五、桃太郎、幼馴染と思う。
2016年8月5日:誤字、文章修正
戦勝から五日経つ。
戦後処理も終わって竹鳥の将兵が自国へ帰還する頃合いであった。ただし棟梁の藤高とその愛娘、月は未だに一色にいる。藤高は政春や家臣と何か話し合っているが、内容は知らない。
桃太郎は天守から城下町を見下ろしていた。戦火もまぬがれ、城下には再び人が集まり、活気を取り戻しつつある。政春は交易や国の出入りを自由にしているため、町にはさまざまな人々が集まってくる。特に今は戦終わりである。流れ者が多くなってくるだろうことは予想でき、そして人が増えれば犯罪もそれだけ増えるということで……恐らく政春たちが話し合っているのはそんなところだろう。桃太郎も参加したかったが、政春に追い出されてしまった。
西の方角に橙色の太陽が沈む。
それを目に焼きつけながら、他のことを考えた。しかし楽しいことは思いつかなかった。
桃太郎は、重たいため息を空に投げた。
あれから、千哉とは会っていない。千鶴も一度鬼柳の里に帰ってしまっている。だから今、鬼柳の鬼たちが何をやっているのか桃太郎はまったく知らない状態であるわけである。先日、忠治たちに宣言したのはいいものの、こう顔を合わせないと一向に前に進まないし、段々と不安になってくる。
これは『鬼』の問題、ニンゲンが口を出す必要は無い――またそう突き放されるのではと考えてしまう。以前の、千哉の氷のような顔が脳裏に浮かんで桃太郎は胸が苦しくなった。
少しは、自分たちを頼ってほしいと思うのはおこがましいだろうか。
桃太郎は手摺に肘をつき、再びため息を漏らした。
そのとき、天守に上がる階段が軋む。忠治かと思い肩越しに振り返れば、現れたのは政春であった。彼は桃太郎に見つけ、口の端を上げた。
「辛気臭い顔をしおって。似合わんぞ」
「親父かよ……」
父親の姿を見て、桃太郎は露骨に顔をしかめる。ぷいっと父親から顔を背けて、再び城下を眺めた。政春はゆっくりとこちらに近づき、つまらなそうな表情で呟いた。
「鬼柳が、要らぬモノを持ち込んだらしいな」
「ッ、親父……!」
声を荒らげて首を向けるが、政春は涼しい顔をしている。
「これ以上の面倒は見れん。化け物はおまえに任せるぞ」
「化け物って……」
「あんな奴らを囲うのは骨が折れる……。だからおまえに任せる」
「ふざけんなっつの」
手前勝手な言い方に桃太郎は政春を睨みつけ、食ってかかった。
「言っとくけど、オレはまだ千哉たちを巻き込んだこと許してねぇからな」
すると政春は目を丸くして愉快げに肩を揺らす。
「別に。おまえに許しを請う必要が無い」
物怖じすることなく、政春は手摺にもたれて横柄に言った。
「おまえに鬼柳のことを一任したが、国のことはまだわしが取り決める。おまえにも文句は言わせんぞ」
「だけど」
「もう、使わん」
「え?」
消え入りそうな、しかし強く厳かな声音。桃太郎は口を開けてまま呆けて、父親を見つめた。
「そりゃあそうだろう……」
彼は息を吐きながら、桃太郎と同じように手摺に手をつく。鋭い視線を茜色の空に投げかけ、苦々しく笑う。
「利はあった、戦という形で鬼柳がわしに手を貸した。これで奴らもそう簡単に一色を見捨てまい。……だが、こんなにも早く終わるとは思っていなかった」
「はっ?」
意味がわからず眉をひそめる。
初夏の風に白髪交じりの髪が揺れた。夕日で赤く染まるその横顔は暗い。手摺を握る手に力が入った。
「あっという間に皆元を退かせた……。もっと掛かるはずだった、もっと竹鳥と皆元を潰し合わせるつもりだった」
「……」
物騒な物言いであったが桃太郎は口を挟むことができない。こんなに悔しそうな父親の横顔を見たことがなかったから。
