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桃の色香 続章  作者:
第二章 皆元編
39/52

二十二、桃太郎、赤鉞の金吾と対峙する。



 突撃してくる騎馬は五つ。烏帽子を被り、腹巻鎧を身につけた大男と、先頭切って駆け出すおかっぱ頭の男は見たことがあった。

「マジか……。あのおかっぱ馬鹿じゃねーのか」

「言ってる場合ですか、とにかく退避してください! ここは私が」

「バカ忠治。相手は騎馬兵よ」

 忠治の諫言に美羽が焦りの混じった声で返して、弓に矢をつがえる。

「機動力を潰す!」

 放たれた矢は鋭く空を裂き、迫る騎馬に向かった。

 坂上金吾が嘲笑した。

「下らねーなっ!」

 矢は一瞬にして無力と化す。馬上で旋回する巨大な鉞。馬の頭を掠め、前方に振りかぶった鉞が強風を起こし、矢を砕き落とした。

ハッと嘲笑う金吾。馬の腹を蹴り、速度を上げていく。

 そのとき左右の木陰から何かが光った。金吾は素早く目を動かし、鉞を自身に寄せる。瞬時に現れるのは鋭利な刃物――苦無や小刀、針などが飛来してきた。

「忍びか!?」

 驚いたのはそれだけ。金吾の顔はすぐさま喜悦に満ちた。

「面白れぇっ! 忍びとは一度やりあってみたかったんだ!!」

 呵々大笑。

 こんな陳腐な奇襲で狼狽える愚者ではない。金吾は馬上で見事に鉞を操る。長大な鉞は矛にも盾にもなるのだ。左右から飛んでくる暗器を幅広い腹で防ぎ、払い、叩き割る。騎馬兵が一人無様に撃たれたがどうだっていい。

 彼の目が捉えるのは一色桃太郎だけだ。

 その隣にいる女がまた弓を引き絞っている。だが遅そ過ぎる。そのまた隣では背の低い男が刀を構えるのはなんとも滑稽に見えた。

「――っと!」

 馬上から、金吾は鉞をすくい上げるように下から上へと振り上げる。鉞の尖った穂先が地面を擦って、土埃を舞い上げ大気を薙ぎ払った。

 森羅万象、全てを砕き臥せようとする凶刃が、桃太郎に迫った。

「くそ……!!」

 忠治と美羽が路傍に退かされる中、桃太郎は巨大な鉞を間一髪で躱した。千鶴の悲鳴を聞きながら地面を転がって、傷の無いことを確認する。身体を根こそぎ持っていかれるような圧迫感に気圧されたが、桃太郎は気丈に立ち上がった。金吾も既に手綱を引き、こちらへ向きを変えていた。彼は獰猛に笑う。

「会いたかったぜ! 桃太郎!!」

「オレは……会いたくなかったなっ」

 桃太郎は吐き捨て、状況を見定める。忠治たちが後方の騎馬兵に挟まれ、鬼柳の鬼たちも分断された。こちらに控えるのは千哉と千鶴、秋那と香織と、二人に支えられる女。そして立ちはだかるのは大きな鉞を背負った男。どう考えても分が悪すぎる。

 桃太郎が歯噛みすると、金吾が突撃してきた。

「考えてねぇで戦えよオラッ!」

「……ッ!?」

 繰り出される鉞。分厚い刃物は桃太郎の首筋目掛けて食らいつく。反射的に桃太郎は太刀で防いでしまった。風圧が髪を揺らし、直後に来る衝撃は頭を鈍器で殴られたようで、脳みそまでも揺れた気がした。

 吹き飛ばされる桃太郎。再び地面を転がり、背中を強かに打った。肺に押し戻された空気を吐き出して自分が生きていることに気づく。右手に握った太刀も無事だった。奇跡に等しい生還に桃太郎自身も驚いた。

「チッ、運の良い奴だ――」

 金吾が顔をしかめた瞬間、馬が大きく嘶いた。

 馬の首筋に見えたのは苦無。驚愕に目を剥く金吾は落馬し地面に這いつくばって、忌々しそうに前方を睨んだ。視線の先には、秋那が暗器を手にしていた。

「女が出しゃばんじゃねぇ!」

 怒鳴り散らす金吾が立ち上がり、地を踏み締める。

「決めた……全員割る!」

「まずはオレだろ? おかっぱ」

 桃太郎は金吾と向かい合って不敵に振る舞う。太刀を正眼に構え、刃を突き出した。

「上等だ! そうこなくちゃつまんねーもんなぁ!」

 なおも楽しそうに笑う金吾は頭上で鉞を振り回し、彼もまた鉞の穂先を桃太郎に向けた。

 錆びたような赤色の巨大な鉞が鈍く光を反射させる。あんなものをまともに受けきることはできない。刃を競り合えばたちまちこちらが壊れる。逃げるに越したことはない。だけど忠治たちを置いていけるほど、桃太郎は非情になれなかった。どうすれば……。

