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桃の色香 続章  作者:
第三章 鬼柳動乱編
47/52

三、桃太郎、観戦する。

 2016年8月5日:誤字、文章修正



 月明かりのもと、大広間の外に広がる庭には急遽、四方を囲むように篝火が用意され、皆一様に席を立ち、縁側へやってきた。

 庭に立つのは鬼柳千哉と竹鳥藤高である。

 前者は闇夜に同化してしまいそうな黒い着物を着て、気怠そうな顔つきをしている。後者は青い小袖を片肌脱ぎして逞しい胸板をさらけ出し、口元に笑みを浮かべていた。

 彼が肩に担ぐのは六尺七寸四分の大太刀。鍔元に蝶の蒔絵が施された黒漆塗りの鞘。燕が彫られた透かしのある金の鍔。柄尻には白い紐が二本垂れていた。

 真剣である。

「俺の大太刀を取って来い」

 藤高がそう命じたのはついさきほど。零れるぐらいに目を剥く竹鳥家家臣たちに、藤高は平然と笑っていた。

「真剣勝負といこうではないか。お前となら……楽しめそうだ」

 そして、千哉はため息交じりにつまらなそうに首肯した。


 日和見で、家名通りの風見鶏と揶揄される竹鳥であるが、主家郎党ともに知勇に優れた者が多い。特に竹鳥本家を支える重臣――阿倍野(あべの)伴野ばんの石上いしがみくるま多治間(たじま)――それらの結束は固く、この五家と竹鳥本家がある限り、竹鳥の根幹を崩すことはできない。

 当然、その剛力を借りたい勢力はたくさんいる。誰も彼もが竹鳥の顔色を伺い、機嫌を取って助けを求める。故にこそ、竹鳥は動かず、黙し、ただただそこに座す。求められる価値があればその力を存分に発揮し、敵を蹴散らすのであった。

 現竹鳥家棟梁、新次郎(しんじろう)藤高(ふじたか)は大太刀の使い手。

 足を大きく開き、左半身を引く。前傾になる藤高は大太刀の分厚い峰を右肩に置き、鍔元と柄頭を柔く持つ。大太刀の刃が篝火に反射して、めらめらと闘志を燃やすように橙色に煌めく。

 大太刀の新次郎、そう世に言わしめる男。その渾名に相応しく、小袖姿にも関わらず彼から放たれる重圧は凄まじかった。観ているだけで体が震え竦んでしまう。

 桃太郎は藤高を見てから、眉をひそめながら千哉に目を移した。

 千哉も左手に打刀を持っている。そこらへんにあった、誰かの持っていた凡刀ナマクラである。手入れも拵えも適当なそれ。千哉は無造作に左手にぶら下げ、腰帯にすら差していなかった。

「そのようなガラクタで良いのか?」

 藤高が言う。

「武士ならば、己に合った得物を持つが必定。それは、お前に似合わんぞ。しばし待て、今御幸が……」

「必要ない」

 千哉は即答する。ひどく濁った黒い瞳が藤高を見つめていた。

「武器などなんでもいい。どうせ俺に、耐えられないからな」

「よくわからぬが。その考えは間違っているぞ」

 藤高は大太刀を自身に寄せ、笑う。

「太刀は我が身そのもの。鍛え上げられ、研ぎ澄まされた刃は心を映すと言う。己が魂をその刃に託し、心を律し、敵を制し、そして克つ。太刀は己の命と同等だ。それをなんでもいいなどと言うものではない」

「……そんなものは、人間のこじつけに過ぎないだろ。武器は武器、所詮道具だ」

「つまらん男だ」

「どうでもいい。それより始めないのか?」

「うむ、涼しい顔に似合わず血気盛んだな」

「どうとでも言え」

 じり、と藤高が構えを鋭くする。

 千哉も打刀を腰に寄せ、鯉口を切った。

「…………」

 温い夜風が吹く。

 両者ともに一歩も動かなかった。

 千哉は変わらず、腰に打刀を当てたまま。藤高は髪を靡かせ、千哉を睨んだまま……。

 恐らく、藤高は千哉の異様な雰囲気に飲まれている。だから間合いを詰めることができないのだ。桃太郎はそれを既に経験しているため、すぐに理解できた。

 ゆっくりと足元が泥に沈むような、じわじわと身体の内を蝕われるような感覚。『鬼』が作り出す、人間の踏み込めない領域。畏れと神聖さの漂う不思議な間合いに、人間は自然と足が止まるのだ。

