二、桃太郎、酒宴を楽しむ。
その日の夕暮れ。
一色の城下には帰還する軍勢があった。竹鳥藤高率いる竹鳥軍、およそ二千が凱旋する。
先頭を行くのは竹鳥藤高、その人である。背中に差す全長七尺はあろう大太刀は、竹鳥藤高という武人を示す象徴であった。竹鳥の虎、大太刀の新次郎、その渾名を知らぬ者はこの世にいないだろう。精悍な顔立ちと大きな体躯、黒と緑の糸で威した具足に、その上から金糸の飾り紐が光る外套を羽織っている。
その勇壮な佇まいは、まさに一国の長……この乱世に生きる男であった。
彼は不敵な笑みを零し、悠々と馬を駆っていた。
城門をくぐれば、本城に居る一色政春の家臣が竹鳥軍を丁重に出迎える。藤高はそれらを横目で流し、奥に立っていた政春を見つけた。彼は珍しく素襖を着、髪もきちんと結わえて小奇麗な格好をしていた。藤高は馬を御幸に預け、政春に詰め寄った。
「世話をかけたな、藤高」
相変わらずニヤリと意地悪い笑みを浮かべる盟友に、藤高は顔をしかめる。
「政春、訊いてないぞ」
「何を」
「いつの間に、皆元の臣を誑かした?」
すると政春は軽く肩をすくめて、
「わしはおまえのように戦好きではないからな。頭を使ったまでよ」
こちらを見上げて、とんとんと指でこめかみを叩いた。藤高はますます顔を険しくする。
「お前の小賢しい手はどうでもいい。問題はその後だ、皆元の動きがあまりにも早過ぎる。臣下が反旗してまだ三日だぞ」
皆元が退いたのは昨日の話である。西と北で離れた場所にも関わらず、皆元は即座に軍を転進させたのだ。もし、皆元本家がその臣下を見張っていたとはいえ、たった一日や二日で、報せが西方へ届くわけがない。
「わしは笹波清和を調略しろと命じたが、それ以上は何もしておらん。腕の良い忍びでもいたんだろう」
政春は興味なさげに答えるのみ。
だが、藤高は納得できなかった。
聡明でずる賢い盟友だ、何かしら策を弄してあるはずである。もちろん根拠は無い。これは勘のようなものだ。武人である己が何かを感じ取っている。身体の内から発せられる本能的な何か。藤高の心には警鐘が響いていた。
そしたら政春が馬鹿にしたように鼻で笑った。
「足りない頭を動かすな、みっともない。おまえは体を動かしておけば良いのだ」
「なっ、貴様!」
「賢い家臣はいくらでもいるだろ? わざわざおまえが考えることもなかろう。……さぁ、戦の話は後だ。今宵は無礼講といこう。おまえの好きなものを用意してある」
踵を返す政春を忌々しく思いながら藤高は呼び止めた。
「待て政春。一番手柄の奴は今ここで聞け」
「何を言う、戦自慢は明日にしろ。手柄争いなどみっともない」
「聞いてもらう」
政春の肩を強く掴み、無理やり振り返させる。政春はうっとうしそうに目を上げるが藤高は気にもしないで背後を振り返り、御幸を呼ぶ。主君に応えるかたちで、御幸は兵の中からある人を引っ張り出した。
「え、しかし某は……」
「いいから来い。殿に恥をかかせるつもりか!」
色白の少年はぷりぷりと怒りながら男の手を引っ張った。
前に押し出される青年を見て、政春の目がわずかに見開かれる。驚く彼に藤高は溜飲が下がる思いであった。口元を緩め、出てきた青年を見ながら口をつく。
「一色の将で、いち早く俺に駆けつけ、俺に手を貸してくれた」
「……」
「お前の……一色の水軍長は中々豪気な男だぞ」
「……」
青年は泥まみれの顔を緊張に強張らせ、政春を眺めている。藤高は零れた笑みを抑えることができなかった。これみよがしにと、青年――浦島達海の肩を掴んで隣に並ばせる。そして超然的に笑い、政春に告げた。
「こんな家臣を持っているお前が羨ましいぞ。もし、いらんのなら俺にくれ」
「……馬鹿を言え」
やっと、政春が反応した。早口に吐き捨てられた鋭い声は拒絶を露にしていた。政春は諦めたように肩を落として苦笑した。
「勝ったな。藤高」
