第二話 野営地にて
柔らかいふわふわとした感覚と、朝にもう少し寝ていたいのに起きなければいけないような、そんなダルイ感覚が青年の脳を支配していて、まどろみながら目を開けた。
すると、目の奥の細い神経が脈打つような鼓動と、ぎゅっと縮小するような筋肉の動きを感じて目の前に広がる光景が感じる事ができなかった。
「まぶしい」
久しぶりに光を感じた青年の瞳は、明るい日の光を拒絶するように瞳孔を閉じたのだ。
うだるような気分から少しずつ開放された青年は目の前に広がる景色を認識し、今自分がどうな状況なのかを把握しようと、脳をフル回転させた。
上体を起こしてベットの上で座ってみるが特に痛む所はない。
周りを見渡すと、6~7㎡くらいの簡素な部屋だ。テーブルの上には薬草と思われる草花や、何かしらの器具、ポーションのようなボトルなどがあるから、おそらく治療所の一室なのだろうか。
それはそうと、そもそも青年は自分がなぜここにいるのかが、よく思い出せないのだ。
すると、ギィと正面の扉が開かれ、女性が部屋に入ってきた。
その女性は10代後半か20代前半くらいだろうか、鼻筋の通った整った顔、銀色の髪。その髪を後頭部の下の方で束ね、ローポニーと言えばいいのか落ち着きのある髪型をしている。
少し疲れているようなあまり血色のよくない肌を隠すように、露出度が控えめで皮をメインとした動きやすく作業しやすそうな服を着ていた。
その女性が、上体を起こしている青年に気づくと突然驚いたような顔をした。
「気付かれたのですか!?」
「え、あ。えっと……」
青年が発言する前に「ちょっと待っててくださいね!」と、慌てた様子で今入ってきたばかりの扉からまた出て行ってしまった。
唖然として口を開けたまま何が起こるのか待っていると、廊下を忙しく走るような音が聞こえ、やがて勢いよく扉が開かれた。
「おお。気づきおったか」
白髪混じりの髪で、細い丸ブチのメガネをした髭を生やした初老の男がそう言いながら部屋に入ってきた。
状況把握に手間取っている青年を余所に、男は「大変だったな」などと呟きながら、脈を測ったり、目の下を診たりしている。
青年は色々と疑問に思っている事を聞きたかったが、何から聞いていいのかわからず、「あ」とか「えーっと」とか意味をなさない困ったような発話を繰り返している。
「あぁ、すまんの。わしはこの野営地の治療所を任されてる者だ。まぁ治療師みたいなもんじゃな、名はキロン・ヘルヴォル、キロンと呼んでくれ。おまえさんが運ばれてきてから治療を担当しておった」
「そうなんですか、ありがとうございます」
「と言っても……、気を失ってはいたが、怪我もしてなく治療する箇所はなかったがな。よくもまぁ、あの噴火の被害の中傷一つなく生きておった事よ」
「ふ、噴火?そうか、たしか僕は……」
噴火の被害の中、青年は助けられた。確かに暗くて狭い場所にいた記憶が微かにある。
そこまで思いだした所で、噴火が起きる前どこにいたのか、どんな生活をしていて、誰と住んでいたのか、名前は何なのか、何もかも全て、青年は覚えていなかった。
「記憶喪失?」
治療師のキロンが少年の状態を説明すると、銀髪の女性は言った。
「噴火の時の記憶は若干ながら覚えているらしいのじゃが、それ以前の記憶がまったくないと言っておってのう。おそらく噴火の衝撃で頭を打ったか、噴火災害の状況があまりにも精神的にショックで、心を閉ざしてしまったか……。」
「それは治るのでしょうか?」
銀髪の女性は心配そうにキロンに問う。
「どうじゃろうかの、外傷による記憶障害は一過性の場合が多いらしいが、それもなんとも言えんしな」
キロンは、眉に皺を寄せながら言いづらそうに銀髪の女性に訊ねる。
「で、あの小僧をどうする?この状況では領主に報告もできまい。かと言って、うちにジョインさせるか?」
「残念ですが、身元も曖昧で名前すら不明な人物をクランに入れる事はできません。それが、被災者だとしても」
銀髪の女性は、悲痛な顔をして青年を哀れんでる様子だか、意志のこもったしっかりとした口調で言った。
その言葉を聞いたキロンは、『やっぱりな』というような顔をしつつも、特に反対する事もなく、肩を竦めるだけだった。
