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桃の色香 続章  作者:
第三章 鬼柳動乱編
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八、桃太郎、非情に振る舞う。



 一発の銃声はとてつもなく大きなものだった。

 たったそれだけで、丘陵は静けさを取り戻した。

 誰もが動けなかった。誰もが言葉を失った。誰もがその弾丸が放たれた場所を見つめていた。

 銃口から上がる白い煙。その鉄砲は通常のそれより銃身が短く切り詰められている――短筒と呼ばれる代物だった。

 短筒を左手に下げる彼は珍しく袴姿で、右手には朱色の鞘に収められた太刀を持ち、それを肩に乗せていた。

 桃太郎は切れ長の目を細めて、視界に映る景色すべてを睥睨していた。

 丘の中央あたりで膝をつき唖然とする千哉。彼の側をうろつく乱丸。地面でのたうち喚き散らす長髪の男。こちらを睨み警戒を続ける忍び装束たち。

「……」

 桃太郎はそのすべてに冷たい眼差しを送った。

 何の感慨も湧かなかった。異様なまでに頭が澄み切っている。胸の中が空っぽのようで穴が開いたような気分だった。

 傍では猿田家の者たちが慌てている。忠治と美羽が必死に声を掛けているのは、今でも血を流す五右衛門である。

 その光景を目に映すことなく桃太郎は前方を睨み続ける。視線の先には、呻き声を上げながら立ち上がる長髪の男がある。

 桃太郎は太刀の鯉口を切った。

「若っ……?」

 彼の動作に忠治が顔を上げる。眉をひそめる彼に向けて桃太郎は短筒をほうる。慌てて受け取る忠治に微笑を浮かべ、

「邪魔、すんなよ?」

「えっ? 若! お待ちください!」

 地を蹴る。

 鞘の下げ緒を引き解き、流れるように太刀を抜き放った。真昼の陽光に白刃が反射し、刃文が美しく輝きを見せる。

 鞘を投げ捨てた桃太郎は大地を疾走し、あっと言う間に長髪の男――葵へと肉迫する。無表情のまま気合の声も上げず、不意打ちに近い一撃を見舞った。

「あぁ、ん……!?」

 左腕を赤く染めた葵は紫陽花色の瞳孔を見開きながら、自らに降り注ぐ凶刃をひらりと躱した。

 その異常に鋭く奇怪な視線を受け、桃太郎は眉間にしわを寄せる。

 身を捌き、太刀の切っ先を葵に向けた。

「おまえ……『鬼』か?」

「ニンゲン風情が俺に()()けるたぁ、大した度胸じゃねぇか」

 左の指先から滴る赤い血。葵は指に伝う血を舐め取り、顔面を嫌悪に歪めた。

「今のは痛かったぞ……。なんだかわかんねぇ代物だが、どうでもいい」

 それから無傷の右腕を腰に伸ばし、二本の短刀を取り出す。既に傷口が塞がりつつある左腕を持ち上げ、葵は両の手に短刀を構えた。

「俺たちの邪魔する奴は容赦しねぇ。ニンゲンなら尚更……」

「口より手ぇ動かせよ、鬼」

 忽然と桃太郎は斬り込んだ。鋭い斬撃に葵は息を飲み、短刀を交差させて防ぐ。桃太郎はすぐさま太刀を捌き、さらに斬り込む。剣尖を持ち上げ、葵の顎先を斬り払った。鮮やかな剣閃は確実に葵を斬殺しかかっていた。

「くっ……てめぇクソッ」

 葵は紙一重で斬撃を避けるも焦りを見せる。

 彼も感じたのだ。

 一色桃太郎の異様に殺気立った様を。

 太刀と短刀がかち合う。互いに刃を削り火花を散らす中、桃太郎は強引に太刀を押し込み、葵に顔を近づかせた。

「五右衛門斬ったの、おまえだよな?」

「あ……ッ?」

 抑揚のない声音。冷酷な視線が葵を射抜く。葵は顔を引きつらせたが、すぐに体勢を立て直し、『鬼』の膂力で太刀を押し返した。甲高い音とともに打ち上げられる太刀。がら空きになる桃太郎の胴体。葵はハッと一笑して、短刀を十字に交差させ閃かした。下方からの斬り上げを桃太郎は上半身を反らし紙一重で避けるが、羽織が×の字に裂かれる。後方に跳躍して回避する彼を、葵はさらに追い立てた。

