なにゆえに?
そもそも「面倒くさいから」という理由で「片付けない道」を歩んできたというのに、ここまで面倒なことになってしまったのでは、全く意味がないどころか、はっきり言って、逆に損である。
このままの状態を続けて、延々とムダな労力を使い続けるよりも、一発、ガッツリ片付けて、片付いた状態をキープするほうが、明らかに楽であろう。
よし、片付けるしかない。
片付けよう!
しかし、ひとたびカオスに堕ちた空間を、秩序あるものとして立て直すのは、非常に大変な作業である。
ここで「ハァ? 何言ってんの、そんなもん簡単じゃんよ」という者は、もともと「片付ける」側に属する人間であり、カオス空間を作り出すことは最初から無いであろう。
まあそれはそれとして、ともかく、この私が――自他ともに認める「片付けない女」であったこの私が――この部屋を片付けるしかないわけだ。
さて。
問題は、どうしたいのか、ということだ。
何から手をつけるのか、は、今、さほど重要ではない。
『この部屋を、最終的にどういう空間にしたいのか』
このゴール地点が、明確なビジョンとして見えていなければ、小手先の整理整頓に留まり、そのうちに自分が飽きてきて、作業そのものを放り出してしまうおそれがある。
私は考えた。
ゴールを考えるには、まず、スタートから。
この部屋が本格的に荒れ始めたのは、いつからだったのであろうか。
「大学生になってから、か……」
では、なぜ、大学生になってから、極端に部屋が汚くなったのか。
私は文科系の学生であったが、別に、勉学のための物品が急激に増えたということはない。
「まあ、本とかマンガは増えたよな……」
しかし、これはあまり関係なさそうである。
本やマンガ類は、別室の壁の一辺をすべて制覇し、「万里の長城」のごとく平積みになっているからだ。(←それはそれで問題だ)
この部屋をカオス空間としている主な原因は、大量の「衣服」、そして無数の「紙袋」――
「そうか……服が増えたからか!」
小・中・高は、制服通学。
しかも、さほど頻繁に外出するたちではなかった私は、私服をそれほど必要としなかった。
しかし大学は、毎日、私服通学。
外に遊びに出る機会も増えた。
そのため、衣類の数が飛躍的に増大していたのである。
ハコ(呪われた合板たんす)は変わらず、中身は倍増(いや、倍以上か)。
これを「収納しよう」などと考えること自体、そもそも、無謀なことだったのである。
さらに。
「何じゃ……この袋は……」
入れた本人(私)にすら中身の判然としない、大量の紙袋。
安定が悪く、積み重ねることができないため、ひたすら2次元的に増殖し、床面積の実に7割近くを埋め尽くしている。
考えてみると、この紙袋は、高校時代からあった。(←あったんかい)
しかし、どうも、昔は、この部屋はこんなに汚くなかったような気がするのである。
床はすっきり見えていたし、週に2度は――この数字が多いか少ないかは、各自の判断にお任せする――掃除機もかけた。
机の上も、どうにか片付いていて、たまには拭き掃除もして――
「あ!」
私は、バシンと手を打った。
これほど片付けが嫌いな私が、なぜ、週に2度も掃除機をかけていたのか、その理由を思い出したのだ。
――それは、週に2度、家庭教師の先生に来てもらっていたからだ。
私は現代文・古文・漢文は常に学年首位を争う成績、そして数学は全て学年最下位を争う成績という、極端な生徒だった。
あまりにもヤバすぎる私の数学の成績を見かね、大学受験に向けて、家庭教師の先生がつけられたのである。
今となってはたいへん贅沢な話であったと思うが、まあそれはそれとして、要するに、週に2度、他人がこの部屋に入っていたわけだ。
つまり、嫌でも、一時的にでも、きれいにしておく必要性があったのである。
なぜ、荷物が紙袋に入っているのかも、これで思い出した。
先生が来る日は、部屋をきちんとしておかなくてはならないため、ガラクタをいちいち別室に避難(隠匿ともいう)させていた。
そのとき持ち運びが楽なように、全てをまとめて紙袋に突っ込んだのだ。
「そうか……!」
私は悟った。
今、この部屋が汚い理由はふたつ。
1.モノの体積が、収納の容積を、はるかに上回っているため。
2.自室を他人が訪れることがなくなり、人の目を気にしなくなったため。
カオスの始点を見極めたことにより、自分なりのゴール地点が見えてきた。
つまり、
1. 収納の容積 ≻ 物品の体積 という状態を作る。
2. 「ここが私の部屋です」と他人に見せて恥ずかしくない状態を作る。
これである。