二十三、智と武。
「――くそ!!」
一頭の騎馬が目の前を駆けて行った。土埃に目を細めながら忠治は起き上がり、己が主へ視線を戻した。地面に手をついて駆け出そうとしたとき、蹄の音が迫った。気色ばみ振り返ると、騎馬がゆっくりと歩いていた。
「……」
荒くなる息遣い。汗を拭う暇もなく、忠治は片膝を立てて刀を構え、周囲を確認した。
美羽と五右衛門、鬼柳の鬼が数人見える。美羽は怪我をしているのか腕を押さえて、反対側の道端には五右衛門が目を回しており、彼の側には渡邊頼綱がいた。相手は騎馬が六騎、全員が長物を携えている。忠治ひとりでは分が悪いだろう。
だが、忠治の頭には己が主の安否の心配しかなかった。故にここを突破しなければならないのだ。
「警戒は厳に」
声に顔を上げる。
言うのは先頭のいる騎馬の男だった。侍烏帽子を被り、腹巻鎧に足を絞った袴と脛当てといった出で立ち。最も目を引いたのは彼の背丈と口元の豊かな髭であった。大男――熊野熊吉は穏やかな声で兵士に命じる。
「こちらに戦闘の意志がなくとも、あちらはわかりませんから」
彼の小さな瞳が忠治を捉えた。感情の乏しい視線とその言葉が忠治を苛立たせた。
「戦う意志はないだと? ふざけるなっ、そこを退け!」
立ち上がる忠治。しかし熊吉は騎馬兵が頼綱を馬に引き上げるのを見ており、忠治を意に介さなかった。
無視されたことに忠治はますます腹が立ち、ぐっと刀を握った。カチャ、と鍔が鳴ると熊吉が視線をそのままに口を開いた。
「失礼。聞いていなかったわけではありませんよ」
頼綱が馬に乗るのを確認したあと、熊吉は忠治へ顔を向ける。彼の冷めた表情は変わらなかった。
「申しましたように、我々に戦闘をする理がありません」
「ふざけるな、仕掛けてきたのはそっちだろ!」
「あぁ、確かに。しかしあれは失策でした。一将の働きは一国の働きと言いますか、やはり功を急ぐことは良くない……。一色は思った以上に堅牢であり寝返りも出せず、こちらは何の利も得られなかった。本当に、敵ながら見事です一色政春は」
ふむ、と頷き熊吉は冷静に分析した。
「あれを戦と冠するには小さすぎる。しかし今は違います。あなたがたは、“戦闘”を“戦争”に変えるつもりですか」
「何を言ってる!?」
「少しは賢しい方だと思っていましたが。今の世に政を知らない者がいようとは……平和も恐ろしいですね」
「だから何が言いたい!?」
忠治は刀を構え、馬上の彼を睨みつける。丁寧な口調だが見下すような雰囲気を感じる彼に忠治はなおも食い下がった。
「知りたいですか? 教える義理はありませんが」
「もういいっ、さっさと退けッ!」
忠治は包囲する馬へ駆け出した。まず左右の騎馬を蹴散らす。兵士の持つ槍の穂先を刀で切り落とし、攻撃力を消し去る。目を剥く兵士を視界に入れ、馬を斬り殺した。そして落馬する兵士に向け、刀を突き刺した。
瞬く間に数人を倒した忠治に戦慄する騎馬兵士。熊吉を護衛する兵士が焦って、忠治に鐙を蹴った。しかし一瞬にして兵士は撃退される。忠治は槍を躱し、その柄を空いた手で掠め取り、ぐいっと引っぱった。体勢を崩す兵士に躊躇いも無く、忠治は刀を閃かせた。
「まったく、」
熊吉は残る兵士を制し、深いため息を吐いた。
「猪武者ばかりでは、世はますます乱れる」
血に濡れた刀が熊吉に向けられる。熊吉は冷たい目で忠治を見下ろした。
「拙者は頭脳労働専門ゆえ、戦いは好きではない」
「だったらさっさと退け」
切り捨てると、熊吉は呆れた顔で豊かな髭を撫でる。
「戦いは万全を期してから。現状では拙者も戦いは避けたい。それは政春も同じでしょう。ですから、ここで戦うのはよろしくない」
「……」
熊吉は何度も同じことを言う。本当に戦う意志がないのか、ならばさっさと退けば良いものを……忠治は眉間にしわを刻んだ。
「ここで戦わなければ、戦が無くなるの」
