五、桃太郎、浦島家に挨拶する。
場所は変わり。
浦島清海の居城。その広間。
桃太郎は忠治と五右衛門、千哉を連れて、浦島清海と対面した。
「遠路はるばる、ようこそおいで下さいました」
深々と平伏するのは禿頭の男。ここの城主であり、浦島家当主の浦島清海だ。
聞くところによると、一色家と浦島家の縁は深い。そのため、政春は浦島清海の頼みを受けたと予測している。
そして、政春と清海は旧友である。
清海が頭を上げた。
「娘とはお会いになったらしく」
「ああ、元気な息女であられた」
「お恥ずかしいかぎりです。嫁に貰い手があるか心配になります」
清海の言葉に桃太郎は笑った。
「姫に聞いたが、海賊が出て二十日らしいな」
清海は頷くのを見て、桃太郎は声を低くした。
「動けない理由でもあるのか?」
「……それは、殿にお伝え申し上げたとおり、海賊の後ろには皆元がいます」
それは瑠璃が言っていた。瑠璃の言うことは間違っていないみたいだ。それよりも重要なのは、清海は政春にも伝えたと言った。やはり桃太郎の思い違いか。それならそれで余計にため息が漏れる。
「……皆元か、厄介だな」
「左様に御座います」
清海は頭を下げる。
「ですが、桃太郎様が参られたことは我ら浦島家にとって、喜ばしいことで御座います。これで海賊どもを一蹴できます」
「すぐに行動は起こせないな。もっと海賊の情報が欲しい。とくに、皆元と繋がってるっていう証拠がな」
「はっ。理解しております」
清海が答え、右端にいる青年に目をやった。彼は清海の息子である達海だ。
「今後は達海にご案内させます」
「わかった」
桃太郎は達海を見やると、達海は平伏した。
「不肖ながら、よろしくお願い致します」
「よろしくな」
桃太郎は笑うが達海は無表情だった。そんな彼から目を離し、桃太郎は清海に言う。
「まあ、国は平和が一番だからな。海賊だろう皆元だろうと、これ以上好き勝手にさせられないな」
「そのお言葉。浦島家一同、深く御礼申し上げます」
清海は再び平伏した。
「我ら浦島家。一色家臣として粉骨砕身努力いたします」
「ああ、頼むぜ」
桃太郎は微笑した。
* * *
「本当にお姫様なんだ」
「失礼ね」
「ご、ごめんなさい」
瑠璃は千鶴の一言に目を眇めた。しかし千鶴は素直に謝ってしまうため、言及はできない。
ここは瑠璃の部屋だ。下女が頭を下げ、部屋の端に控える。瑠璃に続いて入って来るのは、千鶴と美羽だった。
「私までいいのですか?」
美羽が困ったような表情をして言う。ふと顔立ちを見れば、彼女も中々の美人だ。凛とした表情が似合う素敵な女性。そんな彼女も武人だから驚きだ。一刻前に、牢人を素手で組み伏せていた。
瑠璃は奥の座敷に座って髪を梳く。
「いいの。あなたも客人なんだから」
許可するが、美羽は腑に落ちない顔をして、部屋の仕切りを跨いだ。千鶴も「お邪魔します」と礼儀正しく正座をする。
瑠璃は千鶴を見て、ふと思った。
「美羽はともかく、あなたはどうしてこんなところにいるのかしら?」
「えっ? わたしですか」
「だって、あなたは武人でもなさそうだし……あっ。もしかしてあの人の愛人?」
『あの人』が誰を指すのか、千鶴はすぐにわかったようだった。すぐに彼女は顔を真っ赤にして、必死に首を横に振った。
「ちっ、ちちち、違いますよ! わたしは……その、兄の付き添いで……!」
「兄? あぁ、あの千哉って言う人?」
「そ、そうです……」
頭から湯気が出ている。これ以上詮索するのは野暮だろうか。瑠璃は肩をすくめた。
「まあいいわ。それよりもこれからね」
「これから?」
美羽が少し眉をひそめた。瑠璃は頷き、続ける。
「あの人が来たことで、お父様も腰を上げてくれたらいいけど……、絶対にダメそうだし」
「……少しはお父上を信じてはどうですか?」
「なんでよ? 頭の固い人に何言っても無駄なんだから」
きっぱりと答えると、美羽は難しい顔をした。そんなに自分の言っていることが生意気だろうか。瑠璃は少し腹が立ち、皮肉っぽく言った。
「あの人もどうだか……、ほんと、次期一色当主に見えないわ」
「よく言われる」
「っ!?」
声に瑠璃は目を剥いた。振り返るがそこには下女しかいない。するとふすまの向こうから、きつい声が聞こえた。
「入っていいか? 瑠璃」
それは兄――達海の声だった。
「え、ええ。構わないわ」
肯定すると、ふすまの向こうから現れる達海。彼は厳しい表情をしており、その背後には噂の桃太郎がいた。
桃太郎は口元に微笑を湛えている。瑠璃は血の気が引いた。
「……慣れてるからいいけどな、別に」
桃太郎は笑い飛ばすが、達海は違う。桃太郎に深く詫びた。
「こんな妹で本当に申し訳御座いませんっ。処分は如何様にも……」