「――あ、あの、桃太郎様」

「へっ?」

 手に滲む汗を拳で潰していると、突然横合いから高い声で聞こえた。びっくりして振り返れば、くりっと黒目がちの丸い瞳が桃太郎を見上げていた。そこには女中のような質素な格好をした千鶴がいた。

「おまえ、いたのか……」

「は、はい。あっ、突然お声を掛けてしまって申し訳ありません」

「別にいいよ」

 小首を傾げる千鶴に桃太郎はやんわりと首を横に振る。正直、いつ千鶴が隣に来たのかわからなかった。気配をまったく感じられず、足音も衣擦れの音すらも聞こえなかった。当たり前のように少女はちょこんと正座をしている。

 そしてすぐに悟る。彼女も千哉と同じなのだ。小さな女の子であるが、千哉の妹。『ヒト』とは異なる存在。

「……お兄様」

 千鶴が眉尻を下げて庭へ目を向けていた。

 怒ったような声音に、桃太郎は我に返って千鶴に優しく声を掛ける。

「千哉が始めたわけじゃないけどな。大丈夫だって。藤高のおっさんは確かに強いけど千哉には……」

「でも、お兄様が他人ヒトの頼みを承るなんて」

 そう、そこだ。

 桃太郎も引っかかっていた。千哉が無為な行動をすることはない。そんなことを言ってしまえば藤高に失礼だろうが、千哉には藤高と手合わせして何の利も無い。『鬼』の誇りを持つ彼が、人間と試合して何か目的でもあるのか。

 憂さ晴らし――彼はそう呟いていた。

「千鶴、何か知ってる?」

「え?」

 だめもとで訊いてみる。ぱちぱちと目をしばたたかせて千鶴は可愛く首を捻った。

「千哉、さっきから変なんだ。何かあったのかなって思って」

 訊くと、千鶴は小首を傾げながら、わずかに目を見開く。それに目敏く反応した。

「何か思い当たることあるんだな」

「え、えっと……、わたしは……」

「オレは千哉の力になりたい。なんでもいいから、頼むよ」

 否定するように顔をうつむかせる千鶴の肩を掴んで、請う。千鶴はきゅっと胸元で手を握って、意を決したように桃太郎を見つめた。

「実は……」

「オオッ――!!」

 そのとき、野太い歓声が広間に響いた。


 藤高が大太刀を振りかぶる。千哉との距離はおよそ十歩。その距離を藤高はわずか三歩で埋めた。己の一歩と腕の長さ、そして大太刀の長さ、それを理解し足し合わせれば容易にできる肉迫である。

 一瞬であった。大上段に振られる大太刀は踏み込みと同時にあっさりと頂点を行き過ぎ、振り下ろされる。大太刀の物打ものうちは軽々と千哉の脳天に食らいついた。

「――ッ」

 千哉はそれをぎりぎりまで見定め、紙一重で躱した。

 粉塵を巻き上げる大太刀。

 興奮し切った家臣たちは藤高を眺める。

熱い視線を受ける藤高は涼しい表情で、地面に突き刺さる大太刀を見つめていた。

「ほう」

 感嘆の声を上げる。

 彼は澄んだ目を横に流し、大太刀を持ち上げた。

「俺の一撃を避けるか」

 千哉は初定位置から一歩左に寄っていた。たったそれだけの動作で降り注ぐ大太刀を回避してしまったのである。竹鳥の家臣たちが信じられないと言った風に千哉を見つめる中、藤高は破顔した。

「久しぶりだ、避けて立っている……いつもは腰を抜かして終わってしまうからな、まったくもってつまらん……。故に、楽しい」

 藤高は大太刀を担ぎ、千哉の左手を見やる。

「抜かぬか? それとも、居合いの心得でもあるか?」

「居合いか……。そうだな、あの男の真似でもしてみるか」

「む」

 千哉は腰を低くして柄に右手を添えた。ぴりっと肌を刺すような気が発せられる。藤高は素早く間合いから外れ、再び大太刀を構えた。何か感じ取ったようである。彼は目を輝かせ、ますます笑みを深めた。