 爛々と獰猛に輝く紫陽花色の瞳。獲物を追う獣のような走駆。

対して桃太郎は、ゆっくりとした動作で太刀を大きく振りかぶり、凍てつくような視線をケモノに送った。

「おまえ、千哉より弱いわ」

 一気に振り下ろした太刀が葵の肉を削ぎ落した。

 肩口から胸元を斜めに斬り裂かれた葵は、鮮血を撒き散らし悲鳴を上げながら地面に転がった。

 人間なら死に至る流血だが、まだ生きている。さすが『鬼』と言ったところか。

「……」

 桃太郎はソレを非情に見下ろし、太刀を下段に構えつつあたりを睥睨した。葵を助けようとじりじりと距離を詰める忍び装束――鬼柳一族ではない『鬼』たちだ。彼らを視界に捉え、桃太郎はおもむろに太刀を足元に突き刺した。

 刃先が、葵の右手を抉った。

 周囲に戦慄が走る。

 桃太郎は平然と口を開く。

「鬼も、仲間が怪我したら不安がる。オレだってそうさ、大事な従者怪我させられて黙ってられるかよ。……覚悟しろよ、おまえら」

 言うが早いか、忍び装束がひとり接近してきた。桃太郎は血肉から太刀を引き抜き、冷静に己に向かう凶刃を捉える。

 薙ぎ払われる忍刀。桃太郎は半歩下がるだけそれを躱し、反撃を開始する。鋭い剣戟が忍び装束の右手首を斬り裂く。怯んだソイツを蹴り飛ばし、すぐに左側から迫る忍び装束に意識を切り替えた。咄嗟に腰をかがめたと同時に、頭上を凶刃が過ぎ去る。桃太郎は中腰のまま豪快な薙ぎ払いを見せ、忍び装束の横腹を割った。鮮血が飛び散り、桃太郎の端正な顔が赤く染まる。そしてすぐさま上体を起こすと、乱暴なまでの力強い剣戟を鬼たちに見舞う。二度三度と火花が散ったあと、幾条もの鮮血が飛んだ。

 桃太郎は止まらなかった。衣服が裂け、手足が傷つき、自身の血が溢れようとも、桃太郎は足を止めることをしなかった。相手の動きを読み、斬撃を躱し、土埃を舞い上げ、何度も斬り返していった。