「藤高との打ち合いもただの座興に過ぎなかったが、あやつは竹鳥の連中を恐れさせた。おかげで藤高に釘を刺せたが……、あまり良い策でもない」
早口に吐き捨てられ、政春は落ち着きを取り戻したように大きく息を吐く。それからこちらに振り返った。その顔にさきほどのような苦渋の表情は浮かんでいない。いつもの通り、ニヤリと笑う。
「だから。おまえに任せる」
「……」
桃太郎は言葉に詰まり、父親の顔を凝視した。
我が父も恐れているというのか。
彼らは戦に直接関わっておらず、政春の言う通りに動いただけ。だが、彼らの行動は政春を驚かせ、戦後は武名に名高き竹鳥藤高にも競り勝った。
彼らは、人間が想像する以上の存在。もし、彼らが戦場に出たときどれだけの力が干渉するのか、どれだけの生が失われるのか。
桃太郎は拳を握って、ぐっと唾を飲みほした。それから父親を真っ直ぐと見つめた。
「……わかった、できるだけ迷惑はかけないようにする」
「クク……。良い物言いだ、面白い」
政春は喉の奥で笑い、陰る城下町を眺めたまま。意地悪そうな笑みをするのは紛れもなく普段の父親である。桃太郎は靄がかかったような胸に手を当てながら、政春と同じように町を見つめた。
沈黙が落ちる。沈む瞬間まで存在を誇示する光り輝く太陽。それが眩しくて目を細めていると、政春が不意に口を開いた。
「国の舵取りは、まだわしがやる」
目をやるが、政春はじっと城下を見下ろしていた。
「藤高がうるさいから、こっちが落ち着けば竹鳥にでも行って来い。うちより賑やかだ。いろいろと見て回って来い」
「うん」
「早く終わらせろ。騒がしいのは敵ん」
「わかってる。親父の創った国は、壊させない」
「ふっ、よく言う」
笑って答えると政春は鼻を鳴らした。
静かな時が流れる。二人で、黙って沈む夕日を眺めていたら、とんとんと軽やかな足音が聞こえた。
今度こそ忠治が探しに来たのかと思ったが、またもや予想は外れた。背に流れる艶やかな黒髪が階下から覗き、その人は桃太郎を見つけて、輝かんばかりの笑顔を浮かべた。
「桃太郎っ」
竹鳥月は桃太郎に駆け寄ってその腕に抱きついた。びっくりする桃太郎も気にせず、月は桃太郎を見上げて、わずかに柳眉をひそめた。
「もう、探したんだからね。こんなとこで何してるの」
月は文句を言ってから政春に挨拶をする。
「おじ様、こんばんは。おふたりだけでいらっしゃるなんて珍しいですね」
「少し話をしていた。もう終わったから好きに使って構わんぞ」
政春はわずかに顔を綻ばすと、月はすぐさま桃太郎に向き直った。わくわくと言ったように目を輝かせる彼女に、桃太郎も唇を緩めた。
「なに?」
「ふたりで、出かけましょう」
「えっ?」
突然の申し出に驚く。「ふたり」のところが強調されていたのは気のせいではない。そして月は、わざとらしく首を傾けて不安げに上目遣いをした。
「父上には許しをもらったし……。いいでしょ、桃太郎?」
その仕草は男の理性を狂わせるだろう。長い睫が伏せられ、きゅっと唇が結ばれる。揺れる漆黒の瞳は泣いたように濡れていて、左腕に当たるぬくもりは……間違いない。そんな彼女を独り占めにできる桃太郎も大概であるが。
「……で、でも、今は物騒だし」
流されそうになったが、なんとか思いとどまった。彼女の襟元から目を逸らしながら、口を開いた。
月には詳しく話せないが、今は何かと危険である。もし彼女と一緒のとき、『彼ら』に襲撃されて月に何かあったら示しがつかない。すると政春が笑って口を挟む。
「誰か連れていけ。それなら問題あるまい」
「え。そんじゃあ、美羽でも……」
「何言ってるのよっ」
