四、桃太郎、浦島の姫君に会う。
「まさか、瑠璃姫であられたとは」
忠治が驚きの声を上げて、湯呑を手に取った。
ここは町の茶屋。その一角を七人の男女が占拠している。卓と椅子が足りなかったから、隣にあった卓もくっつけた。
「姫なんて呼び方やめてくれない? 瑠璃でいいわ、犬養さん」
「すみません。身分はわきまえておりますゆえ」
「ほんと、堅い人」
少女――浦島瑠璃は、呆れたようにため息を吐いた。
この港町は浦島家が治めている。現当主の浦島清海には現在二人の子がいる。
一人は男子で浦島の次代を引き継ぐ者、嫡子の浦島達海。
そして、もう一人は女子。名は浦島瑠璃。つまり浦島の姫君だ。
その彼女が今、目の前にいるのだ。
これには桃太郎も驚きだった。
「お姫様なんですか?」
「え……、ええ、そうよ。お父様はここの領主だから」
千鶴は目を輝かせて質問すると、瑠璃は戸惑ったような、誇らしいような表情をした。二人を眺めていると、千哉がささやいた。
「桃太郎、お前はこやつを何者か知らなかったのか?」
「知らないぜ」
即答すると彼は眉をひそめる。
「一色の次期当主としてそれはどうなのだ?」
「仕方ないだろ。ここに来ることなんてないし、ガキんころ親父に連れて来られたけど、そのときのことはあんま覚えてねーしよ」
「まったく……」
千哉は息を吐く。桃太郎はそれを無視して瑠璃に目を移した。
「それよりも。浦島の姫様が、牢人に追われているのは些か問題じゃないか?」
そう言うと、瑠璃はぐっと言葉に詰まった。
「あっ、あいつらが悪いのよっ。ちょっと肩がぶつかったからって謝れって。『道に広がって歩くな』って言ったら怒ったのよ? 意味わかんない。いつの間にかうじゃうじゃ群れてるし……ほんと最悪」
肩にかかった髪を払い、瑠璃は憤然としている。
どちらが悪いかなど考えるまでもないが、瑠璃も瑠璃だ。そんな連中はほっとけばいいものを。桃太郎が肩をすくめてみせると、瑠璃は顔をしかめた。
「なによ、その顔」
「お転婆だなって思ってよ」
「う、うるさいっ」
桃太郎はお茶を飲み干し、再び質問した。
「それで。お姫様はどうして町をうろうろしてるんだ?」
「あなたは、この町の現状を知らないの?」
高圧的に質問を返す瑠璃に桃太郎は冷静に対応する。視界の端で五右衛門が、今にも瑠璃に飛びかかろうとしているが、捨て置く。あれは忠治になんとかさせる。桃太郎は卓に肘をついて、瑠璃の質問に答えた。
「知ってるさ、海賊だろ」
「ええ。その海賊、どこのか知ってる?」
「どこのってどういう意味だよ? 海賊に居場所でもあるのか?」
桃太郎は眉をひそめて訊いた。海賊だって根無し草ではないだろう。拠点がどこかにあるはずだ。しかし今の質問はそういう意味ではない。質問の意図が理解できなかった。
瑠璃は真剣な表情をして言った。
「名前ぐらい知ってるでしょ? 『皆元』よ」
「……はっ?」
これには面食らった。『皆元』と聞いて思いつくことは一つしかない。桃太郎も阿呆ではないのだから。思わず失笑する。
「ウソだろ……?」
「まさか、皆元が?」
忠治も驚きを隠せず、目を見開いた。見ると、千哉と千鶴が首を捻っていた。それに気づいた五右衛門が口添えした。
「……一色領より東にある大国です。領主皆元隆光は西方侵略のために、虎視眈々と一色を狙っています」
「そう。その皆元。海賊の後ろにはそいつらがいるわ。この前、お父様と兄上の話を盗み聞きしたから、事実よ」
きっぱりと言い放つ瑠璃に桃太郎は頭を抱えた。
「……恨むぜ親父」
政春はそんなこと一言も言ってなかった。領内の情報はすぐに一色城下に舞い込むはずだが。
本当に知らなかったというのはあり得ない。
己の父親に邪念を飛ばしていると、瑠璃は続けた。
「そんな奴らがこの町を脅かしている。だったら、領主としてやるべきことは一つだと思わない?」
「つまり。海賊を倒すと?」
桃太郎が疲れた表情で言うと、瑠璃が大仰に頷いた。だが、その顔は苦々しかった。
「だけど、お父様はそれをなさらないわ」
「……」
