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桃の色香 続章  作者:
第三章 鬼柳動乱編
45/52

一、桃太郎、困惑する。



「…………」

 唇に柔らかいものが当たった。それが彼女の唇だと実感するのに数瞬掛かった。桃太郎(ももたろう)は驚いたものの、久しぶりの感触に感激し酔いしれ、名残惜しく思いながら唇を離した。彼女の口から漏れた吐息が艶めかしい。

 桃太郎は周囲の目も忘れて、嬉しくて笑った。

「いきなりはないだろ。つーかオレ、怪我人」

「久しぶりに会えたんだからいいじゃない。それに旦那を労わるのは妻の努めよ」

「労わってんのかこれ? まぁ、元気出たけど」

「さすが私の旦那様っ」

 再びぎゅっと腰に手を回され、彼女は桃太郎の胸に顔をうずめた。口づけで怪我の痛みなど消し飛んでいる。口元が緩むのを抑え切れないまま彼女に目を細くした。

 それは昔からよく知っている人だ。

 雪のように美しい肌、絹のように滑らかで繊細な黒髪、透き通る綺麗な黒い瞳、筋の通った形の良い鼻梁、ぷっくりとした桃色の唇。その美しい容貌は世の男性を魅了し、まさに絶世と称されるに相応しい美女である。

 名は(つき)……竹鳥(たけとり)の姫君だ。

 月は端麗な顔を綻ばせて桃太郎を見つめていた。

「――なっ! な、何してんのよ!!」

 突然向こうから悲鳴が聞こえた。

 その高い声は浦島(うらしま)瑠璃(るり)のものである。あどけなさの残る顔立ちで、やや吊り上がった目とつんとした表情が気の強さを表していた。

 瑠璃は二人を指差し愕然と怒鳴る。すると月があっと声を上げる。

「あなたこの前の……どうして逃げたの?」

「は、はぁ? あんたが意味わかんないこと言うからでしょっ! っていうか質問してるのは私!」

「……何って……再会の挨拶?」

「どこが!?」

 ぱちくりと目を瞬く月。

 瑠璃はやや吊り上がった目を鋭くして、狂人でも見るかのように桃太郎を睨んだ。なぜか視線だけは桃太郎に向けられている。……よくわからない。

 そしたら、瑠璃の背後で立っていた香織(かおり)がぽつりと呟く。肩口で切り揃えられた栗色の髪、小顔で可愛らしい彼女はにやついて、相方に話を振った。

「だんなさまって言ったね……秋那(あきな)

「なんで私に言う!?」

 言われて秋那は目を剥く。香織と同じ忍び装束を着る彼女は赤い襟巻をしている。襟巻の端を振り回して、ぶんぶんと頭を振る秋那。頭から湯気でも出るくらい動転していた。彼女たちも、瑠璃と同じく驚きの様子である。

 喚く秋那を尻目に、今度は桃太郎の目の前にいる鬼柳(きりゅう)千哉(かずなり)が口を開いた。

「お前、結婚していたのか」

「えっ、あ……あぁ、いずれは……な」

 彼の冷たい視線に桃太郎は思わず言い澱んだ。歯切れの悪さに千哉が不審そうに眉間にしわを刻んだとき、月が嬉々として桃太郎の顔を覗き込んで口を挟む。

「そうなのよ! いつになったら祝言あげられるのかしら。父がうるさくて、今が良い機会だと思わない? ねえ、桃太郎?」

 明るい笑顔でそう問う。

 明らかに話が噛み合っていない。桃太郎が言いたかったことはそういうことではなかったが、面倒くさいので黙って笑顔を浮かべた。千哉はこちらの意図を察したか、眉をひそめたまま月を眺める。彼の視線に気づいた月は首を傾げて、朗らかに言う。

