二十七、桃太郎、驚嘆する。
政春の謀略は成功した。
笹波清和は失地回復のため、一色制圧の兵を皆元軍へ矛先を変えた。その報に、皆元家中は紛糾し、一色の支城を包囲する皆元の兵たちは慄く。西の竹鳥だけでなく、自領の北方までもが敵となった。
流れは一色に変わった。
しかし一色の将兵は動かなかった。慌てる皆元軍を傍観するのみで、追撃の兵を出す様子も無い。その中で無理に城門をこじ開けたのは竹鳥の将兵であった。遠征したにも関わらず、功も上げず終わることを、竹鳥の将は快く思わなかったようだ。加えて、ここで一色に貸しを作ることに損はないのだ。
血気盛んな彼らはおよそ千の軍勢で皆元軍の殲滅を図る。逃げる皆元の兵たちを容赦なく討ち取っていった。
それでも自由に動く竹鳥軍を、一色は咎めることもしなかった。当主政春の指示通りに傍観に徹していた。
「御館様は、この戦のすべてを見通していらっしゃる」
支城を任される一色の将が城門の櫓から呟く。興奮し切った顔色は主君をひどく崇拝している様子。彼の家来たちも深く頷き合い、血煙る戦場を眺めていた。
「……」
その隣で、浦島達海は茫然と戦場を見つめていた。
東へ来たものの、戦場に出ることは叶わなかった。政春の謀略を頼り、皆元の兵を蹴散らすこともできず竹鳥に任せきりである。
戦をしたいわけではない。だが今の達海は、身ひとつだけででも戦場に出たかった。
この従軍は浦島家復興のためにある。戦闘で功を上げ、汚名返上をしたかった。
浦島はまだ終わっていない。浦島清海がおらずとも、浦島達海が浦島を率いる。浦島家は一色家のために奮励努力する。そう皆に知らしめたかった。
だが、何もできていない。達海を信じて、ついて来た浦島の民に申し訳が立たないではないか。
政春様はそれすらも許してくれないのか。
達海は悔しくて、拳を握った。
そのとき将が呟く。
「しかし竹鳥殿も危うい。少し出すか」
達海はハッとなって顔を上げた。即座に答える。
「ならば! ぜひ某に!」
大きな声に将は顔をしかめ、家来が苛立った風に声を上げる。
「浦島殿、立場を弁えよ。貴公は貴公の役目を果たせばよいのだぞ」
「いやまて。……浦島殿、竹鳥殿の救援、願えるか?」
「無論。浦島の名に懸け、最善を尽くします」
「うむ。では行って参れ」
「はっ!」
達海は意気揚々と立ち上がって、櫓を降りて行った。その背中を将と家来は見つめ、家来が不満を口にする。
「よろしいのですか? 浦島は我らの目の届く場所に置いておかねば、何をするかわかりませんぞ」
「だからこそじゃ。浦島は風前の灯、ここで死のうが誰も悲しむまい」
「なるほど……確かに」
将とその家来たちはニヤニヤと笑って、達海が城門を出て行くのを眺めた。
* * *
達海は馬を駆け、戦場を行く。
彼の配下は五十も満たない。それでも自分について来てくれる者たちだ。彼らのためにも、手柄を上げ、浦島を再興さねばならない。自分は身を粉にしてでも戦わなければならないのだ。
達海は槍を握り締める。全長七尺ぐらいしかないその槍は特殊で、穂先の根元に鉤状の突起がついている。これは揺れる船上で、船や人に引っ掛ける役割がある。海戦において、足元がおぼつかなくては命取りとなる。しっかりと腰を落とし足元を固めて、間合いの外から攻撃をする。海戦の基本的な戦術であり、浦島水軍なら誰でも扱える槍だ。無論、この槍は陸上でも使える。鉤状の突起を鎧などに引っ掛けて落とすのだ。
波を表す家紋は浦島のもの。それが煙る戦場にはためく。
嵐の海のような勢いで、達海の騎馬隊は戦場を駆け抜ける。
残党兵が勇ましく達海に立ち向かうがあっさりと返り討ちに合い、地面に転がる。今の達海を止められる兵はいないだろう。達海は怒涛の勢いで戦線を押し上げ、何度も皆元の兵を地に伏せた。
しかしすれ違うのは兵ばかり。刀を振るう皆元兵を薙ぎ倒し、達海はあたりを見渡した。