「いいって言ってんだろ。初対面はみんなこうだからな」
「は、はぁ……」
達海は困惑した表情を浮かべ、部屋の隅に控える。桃太郎は瑠璃たちを視線に捉えた。それに瑠璃はビクリと肩を縮め、美羽と千鶴は頭を下げた。
「そんなに怖がらなくても何もしないぜ? 姫」
「だ、誰が怖がってる……あ、怖がっておりません!」
強がって見せるが、声は震えている。あと敬語を忘れた。青ざめるこちらに桃太郎は腰を下ろし、言う。
「姫に敬語は似合わないな」
「……」
黙っていると、彼はにこりと微笑んだ。そういう笑顔を振りまいているから、一色の若殿に見えないのだ。
「タメ口で構わない。オレは上下関係を意識しないし。それに女子とは仲良くしないとな。瑠璃」
「そ、そう。なら……そうしてもらえる?」
「応、そっちのほうがいいな」
「……」
何がいいのかわからない。隅で達海がため息を吐いたのが見えた。確かにため息も吐きたくなる。
この男、一色桃太郎は軽率だ。
それが瑠璃の思った一色桃太郎の第一印象だった。
そんなこちらの空気も流され、桃太郎は話を進める。
「明日から、本格的にオレたちが動く。達海殿にも協力してもらおうと思う」
その言葉に瑠璃は首を傾げた。
「どうして私の前でそんなこと言うの?」
少し、いやかなり期待して訊ねた。茶屋のとき告げた自分の思いが、桃太郎に届いたのだろうか。心なしか、身を乗り出していた。
「なんでって決まってんだろ。釘刺してんだ」
「え?」
しかし桃太郎の解答はあっさりとしたもので。瑠璃はきょとんと目を見張る。すると、達海が口を開いた。
「つまりだ、桃太郎様はお前の勝手な行動は許さないとおっしゃられている」
「何よそれ!」
思わず叫ぶこちらに桃太郎は静かに制する。
「あのな。これは軽い気持ちで首を突っ込んでいい問題じゃない」
「私が興味半分で臨んでるとでも言いたいの!?」
「そうじゃない、瑠璃の想いは間違ってない。正しい」
「それは聞いた! だったら――」
「駄目だ」
そう吐き捨てたのは達海だ。彼は瑠璃を睨みつけて続ける。
「お前は浦島の大切な存在だ」
「そんなの……」
口を挟むが続かない。間髪容れずに達海が口を開くのだ。
「お前は事の重大さをわかっていない。自分の物差しでこの世を測るな、己が見て来たものがこの世のすべてではないのだぞ」
「そんなの卑怯じゃないッ!」
瑠璃は思いっきり叫んだ。
「この人が来たから、仕方なしに動いてるもんじゃない!」
達海の顔が怒りに歪んだ。桃太郎がなだめようとするが瑠璃は払いのけた。
「そんなことしてたら、町の人の信用も、一色への信用も失うじゃない!」
「だから。自分の物差しで世を測るな!」
「ッ……」
達海は忌々しそうに瑠璃を睨んだ。
「父上が、何もせずにいたとでも思っているのか?」
「……」
「そんなはずなかろう」
そう吐き捨てて、達海は立ち上がる。冷徹な視線が瑠璃を硬直させた。
「大人しくしていろ、決して城から出るな」
達海は部屋を後にした。
「まぁ、ともかくそう言うわけだ。明日から本格的に動く」
しばらくして桃太郎が気まずそうに口を開いた。
「千鶴もお留守番な?」
「わたしもですか?」
「当たり前だ。美羽は千鶴と瑠璃の護衛な?」
「承知しました」
美羽が力強く頷くと、桃太郎が笑う。そして瑠璃に目をやった。瑠璃はうつむいているからわからない。そう感じただけだ。
「悪い。オレもこれ以上は助けてやれない。浦島は浦島だからな」
どうして彼は謝っているのだろう。別に彼は悪くないのに。
悪いのは何もできない己だ。
悔しくて悲しくて……。
視界がぼやけた。
「まぁ、そう落ち込むな」
ポン、と頭に乗る掌。思わず顔を上げた。すると温かいものが頬を伝った。桃太郎がこちらを見つめている。その表情は柔らかい。
「瑠璃の分までオレが海賊を倒してやる。心配するな。この町も、人も、すべて。オレが救ってやる」
不敵な笑みを浮かべる桃太郎。それはどこか安心ができた。彼の笑顔は暖かかった。
「だから、慰めなんていらないからっ」
目を拭って、乱暴に言うこちらにも、桃太郎は笑ってくれた。
***
達海が瑠璃の部屋を辞す少し前。
桃太郎と共にいた忠治と千哉は、瑠璃の部屋の、隣室にいた。別段やることはない。二人は向かい合ったまま黙っていた。出された茶は既に冷めきっている。
忠治はそれを見て、息を吐いた。すると千哉が呟いた。
「やはり。千鶴を連れてきたのは間違いだったな」
「はい?」
忠治はそれを拾う。千哉は少し目を上げてぼやく。
「人間の争いに巻き込まれるのは御免だな」
「……」
忠治は顔をしかめた。千哉はそれを承知でついて来たのではないのだろうか?