 終始、無言だった。

 まるで作業のように、襲いかかる鬼たちを蹴散らしていった。

 血風の中、彼の澄んだ瞳はひどく濁っていた。

「桃太郎っ!!」

 切実な声が耳に届く。

 振り返った瞬間、桃太郎は息を飲み、硬直した。

 手に握る血刀をだらりと下げ、頬を玉のような汗が返り血の上から伝った。

 むせ返るような鉄の臭い。

 いつの間にかあたりは血溜まりに溢れていた。

 鬼柳千哉は、悲痛な表情でこちらを見つめていた。

 こちらへ歩む彼はゆっくりと桃太郎の右腕に手を伸ばす。

「お前の気持ちは理解する。でも、頼む……」

 ぎゅっと痛いぐらいに手首を掴まれるが何も答えることができず、桃太郎はうつむく千哉を見つめたまますあっさりと柄から手を離した。乾いた音を立てて太刀が地面に落ちる。

「…………千哉」

 彼の名を呼ぶが、彼は答えてくれない。掴まれた手首がすごく痛かった。

「若様、」

 忠治と美羽、そして秋那と香織もこちらへやって来る。

「お気をしっかり。五右衛門は無事です、命に関わることはありません。ですから……」

「悪い。先走った」

 美羽の柔らかな言葉を聞き、桃太郎は深く息をいて失笑した。

「千早に言われたのに。傷つくのは自分じゃないって……オレも、情けないな」

「千早に……?」

 千哉がわずかに目を上げる。うん、と小さく頷くと、千哉ははっとなって首を動かした。

「畜生!! どいつもこいつも邪魔しやがって!」

 罵声と殺気により緊張を取り戻される。ゆらりと幽鬼のように立ち上がるのは胸部を真っ赤に染めた忍び装束。血反吐を吐く男はぼたぼたと鮮血を散らしながら、充血した目で左右を確認した。

「クソッ、囲まれてやがる! 鬼もいるのか……?」

 葵は焦りを見せ、千哉を睨みつける。

 視線に千哉は応えた。

「葵と言ったな。稔はどこにいる」

「教えるわけねぇだろ。てめぇらは鬼じゃねぇ。ニンゲンと馴れ合ってそんなに楽しいかよ? 狂ってやがるぜッ」

「貴様……!」

「まだやるって言うのか」

 色めき立つ秋那を押し止め、桃太郎は口を挟む。

「殺しはできるだけしたくないが、おまえらがやるって言うんなら付き合ってやるよ」

 さきほど桃太郎は本気で鬼たちを斬り捨てた。葵の周りには事切れている鬼もいるのだ。葵は動かない仲間を見て、ぎりっと歯を噛み締めた。

「これ以上、同胞を失いたくないだろ?」

 その冷たい言葉に千哉たちがこちらを振り返るが、桃太郎は無視を決め込んだ。

 背後の茂み――退路は猿田家が押さえている。こちらは忠治と美羽もそれぞれ得物に手を置いている。手負いの鬼たちがどれだけ闘えるのか予測がつかないが、五右衛門に危害を加えたことには変わらない。

