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桃の色香 続章  作者:
第三章 鬼柳動乱編
48/52

四、桃太郎、友の相談に乗る。

誤字修正:6月21日




「初めましてですな鬼柳殿。それがし、猿田(さるた)彦之丞(ひこのじょう)家房(いえふさ)と申す。今度とも見知りおきを」

 宴会の開かれる大広間から少し離れた客間。上座の桃太郎の前で、千哉に挨拶するのは四十代後半の小男。くせ毛の茶髪を耳に掛かるぐらいまで垂らし、面長の顔に柔和な笑みを浮かべる。その目鼻立ちは五右衛門によく似ていた。

「そなたが噂の『鬼』でいらっしゃるか……。もっと恐いものだと思っておりましたが、われらと変わりませんなぁ。いやはや、これは失礼仕った」

 丁寧な言葉遣いに千哉は戸惑った様子で、一息いっそく遅れて自分も挨拶していた。彼はいつもこんな感じだ。困る千哉を、桃太郎が微笑ましく思い眺めていると襖側に座る五右衛門が口を挟む。

「父上、そう畏まらずとも千哉さんは気難しい人じゃあありませんよ」

「む、しかし初対面だ。先方の信用を得、人心を掴む……これこそ懐柔の一歩」

「彦之丞様、それはお役目のときでしょう」

「ずっと北におられたのだから仕方ないですか?」

 思わずと言った風に忠治は口をつき、五右衛門も呆れ顔になった。隣で美羽がくすりと笑ったのが見えた。

「むむ、忠治まで……。あと五右衛門、(かかあ)に言われたことをここで言うな」

 がっくりと肩を落とす。

 猿田彦之丞家房。

 五右衛門の父であり、犬養忠行とともに一色政春の腕と呼ばれる存在である。彦之丞は一色の間諜、内偵、情報操作活動をすべて任さられており、彼はそれらを統括する立場にある。先日の、笹波清和の皆元本家からの独立を直接謀ったのは彦之丞であり、あの後の皆元への情報操作も彼の配下の者によった。

 猿田彦之丞は、一色政春の策略を忠実に実現させる影の存在であった。

「では。この集まりはなんですかな、若様」

 苦笑交じりで彦之丞は部屋を見渡す。入り口あたりには忠治たちが正座し、上座に桃太郎、彼の左手には千哉と千鶴がいた。彼はしげしげと参列者を眺め、桃太郎に目を戻した。

 目が合って、桃太郎は微笑みながら答える。

「ちょっと、相談したいことがあってさ」

「それは光栄にございます。わたしにできることなら尽力致しましょう」

 それを聞きながら桃太郎はちらりと千哉を一瞥した。

 先達て、千哉が複雑そうな表情をして言った。

 ――聞いてほしいことがある。できれば間者に詳しい奴もほしい。

 中身はまだ、桃太郎も聞いていない。目で千哉を促すと、千哉は暗い表情のまま拳を作って重々しく口を開いた。

「仲間が一人帰ってこない」

「……え」

 桃太郎は言葉を失った。その瞬間に重苦しい空気が部屋を満たし、しんと静まり返る。彼の言葉がどういう意味か理解できない者はこの場にいない。遠くで宴会の楽しげな笑い声が聞こえる。

 今、こうして騒がしく宴が開けるのは、千哉が、鬼柳が一色へ多大な貢献をしたことによる。政春が無理強いしたわけでもなく、千哉たちが決めてやったこと。それでも一人の友として千哉の苦痛の横顔を見つめ、桃太郎の心はずきりと何かが軋んだ。

 千哉は畳に目を向けて吐き出す。

「お前たちを責めるつもりはない。決めたのは俺だから……。ただ、鬼柳の頭領としてあいつの安否が知りたいんだ」

「犯人探し、ですかな」

 淡白な呟きを彦之丞が返すと千哉はがばりと顔を上げた。しかし彦之丞は気づかないふりをして、眉をひそめて続ける。

「あなたがたが一色のために動いてくれたこと、まことに感謝しております。しかし、戦は人が死ぬのです。誰が悪いとも糾弾はできない、だからこそ御館様はできるだけ人死にを出さぬよう……」

「違うっ」

 千哉は首を振った。

「そんなことはいいんだ。ただ……、考えたくもないが、もしそうなっているのなら……里へ還してやりたい」

「戻ってこないなら駄目でしょう」

「ッ!」

 彦之丞は変わらず冷淡に告げる。

「皆元の撤兵に巻き込まれた場合もあります」

「人間に後れを取る奴はいない……!」

 千哉が悔しそうに唇を噛むが、彦之丞は無視して桃太郎に目を向けて言う。

「皆元の西方侵攻は諸外国が注目しております。北も北東も西も、近隣諸国が物見を放っているのは必定……事実、配下から何人か仕留めたと報告が上がっております」

「それは、竹鳥も入ってる?」

「ご明察です、若様」

 にこりと笑い、彦之丞は続ける。

「盟を結んでいると言え、一色が倒れれば次は竹鳥なのですから、みなもとの軍備を探りましょう。そして、今宵の宴でも竹鳥様は動きました……いや、どちらかと言うと御館様ですが」