甲高い怒声に遮られる。
月はますます不機嫌に頬を膨らませて、柳眉を逆立てて詰め寄る。ふわりと漂う香の香りを心地よく思った。
「言ったでしょ、ふたりっきりって。どうして美羽さん連れていくのよ。せめて忠治君か五右衛門君にしてっ!」
彼女の文句は尤もである。しかし五右衛門は彼の父親と一緒に東の国境を偵察に行っていて、今日も帰って来ない。ならば忠治しかいない。桃太郎は苦笑して髪を掻き上げた。
「わかったよ。明日な」
「もちろん、約束よ」
月は桃太郎の腕にぎゅっと寄り添い、嬉しそうに微笑む。
その笑顔を見て、桃太郎は胸の中が暖かくなった。
* * *
翌日――桃太郎は月とふたりで城下に出かけた。
五月も半分を過ぎた。湿り気の帯びた風が吹き抜け、雲の多い空には太陽が見え隠れしている。もうすぐ雨も多くなって気が滅入りそうだが、豊作に向けて降ってほしいのも事実である。
括った後ろ髪をいじりながら、桃太郎は甘味屋から格子窓の向こうの往来を見渡す。
戦後とはいえ、人が多い。前にも言ったように政春が国の出入りを自由にしているためもあるが、戦が起こっていないのだ。商家はすぐに商いを再開し、武家の者は羽織袴で呑気に町を闊歩している。今まで通り。戦が起こっていればこうはいかなかっただろう。
「桃太郎、ぼーっとしてないでよ」
声に我に返る。向かいの席に座る月がむぅと頬を膨らませてこちらを見つめていた。
昔から城下に出歩く桃太郎は町民によく知られている。一色の若殿の顔を知らぬ町民はいない。町民は一色の若殿を見ると、はっと息を飲み見惚れる。そして今日は、彼の側には美女を居る。彼女が誰かと噂話のタネになるのは必然であった。
ひそひそ声と視線が気になるほど神経質な性質ではない。桃太郎はふくれっ面の月に頬を緩めた。すると彼女は口を尖らせて言った。
「もしかしてまた女の子見てた? 目の前にこんな美人がいるのに」
「違うって」
「本当に?」
卓にある木皿には、みずみずしく透き通ったわらび餅が載せられている。きな粉のまぶされた透明の餅を、月は串で掬い上げる。色とりどりで花柄で綺麗な赤地の小袖が汚れないか心配だが、月ははむっと一口。桃太郎に向ける怪しむ目つきは変わらなかった。
「桃太郎はすぐに女の子連れてくるもの。こっちに来たときだって知らない女の子いたし」
桃太郎は苦笑いをして、自分もわらび餅を突く。
「近頃はいろいろとあって……友達が増えたんだ」
「友達? ……あぁ、千哉って言う人?」
「よく覚えてんな」
月は千哉とあれっきり会ってない。首を捻ると、月はにんまりと笑って、あっけらかんと言う。
「顔は良い方だったし、父上を相手に一本取ったって聞いたわ。すごく勇ましい人だって、侍女が騒いでたもの」
「あー、そっか……。ありゃあ悪目立ちだったよな」
ため息を吐く。千哉がこれ以上有名になるのは好ましくない。千哉自身それを望んでいないし、政春も昨日そんなことを言っていた。
思い出して、桃太郎は渋い顔をつくる。
「だけどあれは親父が悪い」
「え? おじ様も関わってるの? まぁ、父上の果し合いを認めたのだからそうかもね」
月は目を瞬いて納得してしまったが、すぐにけろっとしてふふふっと可笑しそうに笑う。
「あ、もしかして妬いてる? 桃太郎も可愛いところあるわねぇ」
「はぁ? 何言ってんだよ……」
千哉はいつも怖い顔をしているが、女子には人気らしい。しかも千哉はそれを理解していない。国一の美貌を持つ桃太郎にとって、それはまったくもって面白くない話である。天然とは恐ろしい。桃太郎は整った顔を歪め、茶を啜った。
「つーか良いのか? うちの町だって竹鳥と比べたら小さいし、おまえが気に入りそうなところってなぁ……」