「貴方は初めて見るわね。桃太郎の新しい家来?」

「む、俺は……」

 不愉快そうに唸る千哉を見て、桃太郎は素早く言葉を取り繕った。

「月。こいつは千哉って言って、あっちは秋那と香織で……瑠璃は知ってんだよな? あと千哉の妹の千鶴(ちづる)……」

 目を向けると、桜色の小袖を着た少女は丸い瞳を大きく見開いて微動だにしていなかった。不思議に思って顔を覗き込んだとき、千鶴はビクッと肩を震わせて反応した。

「あれ……? 千鶴?」

「えっ? ……あっ、はい。わたしは大丈夫です……なんとも思ってませんよ?」

「え、いや……何も訊いてねーけど」

「ご夫婦なら当然ですよね……。わたしはなんとも思っていませんよ」

「いやだから……」

 にっこりと笑う千鶴。しかし目は笑っていない。冷たい雰囲気を放つ彼女に桃太郎の背筋が凍った。千鶴の様子に、瑠璃がびっくりして目を吊り上げて怒鳴り散らす。

「千鶴しっかりなさい! ……ぜんぶあんたのせいだわ、何もかもあんたが悪いの! というか美羽も黙ってないでなんとか言いなさいよ!」

「どうして私に振るんですかっ……」

 端麗な彼女は上擦った声で答える。あでやかな黒髪を後頭部の高い位置で結び、凛と表情が少し曇った。彼女も美人であるが月には負ける。

 桃太郎の従者である、雉野(きじの)美羽(みわ)は恐る恐ると言ったふうに桃太郎に視線をやった。が、すぐに忠治と五右衛門に目を戻して気恥ずかしそうに呟く。

「わ、私たちは慣れていますので……それに月姫様は竹鳥様の姫君であられます。政春様と竹鳥様がお決めになったことに口を挟むことは」

「あらあら、相変わらずね美羽さん?」

「はっ?」

 美羽の言葉を遮り、月がにっと唇を緩める。それから、目を瞬く美羽を無視して月は己を眺める女子たちを一通り見渡して、ふふんと胸を張って高らかに言った。

「別に私は構わないわ。桃太郎に惹かれるのはわかるもの。男だろうが女だろうが、何人だろうとかかってきなさい。私の旦那様なんだから惚れて当然よ。私は側室でも妾でも愛人でも気にしないわよ」

 わけのわからない発現に一同が黙り込む。そんな空気もお構いなしに、月は桃太郎に抱きつきのたまった。

「でもっ。私が桃太郎の一番だから、正室の座は私のものだからねっ? そこのところ、きちんと胸に留めておいてもらうわよ。誰にも譲るつもりないから」

「せ、正室……」

「私は関係ないですっ」

「だ、誰がこんな奴の! 頭おかしいんじゃない!?」

「何を言ってるんだこの女は!?」

「わぁ、だいた~ん」

「待てっ、千鶴は俺の……!」

 とんでもない宣言に、きゃあきゃあとかしましくなる。最後のは無視した方が無難であろう。

 また頭痛がしてきた。桃太郎は月に拘束される腕をゆっくりとほどく。こめかみを押さえていると、従者の犬養(いぬかい)忠治(ちゅうじ)猿田(さるた)五右衛門(ごえもん)が女子たちの壁を越えて縁側から上がってきた。

「羨ましいかぎりですよ、モモ様っ」

 楽しげに笑う五右衛門を睨みつつ桃太郎はため息をいた。そしたら忠治も同じように肩をすくめてため息をいた。呆れ顔の彼に言う。

「なんだよ」

「あなたもそろそろ身を固めてもらわねばなりませんと思いまして」

「説教か?」

「いえ、助言です」

 無感情に淡白に言う忠治。いつになく倦怠な雰囲気を醸し出す彼はすっと女子たちを一瞥し、

「五右衛門。何かあったら呼んでくれ」

「あっと、おれも用事が……。失礼いたします、モモ様」

「あ! てめぇらっ」

 二人は場を治めるのが面倒になったのだ。触らぬ神になんとやら、二人はそそくさと場を後にする。桃太郎が忠治の襟首を引っ掴もうと腕を伸ばしたとき、腰を引っぱられ背中に体重が掛かった。空を掠める右手を視界に捉え、桃太郎は床に顎を打つ。

 痛みに呻き、顔を上げると月がのしかかっていた。思わず悲鳴を上げる。

「怪我人って言ってるだろオレ!」

 しかし月はけろりとして、桃太郎に顔を近づける。

「どこ行くのよ。今日は一緒にいるって約束したわ」

「そんな約束した覚えないんですけど?」

 香の匂いが鼻を刺激し、さらりと流れる彼女の黒髪が肌に触れる。柳眉をひそめる月だったが、何か思いついた様子で妖艶に微笑み、桃太郎の耳元で囁いた。

「伽の準備もできているわ」

「……そりゃあ、光栄だな」

 ぼそりと呟く声音は踊っていた。

「もうっ! 二人とも何をなさってるんですか!」

 到頭、堪えきれなくなったか美羽が顔を真っ赤にして怒鳴った。

「こんなところで恥ずかしいですよ。若様もにやけてないで離れてくださいっ! もうすぐすれば竹鳥様がご帰還なされるのですから、姫様も若様もきちんとしてなさってください! 忠治と五右衛門(バカふたり)はどこ行ったんですか!」