達海がハッとなって藤高と政春を交互に見やる。藤高は達海に白い歯を見せて、くしゃくしゃと頭を撫でてやった。呆然とする達海はされるがまま顔をうつむかせる。拳を握り締め、肩を震わせて小さく嗚咽を漏らした。
「さぁ、勝ち戦じゃ! 勝ち鬨を上げよッ!」
竹鳥藤高は、拳を天に突き上げ豪快に笑った。
* * *
酒宴が開かれる。
城の大広間にはたくさんの人たちが集まり、たくさんの料理と酒が一色と竹鳥の臣に振る舞われ、皆は大いに食べ、飲み、騒いだ。
上座に座る竹鳥藤高が、杯を手に立ち上がる。既に赤い顔で、青地に牡丹の刺繍の入った小袖を片肌脱ぎして髪を肩に垂らしたままの姿であった。藤高は己の臣下たちを見渡し、赤ら顔で笑う。
「皆元との停戦和平もなった。我らは皆元に勝ったのだ! 今宵はすべて一色のもてなしである、遠慮するな皆の者、存分に飲め、騒げ!」
「相変わらずだな、おまえは」
「なんだ? お前も相変わらず気障に振る舞いおって……もっと飲めっ」
「歳を考えろ、阿呆」
隣に座る政春が呆れた様子で呟き、杯を呷った。酒の席になると藤高は昔からこんな感じだ。政春の苦笑に藤高が食ってかかって言い合うが、もう誰も聞いていなかった。主君の言葉通り、一色の将も竹鳥の将も隔たりなくうるさいくらいに楽しんでいる。
政春に一番近い席で、桃太郎はちびちびと酒を飲みながら宴を傍観していた。怪我は治ってきたが、騒ぐ力は無い。忠治たちも父親や他の家臣に捕まっている。五右衛門が久しぶりに父親と再会して楽しげに会話をしているのが目に入った。
加えて、今回の戦手柄のほとんどは竹鳥にある。
桃太郎は政春や藤高を見やって、苦々しく思う。
「……敵わねぇよ、ほんと」
「桃太郎様」
「ん……?」
弾んだ声音に振り返ると、側には達海が坐していた。後ろには瑠璃もいる。彼の無事な姿を見て心が少し穏やかになり、桃太郎は頬を緩めた。
「達海……。無事に帰ってきたんだな」
「もちろんでございます。あなた様のために身を削ると約束を致しましたので、かようなところで立ち止まってなどいられませぬ」
いつになく表情の明るい達海は銚子をこちらへ差し出し、酒を注いでくれる。達海は銚子を傾けながら、唇を震わせた。
「竹鳥様のおかげで、浦島は……!」
その話は聞いた。父親の心境は定かではないが、父親の顔色を見るに話は上手くまとまっている様子である。桃太郎は杯いっぱいに注がれる酒を制してから、口を開いた。
「藤高のおっさんだけがすごいってわけじゃないだろ。達海が頑張ったからこそだ。オレもおっさんも言うことしかできないし……信じて行動したのは達海だから」
息を飲んでこちらを見つめる達海。桃太郎は杯を彼に掲げた。
「よかったな。達海」
「はいっ……! 桃太郎様にも、竹鳥様にも何度頭を下げればよいか……本当に、本当に……!」
「兄様……」
歓喜極まった様子で、達海は床に拳をつく。そんな兄を瑠璃が悩ましげに見てから、桃太郎に目をやった。瑠璃は怒ったように眉をひそめていた。
「兄様、さっきからこれなの」
「おまえなぁ……ちょっとは達海の気持ちわかってやれよ」
淡白に不満を漏らす瑠璃には苦笑いが漏れる。すると瑠璃はますますむくれて、膝の上で両の指をいじった。
「わからないわけないでしょ……。ちょっと、びっくりしただけよ」
「……そっか」
「何よその顔! なんか腹立つ!」
吹き出すと瑠璃は噛みついてきた。睨む瑠璃を気にせずくすくすと笑っていると、どかどかと近づく者があった。噂の竹鳥藤高である。達海と瑠璃が座礼する中、彼は愉快そうに隣に腰を下ろす。
「挨拶が遅れたな桃太郎殿。月とはもう会うたか?」
「あっ……。うん」
「ますます美人になったろう? さすが我が娘だ。……故にこそ、手放すことが」
「ま、まぁ、ゆっくりな……」
ぐぬぬ、と唇を噛んで杯を揺らす彼に苦笑いを浮かべると、瑠璃が白い目を藤高に向けていた。
「あの人のお父上……? 確かに似てるわね、厚かましそうなとこ」
