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桃の色香 続章  作者:
第一章 海賊編
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九、彼らは動き出す。



 早朝。

 港にはたくさんの人が集まっていた。ほとんどの人が武装しており、緊迫した空気が流れていた。

「さぁ、行くぞ」

 思いのほか、その声は冷え切っていた。

 桃太郎の服装は着物の上に陣羽織。足元は動きやすいように袴を詰めており、腰には太刀が一振りぶら下がっていた。桃太郎は従者を見やり、一人欠けていることに気づく。猿田五右衛門がいないのだ。どこへ行ったのか誰も見当が付かない。しかし今の桃太郎にそれを考えている余裕はなかった。

 港には浦島家が所有する軍船がいくつか泊まっている。小振りな軍船だが、戦いに出向くにはちょうど良い。

 桃太郎は旗艦となる船に乗り込んだ。それに忠治と美羽、そして千哉も続く。

 甲板は兵士たちが慌しく動いている。そこには浦島清海と達海の姿があった。こちらに気づいた達海はすぐさま駆けつけ、甲板に膝を下ろす。

「この度は本当に申し訳ございません。我ら浦島の失態でございます。処分は如何――」

「そんなことはいい」

「……桃太郎様」

 こちらの表情に怪訝に思ったか、達海は顔を上げた。桃太郎はすぐに表情を緩めた。

「今は姫の安否が最優先だからな」

「ありがたきお言葉!」

 達海は再び頭を下げた。

「まぁ、これで海賊を仕留める大義名分ができたわけだが」

「……」

 そう呟くと、達海の顔が強張った。

 今、己はどんな表情をしているのか。この場にいる全員が黙るほど怖い顔をしているのだろうか。

 桃太郎は小さく笑った。


 昨日。

 桃太郎たちが城へ戻ったとき、美羽が蒼白な顔で平伏していた。彼女の話をまとめると、瑠璃と千鶴が城を抜け出したのだ。しかし二人は一向に帰ってこなかった。

「若様……」

 今にも自刃しそうな美羽を押しとどめ、桃太郎は千哉を見やる。瑠璃の安否も心配だが、今考えるべきは瑠璃だけが失踪したわけではないのだ。

 千哉は冷たい目でこちらを見下ろしていた。

「桃太郎、俺は行くぞ」

「ま、待てよっ」

 思わず腕を掴むがそれは振り払われた。千哉は振り返って、桃太郎の胸倉を掴み上げて怒鳴った。

「千鶴までいなくなったんだぞ! これは誘拐されたのだ!」

「わかってるって。だけど今からじゃあ……」

 既に夕暮れ。今から海へ出るのは危険だろう。海を知らない桃太郎でもわかることだ。

 返されたのは拳だった。

「千哉殿!」

 忠治の声が聞こえた。そのときには桃太郎は縁側から落ちて庭を転がっていた。千哉の瞳は怒りに燃えていた。

「お前は言ったな? 千鶴は守ると! その言葉は憎たらしいが、お前は約束を違えない男だと思った! なのにこの様か!?」

「……千哉さん、責めるなら私を。全部私が悪いんです」

 見ると、蒼白の美羽がふらりと立っていた。千哉は目だけで反応する。拳は強く握り込まれ震えていた。女に手を上げるほど千哉は愚かではない。

「千哉殿、今少しお待ちいただけないでしょうか」

 忠治が声を掛けた。

「現在、浦島様は捕縛した海賊を吐かせています。今日中には海賊の居場所がわかるかと」

「……わかった」

 しばしの沈黙の末、千哉は唇を噛み締め、首肯した。

「何かわかったら伝えてくれ」

 それだけ言って千哉は城の石垣を飛び越えて、どこかへ行ってしまった。

「…………」

 桃太郎は庭で仰向けになったまま、橙と青が混ざった空を見上げていた。

 気づくと、美羽がちょこんと地べたに座っている。

 桃太郎は空を見上げたまま言う。

「気にしなくて……って、無理だよな」

「申し訳、ございません」

 顔をうつむかせて謝罪する。桃太郎は彼女の顔を見ずに、首を振った。

「いいよ、達海に覚悟はあったみたいだし。だけど千鶴まで、か……」

「申し訳ございません……」

 ぽつぽつと草に落ちる水滴。我慢できなくなったのみたいだ。

 桃太郎は起き上がった。

 震えた美羽の後頭部に手を添えて、こちらへ引き寄せると、胸に暖かいものが伝わった。

「おまえは悪くない。大丈夫だから。オレが全部解決する、千鶴も瑠璃も助ける。美羽が背負う必要はないんだよ」

