六、影は暗躍する。
あくる日から、桃太郎たちは行動を開始した。
「桃太郎様」
「ん、なんだ?」
町を見物していると、傍に控える浦島達海がこちらへ振り返る。
桃太郎は店先の緋毛氈が敷かれた縁台に座っていた。達海は真剣な表情をして、進言した。
「やはり、少々危険かと……」
「何が?」
「貴公は、一色家嫡男であらせられます。もし、何かあれば我々は……」
「なんだよ、そんな話かよ」
達海の言いたいことが理解できた桃太郎は、彼の言葉を打ち消した。驚いてこちらを見上げる彼に、桃太郎は言う。
「そんなこと、気にしなくていいぜ?」
「い、いえっ、ですが、万が一のことが……」
「そのときはそのときだっての。……女将、団子もう二本」
桃太郎は達海に言い捨てて、追加の注文を頼んだ。
ぽかんとする達海。桃太郎は茶で喉を潤し、再び達海を見やった。
「それによ。浦島が動いてオレが動かないんなら、それは今までと変わらないだろ。親父の面子もあるし、オレもこの町を守りたい」
「……」
そう告げるが、達海は目を丸くするだけだった。
「それなら、少しは動くべきではないのか?」
すると、呆れたような声が上から降ってくる。桃太郎はそちらを見上げた。桃太郎の隣には長身の男、千哉が立っていた。仏頂面の彼に、桃太郎は笑う。
「オレが動かなくても、自然と情報は集まってくる」
「それは犬養や猿田のおかげだろうが」
千哉はまだぼやく。その隣で忠治がすっと目を向けていた。
桃太郎はぽりぽりと頭を掻いた。
「それじゃあ、オレも話聞いてくるかね?」
「若はお待ちください。いずれにしろ、五右衛門がかき集めてきます」
忠治が言った。確かにその通りで、現在五右衛門が賊の情報を集めている。武が冴えない彼は、裏方の方が性に合っているのだ。
「まぁ、そうだな」
桃太郎は頷き、団子を頬張った。しかし目は往来へ。彼の視線の先には町娘がいた。けっこう可愛らしい。
「女の子なら聞いてもいいかな?」
「若ぁ……」
目を三角にする忠治。呆れた様子で腕を組む千哉。達海は終始、目を丸くしていた。
「ははっ。冗談だって」
「冗談に聞こえんがな」
「厳しいなぁ……」
からからと元気よく笑う桃太郎。そのとき、声が聞こえた。
「達海様」
それは彼の背後からだった。一斉に振り返ると、そこには糸目の男がいた。
「どうした、亀蔵」
達海が受け答える。どうやら彼の付き人らしく、名は亀蔵という。
亀蔵は報告する。
「港の方で何やら騒ぎが」
「なに?」
達海の表情が暗くなった。すぐさま、桃太郎は立ち上がる。
「よし。行こう、ってサルはどこ行った?」
そう言えば、五右衛門はまだ情報収集から戻って来ていなかった。桃太郎がきょろきょろしていると、忠治が提案する。
「私が探してきましょう、若は先に港へ」
しかし、それを桃太郎ははねのけた。
「いや、それは千哉に頼もう」
「え……」
「何故、俺に頼む?」
そう告げると、忠治は目を瞬き、千哉は不思議そうにこちらを見やった。
「おまえのほうが足速いだろ?」
「……なるほど、確かにそう……」
「いえっ。私が行って参ります」
千哉が首肯したとき、忠治が強く発言した。これには桃太郎も一瞬、目を見開き、そして微笑んだ。
「おまえには、オレの側で……」
「行かせてください」
真摯な眼差し。
桃太郎は少し不思議に思った。いつになく、切羽詰まった様子の忠治。何かあったのだろうか。彼はどこか、焦っているように見えた。
だがここで押し問答をしている暇はない。達海と亀蔵は今すぐにでも港へ駆けつけたいだろう。
「それじゃあ、頼むわ」
「はっ」
命じると、忠治は律儀に頭を下げる。彼は結った黒髪を揺らして、往来へ消えた。
彼の後ろ姿を眺めていた千哉が薄く笑った。
「……あいつも、強情だな」
「千哉、早く行くぞ」
