六、桃太郎、鬼酒千早と対面する。
「忠治。見張り、頼むわ」
「はっ」
部屋の前の彼に早口に言い捨て、桃太郎はもう一度廊下の左右を確認し障子を閉めた。
振り返る先には三人の女が座っている。右手に座る二人は桃太郎もよく知っている、秋那と香織だ。二人ともいつになく真剣な表情をしていた。
そしてもう一人。黄色の小袖を着た女性。
「はじめまして。鬼酒千早と申します」
鳶色の目と合う。
まさに佳人である。美しい、そんな陳腐な言葉しか思い浮かばなかった。
月など比べ物にならないくらいその女は美しかった。
それは外見で判断したわけではない。一目見たとき、心を揺さぶられるような、胸の中の何かが傾ぐような……。その容姿と鳶色の光には、人間が計り知ることのできない炯眼、『鬼』が作り出す不思議な霊気があった。
やはり『鬼』は、末恐ろしい。
鬼酒千早。人間に故郷を追われ、千哉が他所から連れてきた『鬼』、それも千哉と同じ頭領格の鬼である。
千早は軽く会釈して名乗った。彼女の容貌に見惚れていた桃太郎は一息遅れて腰を下ろし、こちらも名乗る。
「千哉から聞いてると思うけど、オレが一色桃太郎だ。一色政春の子だ」
「あなたが、国主の男子ですか……」
氷のように冷たい表情をする千早は桃太郎の姿を検分し、小さく息を吐いた。そのため息の意味は深く考えない。我が美貌に見惚れてくれているならそれはそれで嬉しいが。
桃太郎はうっすらと笑みを浮かべるが、千早は無表情を崩さない。こちらに目を合わせないまま、口を開いた。
「あなたは千哉さん……鬼柳のみなさんと懇意にしているようですが、何故でしょうか」
「なぜ?」
問われた意味がわからなかった。
訊き返すと千早の柳眉がわずかに歪む。
「あなたはヒトです。ヒトが、どうして私たちに深く関係を持とうとするのでしょうか。鬼は鬼として領分を弁え、今まで生きてきたのです……!」
声が震えていた。千早は目を厳しく細めて、桃太郎を睨む。
「……あなたは、何が目的ですか?」
潤む瞳を桃太郎は受け止める。その視線に強い憎しみを感じた。桃太郎を、いや人間という存在を否定するような視線だった。
だが、桃太郎は目を逸らすことをしなかった。
「目的、ね……」
吐息を零すように呟き、千早を見つめ返した。そんな視線は千哉と出会ってから慣れっこである。物怖じなどするものか。桃太郎は表情を消し、冷たい眼差しを千早に送って告げた。
「一色のもんは、一色のもんだろう」
少し意地が悪かったろうか。言うと秋那と香織が顔色を変えて、二人一緒になってこちらを振り向いた。が、桃太郎は無視して続けた。
「鬼柳は一色が治めてる地で生きてんだ。だったら世話ぐらいする。それも、人間と違うって言うなら尚更だ」
千早の表情が厳しくなるが、桃太郎は口を閉じない。
「オレは鬼を守るって約束した。そりゃあ物の分別ぐらいついている、千哉が嫌だって言うならオレは関わらないさ」
「……」
「だけどオレの国が危ないから、関わってんだ。そもそも、君が一色に来なければ、千哉と喧嘩することも無かったかもな」
「桃太郎……!」
我慢ならないと言う風に秋那が身を乗り出す。怒る彼女に桃太郎は目を向けた。
「秋那おまえ、前に言ったよな?」
「なんだッ」
「力になってくれるって信じてたって。立ち上がれって」
「む……そう言えば……?」
あれは一度国元に帰った時のこと。秋那が桃太郎に向かって怒鳴った言葉がそんなことだった。思い出してか、秋那は恥ずかしそうに顔を赤くする。
桃太郎は冷めた表情を崩さない千早へ顔を戻す。
「オレは求められた。それ以前に、オレが千哉を助けたいと思ってる。だからオレは手を貸す、何度でもだ」