「まあ、それはわかるが。放置するわけにもいくまい」
「そうですね……」
銀髪の女性は少し考え「少し青年と話してきますね」とだけ告げて、キロンの元を後にした。
部屋の扉が開かれ、銀髪の女性は青年が横になるベッドに近づき声をかける。
「ご気分はいかがですか?」
自分がどこからきたのか、どんな生活をしていたのか、名にも思い出せない青年は、彼女の言葉に一瞬不快な顔をしたが、すぐに思いったったように笑顔になった。
大きな災害から自分を助けてくれた恩人たちに、嫌な思いをさせることはできない。
脳の裏側では筋肉が縮小するような軋む感覚に襲われながらも、表面上で笑ってみせた。
それをわかってしまったのか、彼女は少し気まずそうな顔をしながら「ごめんなさい」と聞こえるか聞こえないかくらいの声で謝り、青年が横になっているベットのそばに腰掛けた。
「ありがとうございます、少し頭が混乱しているようで、記憶が曖昧な状況なんですが、大丈夫です」
青年の精一杯の返答を聞いた彼女は「そうですか」とつぶやき、その後、ゆっくりと今起きている現状の説明をしてくれた。
噴火被害への災害救助の為に領主より集められたクランは、それぞれクラン毎に野営地を建て、そこを拠点として救助活動していた。
丁度彼女たちのクランの野営地の近くで青年が見つかったのだ。
青年の見つかった村は古来より鍛冶技術が発展している村で、腕利きの鍛冶屋や武器・防具職人がいた。
アエトナ山の噴火は激しく、山の麓にある村や街に大きな被害が出たが、青年が見つけ出された村は、被害が著しく生存者は現在までに青年以外見つかっていないのだそうだ。
この辺りの領主は、その鍛冶技術の損失を防ぐために救助活動を展開した。
しかし、すでに青年を除いたすべての鍛冶技術者は救えないに等しく、この状況であの村から青年のみが見つかったと領主に知られれば、鍛冶技術を知る者の唯一の生存者として拘束されかねない。
況してや記憶を失ったなど領主に言うものならば、領主の反感は免れないだろう。
「つまり、記憶がないと僕が嘘をついて、技術を隠していると疑われるという事ですか?」
「はい、このあたりの領主は比較的善政を敷いているのですが、そもそもこの救援活動は鍛冶技術を守るために行われたものですから」
そんな状況になっているのかと、うなだれる思いで目を伏せ悩んでいると、彼女も青年を気の毒そうに見つめ何かを悩んでいる様子だった。
整った顔立ちの彼女から視線を感じた青年は少し恥ずかしくなる。
そう言えば、青年は彼女の名前すら知らないのだと、当面の問題を一度棚に置くように、彼女に尋ねる。
「あの……、そう言えばなんてお呼びすれば」
青年の発言が完全に終わらないうちに、銀髪の女性はっとして、慌てて答える。
「あ!すみません、自己紹介もまったくせずに、色々とお話をしてしまって。私は、ルーワ・ブリュンヒルデと言います。当クランのガーディアンを任されています。お気軽にルーワと呼んでください」
ガーディアンとはなんだろう、そして、さっきから随分と話にあがるクランという言葉もあまりよくわからない。なんとなく話の流れで、理解はできるような気になっている。
とはいえ、青年は彼女の名前を聞けた事で満足する。
「えと、お名前についても記憶がないのですか?」
そう言われてみて、青年は愕然とした。正直名前すら記憶がないのだった。その事実に改めて向きあう事になり、こめかみに軽く脈打つような鼓動と言いしれない不安感に襲われる。
ルーワはその様子を察したのか、おそらく名前の記憶すら無くなっているのだと理解しただろう。
このどことなく頼りなく哀れな青年に手を差し伸べる事は、クランリーダーではない彼女には到底できない。そんな責任はあるはずがないのである。
改めて思いなおしたルーワの顔は、何かしらの決心をしたようなそんな風に思えた。
青年はそんなルーワの表情の変化を感じ取りながらも、心の奥底、頭の裏の墨、ぼんやりとした何かが浮かんでくるのを感じ取っていた。
「名前、ジークと呼んでください」
思い出したようにそう告げたのだった。