かなり駆け抜けた。追撃の前線かもしれない。達海は馬を止め、息を吐いた。
「首は、取れないか」
これでは功を上げられない。名は無くても良い、一つでも将の首が欲しかった。達海は焦りつつ、馬を駆る。
「達海様! あまり前へ出られては」
背後で兵の声が聞くが達海は答えることもなく、馬を駆った。
そのとき悲鳴が聞こえた。
「た、助けてくれ!」
「殺されたくねぇっ。逃げろっ!」
皆元の兵が一目散に逃げていくのを見つけた。
達海はそれにがっかりしてしまう。せめて竹鳥の兵なら、皆元の将がいたかもしれないと不謹慎なことを思った。しかし皆元の兵が逃走するということは、相手は味方のだろう。達海は煙たい戦場に目を凝らし、槍を握った。
「なんだなんだ! 皆元もこの程度かッ」
現れたのは大きな黒毛の馬。
それに乗る男は大きく笑った。立派な立物のある兜に、黒と緑の糸で威した具足。その上から南蛮ものの外套を羽織っている。どうやら竹鳥の将の様子、それもかなり上の身分だろう。男は達海の存在に気づき、兜の眉庇から覗く切れ長の目を細め怒鳴った。
「俺の前へ出る武者がいるか……。どこの者か! 名乗れいっ!」
馬上で得物を達海へ振り翳す。手に持つ武器は今時珍しい、刀身だけで四尺はあろう大太刀であった。達海はその長物を目にし、慌てて名乗った。
「はっ。某は一色家が家臣、浦島達海と申します」
「む? 浦島……? なんと、清海殿の子息であるか!」
「え?」
男は破顔し、大太刀を下げてこちらへ馬を寄せた。
「ほうっ! 倅がいると聞いておったが、なかなか面構えの良い男ではないか! はははっ、これは愉快だな!」
「えっ、あ……。はい?」
男は空いた手で達海の肩をバンバンと叩いて豪快に笑う。
意味がわからない達海は背中の痛みに堪えつつ、不思議に男を見やった。すると段々と叩く力が弱くなり、男は悲痛そうに顔を歪める。
「清海殿は残念だった。……許せとは言わん、ただ政春を理解してほしい」
男の表情に戸惑い、達海は掠れた声で呟いた。
「あなたは、いったい……」
「殿、お下がりくだされ! 危のうございまする!」
小さな声はかき消された。男の背後から怒声が聞こえ、騎馬の武士が現れる。
達海より年下か、色白で小柄な少年だ。高い烏帽子を被り、その細い体は具足に着られていると言ったようだ。とても武辺の者とは思えない人物である。少年は目くじらを立てて、男に怒鳴る。
「もうすぐ川を越えます、これ以上の追撃は無用! 城へ帰還しますよ!」
「うるさいぞ、御幸。今良いところなのだ」
どうやら従者のようだ。一喝されると、御幸と呼ばれた少年は頬を膨らますが、主人の男は意にも介さなかった。
「名乗るのが遅れたな、達海殿」
男は返り血で固まる顔をニッと緩めて、告げた。
「俺は竹鳥家の棟梁、竹鳥新次郎藤高だ。政春のことも清海殿のことも、よーく知っておるぞ」
「……はっ?」
達海は目を点にした。脱力して思わず槍を落としそうになる。改めて男の容姿を頭から足まで見て、かくんと首を傾けた。
「竹鳥のご当主……様?」
「応、そうだ。……なんだ? お前まで御幸のような戯言を言うのか」
「あっ。い、いえ、そのようなお方が前線に出ていらっしゃるとは思いもよらず」
「ふん。政春は知恵を絞るだけだ……。が、俺は違うぞ!」
竹鳥藤高は担ぐ大太刀をぶんと振り払う。大気を震わせる大太刀に達海は肩をすくめた。藤高は端正な顔を綻ばせる。
「戦は駆けてこそだ。戦場に立たず何が戦と言うか! 陣に篭もって戦いを見るのは好かん。将兵が命を賭して戦うのを見ているだけなど我慢できんからな」
「は、はぁ……」
達海は言葉を濁す。総大将ともあろう人が前線に出るとは考えられないのだ。そして思い出す。海賊騒動の折、我らが若殿も同じように戦線に出ようとしていた。達海は苦笑を浮かべて藤高を見やると、側にいた従者が甲高い声を上げる。