「昔から少しも変わらないわね、美羽さん」

 月は動じることなく、肩をすくめるのみ。

 美羽の一喝に場は静まり、瑠璃、千鶴、秋那と香織は疲れたように息をいた。千哉はいつの間にかいなくなっている。

 ふと、千鶴が目を上げて月を見る。どこか不安げに揺れる視線を、月は受け止めてにんまりと美しい微笑をたたえた。

「よろしくね。みなさん」

 せっかくの再会であったが、桃太郎は終始苦々しい微笑みを浮かべていた。



 * * *



 皆元は敗北した。

 容易に片付くだろう一色攻略は突然の中止となった。

 皆元の侵攻により一色は西国の竹鳥に救援を求めた。その程度で狼狽える皆元の将兵ではない。小城ひとつぐらい落とせる余裕はあるのだ。

 しかし戦争は生命体のように蠢き、刻一刻と変化する。北地を治める皆元家家臣、笹波清和が反旗を翻したのであった。よって皆元は急遽一色攻略は中断せざる得なくなる。殿軍は竹鳥軍に敗走を帰し、将兵たちは支城ひとつ落とせず引き上げ、意気消沈する。撤兵のあとはすぐに笹波清和の鎮圧に向かわなければならない。長い戦になるだろうことは誰もが予想できた。そして、竹鳥を動かし、笹波清和を唆したのが、一色政春の策略であることを知ると、将兵たちはますます恐れ慄く。

 一色政春は、自らの手を血で汚すことなく勝ちを収めた。

 まさに、不戦の謀将である――と。


 ***


 茨城(いばらき)(みのる)は撤退する皆元軍を眺めていた。

 ぞろぞろと情けなく東へ帰る軍勢を見下ろし、稔は顔を歪めた。

「くそ。数が多いだけの無能どもめ」

 右の拳を握り締め、吐き捨てる。

 それも仕方ないか。先鋒部隊の大将である渡邊頼綱は戦の前に重傷を負い、他の皆元四天王も多かれ少なかれ怪我を負っている。一色桃太郎が出てきたのは予想外であったが。

 あの人間は邪魔でしかなかった。あの爽やかな微笑みの裏に何があるかわかったものではないのだ。所詮人間は人間である。おかげで稔が退却できたのは皮肉でしかないが。

 何より――。

 稔はぎりっと歯を鳴らして、西の方へ鋭い眼差しを向けた。

「…………」

「――稔」

 ややあって、下方から声を掛かる。声に、我に返った稔は素早く木から飛び降りた。

 着陸した先には稔の仲間たち――鬼酒の鬼たち、つまり稔の考えに賛同する者たちだ。数はざっと二十。若い彼らは鬼酒の再興を願い、最後まで徹底的に人間と戦うことを誓った鬼たちだ。

 稔に声を掛けたのは隻眼の男鬼。名は石動(いするぎ)と言う。長い前髪が眼帯に覆われた左目を隠し、腰に忍刀を二振り帯びた長身の男鬼だ。石動は残った琥珀色の右目を細め、稔へ寄る。

「皆元は退いたか」

「うん。一色が勝ったみたい」

 そう伝えると石動は口惜しそうに口を開く。

「……千早様の居場所は」

「たぶん一色。ぼくが逃がしちゃったから」

「お前の責任ではないだろ。お前だって怪我を……」

 眉をひそめ石動は稔の左腕を見やった。

 稔の左腕は常軌を逸していた。肌色は焦げたように茶色く、二の腕あたりにはくっつけた赤黒い跡があり、その付け根からは、蚯蚓腫れのような赤い筋状のものが這うように肌を覆い、手首と肩まで走る。左手の爪は“変化”したときのように黒く変色していた。

