位置がバラバラだが」
「ベンチに座っているフリでもしてるのか?」
おおらかな三塁側、白組の面々も、言葉にせざるをえなかったようだ。まさかの紅組ベンチの空気イス。ルルは立ったままだが、他の紅組連中の足はプルプル震えている。まるで、産まれたての草食動物だな。しかしまあ、あんなことする奴に実際にお目にかかるとは思わなかったぞ。ましてや集団だしな、おいっ!
これじゃあ、試合中にあいつらがばててしまわないかと不安になる。負けられない闘いだが、へばった相手を叩き潰して勝ちましただなんて、シラケるからな。
とはいえ、一塁側のベンチ事情はさておき、試合開始だ。両チーム、この日のために皆のスケジュールをおさえているから、延期は困難だからな。致し方ない。
セカンドの守備に就いた俺のもとに、さっそく勢い余ったボールが転がってきた。
それをグラブに収めた俺はさっと身を翻し、一塁ベース上の仲間に向けて投げ込んだ。スパンっと小気味よい音を立てて、ボールがファーストミットに収まる。その後に紅いランナーが一塁ベースを踏んだ。
一息おいて、審判がアウトを宣告する。
「ゴロ処理ナイス、イツキ!」
「朝飯前よっ!」
俺の本領は水泳だが、小学生の頃は少年リーグでレギュラーだったからな。さすがにプロには及ばないが、できなくはない。
次のバッターは三振に倒れた。
その次となると……ひらひらのワンピースゆえに遠目でもそれと分かる、ルルだ。
何のビデオを見たのやら、ピッチャーに向けてバットを持った手を、まっすぐに突き出した。ホームラン宣言か?
ルルの挙動に燃えたのか、白組ピッチャーの足が一層高く上がる。メジャーリーガー顔負けの豪速球なのだか、ルルは巧みにバットに当てる。
低い弾道の白球が内野の頭上を超えた。バレーボール選手であるショートがジャンプして駄目なら、外野に託すしかない。
ルルは俺のそばをカツカツと音を立てながら駆け抜け、二塁を陥れ……三塁に行くのか?
やめておけ、お前には向かない!
案の定だった。減速を知らないルルは三塁ベース上でうまく止まれず、オーバーラン。アウトをとられた。センターの肩、強えわ。
悔しいと地団駄を踏むルル。頼む。グラウンドコンディションが乱れるから、程々にしてくれ。本当に。
一回裏、白組の攻撃。彼らのフォーメーションに度肝を抜かれた。
ルルがショートの守備につくだと? 無謀だろう! 守備力が特に求められるポジションなんだ。
ただのマッチョならまあ、技能でカバーできるだろう。だが、ルルはダメだ。
先頭打者がボールを打つ。そして、ルルの方に転がる。
まあ、下手なやつでなければ、ショートゴロで一アウトコースだ。
だか、ボールはルルの『四肢』の間を抜けた。トンネルだ。
地面に付かないグローブが、すかっと空を切る。
ルルの下半身は馬なんだ。いわゆるケンタウロス。ゴロ捕球の際にかがむことができないだろう、あの脚じゃ!
それに、さっきのベースランニングもだ。一塁からは歩いて二塁に向かえば、ツーベースヒットになったんだ。オーバーランが認められる一塁とホーム以外は、むしろ歩くくらいの方がいい。
ルルをはじめとする紅組連中は、皆ヒトでない。いわゆる、神話や物語に登場する架空の存在だと『思われてきた』異形の連合。そんな彼らと俺たちが、スポーツで競うようになったのは、近代オリンピックの仕組みが整った時期に遡るという。
──軋轢を爽やかな汗で解消しましょう──
結局オリンピックと目的は大差ない。国家間から更に規模が広がっただけ。
彼らの存在を知らせて一般市民の安寧を脅かしてはならない。国家首脳たちの思惑が一致した結果、口の堅いアスリートたちが各国から選ばれ、秘密裏に大会が繰り広げられるようになった。
俺がこの存在を知らされたのは二年前、前回大会の直前だった。
そのときの種目は縄跳び。大縄跳びや一人用と複数の種目で争われたが、やけに地味な絵面だったっけ。
当然、ルルとはそのときに知り合った。大縄跳びをあの脚で華麗にこなす彼女に感心していたんだよな。そしてガン見しすぎたらしい。結果、向こうからやけに興味を持たれるようになった。
思い出はさておき、気づけば白組は五点をもぎ取っていた。そしていまだに一アウト満塁。
ショートに転がしさえすれば、ルルが自滅してしまうからな。それに気づいた紅組が、守備変更してきた。打者一巡する頃合で、遅すぎる感はあるけど、動かないよりまし、だよな。
ルルはピッチャーの守備についた。まあ、ピッチャーゴロを頻発しなければ、ショートよりは……。
「デッドボール」
二球目を放った直後、打者が蹲った。ワンピースの裾は不安げに揺れる。
あー、ノーバウンドで打者のふくらはぎにボールをぶつけたか。
満塁だったから、押し出しで白組に追加点。六点目が入る。
ルルのボールの球速は実に素晴らしいものだった。スピードガンで、人類が到達出来ていない数字が連続で叩きだされている。
だけど、コントロールのなさが致命的だった。
四球はまだいいとして、二度目の死球を出しで八点目が入ったときは、一触即発の空気が漂った。
さすがの紅組も空気を読んでくれて、選手交代。ルルはマウンドから降りた。とはいえベンチには戻らず、三塁そばで守備に着いている。紅組ショートの守備範囲が広いから、とっさにかがめないルルでも、あの守備位置なら務まるだろう。
新手のピッチャーがマウンドに立ち、帽子を外した。現れたのはやけにうねる髪。まるで生きているように思える。
「あの選手の髪、蠢いていないか。ありゃ、まるてヘビ……って、まさかっ!?」
その、まさかだろう。マウンドにメドゥーサ降臨。目が合うと石にさせられてしまうピッチャー。こんな隠し玉は反則だ。でも、野球のルールとしては一応問題ないのが恐ろしい。
「あれ、多分、バッターボックスに立って迂闊に見るとやばいやつ、だよな?」
「俺らの姿を模した石像を建てられるならともかく、自ら石像そのものにはなりたかないな」
「当たり前だ!」
白組一同は頷きあう。幸いこちらが八点リードしてるのだ。それなら手は一つ。ここから先、攻撃時は目を瞑ってバッターボックスに入り、三球三振。そして相手に点を与えなければ、逃げ切れる。
アウトを一つとられたところで、俺に打順が回ってきた。
目を閉じて適当にバットを振ったら、ボールが当たった感触。チームメイトの様子を見る限り、これは長打になったようだ。走らなければ。
一塁、二塁を陥れたところで、余裕がありそうだったから三塁に向かう。
やけに俺の方に伸びてくる影が……ルルがベースカバーに入っている。
彼女のわきをすりぬけて滑り込もうとしたところで、隣の巨躯が傾いだ。タッチプレイを試みたルルがバランスを崩したのだと気づいたのは、肉弾戦車から全身にプレスを受けたあとだった。
しんどい。痛い。苦しい。
回復の見込みがある分、石像にされるよりはましなのだが。
「イツキ!」
「ルル、お前、おもすぎ……」
酸欠だろうか。気が遠くなってきた瞬間に飛び込んできたルルの声。喜びの色が含まれているのは、錯覚だと思いたい。
天高く、馬肥ゆる秋。ルルの巨躯が割増になるこの時期にだなんて、なおさら、ついてない。