「鬼とヒトが争えば多大な犠牲が出ます。その犠牲になるのは上に立つあなたではありません。……あなたは怖くないのですか?」
「ああ怖いさ」
即答した。
そんな答えが返ってくるとは思わなかった千早は声を失う。鳶色の瞳がこちらをひたと見つめている。吸い込まれそうになる美しさに、思わず喉を鳴らしてしまう。
「オレも親父も戦なんか御免だ。だけどやらないとならない」
邪念を振り解き、桃太郎は穏やかに言葉を紡ぐ。
「オレは千哉と出会った、友達になった。だったら見て見ぬふりなんかできない」
人間に故郷を追われた『鬼』の彼女が、桃太郎を信じられないに決まっている。
だけど言葉を尽くしたい。
声が届くなら、届く限り、枯れるまで声を発する。
己の想いを望みを少しでも伝えたい一心で。
「オレはオレを否定できない。オレは友として、千哉たちを助けたいんだ」
真っ直ぐと千早を見つめ返す。彼女の長い睫が震え、小さく開かれた唇があどけない。
その表情がなんだか可愛らしくて桃太郎は微笑を浮かべた。
「見ててくれ、千早」
桃太郎は横に置いた太刀を千早へ差し出すように掲げる。
「馬鹿な人間が、馬鹿みたいに必死になって、馬鹿してるところ」
ははっ、と歯を見せて爽やかに笑うと、千早はますます目を見張ってぼんやりとこちらを見つめる。艶のある桜色の唇から熱い吐息が漏れ、膝の上で固く握られた両手がゆっくりと解かれた。
「千哉さんが、」
掠れた声が耳を打つ。
「千哉さんが、あなたを慕っているのが伝わります」
「そう?」
その一言に桃太郎は嬉しくて破顔する。
呆然とする千早はその笑顔を視線から外し、ぽつぽつと続けた。
「嘘を見抜くのは得意です。あなたの言葉には嘘が見当たらない。本気で私たちを怖いと思っている、それでも本気で助けたいと思っている。……千哉さんが仰るように、あなたは他の人間と違うようですね」
「ああ」
強く相槌を打つと千早は顎を上げて桃太郎と目を合わす。
「あなたは、違う」
確かめるように呟く。千早はそっと目を閉じて胸元でぎゅっと手を握った。
「とても暖かくて、かぐわしい……。あなたにはそういう輝きがあるのですね。……千哉さんは、そういうところに惹かれたのでしょうか」
「千哉のこと、信頼してるんだな」
桃太郎は微笑んだまま、秋那と香織を振り返った。視線に気づいた二人、香織はこの結末を待っていたと言わんばかりに笑顔を見せ、秋那は満足そうにひとつ頷いた。そして彼女たちは千早に向き直り、秋那が畳に指先をついて慇懃に口を開いた。
「千早様、我が頭領をお助け願いませんか」
「え?」
突然の申し出に千早は目を瞬く。彼女の畏まった口調に桃太郎も思わず眉を上げた。
「あの人は一人で戦おうとしています。千早様のため、一族のため、この国のために。我らも、人間に手を貸すことに躊躇いがあります。けれど我が一族、延いては鬼の世のためならば……我らは力を尽くしたいです」
顔を上げる。濡れた漆黒の瞳がいつも通り厳しく細められ、桃太郎を見つめた。
「……手伝ってくれるな?」
「愚問過ぎて笑えないぜ? 秋那」
「う、うるさいっ、口が緩んでるぞ貴様ッ」
「わかったわかった」
文句を言う秋那をからかってから、桃太郎は立ち上がる。
三人の視線が桃太郎に集まる。秋那は頬を膨らませ、香織は歓喜するように頬を紅潮させ、そして千早は深く頷いた。
「さあ、」
桃太郎は朱色の鞘に収まった太刀をとんと肩に乗せる。
その端正な顔を綺麗に綻ばせ、柔らかく口角を上げ、超然的に笑った。
「――行こうか」
始まりを告げるように、乱丸の大きな鳴き声が聞こえた。