「やっぱり……」

「そうでしたか」

「え? なに?」

「何だ桃太郎」

 彦之丞の言葉に桃太郎と忠治が唸った。五右衛門と美羽がわからないと言うように桃太郎の顔を窺う。それは反対側に座る千哉と千鶴も同じだった。桃太郎はがしがしと頭を掻きながら千哉に向き直った。

「たぶん親父は、藤高のおっさんに千哉の力を見せつけたかったんだよ」

「それがなんだ?」

「だから、竹鳥の棟梁がただの侍に負けるところをみんなに見せたんだ。竹鳥が一色を捕るなんざぁ、何百年(はえ)ーよ、ってこと」

 父親の右に出る謀士はいないと思われる。政春の心意、冷徹な采配は息子の自分ですらまったくわからない。いや、あまりわかりたくない。正直言って桃太郎はまだ、鬼柳を戦に引き込んだことを許していないのだから。

 伝えると、千哉は途端にぐっと眉間にしわを寄せた。

「……利用されたのか」

「まぁ、平たく言えば」

「竹鳥が、いつまでも味方だという保障はありません」

 吐き捨てる千哉を見て、彦之丞は誇らしげに笑う。その笑みは政春を心の底から敬愛しているようであった。

「皆元との戦闘が長引けば竹鳥が裏切る可能性も高まる。御館様が、笹波の謀反を急がせたのもそのためです。皆元が退けば竹鳥も帰陣しますからね」

「食えない男だな」

「おかげで戦は無くなったけど、正直勘弁してほしいよ」

 桃太郎は不平たっぷりに吐き捨てる。

「藤高のおっさん挑発して……。次代(オレ)にいらない置き土産したよな」

「それだけ期待されていらっしゃるのですよ。桃太郎様」

 彦之丞は嫌味のない微笑を浮かべたが、すぐに千哉に振り向く。彼の表情には既に桃太郎に向けた柔らかなものは無く、冷たい瞳を千哉にぶつけた。

「ともかく。わたしが言えるのは一つ。鬼柳殿を知る者はいない。そして、知らぬ者を見逃すほどわれらは甘くありません」

「……」

「われらに、躊躇いは赦されぬゆえ……どうかご容赦願いたい」

「……」

 軽く会釈をする彦之丞に千哉は唖然とし、唇を震わせていた。

 再び沈黙が訪れ、皆一様に畳を見たりして視線を交わすことはなかった。

「……あ」

 ややあって、美羽が小さく声を上げた。静かな部屋に響く高い声に桃太郎はすぐさま反応する。

「美羽?」

「あ、いえ。少し思い当たったことが……」

 全員の視線を受け、美羽は戸惑ったように豊かな胸の前で指を絡める。美羽は千哉の顔色を窺いながら、上目遣いで言った。

「人間では『鬼』と渡り合えませんが、相手が『鬼』ならば……たとえば、あの東の『鬼』――」

 言葉にした途端、畳を叩く音が鳴った。かなり大きな音に美羽は口を閉ざし、千鶴が小さく悲鳴を上げて、桃太郎も首を縮めた。

「何を言ってる……?」

 千哉は拳を畳に埋め、美羽を睨みつけた。

 まさに鬼の形相であり、『鬼』の眼力は凄まじかった。千哉の射殺すような視線に美羽は完全に委縮し、自分の腕で体を抱え、真っ青になった唇を震わせている。

「千哉殿っ」

 忠治が千哉の視界に入り、慌てて止めに入る。

「仮の話です。あなたが仲間を心配なさったのですから、美羽はあなたの力と思って……」

「黙れ。そんな例え話があるかッ」

「千哉、落ち着けって」

「お前もそう思うのか?」

「え……」

 ぎろりと暗く鋭い瞳がこちらを捉える。桃太郎は口を開けたまま硬直し、即答できずに呆けてしまった。

 美羽の推論は尤も道理に叶っていた。

 あの若者は明らかな敵意を示していた。あの憎悪と怨嗟に満ち、濁った藍色と金色の瞳。どこまでも果てしなく膨れる負の感情は忘れることはできないだろう。あの若者の思念は底知れず、恐ろしく思う。桃太郎は目を逸らして小さく呟く。

「でも、あのとき……」

「あれはっ……!!」

 桃太郎の指すのは初めて国越えをしたとき。目の前で倒れる誰か、血塗れのその体を抱きかかえる必死の千哉が脳裏に浮かんだ。千哉は身を乗り出して怒鳴ったが、途中で止めてしまい、唇を噛んでうつむいた。