その呟きは美羽だった。右腕から血が流れている、さきほどの衝撃で切ったのだ。その状態では弓は使えないだろう。それでも彼女は痛みに耐えながらこちらに歩を進めた。
「それはわかりませんね。そこは殿の采配で決まりますから。個人的に戦が嫌いなだけです」
熊吉はあっさりと答え、頼綱を一瞥した。
「一色と皆元は一触即発の状態。そんな折にどちらかの重要人物が、こんな小競り合いで倒れたなら、確実に戦争に繋がりますよ」
「なに……?」
「渡邊さんは皆元家家老でいらっしゃいます。そんな方を討ち倒せばどうなるかぐらい理解できませんか?」
目を瞬く忠治に、熊吉は表情を変えないまま、淡々と己の見解を述べた。
「政と戦は切っては切れぬもの。常に考えて動かねばなりません。殺し合いだけが戦ではありませんよ。あぁちなみに、拙者は賢しいだけで皆元に絶対必要の存在ではありませんから、斬って結構」
「……」
「皆元に大義名分を与えることを一色政春は承知するでしょうか。一色と皆元では兵力差は明らか。……まぁ、見てみたいものですね。家臣の造反を冷静に対処した彼が、今度は子を失ったとき、どう動くのでしょうか。一介の将として少々楽しみでもあります」
「若……!!」
「まだ話は終わっていませんよ」
理解した忠治はすぐさま地を蹴ると、熊吉も鐙を蹴った。馬はあっという間に忠治に追いつき、熊吉は手に持つ槍を軽く振った。
「ぐ……っ!」
左側から迫る槍の柄に、忠治は急停止して無理に腰を捻り、刀を振り払った。槍と刀はかち合ったが無茶な体勢に忠治は足を滑らせた。
尻餅をつく忠治に熊吉は槍を突き出す。
「こちらとしては金吾さんが一色桃太郎の首を取ってくれれば、予想以上の成果となりますので」
「貴様!!」
その言葉が怒髪天を衝く。がむしゃらに薙ぎ払った刀は槍を真っ二つに切り飛ばす。
「おお……っ」
感嘆にも似た驚愕の声を上げた熊吉だったが、冷静に手綱を引いて腰の太刀を抜き放った。そして刺突に転じていた忠治の剣を防ぎきる。
「くそっ」
歩測を誤った自分に苛立ちを覚えたと同時に、思った以上に熊吉は剣術の腕前を持っていることを思い知らされた。刀がぎりぎりと火花を散る中、忠治は踏ん張った。ここで押し負けたら確実に死ぬ。
「武芸に疎いが易々と首をやるつもりはないですよ。それに騎馬と歩兵では能力がまるで違います……あなたとは背丈の差もありますね」
熊吉はふんと気合を入れ、忠治を弾き飛ばした。
今度こそ忠治は何も出来ないまま地面を転がった。得物を取り落として咳き込みながら顔を上げると、無表情の熊吉がこちらを見下ろしていた。
「何度も言うようにこちらに戦闘の意志はありません。正直、拙者は今このときの進軍を良しと致しません。現状況なら支城を落とせれば御の字ですね。兵の損失は少ないほうがいいですから」
熊吉はそこで言葉を切り、遠くを振り返った。
「ですから金吾さん、ほどほどにお願いしますよ!」
「――ああぁっ!?」
降り注いだ巨大な鉞は空を切った。それは真横の大地を砕いて沈黙する。途端に頬から血が噴き出し、思わず悲鳴を上げてのたうち回る。
桃太郎は右頬を押さえつつ、目を上げた。
「はぁ……はぁ……、クソッ!!」
坂上金吾は左腕を痛々しく血で染めながらも、凄まじい形相で彼方を睨みつける。桃太郎も彼の視線を辿り、丸腰の忠治と美羽が皆元の騎兵に包囲されているのを見つけた。桃太郎は声を掛ける余裕も無く、金吾が怒鳴り散らした。
「今の声、熊吉だな……。どういうことだオラァ!!」
「……」
目を血走らせる金吾に熊吉は答えなかった。微かに息を吐き、肩をすくめるだけ。その視線は桃太郎たちを通り越してさらに向こう、西方に向かっていた。
「殿は、どこまで見据えているのでしょうか……。ここは支城を落とせば重畳」
「どういう意味だ、熊野」
不満そうな声を上げるのは頼綱だ。近づく彼に熊吉は首を回した。
「申し上げてよろしいのですか?」
「構わん。お前の知恵は戦に必要だ」