「やはり、もったいない。そのような武を持つにも関わらずこんなところで籠もって……。蔵に入った槍は腐るだけだぞ」

「……」

「名を上げることを良しとしないか? もっと世に自分の名を広めたいと思わないか? 男に生まれたなら、そう思って当然だろ」

「やかましい」

 呟きは一陣の風に変わった。

 誰がそれに気づけただろうか。少なくとも他の連中や藤高の視覚は、千哉が消えたと錯覚した。

 突如に、千哉が出現した。風が花びらを散らすように、千哉は藤高の間合いを侵す。ふわっと静かに降り立ち、音を立てることもなく。ただ、千哉はそこにあった。それにはもはや、闘気も殺気も情も無かった。

「――ッ!」

 藤高が息を飲む。

 放たれる銀光を目撃し、藤高は上半身を仰け反らせた。咄嗟の行動は奇しくも、千哉の斬撃を躱すことに成功し、藤高はたたらを踏むように後ずさる。

 竹鳥家臣の怒声にも似た悲鳴が届き、藤高はハッと荒い息を吐き出した。どっと流れる冷や汗を拭い、藤高は驚愕に目を見張った。

「少し違うな……奴のはもっと速かった……」

 一方、千哉は抜き身の打刀をぶら下げ、何やら考え込んでいる。

 藤高は震える右手を押さえ、熱い息を零す。

「この俺が、恐れるか……。ハハッ、愉快だ」

「居合いは、難しいな……」

「試し斬りとやってくれるな。小手先で倒れるほど、虎の渾名は伊達でないぞっ」

「器量が見えているな」

「言ってくれるわ」

 藤高は大太刀を横に寝かせ、背に流す。そして一気に千哉に迫り、豪快な横薙ぎを繰り出す。大気を斬り裂き、叩きつけるような斬撃は千哉の首筋に吸い込まれる。千哉は余裕に涼しい顔のままあっさりと剣戟を受け止めた。押し切ろうとする藤高に大太刀と打刀は火花を散らし、悲鳴を上げる。

 どちらも譲らない。それでも刃圏の広い大太刀が千哉の肩を掠める。一級品である藤高の愛刀と、ガラクタ同然の凡刀ナマクラ。研ぎ澄まされた刃の鋭さは目にも見るに明らかであった。徐々に千哉の刀が削られていく。

「く……ッ!」

 そのとき千哉が強引に刃をいなし、弾いた。橙色の火花が二人の間を飛び散り、二人の視線が交錯する。藤高の体勢は崩れない。真上に上げられた大太刀を素早く手元に引き寄せ、大太刀を振り下ろした。

 月光を受けて青白い光線が波紋を打つ。冷たく美しく、哀しい輝きを放つ刀身が千哉を映して、そして。

 消えた。

 ――キィィィイイン。

 甲高い衝突音が鳴り響いた。

「……ひぃっ!」

 次に聞こえたのは家臣の悲鳴。振り返ると家臣の側の柱には、衝撃を殺し切れず微振動する刀身。それを確認した一同は再び庭へと首を戻す。

 千哉と藤高は交差し停止していた。前者は低姿勢で凡刀ナマクラを振り切った姿。後者は雄々しく大太刀を振り下ろした姿。ただし、藤高の大太刀は刀身の真ん中あたりから、きれいに無くなっていた。つまり飛んできた刀身は藤高の大太刀となる。

「…………武器破壊」

 誰かが呟いた。

 日本刀は硬く鋭い。鍔迫り合いになったとしてもそう簡単に折れないのが日本刀の強みだ。だが、横から掛かる圧力は別だ。日本刀は相手を叩きのめす武器ではない、引いて下ろす刃物、鈍器などの打撃にはめっぽう弱いのだ。