「瑠璃っ、おまえ……!」
泡を食う達海を知らんぷりに瑠璃は不躾な視線を藤高に送っていた。彼女の視線に気づいた藤高が感嘆の声を上げる。
「おおっ、達海殿の妹君であるか。ふむふむ……可愛らしい女子だ。どうだ? 俺の三男坊はまだ嫁がおらん。清海殿の息女ならば大歓迎だぞ」
「なんとっ!」
「は?」
浦島兄妹は素っ頓狂な声を同時に上げる。兄は驚愕に目を剥き、妹は意味不明と言いたげに不快に顔を歪めた。二人の反応など気にせず藤高は続ける。
「年も近いうえ美人ときた。無論月には劣るが。あーっと……瑠璃殿、考えてもらえぬか?」
「竹鳥様のご子息! 瑠璃、このような素晴らしい縁談はもう無いぞ! お前のような娘にまさか……あり得ないだろ!!」
「ちょ……私のことなんだと思ってんのよ」
興奮し切って唾を飛ばす兄に、瑠璃は凍てつくような視線を送る。
酒の入った席だ。藤高も冗談半分で言っているだろう。……たぶん。桃太郎も笑って話に乗った。
「いいじゃん。浦島と竹鳥……親父の代だけじゃなくて、オレんときも仲良くしてほしいよ」
「あんたまでッ!」
ふざけるな、と瑠璃は恐ろしい形相をして襟元を掴んできた。そしてふと思う。
こう近くで顔を合わせば瑠璃もたいそうな美少女である。つんとした顔つきに軽く化粧も施して、ぱっちりとしたつり目がちの双眸には藍色がかった綺麗な瞳が浮かんでいる。桃太郎はへらりと笑って、膨らむ彼女の頬を突いた。……うむ、柔らかい。
「そう怒った顔すんなよ、せっかく可愛いのに」
「ッ!? あんたって奴は本当に~っ!」
「痛いって……ははっ」
頬をつねられ逆襲を受けると、達海が目をひん剥いて怒鳴った。
「若様になんてこと……!」
「はっはっはっ、仲睦まじいな。む……、とすると俺の話はなしか」
「まさか……! 瑠璃、いつの間に若様とそのような仲に!」
「はぁっ!? 何言ってんの!?」
「むむむっ……。桃太郎様には忠をつくさねば。しかし竹鳥様にも恩義を返さねば……!」
「黙れバカ兄!!」
苦悶する兄を罵倒し、瑠璃は肩で息をする。怒りと羞恥が交じる表情を見て、桃太郎は腹を抱えて笑った。
「笑ってないで否定しなさいよっ」
縁側から注ぐ月明かりだけでもわかるくらい瑠璃の顔は真っ赤だ。つんけんした彼女も良いが、時おり見せる恥じらいはなんとも女の子らしい。にやついたまま桃太郎は両腕を広げた。
「オレ、女の子は大歓迎だから」
「ほんと、むかつく!」
吐き捨て、憤然と腕を組む。達海が慌てふためき、頭を下げて何か言っているが桃太郎はまったく聞いていなかった。
「まぁ、良い」
からから笑う藤高が杯を呷った。
「俺も三男坊に伝えるゆえ、またの機会にしよう」
「竹鳥様」
瑠璃が鋭い声音と眼差しで、藤高を呼ぶ。藤高が酒を注ぐのをやめ、凛々しく太い眉を上げた。端で達海がひやひやと瑠璃の言動に注意を払っている。そして瑠璃はすくっと立ち上がり、冷たい笑顔を貼りつけて宣言した。
「あなたのご子息が、桃太郎様より素敵だったら考えてあげなくもないですよ?」
それは周囲を黙らせるのに十分だった。
近くで騒ぐ家臣たちが瞬時でこちらを振り返り、酔いが醒めた様子で固まる。
告げられた藤高は杯を取り落とし、達海は文句も言えず顎が外れるぐらいに口を開け、傍観する桃太郎も絶句した。しんと静まり返る一角。近くで、失笑する政春の低い声だけが聞こえるが。
瑠璃は仰天する男どもを見渡し、腰を折った。
「失礼します」
勝ち誇ったように微笑みを浮かべて瑠璃は優雅に場を後にした。
茫然とする三人。やがて藤高が毒気を抜かれたようにぼそりと呟いた。
「妹君は、何と言うか……豪胆だな」
「まことにっ、申し訳御座いませぬ!!」
平謝りする達海が可哀想に見えてきた。
* * *
千哉を見つけた。
大広間の末席で静かに膳を平らげ、騒がしい広間から離れて縁側で一人、丸い月を見上げていた。冷めた強面だが、凛々しく整った顔立ちである。さっきから女中たちが大広間の端でちらちらと千哉を観察していた。