 この場にいる人間たちが、どれほどまでに憤っているのか、余所の鬼たちは理解しているのだろうか。

 千哉がもう一度訴えた。

「稔に会いたい。居場所を教えてくれ」

「黙れッ……」


「――私からも願います。葵」


 凛と鈴の音のような声が丘陵に響く。

 誰もが息を飲み、茂みを振り返った。

 ふわり、と柔らかな風が彼女のあでやかな髪を靡かせる。猿田の者たちはその佳人に見惚れながら、道を譲る。

 鳶色の瞳は涼しげに輝き、それは人間の人知を超えた美しさを持っていた。

「……ち、千早様?」

 葵が震えた声で反応した。

 傷だらけの鬼たちは驚愕とした表情で佳人――己らが頭領、鬼酒千早を見つめている。

「……」

 千早は丘陵を見渡し、その凄惨さに端正な顔を歪めた。が、すぐに毅然として葵へと目を戻した。

 彼女の姿を捉えた葵は信じられないと言った様子で千早を見つめ、同時に熱い吐息を零した。

「どうして、あなたがここに……いや、そんなことはどうでもいい。――会いたかった!!」

 葵だけではない。鬼酒の鬼たちは興奮し切った様子で歓声を上げ、涙を流す者までいた。

「これで鬼酒も……! ハハハッ、稔、俺の勝ちだ! 俺は大業を成したぞ!!」

 血塗れの男は大きく笑い飛ばしたあと、千早へと熱い視線を送る。葵は胸に手を当て、穏やかな声音で告げた。

「稔が待っています。あなたがいれば俺は……。我が血は最後の一滴まで千早様のもの。悪しきニンゲンを討ち滅ぼし、そして一族復興の悲願を! ……成し遂げましょう」

 手が伸ばされる。

 千早はその血に汚れた手を見つめる。

 彼女にとって、しばらくぶりの一族との再会だ。こんな戦場で再会するとは思ってもみなかっただろうが、それでも千早にはまたとない機会だろう。

 これでまた、一族とともに行動ができるのだから。

「待て、千早っ……」

 千哉が割って入ろうとする。それを桃太郎は無理に押さえ込んだ。罵声を浴びるが桃太郎は決して離さなかった。

 同族との邂逅――千哉が必死で築いた時間だ。国を越えてまで成し、鬼酒千早を救うと誓った身である。それをこんな形で壊されることは彼にとって不服に違いない。

 しかし桃太郎は千早の判断に委ねたのだった。

 千哉が桃太郎を睨み続け、掴む腕を振り解こうとしたとき、千早は答えを出した。

「できません」

 否、だった。

 一瞬だけ葵から表情が無くなった。

「……なぜです」

 問われ、千早は長い睫を伏せた。

「言ったはずです。稔君の居場所を教えてください」

「稔の居場所を申したなら、我々とともに……」

「その前に、私は稔君と話がしたいのです」

「は……?」

 葵は目を瞬く。そんな彼から目を離し、千早は桃太郎と千哉を一瞥した。

「私は鬼柳一族の頭領と話をし、この国の嫡子とも話をしました。他にも、たくさんの鬼の方と話し、この目でたくさんのヒトを見ました」

「……」

「私は何が正しいかなんてわからない。稔君は里のために懸命になって、千哉さんも私のことを想ってくださる。何も知らない私がどちらか一つを選ぶなんてできない」

 千早は悔しそうに唇を噛む。

「千哉さんの気持ちは知ったの。だから今度は稔君の気持ちを知りたい。それと……ユキの、気持ちも知りたい。あの人がどんなことを思って……それで……」

「千雪さんを殺したのはこいつらじゃねぇか! それでもあなたはっ」

「そうっ! それでもよ!」

 金切り声に葵は息を飲み黙り込んだ。

 潤んだ瞳。涙の溜まった鳶色の光は揺らめき、零れ落ちる。

「誰かが亡くなるなんてもう嫌。これ以上一族を失うなんて……耐えられない」

 千早は震えながらも切に願った。

 そんな頭領に葵たちは沈黙し、言葉を失う。

 今まで必死に耐え忍んできたのだ。稔が動くこと、それは延いて、鬼酒を救うことに当たる。そう信じて今までやってきたのだ。

 鬼たちは明らかな戸惑いを見せ、立ち尽くしていた。

「稔は、本気だ」

 やがて葵は力強く、己の意思を告げる。

「本気でニンゲンを潰して、千早様のために動いている。あいつが狂ってるとは、俺は思いねぇ」

 拳を握り締め、忌々しそうに顔を歪めた。

「ニンゲンは、敵だ。それは絶対に変わらねぇことだ」

 葵は仲間に目配せをし、疾走を開始した。

 突如に強風が巻き起こる。突風は桃太郎たちを襲い、動きを封じた。

 次に目を開けたときには、葵――鬼酒の鬼たちは一人も存在していなかった。皆は慌てる。

「退くのか!?」

「質問に答えろ!」

「ガタガタうるせぇ」

 葵の声が聞こえた。が、姿はない。あたりの木々を見渡すも気配すら感じられなかった。

「あいつなら、俺たちと同じで千早様を探して国中駆け巡ってるさ。だが、まず目に付ける場所は決まってる……」

 新緑が風に揺れる。風に乗るように低い声が丘陵に響き渡った。

「鬼柳の連中が、千早様を匿ってんなら話は早ぇだろ」

 葵の一言に、桃太郎と千哉ははっとなって顔を見合わせる。

 焦るこちらを嘲るような声が耳朶を打つ。

「ハッ、競争だ。俺とてめぇら、どちらが先に稔に追いつくか。無論俺は千早様の居場所を稔に伝える。そしたら稔は必ず千早様を迎えに行く」

 彼の言葉を聞きながら桃太郎は忠治たちに命じ、自分も馬を回す。

「俺は稔の味方だ。今は千早様に免じて退いてやるが、次は無ぇぞ、ニンゲンども」

 騒乱の終わりは、未だ遠かった。





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