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桃の色香 続章  作者:
第二章 皆元編
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二十五、千哉、願い求める。



 たくさんの光景が回り灯篭のように流れる。

 奇跡の邂逅、彼らの想い、決意、そして――死。

 それを乗り越えることなく始まる再会。

 ――鳶色の瞳は、光を失っていた。

「……ッ!」

 覚醒。

 見開く視線の先は無骨な梁。焦げ茶色の天井だった。

 茫然と天井を見つめ、徐々に思考を働かせる。荒い呼吸を整え、千哉はゆっくりと起き上がった。寝汗がひどく寝巻が肌に貼りついている。千哉は額に滲む汗を拭い、部屋を見渡した。

 いつもと変わらない自室だ。文机に刀掛台の場所も、今被っている布団もすべていつも通りだった。

「俺は」

 少し痛む頭を動かして記憶を辿る。

 皆元隆光と出会い、千早を連れ出し、稔と再会して、桃太郎が現れた。

「桃太郎……。千早はっ!?」

 叫んだ途端、腹に響く。顔をしかめて見やると晒しが巻かれていて、それには赤い染みがまばらにあった。傷はまだ完治していないようだ。しかし千哉は立ち上がった。

「――えっ! 千哉様!?」

 襖を開けた途端、香織と鉢合わせした。香織はびっくりして手に持つお盆を取り落とす。しかし音を立てて落ちる湯呑や急須に目もくれず、香織は嬉しさのあまりに目尻に涙を浮かべていた。

「よかったですっ、あのときはどうなるかと……!」

「千早はどこだ!?」

「え?」

 怖い顔をする千哉を見て、香織の涙が止まる。千哉は彼女の肩を掴んで激しく訴えた。

「千早はどこだと聞いてる!」

「千早って……あの女鬼のこと……?」

「そうだ、どこにいる!?」

「え、えっと、ずっと客間のほうに」

「すまん、助かる」

 早口に言い捨て、歩を進める。

 香織は呆然と千哉の背を見て、絶対に伝えねばならないことを思い出した。

「あ、あのっ、千鶴様は一色のお城におられますよっ!」

「ああ!」

 血相を変えた頭領には驚いたが、それに答えてくれた彼に香織は少しほっとした。


 千哉は真っ青な顔で断りもないまま、客間に押しかけた。

 さほど広くない部屋は庭に面していて陽光に包まれて暖かい。その縁側で美しい女性が腰を下ろしていた。艶のある黒髪が背中に流れ、小奇麗な打掛が畳に扇形に広がっている。

 その背中はすごく小さく、今にも消え入りそうであった。

 千哉はぐっと拳を握り締めて、もう一度呼びかける。

「千早」

 すると彼女は振り返り、鳶色の瞳をわずかに開いた。

「……千哉さん? 怪我は大丈夫ですか」

「ああ、どうってことない」

 部屋の仕切りの上で立ちすくんだまま頷くと、千早は淡い微笑みを浮かべた。

「よかった……。みなさん心配していらしてましたよ」

「あとで声を掛ける」

 千哉は腹まわりを押さえて答え、ゆっくりと襖を閉めた。それから顔を戻して見れば、千早はもうこちらを向いておらず、じっと外を見つめていた。

 千哉はゆっくりと彼女へ歩み寄った。

「少し、良いか?」

 返事はなかった。隣に座るのに躊躇ったが、できるだけ彼女の側に居ようと決心した。

 暖かい縁側。あまり手入れをしていない庭は荒れている。太陽は真上に上っており、昼寝するには快適だろう。

 千哉は額に手を当てて、青い空を見上げた。

 そう言えば、あれからいくつ日が経ったのだろう。

「……ここは、すごく良いところですね」

 にわかに千早が口を開いた。思いもよらない一言に千哉は首を向けた。千早はこちらに一瞥もくれず、遠い目をして言う。

「あなたが寝ている間に村を見ました。ここはすごく静かで穏やかです。誰も寂しい顔や悲しい顔をしていない」

「……」

「みんなが笑顔で暮らしているのは、千哉さんのおかげでしょうか……」

 語尾が震えていた。千哉は答えられないまま彼女の横顔を見るだけに終わる。

「鬼柳の人とも言葉を交わしました。……みんな、すごく優しくて、こんなに安らかな気持ちになったのは本当に、久しぶりで……」

 顎を上げられ、流れる美しい髪が彼女の目元を隠した。

「ここにいれば……今までのこと、忘れられるように思えます」

 それでも溢れるものは頬を伝い、零れていった。

「本当に……忘れられたらいいのに」

「千早、聞いてくれっ」

 千哉は我慢できず声を上げた。ピクリと彼女の肩が震えるが、それだけだった。

「俺が何を言っても何も変わらないのはわかってる」

 こうして、千早と顔を合わせても自分にできることは皆無に等しい。千早はすでにたくさんのものを失っているのだ。失うことを知らない千哉が、ましてや彼女の大切な人を救えなかった自分が何を語ろうと無駄なのだ。