 稔は合羽を翻し、左腕を隠した。乾いた笑みを浮かべて言う。

「くっつけるのに時間掛かったけど、大丈夫だよ。“変化”してから、焼いてくっつけたからちょっと不気味だけどさ」

「本当か? 動くのか?」

「あんまり動かないね。軽い物は持てるけど、武器は無理かな」

 呑気そうに左手の指をくねくねと動かす。石動は不安そうに顔をしかめたまま稔を眺めている。そんな彼に稔は呆れて肩をすくめる。

「大丈夫だって、石動。ぼくは戦える……まだ戦わなくちゃ」

「……お前がそう言うなら良いが、無茶はするな」

「わかってるよ。君もね」

「ああ」

 硬い表情で頷く石動は左目の眼帯に触れた。

 彼が左目を失ったのは鬼酒の里に皆元勢が攻め込んできたときである。渡邊頼綱の斬撃にやられたのだ。石動の、左目の最後の記憶は斬撃を回避できず跪く無様な自分と、石動を侮蔑に見下ろす渡邊頼綱の姿があった。

 それを忘れることはない。

 左目を、里を、鬼酒を壊した人間どもに復讐することが石動の願いだ。

 石動は毅然と顔を上げ、稔に言う。

「ならば次は、千早様の奪還だな」

「うん。鬼柳にいると思う」

「鬼柳……同族か……」

 しかし、石動は同族に対しては穏健であった。

 拳を震わせて唸る彼に、稔は薄く笑った。

「皆元が退いたのは一色政春の知恵だって聞いてる。だけど……」

 すっと目を動かし、仲間たちに囲まれた影を覗いた。その視線に石動はますます眉をひそめて、辛そうに顔を伏せた。

 仲間たちが作る円の中心にいるのは一人のヒト、いやヒトではない。拷問され、袋叩きにあったその男は鬱血した顔を歪め、か細い呻き声を上げる。かなり衰弱した彼の様子を見て、稔は冷酷に口元を三日月にした。

「ねぇ。どうしてあんたみたいなのが、皆元領にいるのかな?」

 ゆっくりと歩を進め、男に訊ねる。

「ぐ……。お前だな……頭領が仰っていたのは」

「無視するなよ。質問してるのはこっちだ」

 稔は切り換えし、男の肩を蹴った。強い一撃に男は耐え切れず地面に転がった。即座に仲間がひっぱり上げ、無理やり顔を上げさせる。ぼろぼろの男は反抗する気力も無く、荒い息を吐くだけだった。稔は腰を下ろして、腰から小太刀を引き抜いた。

「あんた、鬼柳の鬼だろ?」

 小太刀を右手でもてあそびながら、冷酷に告げる。

「なんで皆元領にいるんだ? あんたの頭領はとっくの昔に一色領に帰ってるはずだ……。なのにまだこっちにいるのはおかしいだろ」

「答えると、思ってるか」

 鬼柳の男鬼は両眼を黄金色に輝かせ、吐き捨てる。

「たとえ同族だろうと教える義理はない……。お前は、頭領と違うんだ。お前は『鬼』のことわりから外れてる! 狂って壊れた同族になど……ぐああッ!」

 悲鳴が上がる。見ると男鬼の腿に小太刀が突き刺さっていた。頬に血が打っても、稔は笑ったままおどけた口調で言う。

「おかしなこと言うなぁ。『鬼』の理から外れてんのは鬼柳そっちだろ。ぼくたちは純真に鬼酒を復興したいだけなんだよ」

「ぐっ……」

「あんたがここにいる理由は、だいたい予想がつくよ」

 小太刀の柄頭に掌を置いたまま、稔はつまらなそうに推論を述べる。

「皆元の家臣が裏切ったまでは別に良いよ。だけど、それが一色攻略の軍に伝わるまでの時間があまりにも早過ぎる。たった二日だよ? 北方と西の国境(ここ)まで、馬を急いで走らせても六日は掛かるはずだ」