浦島は一色へ救援要請を願った。だから今ここに、桃太郎たちがいるのだが。まだ彼女には伝わっていないのだろうか。
「まだ対策を練ってないだけだろ、そんなすぐに対応できないさ」
桃太郎は浦島家当主、浦島清海を擁護するように答えた。すると、瑠璃の表情が厳しくなった。
「違うわ。お父様は本当に何もしていないもの」
強く発言する彼女に、桃太郎は一瞬黙ってしまう。その隙に瑠璃はまくし立てた。
「海賊が出てもう二十日よ? 犠牲者がたくさん出ているわ。それなのに父も兄も行動を移さない。どうかしてるわ」
瑠璃は桃太郎の目を真っ直ぐと見て、伝えた。
「だから私がこの町を救って見せる。私は、父や兄とは違うわ」
「……」
一同が黙る中、気まずく淀んだ空気を断ち切るように千哉が嘆息した。
「一つ、いいか?」
「何?」
瑠璃は眉間にしわを寄せて振り返る。
「俺は、人間の事情は知らない。だが、お前の家族の考えはなんとなくわかる」
「はぁ? いきなり何言って……」
「その清海という男は現状をよく理解している」
千哉は腕を組み、瑠璃を睨むように見つめた。視線に怖気づいたか、瑠璃はきゅっと唇を噛んだままだった。
千哉は続ける。
「海賊の裏には皆元とかいう大国があるのだろう?」
「そ、そうよ。それが何?」
「海賊を下手に刺激し、皆元が現れたら、町は確実に戦場となる」
その言葉に瑠璃は目を見開いた。
「小さな火種はやがて大きくなる。仕舞いには、一色すべてを巻き込むことになるだろう。ゆえに、お前の父は動かぬのではないか?」
「そ、そんなの……ただの言い訳じゃない!」
「……」
千哉は言いたいことを言ったのか、もう取り合いはしなかった。
「確かに。千哉殿の言うことはもっともですね」
忠治も頷いた。
「そんな……」
瑠璃は茫然としてこちらを見つめていた。
千哉の言うことは正しい。海賊と戦って彼女の言う通り、皆元が軍を率いて来たら大規模な戦になる。多くの人が犠牲になるだろう。だからこそ、浦島清海は動かない。
道理は合っていた。
瑠璃はくやしそうに顔を歪め、拳を震わせていた。
そんな彼女に桃太郎は言う。
「まあ、瑠璃の想いは正しい」
瑠璃はがばりと顔を上げる。
「この町が大切で、守りたい、救いたい。それは間違ってないさ」
「……な、慰めなんていらないわっ」
瑠璃はキッとこちらを睨んで首を振る。どこまでも強情な娘だ。それでも、桃太郎は微笑んだ。
「慰めなんかじゃない。そう考えられることは素晴らしいことだって。オレだってそうだから……」
瑠璃から目を離し、往来を眺めた。視線の先には楽しそうに笑う童がいた。
「――オレは、この町を、国を守りたい」
「へっ?」
その言葉に、瑠璃が目を剥く。
「だ、大それたこと言うわね」
「ん? 何が?」
「国を守りたいって……。あなたって何者なの?」
瑠璃は怪訝そうに桃太郎を睨んだ。桃太郎はしばし考え、忠治にささやいた。
「バラしていいか?」
「卒倒するかもしれませんが、いいでしょう。どちらにしろ伝わることですから」
「そうだな」
桃太郎は忠治の言葉に頷き、瑠璃に向き直った。相変わらず嫌みのない笑顔をする桃太郎がそんなにおかしいだろうか、瑠璃は眉間にしわを寄せていた。
「ほんじゃあ、自己紹介。オレは――」
「瑠璃ッ!」
残念ながら、桃太郎の名乗りは遮られた。
「誰だよ……」
桃太郎は苛立ちながら、声がした方向を睨みつけた。
それは茶屋の入り口から。
そこにはきちんと髷を結え、利発そうな顔立ちをした男性がいた。いかにも武家の男子といった男だ。周囲には従者を数人侍らせていた。その人は瑠璃の姿を見て、驚いた様子だった。
それは瑠璃も同じのようで。
「……兄上」
そう呟いた。
桃太郎たちは瞬時に、その男に目を向けた。
瑠璃はこの男を「兄」と呼んだ。すなわち浦島の人間。そして浦島清海の嫡子。
「探したぞ。また勝手に城を抜け出して……」
浦島達海、その人だ。
2014年11月22日:誤字修正・加筆
2015年2月22日:誤字修正・加筆
2015年5月3日:誤字修正・加筆