ぼんやりと大路を見やり話を変えた。
一色の城下町にある呉服屋も染物屋も、竹鳥のそれに比べたら大きくない。仮にも月は大国のお姫様であるのだ。しかし月はゆるゆると首を振り、柔らかく頬を緩める。
「そんなことないわ。一色と竹鳥は違うもの。一色には一色らしさがあって、竹鳥には竹鳥らしさがあるもの」
「そういうもんか?」
「ええ。それに、愛する人とこうしてお茶をするだけでも、私はすごく幸せよ」
完璧なまでの笑顔を見せられ、桃太郎は一瞬硬直した。彼女にはいつも主導権を握られている気がしてならない。気まずくなって頭を搔いていると、月は不意に目を伏せた。
「今日はね、久しぶりにふたりっきりで出かけたかったのもあるんだけど、」
「ん?」
気楽な声音が急に張り詰め、桃太郎は月へ目を戻す。彼女は悲しそうに眉尻を下げ、湯呑を両手で包み込んでいた。
「桃太郎、元気ないなって思ったから」
「……そんなこと」
思わず首ごと背けてしまう。それがいけなかったか、月はふるふると否定するように首を振った。その度に飾る黄金色の簪が揺れてきらきらと光る。
「戦だったんだから仕方なかったけど、もう終わったんだから……でもみんな落ち着かなさそうだもの。桃太郎には元気にいてもらいたいわ」
「……」
彼女の表情に桃太郎は眉を寄せると、月は柔らかく目尻を下げ、暖かな笑みを零す。
「別に話さなくてもいいの。一色の事情はよくわからないけど、貴方のことはすごくわかる、すぐにわかる。何年の付き合いだと思ってる? 私は貴方のことずっと想ってるもの。私と出かけて、少しでも気晴らしになればいいなって思ったの。……迷ってる貴方は、貴方らしくないわ」
真っ直ぐと透き通った視線で見つめられ桃太郎は言葉を失う。最後に付け加えられた一言は桃太郎の胸を深く抉り、じんわりと胸中に染み渡っていく。
「……迷ってる、か」
ややあって、桃太郎はふっと笑みを零した。
「そういうとこ、ほんと月らしくて……敵わないな。ありがとう」
「な、何よ。いきなり……」
屈託ない笑顔で告げられ月は恥ずかしそうに上擦った声で言う。
桃太郎は笑顔のまま頬杖をつき、月を見つめた。
「確かに迷ってる、迷ってるけど……まぁ心は決まってんだ。オレは何もしないのは性に合わないし国を守りたい。だから……」
彼女の言う通りだ。
先日しかとこの胸に誓った、決断した。しかしやはりあと一歩が踏み出せなかった。怖かったのだ。千哉の焦った顔、政春の暗い表情、そして憎悪に燃える黄金の瞳……。
もし、踏み出したら取り返しのつかないことになるのではないだろうか。この一歩は一色の国を危険にさらし、これまでにない未曾有な惨事を引き起こすのではないか、と不安であったのだ。
「……絶対に助ける」
誓いは果たすべきものだ。
卓の上の拳を握り込むと、月はふんわりと花が綻びるように微笑む。
「うん。貴方らしくてすごく素敵。貴方はこの国の、一色の若殿様だもの。おじ様が創ったものよ。だからこそ、貴方が守っていかなきゃね。そして貴方を支えるのが妻の務め」
「月……」
その笑顔は桃太郎の心を鷲掴みにした。ぎゅっと胸が締めつけられ苦しくなり、心臓が痛いぐらいにひとつ鼓動する。身体が燃えるように熱を持ち、頭の中が真っ白になった。桃太郎の目には彼女しか映っていない。彼女の端正な顔を穴のあくほど凝視していた。
つまるところ、箍が外れたのである。
桃太郎はおもむろに椅子から腰を上げ、卓に乗り出す。ゆっくりと片腕を伸ばし、月の小さな顎を軽く持ち上げた。
「え? 桃太郎……?」
突然の行動に月は目を丸くし、純白の頬に紅がさす。