 恐らく、千哉はそれを使ったのだろう。見ると千哉は打刀を逆刃に持ち替えていた。峰側で大太刀を叩いたのだ。

 先に動くは千哉。

「もう少し持つかと思ったが……こんなものか」

 すくっと姿勢を正し、軽く息をく。逆刃に持ち替えた打刀を見やった。峰も刃もひどくひび割れ、修復は難しそうな有り様であった。

「……お前」

 数拍経って、藤高が千哉を振り返る。酔いもすっかり醒めてしまった彼は顔を真っ青にして、渇いた喉を鳴らす。

「俺が、競り負けるか……」

 折れた大太刀を肩に置いたとき、竹鳥の家臣たちが慌てた様子で主君に駆け寄る。囲まれる藤高は迷惑そうに苦笑しながら、御幸の小さな頭をぐりぐりと撫で回していた。

「わかったか? 藤高」

 柏手とともに厳かな声が縁側に響く。皆一同に顔を上げれば、桃太郎の隣に政春が立っていた。彼は口の端を吊り上げ、歪んだ笑みを浮かべる。

「強いだろ。若い衆は」

「……」

 その一言に藤高も桃太郎も息を飲み、目を見張る。

 どうして政春は、千哉と藤高の手合わせを承諾したのか。

 桃太郎はなんとなく、父親の行動が理解できたような気がした。

 多分に藤高は政春の考えをすべて理解したのだろう、やがて肩を揺らして喉の奥で低く笑った。そして吐き捨てる。

「くっ……、お前は本当に性根が腐っている」

 政春はハッと鼻で笑って答え、皆に声を掛ける。

「座興は終わるじゃ。何、楽しめたぞ。……鬼柳の、大義であった」

 にやにやと笑う政春はあっさりと告げて大広間へ引っ込んだ。側に控える忠行が千哉に厳しい視線を浴びせていたが、呆れたように政春を追いかけた。一同がぞろぞろと大広間に帰る中、藤高は桃太郎の肩をバンバンと叩いた。

「面白き武者だ、大事にしろ」

「あ、あぁ……」

 笑顔を返してから、桃太郎は庭へ下りる。隣で見物していた千鶴も慌てて兄へ駆け寄った。すると忠治たちも出てきた。渋い顔をする忠治を無視してまず千哉に向かう。

 千哉は妹の存在に気づき、穏やかな表情を作った。

「千鶴……観ていたのか」

「お兄様、どうしてあのようなことを」

「怒るな。少しばかりの酔い醒ましだ」

「でも……」

「あまり騒ぎを起こされては敵いません」

 千鶴の言葉を繋ぐように、眉間にしわを寄せる忠治が口を挟んだ。

「あなたの存在をはっきりと理解するのは若と我ら、そして殿と父上らしかおりません。注目を浴びれば他の方に覚えられる。目立つことはお嫌いなのでしょう?」

 諫言を受け、千哉は怜悧な目を向けたが、すぐに顔を背けた。

「わかってる。別に目立ちたいわけじゃない」

「千哉さん……」

 素っ気ない答えに五右衛門も美羽も不安そうに顔を見合わせた。

 良い空気じゃない。千哉の行動が理解できないのは桃太郎も忠治たちも、そして身内の千鶴もそうである。困惑する千鶴は助けを請うように桃太郎を見上げてきた。視線を交わし、ぽんぽんと彼女の頭を触れて、桃太郎は口を開いた。

「そうだよな」

 微笑を浮かべる。それは屈託のある微笑みであった。意地悪さやずる賢さは感じないが、それでも含みのある笑顔である。千哉は露骨に顔をしかめて桃太郎の笑顔に応えた。

「千哉は私利私欲で戦わないもんな、目立ちたがりでもないし」

 桃太郎は綺麗な弧を唇に作り、千哉を見つめた。

「千哉、優しいもん」

「……」

「なに、隠してんだ?」

 不意に瞳の色が無くなる。低くなった声音に忠治たちも振り返り、言葉を投げかけられた千哉はわずかに眉を動かした。千哉は否定するように目を逸らした。

「何を言ってる、お前は」

「嘘()くなよ。バレバレだって」

 くすっと笑うと千哉は唇を噛む。不愉快そうな彼に桃太郎は手を伸ばした。

「オレを頼ってくれよ。助けられることがあるならオレは最後まで付き合う。オレは、いつでもおまえの味方でありたいから」

「桃太郎……」

 千哉は悔しそうに顔を歪め、伸ばされる腕を見つめる。それがなんだか可笑しくて、桃太郎はわざとらしく顔を曇らせてみせた。

「話して、くれない……?」

 言うと千哉はますます顔を歪め、吐き捨てる。

「お前は……。たまにものすごく嫌味なところがある……父親にそっくりだ」

「えぇー? 親父と一緒とか心外」

「もともとお前には話すつもりだった。いらん邪魔が入ったから……」

 千哉はどもりながら口にし、目を桃太郎と合わせた。そして差し出される桃太郎の手をがしっと掴む。引く力が思った以上に強くて桃太郎の足元が揺れた。

 千哉は精悍な顔立ちに複雑そうな笑みを浮かべた。




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