 それでも言葉を紡ぐのをやめることはできなかった。

「千雪を殺したのは俺のようなものだ。いくらでも罵倒して構わない。だが、稔が言ったことがすべて正しいわけじゃない」

「だったらなんなんですか……。どうしてユキは死なないといけなかったんですか!」

 涙で濡れた瞳が突き刺さる。

 千哉は息を飲み、辛くて顔を歪めた。

「千雪は、桃太郎を庇って……それで……」

「あの、人間を?」

 どうして、と視線が問いかけてきた。千哉は胸が苦しくて今にも吐きそうだったが、千早から目を離さなかった。

「あいつもずっと鬼酒を想っていた。だから、あいつは稔すらも……」

 そのあとは飲み込んでしまった。

 赤く腫れた目がこちらを見つめている。千哉は逸らすまいと頑固に、睨みつけるように見つめ返していた。

「……結局、守れなかった」

 ぽつりと零す。千早はさきほどの気迫はなく、憔悴しきった様子で千哉から目を離し、自身を嘲るように続ける。

「ユキは昔からそうです。自分のことは後回しで他人のことが一番だった。傷つくのは、いつもユキ。……皆元に従うときも、いの一番に人質を買って出ました」

 白く端正な顔は真っ青で、溢れる涙は止まらない。

「また、守れなかった。私は何も守れずみんなを苦しめるだけ」

「そんなこと」

「私はこれ以上何も失くしたくないです。だから、もういいです」

「なに……」

 千哉は目を見張る。千早はふるふると頭を振って、千哉と目を合わせた。揺れる潤んだ鳶色の瞳がこちらを見据え、唇に弧を描く。

「もう、いいんです……。みんな、私なんかのために命を懸けることもない。稔君だって……千哉さんもそうです。……私はもう、疲れました」

「駄目だ!!」

 その表情と一言は衝動を抑えることができなかった。

 千哉は千早を抱きしめた。その華奢で細い体は折れてしまいそうだが、千哉はぎゅっと強く彼女の背中に腕を回した。

「なんでそうなる……どうして一人で背負い込もうする!? 俺がここに居る! 側にいるから……俺を頼れ!!」

「千哉さん……っ」

 胸の中で苦しそうな声が聞こえた。それでも抱きしめる力を殺さず、千哉は激しく言い募った。

「俺が最後までお前を助ける! 鬼酒は終わらせない、里の者たちはお前を待っているんだ。だからそんなことを言うな、諦めるな!!」

「そんなの……無理です」

 震える手が千哉の袖を掴み、痛いぐらい腕に爪が食い込む。

「待ってくれているなんてありえません。私は皆を苦しませて……」

「探してくる」

「え?」

 千哉はゆっくりと顔を上げ、千早と目を合わせて宣言した。

「俺が、お前に賛同する者を集める」

 躊躇いは後悔に繋がる。

 だから踏み出していく。迷いなど捨て置く。もう、立ち止まることはしない。もう、彼女を悲しませたりしない。

 千雪と約束したのだ。

 鬼酒の行く末を見据えると。

 鬼柳千哉は『鬼』として契りを果たし、最後まで鬼酒千早を見守る。

 千哉は茫然と見上げる千早の目元を拭い、無骨な掌で頬を撫でた。

「何度でも誓うぞ。俺は、お前を助ける」

「っ……」

「だから、俺を頼ってくれ」

「千哉さん――」

 押し込めていた感情が溢れたのか、千早は倒れるように千哉の胸に飛び込んだ。

 憑き物が取れたように泣き崩れる彼女に、千哉は深く安堵した。


 * * *


「殿」

「なんだ」

 場所は変わり。一色家本城、政春の自室。

 パチンと小気味よく将棋を打つ政春の前で犬養忠行がかしづく。左頬に一筋の刀傷がある彼は生真面目で厳格であり、常に無表情に近い。忠行は厳かに報告した。

「東にて、竹鳥軍が皆元軍の包囲を破り入城しました」

「ほう」

 碁盤に目をやったまま、政春は口の端を吊り上げた。

「……損害は?」

「背後をつかれた皆元の一部隊は竹鳥軍の勢いに押され、一時撤退。竹鳥は悠々と入城しました。恐らく、一色こちらの損害は無いに等しいかと」

「竹鳥の将も必死か。……順調だな」

 政春の笑みはますます深まった。

 表情を崩さず忠行は続ける。

「藤高様も大いにお喜びになっております。如何が致しましょう」

「ほっとけ。ここで皆元の勢いを殺せば竹鳥も利がある。それまでは文句は言われんだろう。だが、貸しは作りたくない。竹鳥の兵どもには良い思いをさせてやれ」

「は。そう伝えておきます」

 忠行が座礼し、政春は物見が持ってきた地図に目を移す。皆元の陣営、支城に将棋の駒を置き、髭を撫でる。

「これで、皆元も動揺してくれれば良いのだがな……」

 楽観はしていない。皆元は既に城攻めに必要な兵数を確保している。不利となれば竹鳥も退くだろう。他国のために必死になる馬鹿はいないのだから。

「やはり、使えるものは使うべきだな」

 そして手にある飛車を握り締めた。

 呟きに忠行が顔を上げた。視界の端で彼の顔色が驚きに変わるのを見て、政春はほくそ笑んだ。

 政春は、もう一手打つことに決めた。





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