「殿! 長話が過ぎますっ、ほんとあなたという方は……! あなたがこんなところに出る必要はございませんし、政春殿も本城にいらせばよいと!」
「何度も言わせるな御幸。大将が率いてこその、“竹鳥”だ」
そう言い捨て、再び達海に目を戻す。従者に向ける冷めた眼差しではなく、柔らかな光を宿していた。
「達海殿、よくぞ駆けつけた。礼を言うぞ」
「いえ、某は何もしておりません」
「いやいや、お前は城に籠もる臆病者とは違う。こうして戦場に立っている。立派なことだ、誇れ」
「……は、はい」
藤高は年不相応の柔和な微笑を浮かべ、達海は困って頷いていしまった。そんなこちらも気にせず、藤高は口を開けて笑う。
「よしよし。一色の将で、いの一番に俺に駆けつけたのは浦島達海、お前だ! その由、しかと政春に伝えよう」
「それは……」
がばりと顔を上げると、藤高はニヤリと口の端を上げる。
「浦島の家のこと、俺が口添えしてやる」
「ま、真ですか!?」
「嘘は嫌いだ。約束は違えん」
達海は驚きのあまり目を丸くして、藤高を見つめた。
彼は尊大に言い放ち、大太刀をゆっくりと鞘に収め始める。
大太刀は刀身が長いゆえ納刀も長く感じる。戦闘が終わった戦場は静かで、鞘と刃が擦れる音が聞こえるだけ。その中で、唐突に藤高が呟いた。
「――清海殿は、立派な武士だった」
「え?」
藤高は大太刀から目を離さず、複雑そうに言う。
「浦島家を、一色の水軍を率いるのに相応しい男だった」
「……」
「行いを理解しろとは言わん……俺も理解できんからな。ただ、清海殿にとってあれが最善だったのだろう。清海殿は最期まで一色を思っていたんだ」
カチリ、と大太刀が鞘に収まった。が、藤高は顔を上げない。
「……」
達海は何を言われているのかわからなかった。掠れた声で訊く。
「……父を、庇うのですか」
「いや。……俺も国主だ。造反すれば古参だろうと首を刎ねる。容赦はしないさ。それでも、」
「でも?」
決意したように藤高が顔を上げた。藤高は苦痛そうに顔を歪め、今にも泣きそうである。どうして彼がそんな表情をするのだろうか、達海は不思議でならなかった。
「お前の父が誇りを持って、命を懸けて遂げたこと……その結果だ。お前だけは悪く言うな」
「……」
達海は目を見開く。寂しそうに揺れる藤高の双眸と懇願にも似た声音。何かを言おうとしたがそれもすぐに頭から消え去り、わずかに口を開いたまま信じられないものを見るような目で藤高を見つめる。
「……何を、仰るのですか」
この感情は怒りや悲しみで片付けられない。もっとひどい何か。実父に向けるものではない感情だ。達海は痛いほど槍を握り締め、藤高にキッと睨みつけた。
「父は……清海は! 一色に刃を向けました。若殿を傷つけ、民を不安にさせ、皆を裏切った! それを許せと? 許せるわけないじゃないですかっ! 某が生きているだけでも罪深いのに!!」
「……」
「某はまだ生きることを良しとしない! 某は、生きてはいけない存在なのに……桃太郎様は……どうして……っ!」
「そう、お前を許したんだ」
藤高は冷めた表情で言い捨てる。ころころと表情の変わる人だ。さきほどの悲痛そうな表情は幻のように消えていた。
「桃太郎殿も政春もお前を許した。お前は浦島清海の子だろ。ならば生きて、浦島の家を背負っていかねばなるまい」
「……っ」
藤高は馬を寄せ、達海の胸を軽く小突く。
「人は生きている限り誰かとともにあるのだ。お前を必要としてくれる者はまだたくさんいることを理解しろ。お前には支えてくれる者がいるのだ。この者のたちもそうだろう?」
藤高は達海の背後にいる騎馬たちを見やった。ぼやけた視界で達海も振り返った。
兵たちは何度も首を縦に振り、彼らは激励の声を上げた。
「己を安く見るな。他人にどう言われようとお前は浦島の人間だ。それを誇らしく思え」
不意に藤高は相好を崩し、白い歯を見せた。
「俺は、そう育ってきた」
「藤高様」
「さぁ、城へ戻るぞ。御幸……」