彼女たちの視線を恨めしく思いながら、桃太郎は瓶子と二つの杯を手に千哉へ寄った。気配に気づいて千哉はこちらへ目を向ける。
「なんだ、お前か」
「千哉、せっかくだから飲も?」
いつの日か、あの夜は鬼柳一族との和解を祝って飲み交わそうと思ったのだが千哉が失踪してしまって駄目だった。だから今日はそれも込めて千哉と飲みたい。笑顔で瓶子を前へ出すと、千哉は冷めた声音で答える。
「俺は下戸だ。飲めん」
「そうなの? でも一杯ぐらい……差しで飲みたい、な?」
「……まぁ、一杯くらいなら」
「うん」
承諾してくれたことが嬉しくて桃太郎は微笑み、千哉の隣に腰を下ろして、二つの杯に酒を注ぐ。
「さ、戦勝だ。オレは何もしてないけど、千哉は、鬼柳は頑張ったもんな。ありがとう、一色のために」
「別に、大したことはしてない」
淡白に返し、千哉は杯を受け取る。
こちらが杯を軽く掲げると、静かに千哉も応えてくれた。杯に口をつけ、桃太郎は感嘆の息を吐く。
「こういうの、久しぶりだな」
「ん、そうだな……」
夜空には少し欠けた月が煌々と輝いている。夜風も温かく湿っぽくなってきて、庭の草木からは虫の声も聞こえた。少ししか距離を置いてないのに、騒がしい大広間とは打って変わった空気を漂わせる縁側。ほろ酔いで火照る体を癒してくれる。
「すごく、良い」
「騒々しいのは嫌いだからな」
「かっこつけやがって。ちょっとは楽しんだからどうですかぁー?」
「人間は人間らしく騒げ。俺はこうして阿呆な連中を見てやるさ」
「性格悪ぃの」
「そうか?」
口元にいやらしい笑みをつくる千哉。彼らしくない笑みを見て本当に酒に弱いのかと思ってしまう。まだ一杯目なのに。桃太郎はくすっと笑って続けた。
「鬼柳のみんなも呼んで来たらよかったのに」
その一言に千哉の顔が強張った。ゆっくりとこちらに向ける瞳は冷ややかである。さすがにその話は不味かったのか、気づいたが口に出したものは戻せない。慌てて、言葉を繕おうと考えたとき、千哉が杯を置いてため息を吐く。
「少し、問題があってな」
「いやまぁ、みんながみんなオレのこと認めてないし……仕方ないよな、悪い……」
「そうじゃない。……お前にだけは話しておくか」
首を横に振り、悲痛そうに顔をしかめて桃太郎を見やる。
嫌な汗が頬を垂れる。重たい空気が流れた。賑やかな宴の席がかなり遠くにある気がして、さきほど感じた穏やかな空気とはまったく異なるものを感じた。
千哉の真剣な面持ちに桃太郎は戸惑い、こくりと唾を飲み込んだそのとき。
「おおっ、知らぬ顔だな」
声の闖入。
振り返ればそこにはまたもや竹鳥藤高が瓶子を片手に参上した。今度は従者らしい少年を連れている。思わぬ登場に拍子抜けしてしまい、ため息が漏れた。
「……あ、おっさん」
「そなたが隅っこで飲んでいるのを見て何かと思えば……知らぬ顔を見つけた」
赤ら顔を屈託なく綻ばせて、桃太郎の向かいにいる千哉を眺めた。すると藤高の後ろに控える少年が口を歪めて呟いた。
「この方が桃太郎様、ですか……」
色白の小柄な男だ。もしかしたら忠治より小さいかもしれない。幼さが残る顔立ちで、細い眉を眉間に寄せていた。不愉快そうなその呟きに桃太郎は視線を彼にやる。二人の目が合ったとき、藤高が声を上げた。
「桃太郎殿は初めて顔を合わすな。紹介しよう……御幸」
「は……。竹鳥藤高様が家人、伴野御幸と申します。以後お見知りおきを」
「あぁよろしく」
伴野御幸と名乗った少年は深々と座礼し、腑に落ちない顔つきを桃太郎に送った。それを受けるも、桃太郎は端正な顔をにこやかに緩ませる。
「あなたが、月様の……」
「ん、そうだけど……?」
渋面の御幸に、藤高は含み笑いを浮かべて言う。
「気に掛かっていた美しい男だぞ、御幸。噂通りの秀麗さだろう? ん? どうだ、惚れるか?」