頭の中は既に空っぽである。何も考えられない。桃太郎は真剣な表情で月を見つめ、甘い声でささやく。
「今……すげぇ、おまえが欲しい」
「はいっ?」
素っ頓狂な声を上げて狼狽える月。珍しく目を泳がして動揺を示す彼女を見て、桃太郎はうっすらと笑う。少しの悪戯心が芽生えた。
「いいだろ? 月」
「え、桃太郎、なに……んっ」
喋る月の口を塞いだ。己の唇で。
茶屋の空気が凍りついたのは言うまでもない。
椀や器が地面に落ちた。茶屋の客人や店員は何事かと思い、若殿を見やりあんぐりと口を開けて絶句する。
無論桃太郎は意にも介さず、月の唇を味わった。
すぐに離してやると月は荒い吐息を漏らし、潤んだ瞳で桃太郎を睨む。
「な、なにするのっ。いきなりなんて……」
「心配してくれたお礼。嫌?」
「そ、そんなことないわ……だけど貴方から」
「だったら、ちょっと黙ってろ」
頬に柔らかく口づけをする。びくっと震える月の肩を掴んで押さえ、卓に体重を掛けた。美しい彼女が泣きそうな顔をしているのは加虐心を煽り、男の性を昂らせる。
再び唇を奪う。今度は長く。重なる唇から漏れる息遣いはやけに色っぽい。苦しそうなそれを押さえつけるように舌を入れて、なおも強く求めた。
「んっ……」
唇を離す。熱い吐息とともに、うっとりと熱を持った瞳が桃太郎を見つめている。視線を受け、桃太郎は口の端を吊り上げて彼女の耳元でささやいた。
「帰るか」
「うん……」
月が小さく頷いたそのとき。
通りの方から茶屋に向かって何かが飛来してきた。その影は器用に茶店の入り口から抜け、店内を騒がせる。桃太郎もびっくりして顔を上げると、空飛ぶ影はゆっくりと桃太郎が座る卓に着陸した。
そいつはバサバサと音を立て、ピィーピィーと鳴く。ぶるる、とくすんだ白い羽毛を震わせ、鋭い黄色い目で桃太郎を見つめた。この鳥を、桃太郎は知っている。
毒気を抜かれた桃太郎はぱちぱちと目を瞬かせて、呟いた。
「こいつ、千哉の……乱丸って言ったか?」
「若、お楽しみのところ申し訳ございませんが」
「わっ、なんだ忠治か。驚かすなよ」
同時に警護に付けていた忠治が音も立てず現れる。どこか怒った様子の彼は冷たい目で主を見上げ、ぶっきらぼうに報告した。
「秋那殿と香織殿が見えています。鬼柳で何かあったのでは」
「二人が? どこに……」
「ここにいるっ!」
耳元に響く怒鳴り声。顔をしかめて振り返ると、格子窓の向こうに忍装束を着た秋那がつっ立っていた。彼女は苦虫を噛み潰したように顔を歪ませ、なわなわと肩を震わせている。
「白昼堂々……不潔な……!」
「はぁ?」
何やら相当怒っているらしいが、桃太郎にはわからない。乱丸が再び翼を広げ、秋那の方へと飛び去る。
「……ともかく入って来い。話しづらいから」
羽音に桃太郎は話を進めた。
せっかくの楽しみを邪魔されたが、彼女たちが自分を探していたというのは些か不思議である。桃太郎はすぐさま頭を切り替えて二人に集中した。すると、肩に乱丸を止まらせた香織が口を開く。
「桃太郎様。急を要します。申し訳ございませんが立ち話でお願いします」
「……何があった。まさか」
いつになく表情の硬い彼女を見て桃太郎は顔を引き締めた。呆ける月を忠治に任せ、すぐさま茶屋を出て二人に駆け寄った。
「千哉に何かあったんだな。乱丸なら千哉の場所もすぐにわかるし、早いところ」
「その前に桃太郎様」
香織は言葉を遮る。刺すような視線に桃太郎は口を閉ざしてしまう。これも『鬼』の成せる技だろうか。
「千哉様をお探しする前に、会ってもらいたい人がいます」
彼女は真剣な声音で告げて振り返った。
その先に佇むのは鳶色の目を持った佳人であった。