藤高は己の従者を見やり、手綱を引く。御幸と言う従者は、やっとかと万感の思いで深くため息を漏らして主君に従う。
ぼうっとしていた達海も慌てて後を追い、藤高の背に呼びかける。
「某は、」
「政春は口が足りん、きちんと言ってやればいいのだ。いや、清海殿も同じか。まったく……!」
藤高は舌打ちを漏らして、肩越しに振り返った。
「一色と反りが合わねば、俺のとこに来い。歓迎するぞ」
いたずらっぽく笑みを浮かべるが、彼の瞳は真剣に輝いていた。
思わぬ言葉にびっくりしたが、達海はゆるゆると首を振った。
「申し訳ございません。若様と約束しました。必ずやお役に立ち、粉骨しますと」
「はっはっはっ。本当に桃太郎殿は政春の子とは思えん。あんな捻くれ者の血を継いでいるんだぞ。可笑しくてならん。……ん、そう言えば桃太郎殿は東へ来ていないのか?」
「は、……若様は見ておりませぬが」
思い出したように言う藤高に達海は答えた。藤高は顎の無精髭を撫でながら、振り返る。
「政春がそんなことを言ってたはずだが、俺も見ていない。御幸、どうだ?」
「私も存じません」御幸は機械的に答え、「噂の眉目秀麗な若殿を目にすれば誰でも覚えているでしょう」
「そうだな。しかしお前が眉目秀麗などと口にするとは……気になるのか?」
「なっ、何を言いますかっ!?」
意味あり気に笑う君主に、御幸は上擦った声を上げて顔を真っ赤にした。かなり動転している様子で、ぶんぶんと頭を振っていた。
変な男だ、と達海は眉をひそめると藤高は口を歪めた。
「政春め、まだ何か企んでいるな。食えぬ男だ。……急ぐぞ」
「はっ」
馬を走らせる。
自分はたくさんの人に支えられている。瑠璃や桃太郎、そして浦島の民。だから迷うことなど無い。皆の想いに答えていくことこそがやるべきこと。浦島家棟梁としてこれからを歩んでいくのだ。
風を切って走る達海の双眸は輝きに満ちていた。
* * *
五月も半ばである。
もうすぐすれば雨も多くなる。それに対する反抗か知らないが、太陽は燦燦と輝いている。白い雲も大きく空を踊っている。木々は新緑に包まれ、暖かな日光を浴びて豊かに色を彩っていた。
桃太郎は縁側に座って、青く高い空を見上げていた。
羽織を肩に掛け、その中は着流しだけ。くだけた格好であるが仮にも怪我人である。額に晒しが巻かれ、右頬には薄く残る刀傷があり、腕も思うように動かない。
「はぁ……」
切なく重たいため息。哀愁に満ちた端正な面と悲しく揺れる澄んだ瞳。はっと息を飲むその美貌に誰もが立ち止まるだろうが、仰ぐ天気とは裏腹に寒々しい雰囲気を放っていて、なんとも近寄りがたかった。
不意に桃太郎の体が傾く。ごつん、と柱に頭をぶつけて停止した。括られていない髪がさらりと流れて冷めた表情を隠し、そのまま動かなくなった。
「――桃太郎」
声が掛かった。
今、誰かと話す気力は無かったが、その声の主とは話さねばならないことがあった。桃太郎はそのままの体勢で首だけをもたげた。
視線を上げると千哉が立っていた。彼はいつものようにすっと背筋を伸ばして立っており、とても数日前瀕死の重傷を負っていた者には見えなかった。相変わらず『鬼』とは不思議な存在で、人間とは違うのだと思い知らされる。
千哉は隣に座りながら急くように口を開いた。
「傷は大丈夫か」
「あぁ、うん。治ってきた」
「頬の傷は消えるのか?」
「たぶん。医者の話聞いてないからわかんね」
「……せっかくの顔が台無しだぞ」
「おまえまで言う? いいじゃん別に、勲章みたいなもんで」
「駄目だ」
千哉が強く否定する。見やると千哉は眉間にしわを刻み、辛そうにこちらを見つめていた。
「お前に何かあっては示しがつかん」
いつになく心配そうに言う千哉に思わず笑う。
「……何言ってんだよ。あのときはああするしかなかったし、みんな無事に帰ってきたんだからそれで良いじゃん」
「良くない、俺は」
「もういいって。終わったこと言ってても仕方ないだろ」