「……」

 口を閉ざす鬼柳の男鬼は腿の痛みのせいで黙っているわけではない。稔はますます笑みを深め、男の顔を覗き込む。

「鬼柳が、一色政春に手を貸したのは言うまでもないよね」

 稔の言葉に仲間たちは厳しく顔を歪め、鬼柳の男鬼を見下ろす。

「おまえたちは自ら進んで、ニンゲンに手を貸したんだな?」

「違うッ」

 しかし男鬼は叫んだ。

「違う! 千哉様は鬼柳を戦火に巻き込まないために手を打った! そして一色政春は決して戦を起こさないと約束した! ……人間をちゃんと見たことない貴様らに何がわかる? 貴様らは『鬼』の面汚しだ! 同族のも手に掛けて……! 何も見ていない貴様らが、偉そうに語るなッ!!」

 鋭い語気に鬼酒の鬼たちが居竦まった。

 沈黙が続く中、稔は非情な顔つきで男鬼を眺め、唐突に小太刀を引き抜いた。苦悶の声を上げる男鬼に稔は無言のまま、彼の右目に向けて小太刀を一閃。途端に血飛沫が上がり、その場の誰もが息を飲んだ。

 潰れた右目を押さえる男鬼に、稔は淡々と告げる。

「何言ってんの、あんた? ニンゲンを見てないのは鬼柳あんたたちのほうだろ。どうせ何も見えてないなら必要ないでしょ? 次は左ね」

「やめろ稔」

 稔が小太刀を振りかぶったとき石動が彼の腕を掴んだのだった。稔はゆっくりと振り返り、石動に目をやる。

「もう、楽にしてやれ」

 石動は険しい顔つきをしている。その表情は、この鬼柳の男鬼が憎たらしいとか煩わしいとか、そういう感情を含んでいない。

 石動は同族に対して寛容である。

 稔はハッと小さく息をいて、口を開いた。

「だったら、石動が止めを刺しなよ」

「なに……」

 石動は稔のほうった小太刀を受け取り、困惑を示す。石動が小太刀を茫然と眺めていると、それを掠め取る影が現れた。

「貸せよ、石動」

 乱暴に小太刀を取ったのは狼のような男鬼。ぼさぼさの長髪を適当に結わえ、切れ上がった濃い紫色の瞳は獰猛で、ニタニタと薄い唇を歪める。

「貴様がらないなら俺がるさ」

(あおい)……」

 凶暴な笑みを浮かべる葵は、悶絶する鬼柳の男鬼を見下ろす。

「ニンゲンに手を貸すなんざぁ、イカれてやがる。俺たちがどんな想いをして今ここにいるのか、こいつらはわかっていない。殺されて当然だ」

 葵はくるりと小太刀を逆手に取る。小太刀の切っ先が不気味な光を帯びる。彼を見て、稔は暗くほくそ笑んだ。

 葵は冷笑を浮かべ、容赦なく告げた。

「赦しなんか請わねぇよ。ニンゲンの使いっ走りがッ」

 鮮血が大木の幹に飛び散る。胴から離れた首は毬のように転がって草叢に隠れた。

血溜まりに沈む首なしの遺骸。鬼酒の鬼たちはそれに嘲笑ってから、興味を失ったように骸から離れていく。

 同族の血を浴びる葵は鼻で笑ったあと、稔に小太刀を返した。

「稔、つまらねぇことしてねぇでさっさと行こうぜ」

「ごめんね」

 笑って謝る稔を葵は呆れたように息をき、横で立ち竦む石動を睨む。

「半端な覚悟でやってんじゃねぇよ。闘うのが怖いのか?」

「そんなことは決してない。おれは千雪様、千早様のために……」

「そのための剣だろうが。下らねぇこと考えてんじゃねぇよ」

 葵はそう吐き捨て、背を向けてどこかへ行ってしまった。

 彼を静かに見送って、稔は小太刀を鞘に戻しながら、ちらりと石動の様子を窺う。

 石動は元々千雪筆頭の穏健派であった。千雪が亡くなって、より一層人間への恨みが強くなった彼を稔が仲間に引き入れたのだ。

 葵は違う。古くから稔について来る鬼。短気でがさつな性格の彼は先達ての、一色桃太郎急襲にも参加し、仲間が傷つくところを見ている。

 千雪が死んで、鬼酒一族はより一層バラバラになっていく。『鬼』の国を創るには、一族をまとめ上げ、千早を推戴しなければならない。そのためなら稔はどんな手段も厭わないと決めた。立ちはだかるモノはすべて斬り捨てるのだ。

 ――視線の先は、西方。

「千早。待っててね……」

 口の端を吊り上げて、稔は藍色の瞳を黄金色に輝かせた。




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