「お言葉ですが。そのつもりでは?」
「馬鹿を言え。規模が違う。海賊と一国が手を結んでいるなど……。一色を脅かす敵は鬼柳の敵だ。が、今の問題はそれ以上だ」
少し意味がわからなかったが、要するに、一色が他国と争うことは、『鬼』が関わる問題ではないということか。
「では、降りますか?」
少し嫌味だっただろうか。千哉は片眉を上げてこちらを見やった。しかし彼は首を振る。
「乗りかかった舟だ。最後まで付き合う。それに千鶴のことも心配だ」
「……そうですか」
「桃太郎には任せておれん。アレは危険だ。ここにいればあんなヤツが千鶴をたぶらかすかもしれん、千鶴は可愛いから。害虫が寄り付かないためにも、千鶴は俺が守る、絶対に。あぁ、千鶴……」
妹の名前を連呼する千哉を見て、正直怖いと思った。まだ何かぶつぶつ言っている彼を無視して、忠治は続けた。
「では。あなたの意見を聞きたいです」
「ん?」
千哉は口を閉じ、こちらを見やった。意識がこちらへ戻って来てくれたことに忠治は安堵する。
「此度の件、誠に皆元が裏で糸を引いているとお思いですか?」
「そうだな……」
千哉は顎に手を当て、しばし考えるような仕草をした。やがて千哉は忠治に目を戻す。
「参考にならんと思うが、一応言っておく」
「なんでしょうか?」
意見はいくらでも欲しい。忠治は即座に促した。
千哉は言う。
「あの浦島清海とかいう男。あの男の言葉は、嘘くさい」
「はい?」
突拍子もない意見に忠治は目を白黒させた。
「ど、どうしてそのように……?」
戸惑うこちらを気にせず、千哉は続ける。
「鬼は五感が鋭いのだ」
「……はっ?」
またどんでもない回答だ。忠治は頭が痛くなってきた。
こちらの表情に千哉は不機嫌そうだ。
「鬼は人間よりも優れていると言ったはずだ。それは肉体的なことだけではない。……相手の表情、しぐさ、視線。それらを読み取ることなど誰にでもできる」
「つ、つまり、清海殿は嘘を吐いていると?」
「それはわからん。こんなものは勘に等しいからな」
「勘……」
その言葉に忠治は肩を落とした。
「まぁ、用心するに越したことはないということだ」
千哉は冷たくなった湯呑を取って、茶を飲み干した。
「……」
忠治はじっと千哉を見つめた。
たった一度会っただけ。それだけで千哉は清海を怪しいと言った。当然、それだけで決めつけるのは早計だ。何の証拠もないのだから。
しかし。
これは『人』の意見ではない、『鬼』の意見だ。
さきほど、千哉が言ったことが本当なら浦島清海には裏があるのだ。
「……」
今更ながらに実感する。彼は『鬼』という種族であり、『人間』とは違うのだ。
『鬼』の存在を我が主は認め、家臣に迎えた。『鬼』の力量は凄まじい。それを目の当たりにした忠治も重々承知だ。
人間と違う。
そう思ってしまう自分が嫌だ。思うほど自分が惨めに思えた。
――たかが『人間』の私に何ができるのだろうか?
自分の存在を否定される。そんな感じがした。
おのずと知れず忠治は、爪が食い込むほど拳を握っていた。
2015年2月22日:誤字修正・加筆
2015年3月23日:誤字修正・加筆
2015年5月3日:誤字修正・加筆