食い下がる千哉を振り払い、桃太郎は話を変えた。
「そんなことより。……親父助けたんだって?」
自ずと知れず声音は荒くなった。そう感じたのは千哉も同じようで、彼はわずかに息を飲んだあと、目を逸らした。
「……ん、最後にはそうなったな」
「なんで? ほっときゃあいいじゃん。オレはそういうの嫌いだって言っただろ」
「それこそ終わったことだぞ」
疲れたようにため息を吐き、千哉はこめかみを揉む。
「一色の平和は鬼柳の平和だ。俺たちは平穏に暮らせばそれで」
言葉が途切れた。突然千哉は口を開けたまま黙ってしまったのだ。どうしたのか、と振り返ると千哉は肩を落とした。
「いや、嘘はやめる」
「え?」
千哉は目を合わせて、自虐のような乾いた笑みを零した。
「政春に、鬼柳の平和は保障できないと言われたとき腹が立ったのは事実だが、それ以上にお前を助けたかった」
「は?」
どうしてそうなるのかわからない。眉をひそめると千哉は気恥ずかしそうに首を摩る。
「お前はいつまでも変わらない。たかが友のために共に戦ってくれる。お前は多分ずっとそうなんだろうな。……だから、お前が大切にしているこの国を守りたいと思った」
千哉は目元を緩め、微笑んだ。
「今の俺があるのはお前のおかげだ。お前にはいろんな気持ちをもらった。感謝してる」
「……」
彼の柔らかな笑みをこんなにも間近で見るとは思わなかった。桃太郎はぱちぱちと目を瞬き、やがて噴き出した。
「千哉、気持ち悪いわ」
「なんだと!? 誠意を持って答えてやったのに……俺だって恥ずかしいんだぞっ」
「顔赤くするなよ、すげー気持ち悪いから。マジで『赤鬼』かよ」
「お前……! 撤回だ! 今のは無しだっ!」
「はははっ。腹痛い……傷に響く……」
目に涙を浮かべて笑うと千哉は忌々しそうに顔を歪める。
「お前のそういうところは嫌いだ、千鶴までたぶらかしよって」
「なんで千鶴が出てくんだよ」
呪うような鋭い視線に肩をすくめるも、笑いは止まらなかった。
そして、思う。
桃太郎は微笑みながら仰向けに転がった。
「なんか、笑ったらすっきりした」
「だらしない顔で何を言ってる。というか髪を綺麗にしろ」
こちらを覗く千哉は不快そうに眉をひそめたままだ。桃太郎はなおも笑う。
「千哉ってさ、たまに母親みたいって言われない?」
「ふざけるな、シめるぞ」
「怖ーなぁ」
髪を掻き上げて、千哉を眺めた。視線に気づいた彼は片眉を上げて、羽虫を見るような目つきで見下ろされる。桃太郎はゆっくりと腕を伸ばしてぽんぽんと千哉の胸元を叩いた。
「頑張ったよ。千哉は」
目を剥いて千哉は固まった。
手を煽ぐようにひらひらと叩いていると、やがてぴしゃりと振り払われる。千哉は顔をしかめたまま、言った。
「まだ……山積みだ」
「うん。でも、頑張ったって」
「うるさい」
ふんと鼻を鳴らして、桃太郎は後頭部と床の間に手をやる。後頭部に力が加わって、押し上げられた。自然と首と上半身が起き上がった。
「起きろ、だらしない。あと、髪括れうっとうしい。いっそ切るか?」
「うるさいなぁ、もう。つか今オレ、腕上がんないから無理」
「さっき上がってたろうが。仮病か?」
「括って。千哉」
「なんで俺が。こういうのは犬養にやらせてばいいだろ……」
「今おまえしかいないじゃんか」
嘆息して憎まれ口を叩くも、千哉は桃太郎の柔らかな髪を掬い上げた。千哉の手の中で髪は優しく一房にまとめられている。
桃太郎はくすぐったくて肩を揺らしたとき、千哉は振り返って廊下の角と目の前の襖に声を掛けた。
「誰かいるのか」
ガタリ。と部屋の中と廊下の端から大きな音が聞こえた。
「ん、誰かいたの?」
訊くと千哉は手早く桃太郎の髪を束ねて、襖を勢いよく開いた。
「わっ!」
「なんでバレたの!?」
出てきたのは千鶴と瑠璃であった。廊下に投げらされる二人に桃太郎は驚く。そして千哉も妹が出てきたことに驚愕したらしいが、すぐに厳しい顔つきをして廊下の角に目をやった。