「ばっ、馬鹿なこと申さないでくださいっ!」
絶叫して否定する彼は白い頬を真っ赤にして主君を睨んだ。
「私はっ、月様のお心を射止めになった殿方がどのようなお方が気になっただけですっ!」
「本当かぁ? ん~?」
「そ、そんなことよりもっ。殿のご用事はそんなことではありませんでしょっ」
「あーそうだった。……俺は、お前に興味がある」
途端に藤高の眼光が鋭くなった。酒の入った人間が放つ気ではない。それは竹鳥藤高という武士が見せる圧力だろう。彼の視線の先には千哉がいる。藤高は顎を撫でながら千哉をしげしげと眺める。
「お前は見たことがないな。新参者か? 政春はまた、どこかの国衆を引き入れたか」
千哉は目を合わせることもなく、低い声で答えた。
「……答える必要があるのか」
「貴様、殿になんたる無礼かっ」
「口を挟むな御幸」
藤高は即座に制し、再び千哉へ口を開く。
「良い体つきをしておる、長けた武を持っていると見受けるが……どうだ、俺に付かぬか?」
「えっ……!? おっさん……?」
一色の若殿の前で堂々と家臣の引き抜きをする藤高。無論それに気づかない者はいない。竹鳥の当主が大広間の隅で何をしているのか気になって当然である。いつの間にか、桃太郎の周りには視線がたくさん集まっていた。
そんな好奇の視線も意に介さず、藤高は千哉を見下ろし笑う。
「政春の下ではその武も役に立たんだろう。武人ならば戦場を駆けるべき。こそこそと姑息に策を巡らしはせん。その武、俺の下なら存分に発揮できるぞ」
千哉は桃太郎の持ってきた瓶子から酒を注ぎぎながら、深くため息を吐いた。
「……人間の下につくつもりはない。鬼柳の長としてその責務を全うするのみだ。それに約束したからな、最後まで付き合うと」
「ほう。俺のような輩の下にはつけないと言うか。よほど、桃太郎殿に惚れこんでいると見える」
「……」
なおも笑う藤高に、千哉はぴくりと眉を動かした。
「他を当たれ。今の俺は機嫌が悪い……知らないぞ」
低い声で脅す。千哉の両目が暗く濁っていく。その目は相手を軽蔑する眼差しであった。初めて桃太郎と出会ったときや本気で怒ったときに見る目だ。そして『鬼』の瞳は相手を縛りつけるような力を秘めている。
一瞬、藤高から表情が無くなった。これには竹鳥の大将も黙り込んだのである。しかしすぐにハッと一笑に伏し、藤高は豪快に笑う。
「良い目だ、ますます欲しくなったぞ」
「……」
「どうだ。手合わせしてみぬか?」
「なっ……!!」
竹鳥家臣が騒然となる。従者の御幸が金切り声を上げるが主君は笑うばかりである。藤高は大広間の奥にいる政春を見やった。
「政春、少しこいつを借りるぞ」
「勝手にしろ」
そして政春も、仰天する一同を無視して、魚をついばみほくそ笑んだ。
「座興よ。面白いものを見せよ」
ついっと視線が千哉に流れる。それは彼にも向けられた言葉であった。
視線を受け止める千哉は口を閉ざしたままである。桃太郎は父親と千哉のやり取りを見やり、おずおずと千哉に声を掛ける。
「いや、千哉……。やらなくても」
「……人間は馬鹿ばかりか?」
すると千哉はふっと微笑んだ。場違いな笑みに桃太郎は目を瞬く。
「お前も、そうだったな」
「えっ? あっ、そういや……」
初めて会ったときを思い出し、桃太郎は二の句が継げなくなった。藤高の言動をあれこれ言うことを躊躇ってしまった。
黙るこちらを嘲るように笑い、千哉は立ち上がってぼそりと呟く。
「憂さ晴らしにはちょうど良いだろう」
――憂さ晴らし? 桃太郎はその言葉に引っかかってハッとなる。千哉らしくない言葉遣いである。彼がそんな言葉を口にするとは思えなかった。酒が入っているせいかそれとも、さきほどの暗い表情と関係あるのだろうか。
違和感を覚えたが、既に遅い。
竹鳥藤高は愉悦の笑みを零し、鬼柳千哉は冷え切った固い表情で……。
互いを見つめていた。




