逆に面倒。
別に、人からことさら言われたわけではない。
テレビの特集等を見て、突然その気になってしまったというわけでもない。
ただ、この部屋をこれ以上放置することは断じてできぬ、という強い決意が、心の奥底からむらむらと湧き上がってきたのである。
理由はひとつ。
――この部屋、逆に面倒くさい。
「片付けるのが面倒くさい」という理由で片付けなかった部屋の、何がいったい「逆に面倒くさい」のか。
私の部屋の入り口から、私の机までは、歩いて3歩分ほどの距離がある。
たった3歩分の距離といえども、ワープの技など持たぬ並の人間である以上、3歩分は、きっちり歩いて移動しなければならぬ。
――しかし。
限界まで散らかりまくったこの部屋には、「足の踏み場」というものがどこにもない。
結果。
1歩目。床に散らばった服を踏む。
2歩目。30センチほどの高さまで平積みしてある本を踏む。
3歩目。ぎちぎちに詰め込んだガラクタの強度を信じ、紙袋を踏む。
ただ「部屋に入って、机の上に置いてあるモノを取る」ためだけに、わざわざ、これだけのモノを踏みつけにしなくてはならないのである。
「片付けない女」といえども、モノを踏みつけにするという行為を好むわけではないため、そのたびに若干気がとがめる。
しかも「気がとがめる」とかいうヌルい話だけではなく、もっと大きな問題があった。
ただ、ちょっと物を取りたいだけなのに――もしも片付いた床なら、一瞬で話が済むはずなのに――このカオス空間においては、たった3歩分、移動しようとするだけで、いちいち、かなりの労力が必要とされるのだ。
まず、高度な判断能力(踏んでも大丈夫そうな場所と、踏むとヤバそうな場所とを瞬時に見分ける能力)。
そして、優れた身体能力(不安定な足場でも横転しないバランス感覚・無理な姿勢をしばらく保てる強靭な筋力・ホコリを吸い込まないよう息を止めていられる肺活量)。
むろん、失敗して何か(恐ろしいので確かめない)を踏み潰してしまったことも、1度や2度ではない。
なぜ、机に行ってノートを1冊取るだけのことに、これだけの労力を費やさねばならぬのか。
さらに。
前述の通り、机の上が物置と化している上に椅子が引けないため、無論、この部屋では何の作業もできない。
しかし、私はほとんど毎日「書き仕事」を行う。
自分の部屋(2階にある)で作業ができないとなれば、これはもう、1階まで遠征するしかない。
ノートパソコンの上に本、マンガ、資料等を山積みにし、肩にカバンを引っかけ、慎重にバランスをとりながら階段を降りる。
そして1階の部屋で荷物を広げて作業し、家族に「散らかってる」「片付けろ」と文句を言われる。
いや、この場合、家族が正しい――まったくもって完全無欠に正しいのであるが、やはり、いちいち文句を言われるのは面倒くさい。
まあ、文句を言われても決して片付けないわけであるが、気持ち的に面倒くさい。
しかも、恐るべきことに、この部屋には「絶対に片付けなければならない時」というのがあるのだ。
それは、月に1度、お坊さんが檀家にお経を上げに来る日である。
なんと1階の作業部屋は、玄関から仏間に至るまでの、ちょうど通り道に当たっているのだ。
「明日、お寺さんの日だからね」
これは私にとって、面倒くさい片づけを余儀なくされる、呪いのフレーズである。
「なんで、生きてる者が死んだ者のために煩わされなきゃならんのよ……」
等と、今は亡きひいじいちゃんが聞いたら軍刀片手に追いかけてきそうな暴言を吐きつつ――実際に会ったことがないため、余計にそう思う。不謹慎な話であるとは思うが、片付けに対する面倒くささのほうが勝る――全ての荷物をまとめ、そろそろと2階へ移動。
この際、山積みにした紙類がドジャーと崩れたり、文房具が落ちて床に散乱したり、それで悪態をついていると「お前が普段から片付けないからだッ!」と(もっともな)文句を言われたりして、まったくもって散々である。
2階の部屋に入り、ゴミの山にしか見えぬ場所へ、持って上がってきたものを全てまとめてドサリと載せる。
そして翌日、お坊さんが帰った後、その荷物を全て再び持って降り、同じ場所で作業する。
自分の部屋が、きちんと片付いてさえいれば、1ヶ月に1回のペースで、こんな面倒くさいことをしなくても済むのだ。
意味なき上下動に費やす労力と精神力は、本当にまったくのムダである。
まだ、ある。
服のことである。
先ほど、洗濯済みの服もいっしょくたに床に散らばって踏まれているということを書いた。
「洗った服はたんすに仕舞え!」
そんな、良識あるシュプレヒコールが聞こえてきそうである。
仕舞えるものならば仕舞っていた――かもしれない(断定はできない)。
しかし、仕舞えないのだから仕方がない。
なぜ、仕舞えないのか。
部屋にある衣類用の収納は、合板でできた、古いたんすがひとつきり。
そのたんすは、引き出しという引き出しがすべて飛び出し、「天国への階段か?」という様相を呈している。
「なぜ、引き出しを閉めない!?」
もっともな指摘である。
閉められるものならば閉めていた――かもしれない(断定はできない)。
だが、閉められないのだから仕方がない。
なぜ、閉められないのか。
全ての段に、限界ギリギリちょいオーバー、というレベルまで服が詰め込まれているからである。
理由はまだある。
このたんすは、古い合板製であると書いた。
その引き出しを、ひとたび閉めたが最後、開けるときに、傷んだ合板の端が割れて無数の木屑と化し、中の服にへばり付くのである。
「片付けない女」といえども、汚いのが好きというわけではないので、木屑のついた服なんか着たくない。
こういうわけで、たんすの引き出しは全て開放。
入らない服は床に積む、ということになるわけである。
しかし、床に置いた服は前述のように踏んでいるわけで、結局、まったくキレイではない。
しかも、長く置いておくうちに次第にしわくちゃになり、その上にホコリや髪の毛がからまって「雑巾か?」ということになる。
最悪だ。
さすがにこんなものを着たくはないので、たまに、まとめて洗濯する。
キレイになった服たちが戻ってくる。
床に積む。
崩れる。
踏む。
――以下、究極の虚無の輪とでも言うべき、労力と電力と水と洗剤の空費が延々と繰り返されるわけである。
「意味ねえよ!!!」
私は叫んだ。
当たり前である。
もっと早く行動を起こすべきであった。