「秋那と、犬養……か?」
「は、はい……。い、いや! 決して覗き見したわけではなく! その、あの……!」
現れた秋那が目を泳がせて、必死に弁解している。彼女の後ろからすごすごと忠治と香織も出てきた。
「バレちゃいましたね」
「それはそうでしょう」
香織と忠治は顔を見合わせて苦々しく笑っていた。
桃太郎は括られた髪を整えながら肩をすくめた。
「何やってんだよ、みんなで」
「私はあなたが目を覚ましたっていうから見に来てあげたのよ! 感謝しなさいよねっ」
「わたしも……瑠璃さんに誘われて」
「千鶴、あなたは勝手について来ただけでしょ?」
「えっ!? 瑠璃さんが一人じゃ恥ずかしいからって」
「ちょっと黙りなさい千鶴っ」
顔を赤くして言い合う二人は変わらず仲が良さそうでなによりである。見ていて面白い。女の子同士、仲の良いのは目の保養である。
すると香織が元気いっぱいに言う。
「いやですねー、すごく良い雰囲気だったのでなかなか入れなくて。特に秋那が目を輝かせてですね……」
「ふざけたこと言わないでっ!? 香織が出て行くなって!」
「またまた~」
秋那をからかう香織の隣で忠治が小さく息を吐いた。それに桃太郎はふと思い出す。
「忠治。サルと美羽は?」
「あっ。その件で伺いに参りまして……香織殿に捕まりました」
「で、何?」
促すと忠治はぐっと眉根を寄せて、桃太郎の耳元で囁いた。
「実は、」
「――ちょっ、姫さん!?」
「お、お待ちくださいっ!」
忠治が口を開いたとき、廊下の向こうから悲鳴が聞こえた。間違いなく五右衛門と美羽のものだ。その場の全員が振り返り、バタバタと音がする廊下を見つめる。
「なんだ騒がしい」
千哉は厳しい顔を崩さない。
彼の隣で首を捻って廊下を見つめていると、それは台風のように現れた。
「桃太郎ッ!!」
現れたのは美女。輝く艶やかな黒髪を振り乱し、端麗な顔を真っ青にして、美しい着物が乱れるのも厭わず、こちらへ駆け寄ってきたのだ。
彼女を目に映した瞬間、桃太郎は硬直した。忠治以外が仰天する中、瑠璃だけが「げっ」と呻き声を上げていた。
美女は目に涙を浮かべて、桃太郎の胸に飛び込んだ。
「うわ……っ!?」
勢いに耐えきれず、桃太郎は強かに床に頭を打った。怪我人にこの衝撃は正直きつい。慌てふためく忠治を制して、胸の中にいる美女に見やる。彼女の肩に触れ、これが夢でないことを再確認した桃太郎は、頭を掻きながら呆れて声を掛けた。
「あぁー、……なんでおまえがいんの」
「父上に連れて来てもらったの! そんなことより桃太郎、怪我大丈夫なの!? どうしてこんな怪我してるの!? 政春のおじ様は貴方は戦に出てないって聞いたのに!!」
がばりと胸の上で顔を上げ、彼女は早口に言う。
質問は一つにしてほしい。桃太郎は彼女を抱くように起こして自分も起き上がった。すると彼女はぽっと頬を赤く染め、にこにこと笑顔になる。
「貴方から抱いてくれるなんて……今日はずっと一緒に居てくれる?」
「ちょっと待てって……」
周囲の目が気になる。特に女子たち。美羽は冷え切った目をして、千鶴は目を大きく丸くしており、瑠璃は苦虫を噛み潰したような顔をし、秋那は口をパクパクと魚のように開いたり閉じたりして、香織に至っては「修羅場?」などと楽しげである。
ずきずきと痛む頭や身体に悩まされ、桃太郎は二の句が継げなかった。
そんな空気もお構いなしに、美女は桃太郎の膝の上で綺麗な顔を綻ばす。
「不安で夜も眠れなかったんだから、今日は一緒に寝たいな?」
「いや、だから……っん」
口が塞がれた。
唇に柔らかく暖かいものが当たり、吐いた息が押し戻される。彼女は愛おしそうに長い睫を伏せて、細腕を桃太郎の首に絡ませた。
「――――」
二人は熱い口づけを交わした。
第二章終了です。のろのろとやっていくのでこれからもよろしくお願いします。