桃太郎に呼ばれて、彼は振り返った。そのとき、冷徹な視線が背中を突き刺さった。
「っ……」
千哉は再び往来を振り返る。自然と目つきは厳しくなり、射抜くように見渡していた。
「……気のせい、ではないな」
何度も言うが、鬼の五感は人間よりも鋭い。
千哉は察したのだ。自分たちを尾行している影を。
しかしそれを正確に捉えることができない。相手は相当の手練れか。
――用心に越したことはない。
千哉は腰の刀に触れ、前方を見やった。
その視線の先には、友がいる。
正義感が強く、この国のためなら何だってやり遂げる男だ。さきほどまで浮かべていた無邪気な表情はどこへいったのか。今は真剣な表情へ変わっていた。
それを見守るために、自分はここにいる。
だから。
「背中は任せろ、桃太郎」
千哉は誓いを果たすのだった。
***
「チッ……。危ないところだった」
路地裏でそう呟く男がいた。
襟足を刈り上げたおかっぱ頭。赤い羽織の中は筋骨隆々とした体躯。どこかの武芸者といった風格の男だ。
男はひょいっと路地裏から顔を出す。
「くそ、田舎侍のくせに中々鋭い」
しげしげと眺める方向には長身の男が映っている。鬼柳千哉だ。忌々しそうに彼の背中を見つめた。
「ま、これはこれで好都合だが」
しかしその表情はすぐに意地悪く歪む。
そのとき、路地の奥から大きな影が現れた。口元に立派な髭をたくわえ、背は六尺を超える巨漢だ。
「金吾さん」
「おう、熊吉」
おかっぱ頭は金吾といい、現れた巨漢は熊吉といった。
熊吉は金吾の側に寄り、同じように通りを見つめた。
「何を見ていらっしゃるので?」
「なんでもない。それよりも連中はどうだ?」
「あちらはあちらで自由です。港を襲撃するそうで」
「勝手にやりやがって……気に食わん連中だ」
金吾は吐き捨て路地へ顔を隠した。その拍子に熊吉も路地裏へ引っ込む。さらに顔をしかめる金吾に、熊吉は肩をすくめてなだめるように言った。
「連中は連中です。我らは我らの役目を果たしましょう」
「当然だ」
金吾は熊吉の言葉を遮り、三白眼を獰猛に輝かせて口元をニヤリと吊り上げた。
「一色攻略の先鋒は、俺が務める。この坂上金吾に万事任せておけばいいんだよ」
彼らは、東に広大な領地を持つ皆元家の家臣である。
おかっぱ頭で傲慢に笑う男が坂上金吾。彼の隣にいる穏やかで丁寧口調な大男を熊野熊吉といった。
「しかし、主家の一色も現れましたか……弱りましたね」
熊吉がため息を吐いた。それに金吾は目つきを厳しくした。
「怖気づいたか、お前は」
「そんなわけありません。ですが、これは一つの調略です。主家まで相手するのは、骨が入りますよ」
「やっぱビビってんじゃねーか。割るぞ熊吉」
「金吾さん……」
強気な彼に熊吉は呆れたように眉をひそめる。しかし当の彼は気づいていない様子で、ハッと一笑に伏した。
「そんなのどうだっていいだろ。どのみち一色も潰すんだ。今ここで主家の連中も殺しときゃあ、一石二鳥じゃねーか」
「そんな上手くいきませんよ」
「だったらお前の頭でどうにかしろ。俺は闘うだけだからな」
「はぁ、まったくこの人は……」
武人として、金吾は相当な自信を持っている。皆元家中でも、隆光四天王の中でも、一対多数なら誰にも引けを取らないだろう。金吾の武は皆元家拡大に必要だとはっきりと言っていい。おかげで頭を使うのは大の苦手だが。
だからこそ、熊吉のような人物が側にいるのだ。
熊吉がこめかみを揉んで悩んでいると、金吾が思い出したように口にした。
「そういや……一色には『鬼』が巣食うらしいな」
「それが何か? もしかして信じてるんですか?」
「ふざけんな。鬼なんか存在するかよ」
金吾は鼻で笑って否定した。それには熊吉も大いに賛同する。鬼など空想上の物の怪。人間が創り出した妄想だ。