「若様……」

「――心配するな」

 桃太郎は今までにない声音だった。自分自身でも驚き、美羽も顔を上げた。

 その声は冷酷で残虐だった。

「一色を脅かす奴らはオレが許さない、絶対にだ」

 そして宣言した。


 ***


「ごめんな、千哉」

「なんだいきなり」

 千哉は桃太郎の言葉に目を瞬く。

 軍船は出港した。しばらく波を揺られていると、突然桃太郎が口にしたのだ。港にいたころは冷淡な様子だったというのに、今はしおらしい。船のへりに肘をついて水平線を眺めていた。

「だって、おまえたちも巻き込んでさ」

「それは……、昨日は殴ってすまなかった」

 彼の様子に口を滑らした。すると桃太郎は振り返り笑う。

「なんともないよ。千鶴のことは千哉が一番わかってるもんな?」

「……そうだな」

 そう言われると気恥ずかしい。確かにその自負はある。千鶴は家族で、千哉が最も守るべき、かけがいのない存在である。千鶴の一挙一動を見逃したことはない。千哉は常に千鶴を見ているのだ。

 しかし今回それを疎かにしてしまった。

「千鶴を守れなかったのは俺のせいだ」

「千哉のせいじゃない。全部オレが悪いんだよ」

「桃太郎……」

 彼は再び目を海へ戻していた。その横顔は哀しく、爽やかな美貌はやつれていた。千哉は言う。

「お前にそんな顔は似合わんぞ」

「へ?」

「いつもみたく笑え」

 言うと、桃太郎はわずかに目を見張り、やがて綺麗に微笑んだ。

「ありがとう、千哉」

 思わず見惚れてしまった千哉は、鼻を鳴らして顔を背けた。


「若」

 しばらく海を眺めていると、忠治が甲板に上がってきた。

 桃太郎が振り返ると、忠治は揺れる船の上をゆっくりとした足取りで歩いてくる。側に来るにつれ、彼の表情は険しくなった。

「……うまくいきますでしょうか?」

「わからん」

 きっぱりと答えると忠治は少し顔をしかめた。なだめるように桃太郎は続ける。

「海のことは浦島に任せていいだろ。オレたちのやることは千鶴と瑠璃の救援だ」

 縁にもたれて桃太郎は言った。

 海賊の本拠地はわれた。

 あとは攻めるだけとなる。こちらは船を四隻もってきた。すべて軍船だ。情報どおりなら、この勢力で事足りる。いや余るぐらい多い。浦島は本気で海賊を潰す勢いだ。しかしそれは当然のこと。浦島の姫、瑠璃が誘拐されたのだから。

 しかし、海賊の裏には皆元がいる。これには確かな情報はない。下手をすれば全面戦争になりかねないが、正義はこちらにあるのだ。

「まぁ、あとは親父の采配だな」

 桃太郎は匙を投げた。それに呆れたように、千哉はため息をいた。

 しかし桃太郎は強く言い放つ。

「オレたちのやることは二人の救援までだ」

「……そうですね」

 忠治はゆっくりと頷いた。しかし歯切れの悪いのは、忠治らしくなかった。

「どうかしたか忠治?」

 違和感を覚えた桃太郎は忠治の顔を覗き込んだ。

 忠治は顔を逸らして答える。

「いえ、若の心配するようなことはありません」

「忠治」

「な、なんでしょうか……?」

 やはり何かおかしい。桃太郎はぐっと顔を近づけた。強張る忠治はゆっくりと後退った。桃太郎は気にしないで、口にした。

「何か焦ってる?」

「は?」

 唐突な質問に忠治が目を丸くした。

「何か焦ってるふうに見える」

「わ、私が、なにを焦るというのですか……」

 言及し過ぎたか、引きつった口元を無理やり動かして答える。桃太郎はすっと離れた。

「いや、オレの気のせいかもしれない。忘れてくれ」

 桃太郎は早口に言い、忠治に優しく言い聞かす。

「とにかく。オレたちはオレたちのやるべきことをやるだけだぜ?」

「は、はい。若の御身はこの犬養忠治がお守りいたします」

「応。美羽はどうしてる?」

「あー、まだ落ち込んでいるかと……」

「ったく。気にしたら何にも始まんないぞ」

 桃太郎はがしがしと髪を掻いて、甲板を下りた。そして気づいた。

「あっ。サルは?」



 五右衛門は海賊の島にいた。

 こそこそと岩陰や草陰に隠れて、海賊の動向を窺っていた。すばしっこい彼は海賊にまだ見つかっていない。どうして彼はここにいるかと言うと、それは昨日、海賊の情報収集を行っていた際、瑠璃と千鶴を往来で見かけたからである。