受けて、熊吉は再度西方へ目をやり続けた。
「西の動きが、気になります」
「む……?」
その呟きに頼綱は唸った。熊吉は深呼吸してから頼綱に告げた。
「急ぎ合流し、碓氷さんに動かぬよう勧告を。優勢はこちらに。無茶に損害を出す必要もございません」
「確かに、そうだな」
「聞いてんのか! 熊吉!!」
なおも怒鳴り散らす金吾。しかしその顔色は良くない。彼も人間だ、桃太郎との戦闘で消耗していることは違いない。熊吉はぼんやりと彼に目を落とし、深く息を吐いた。
「優先すべきは渡邊さんの保護です。戦闘前に申し上げた通り、拙者は退きます」
「はぁ!? ふざけんな! てめぇからかち割るぞ!!」
「勝手にしてください。これ以上の体力、兵力の消耗は次の戦に響きますゆえ」
「あぁそうかよ!! どいつもこいつもだらしがねぇっ!」
どこにそんな体力があるのか、金吾はもう一度鉞を担ぎ上げた。大きな影が桃太郎に落ちる。金吾は狂ったように笑い、吐き捨てた。
「一色なんざ、俺ひとりで叩き潰してやる。あとで親父も送ってやるよ、桃太郎」
息を飲む。
万事休すと言って良いだろうか。
だが桃太郎は、何も一人で戦っているわけではないのだ。
「若!!」
「桃太郎っ!」
「――ッ!?」
金吾は背後の殺気に気づき、鉞をぶん回した。つんのめりながらも桃太郎へ駆け出した忠治と千哉。千哉の動きを見て、己が頭領を守るため武器を手にする鬼柳の鬼たち。誰もが、それぞれの想いを抱えてこの窮地を脱しようとしているのだ。
「クソがッ!」
これには金吾も苦痛に顔を歪める。すべてを防ぎきることはできず裂傷は増え続け、鮮血を散らし、そして。
「グッ……ア……」
突き刺さる矢。倒れる金吾。渾身の力を振り絞った美羽は、疲労の濃い表情で桃太郎に微笑みかけていた。
「金吾さんっ……」
これを見た熊吉は血相を変えた。素早く馬を回し、頼綱の制止の声も聴かずに、残りの騎馬兵を引き連れて戦場のど真ん中に突入した。
熊吉は感情を露にして太刀を振り回す。
「下がれ! この方はやらせないぞ!」
思わぬ乱入に皆が引き下がる。熊吉は敵対するすべてを無視して、満身創痍の金吾へ手を伸ばした。
「金吾さん、しっかり!」
「熊吉……てめぇ……」
「あなたは皆元に必要な存在です。こんなところで死ぬのはよしてください」
「ふざけんなっ。俺が、死ぬわけ……」
「退きますよ!」
金吾を無理やり馬に引き上げた熊吉は、桃太郎に一瞥をくれた。
「睨み合いで終わると、良いですね」
そう言い捨てて、熊吉率いる騎馬兵は東へと向かって行った。
***
蹄の音が遠くなっていく。
細い街道はやがてしんと静まり返り、痛々しい戦火の後を残すだけとなった。
泥と血の臭いが充満する中、桃太郎は地べたに座り込み、茫然としていた。
「若! ご無事で!?」
忠治が顔面蒼白で桃太郎の目の前で跪いた。ゆっくりと首を回すと、忠治だけでなく五右衛門も美羽も千哉も千鶴も……みんなが心配そうにこちらを見つめていた。みんなも同じようにぼろぼろなのに……。
桃太郎は失笑した。
「おまえらも、ボロボロだな」
「何をおっしゃいますか。若がご無事なら……!」
「そんなこと言うなよ」
ずきずきと痛む腕を持ち上げて、忠治の頭をポンポンと叩く。桃太郎は一同を見渡し、傷だらけの顔を綻ばした。
「無事でよかった……みんな、ありがとな」
「若……」
告げると忠治は唇を噛みしめ、五右衛門は鼻水をすすり、美羽は顔をうつむかせて震え、千哉も目を逸らしていた。
そんな彼らにほっとしたのか、蓄積された疲労が溢れて意識が不明瞭となる。頭痛を感じ、視界が濁って思考が鈍ってくる。体がだるくなり、側にいた美羽の膝に頭を落とした。
「若様!?」
慌てふためく美羽の悲鳴を聞くも瞼は落ちる。
「帰りたいけど……ちょっと、休憩……」
舌足らずにそんなことを言いながら桃太郎は意識を手放した。