 すると、彦之丞が髭を撫でながら唸る。

「鬼柳殿以外の『鬼』とは、これは恐いものですね。……その『鬼』、一色へ来るでしょうか」

「あ、千早さん」

 彦之丞の言葉に全員がはっとなって、千鶴が声を上げて千哉を振り返った。千哉の表情がさらに曇り、慌てて立ち上がる。

「今日は帰る」

「え、ちょっ、千哉っ!」

 こちらの呼びかけに答えることなく千哉は音を立てて部屋を出て行ってしまった。

 桃太郎は開け放たれた襖を見つめ、やがて脱力し切ってため息をく。

「……あの馬鹿」

 額に手を当てていると、彦之丞が肩をすくめて進言する。

「その『鬼』が来るならそれ相応の整えが必要ですな。御館様には警護の強化を具申いたしましょう」

「親父のほうは任せるわ。こっちは割かなくいいから、むしろ要らない」

 忠治たちを眺めて桃太郎が強く断言した。すると三人は息を飲み、嬉しそうに顔を綻ばせる。それを見て彦之丞はにんまりと微笑み、深く座礼した。

「承知仕った。では、これにて」

 彦之丞は丁寧にお辞儀をして部屋を後にする。桃太郎はそれを見送ってから、ごろりと横になった。いきなりの行動に忠治が動転して何かを言っているが気にしない。どうせここには誰も来ないのだから。

 桃太郎は天井に向かって息をくと、美羽がぽつりと呟く。

「私、悪いこと言ったかしら……」

 目だけを上げると美羽がしおらしく顔をうつむかせて、切れ長の目を伏せていた。さきほどの発言は千哉に酷だったろうかと悩んでいるのだ。忠治と五右衛門がゆるゆると首を振り、なだめる。

「正しいことを言った。千哉殿が慌て過ぎなだけだ」

「美羽が悪いわけねーだろ」

「そうだと良いけど」

 力のない声で返すのが聞こえた。

 千哉たちは人間と異なる種族の『鬼』だ。以前千哉は鬼柳以外の同族を知らないと言っていた。同族に出会えたことに千哉はとりわけ歓喜しただろう。だからこそ国を越えたのだ。皆元で何を見て、何を聞いて、何を思ったか、そんなことは千哉自身にしかわからない。いや、自分のようなちっぽけな人間には、『鬼』の事情をすべて酌むことなどできないのかもしれない。

 千哉の気持ちは理解できないのだろうか。

「いや……」

 違う。

 誓ったのだ。いずれ一色の棟梁、この土地の領主になる。そのとき桃太郎は、国も人も、そして『鬼』も守ると宣言した。千哉にそう告げた、千哉とそう約束したのだ。

だったら……。

 桃太郎は大きく目を開いて天井を凝視する。

 澄んだ瞳は輝きに満ち溢れる。大望を抱え、すべてを飲み込まんと迸る水流のような貪欲な光を宿していた。

「助けなきゃな」

 力強い呟きに忠治と五右衛門、美羽が振り返る。桃太郎はよっと起き上がって、千鶴を振り返った。

「聞いとくけど、千鶴はどう思ってるの?」

「はい?」

「千哉や、同族のこと」

 千鶴はくりっとした大きな黒目を瞬き、考えるように虚空を見上げた。

「正直、わたしは」

 ややあって、彼女は小さな両手を胸に当てて、桃太郎を見つめながらたどたどしく言う。

「……兄の気持ちがわかりません。東の方にきちんとお会いになったのはお兄様だけですから。わたしは東のことをわかりませんし、千早さんのことも知らないです」

 それでも、と千鶴はふんわりと微笑む。

「わたしはこのときが好きです。桃太郎様と出会えて……そしてお兄様とずっと仲良く、笑って暮らしたいです……ずっとこうしていたい。だからわたしは……」

「うん、わかった」

 桃太郎は遮り、千鶴の柔らかな髪を梳く。ぴくんと千鶴の小さな肩が震え、恥ずかしそうに頬を朱に染める。

「決めたことは曲げたくないからな」

 千鶴の頭から手を離して、呆然とする忠治と五右衛門、美羽に超然的に笑った。

「千哉には悪いけど、オレは一色の跡取りとして動く! 一色を脅かす奴らに容赦はしない、絶対に許さねぇ。降りかかる火の粉は払わねーとな」

 従者三人の表情は徐々に明るくなる。桃太郎は最後の押しとばかりに手を差し伸べ、はにかんだ。

「ついて来て、くれる?」

「何言ってるんすか」

「それは愚問です、若」

「誰のために私たちがいるとお思いですか?」

 三人はそれぞれに即答し、深く座礼した。

「「「我らは一色桃太郎様が家人に御座います。どこまでもあなたのお側にあります」」」

「あぁ、そうだったな」

 桃太郎は膝を打って立ち上がる。

 均整の取れた顔を綻ばし、爽やかな微笑を見せた。





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