 五右衛門もまた彼女らの動向が気になった。こっそりと後を追っていると、二人は武芸者風情の男に拉致されたのだ。思わず桃太郎のところまで引き返そうとしたが、思い止まる。ここで二人を見逃せば、二人は殺されるかもしれない。そのような最悪の事態は回避せねばならない。だから、五右衛門は彼らを追い、こっそりと彼らの乗る船に乗り込んだのだ。

「瓢箪から駒。まさか海賊の隠れ家に流れ着くとはね」

 五右衛門は林の中で呟いた。その表情は明るい。これを桃太郎に伝えれば己の株は上がる。忠治イヌなんかに負けてなるものか。

 しかし瑠璃と千鶴の居場所がはっきりしなかった。

 島は一回りした。しかしこの島には森と崖しかない。人が住んでいそうな場所は南の浜とそこから一本道に入った大きな屋敷だけだ。

「やっぱりあそこのどこかに千鶴ちゃんが……?」

 五右衛門は島で唯一の建造物を見上げた。大きな木造の家屋。どこか唐様な佇まいをしている。

「あれに乗り込む、か」

 それは大きな危険を伴うだろう。恐らくあれが海賊の拠点。たぶん髭面で、筋肉で盛り上がった肉体の大男、そんな男が海賊のお頭に違いない。武芸に冴えない五右衛門には荷が重た過ぎる。

「美女さんの相手ならいいんだけどな。美羽みたいな女は勘弁だけど」

 そんな軽口を叩くが、ここでじっとしてはいられない。

 ――おれだってモモ様の従者なんだぜ。

 拳をぐっと握る。得物は懐にある長ドス一本のみ。試合のように、一対一なら勝ちは望めるだろう。しかしこれは戦いだ。決まり事なんてない。

 チャンバラは苦手だ。ならば自分なりのやり方で戦う。

 五右衛門は真夜中に海賊から拝借した鉄砲二丁と火薬の袋を取り出した。

「おれは一色桃太郎の一の家臣、猿田五右衛門様だぜ?」

 五右衛門は不敵に笑った。



 * * *



 島の北に船影を発見、という知らせはすぐに『和爾』全体に広まりつつあった。海賊たちは慌しく小舟を掻き、沖の帆船二隻を動かす。

 懸命に船の動かす彼らを見て、熊吉は林の陰からぼやいた。

「さすがに誘拐はやり過ぎましたか」

「ハッ。好都合だろ、一色の跡取りもれる。一石二鳥だぞ」

「しかし一時の約定とはいえ、『和爾』に不信感を持たれては制圧したあとが厄介です」

「お前、そんな先まで見てんのかよ……」

「悪いですか」

 金吾が呆れたように言うので、熊吉は目を上げる。

「拙者に頭を使えと言ったのはあなたですよ? ならば策を弄するのが拙者の役目」

 穏やかな表情で、冷徹に言葉を紡ぐ。

「浦島も『和爾』もただの布石。最後に征するは皆元われら。使えるものは存分に使い、勝利を収めましょう」

 宣言すると金吾は眉間にしわを寄せて、口を歪めた。

「お前だけは、敵に回ってほしくないな」

「だったら少し学んでみますか?」

「冗談よせや。俺はこれがあれば十分だ」

 金吾は側にある大きな鉞を握り締めた。彼の背丈ぐらいあるそれは鈍い赤銅色に輝いていた。そんな彼に熊吉は肩をすくめ、髭を撫でる。

「しかし、完璧な策など存在しません」

「あん?」

「どうにも腑に落ちない。……浦島清海には注意をせねばなりません」

「ふん。そんなことわかってる」

 鉞を担ぎ、金吾は青い海を眺める。

「もしものときは俺がすべて割る。お前は頭だけ使っときゃあいいんだよ。闘いは、万事俺に任せとけ、熊吉」

 いつになく穏やかな言葉に熊吉は一瞬驚き、口元を緩めた。

「そうですね。戦闘はあなたに任せましょうか」

「ハハッ!」

 金吾は嘲笑った。

「さあ、戦争の始まりだ!」





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