「ともかく一色を潰すのは俺だ。熊吉、ちゃんと策練っておけよ」
「了解しました」
我の強いところは昔からなので、慣れてしまった熊吉はあっさりと了承する。 それに熊吉自身、策を巡らして皆元の勝利に貢献することが一番だと思っている。
金吾が通りを覗きながら動く。連られて熊吉も背中を追って、通りを見やるとあるものを発見した。
「金吾さん。あれを」
「あ?」
熊吉が指差す方を見やると、二人と同じように路地裏でこそこそとしている女が二人いた。一人は小柄な少女。こっちは別段普通だったが、もう一人は違うかった。そいつは高級そうな着物を着飾っていたのだ。
金吾は目を細める。
「ただの女、じゃないな」
「恐らく――」
熊吉の言葉に、金吾は口角を上げた。
「これは使えるな。連中に知らせるぞ」
「御意」
***
時を同じにして。
千哉の視線にびっくりした浦島瑠璃は路地裏で身を縮めた。
「あなたのお兄さん。すごい勘してるわね」
「ハハハ……」
愛想笑いを浮かべるのは、何故か隣にいる千鶴。しかしその表情はすぐに困惑したものへ変わった。
「あの……瑠璃さん」
「何よ? あと瑠璃でいいわ」
「そんなことより……」
おろおろとして千鶴は言葉を口にした。
「勝手にお城出たら駄目じゃないですか」
「あなた、そんなこと言うために私を追いかけてきたの?」
瑠璃はきょとんとした。
やはり瑠璃の正義感は抑えることはできなかった。
つい先刻、美羽が席を外したその瞬間、瑠璃は庭へ飛び出したのだ。びっくりした千鶴は慌てて彼女を追った。城内の端にある石垣が崩れており、そこから町へ抜け出せるのだ。これを知っているのは瑠璃自身と兄の達海だけだ。慣れた足取りで瑠璃は城を抜け出し、今に至る。彼女を追いかけた千鶴も一緒に。
「美羽さんに怒られますよ」
必死に伝えるが瑠璃は呆れたような表情をした。
「だったら一人で帰りなさいよ」
「え……、えーと、道がわからなくて」
「はぁ?」
あはは、と苦笑すると瑠璃は思いっきり眉をひそめた。
「あなたってどこまで田舎者なの?」
「ずっと北の山に住んでいたから」
「ふーん、そっ」
千鶴の答えに素っ気なく相槌を打ち、瑠璃は路地裏から顔を出す。彼女の視線の先には桃太郎がいた。
「ともかく。私は諦めないから。私だって町のために役に立って見せるわ」
「瑠璃さん」
彼女の一生懸命な所は誰にも止められないかもしれない。とりあえず千鶴には無理だ。
「だいたい、あの人だけに任せてちゃあ駄目だわ。あの人、どこか軽率だもの」
瑠璃がぼやくように言う。『あの人』とは二人の視線の先にいる彼。現に彼を見やると、彼は町娘に声を掛けていた。その爽やかな笑みは商売道具のようで、なんだか腹立たしい。
「……」
わからなくもない。千鶴は納得してしまった。男女問わずあの笑顔を見せているのはなんだかもどかしかった。
「よし。海賊の尻尾を掴んで、兄上をぎゃふんと言わせてやるわ」
そう意気込む瑠璃に千鶴はため息を吐いた。すると瑠璃はこちらを振り返り、真剣な表情をした。
「私について来るなら勝手になさい、千鶴」
そう言って瑠璃は路地を歩き出す。
「ど、どこに行かれるのですか?」
「情報収集は町のどこでだって出来るわよ」
瑠璃が路地の角を曲がる。
千鶴は慌てて追いかけ、路地を曲がると何かにぶつかった。
「す、すみません」
びっくりして謝ると、影は振り返った。
「海賊の尻尾を掴むか……。言ってくれるな、お姫様」
頭上から降ってくる声。そこにはおかっぱ頭で筋骨隆々とした若い男がいる。その男の腕には瑠璃がもたれ込んでいた。
千鶴は息を呑んだ。
「る――ッ」
口を動かした途端、腹部に衝撃。
千鶴の意識はそこで途絶えた。
2016年1月5日:誤字修正
2016年3月21日:文章修正・加筆