「行くぞ! 坂上金吾、まかり通る!!」

 考える暇もない。金吾が笑いながら突貫した。

 ごうと大気を唸らせ、降ってくる圧力を受け止める力は自分には無い。桃太郎は後退せざるえなかった。それを予測していたように、金吾は鉞を引いて長い柄をくるりと回転させる。力強い踏み込みは土を巻き上げ、左側にせり出した鉄板のような刃が風を切って襲いかかる。

「ぐっ……!」

 まさに紙一重である。顔面すれすれを通過する分厚い刃を桃太郎は辛うじて回避に成功した。体勢を立て直し安堵したのも束の間、豪快に薙ぎ払われた鉞がぴたりと中空に止まり、そして。

「オラ――ッ!」

 しっかりと地に足を付けた金吾の身体は簡単に崩れない。右腕のみで握り締められる鉞をそのまま振り戻した。それは真っ直ぐと桃太郎の頭に降ってくる。桃太郎は目を剥きながら太刀を滑り込ませた。

 鉄と鉄がぶつかる音が耳元で響き、太刀が悲鳴を上げるように火花を散らした。

「マジっ、か……っ」

 桃太郎は呻いていると金吾は感心したように口笛を吹く。

「反応良いなぁ、ボンボンのくせに」

 そして舌なめずりをし、容赦なく押し出した。

「だったら愉しませろよ、桃太郎!」

「ッ……! あ、アアァッ!!」

 刃を寝かせ、強引にいなした。悲鳴を上げて太刀が鉞の柄から離れる。彼我の距離は二歩程度。武器は間合いが広ければ広いほど有利だがこの間合いなら、金吾も思うようには動けない。

 吼えた。本能的な踏み出しだったが、それでも金吾に傷を負わせることはできた。絶叫しながら柄頭で金吾の頬を殴った。

「ぶはッ!」

 涎と血を吐き出し、金吾はたたらを踏む。少しでも体勢を崩せることができれば攻勢に転じられる。桃太郎は太刀を握り直して刺突つきを繰り出した。

 しかし彼は倒れなかった。

「え……?」

 鈍い金属音が切っ先から聞こえた。視界の先にあるのは長い柄、斜めになって防御された鉞。引きずった穂先が地面に突き刺さっていて、その向こう側では金吾が楽しげに肩を揺らしている。彼は折れた歯を吐き出し、鼻血を垂らして鬱血した顔をニヤリと歪めた。

「いいね~。闘いってのはこうじゃなくちゃなぁ……」

 ぞくりと肌が粟立った。

「なんだその顔? 最高だと思わねーのかぁっ!?」

 金吾は鉞の穂先を蹴った。砂塵をまき散らしぐるんと縦に回転する鉞。真っ直ぐ突き刺さる太刀はあっさりと弾かれ、分厚い刃にぶち当たる。重い衝撃に、柄が手からすっぽ抜けて太刀はどこかへ飛んでいった。

 その軌道を追う暇もなく鉞の柄頭が脇腹を抉る。

「そらよ!!」

 金吾は鉞を押し込みながら、薙ぎ払うようにぶん回した。

 桃太郎の身体は簡単に地面から離れ、宙を飛ぶ。硬い地面に背中を打ちつけ、桃太郎は道端の草叢に転がった。咳き込みながら首をもたげた瞬間、目の前に鉞が降ってきた。地面が割れ、顔に土を被る。

「おいおい。何倒れてんだよ」

 金吾は悠々と桃太郎を見下ろす。

「こんなもんか? 立てよ、もっと俺を愉しませろよ」

 凶暴に輝く三白眼。金吾は腰を下ろし、桃太郎の前髪を掴み上げて無理やり顎を上げさせた。

「一色の嫡子がこれじゃあ一色は全部この程度か? せっかく期待してやったのになぁ~。今回の戦も楽勝だな。……つまんね」

「……うっせーよ、おかっぱ」

 ぷっと血の混じった痰を吐き、手の中にある砂を金吾にぶちまけた。

 目を庇う金吾を突き飛ばして桃太郎は逃げる。彼と距離を置きつつ、愛刀を探すがどこにも見当たらず、即座に悪寒が背中を走った。

「ぐ……、クソが!」

 罵声が聞こえ、金吾が鉞を振り上げる姿が思い浮かんだ。その途端、背後の大きな破壊音が鼓膜を叩いた。

 桃太郎は後退しながら振り返ると、金吾が苛立ちに任せて地面を叩き割ったのだと理解する。金吾は鼻血を拭って地面に刺さる鉞を持ち上げた。

「次は逃がさねぇ」

「く……」

 丸腰だ。ずきずきと脇腹に痛むのは、さきほどの一撃で肋骨が折れたからか。桃太郎が顔をしかめると、金吾は余裕そうに笑う。

「男前な顔がさらに男前になったぜ?」

「光栄だな。女性の心を掴むのはオレの罪かな」

「チッ、くさい戯言を。気に入らねぇ」

「下がれ、桃太郎!」

 そのとき桃太郎の視界に赤い襟巻が踊った。秋那だ。苦痛に顔を歪める彼女は、横合いから飛び出して握る忍刀を閃かした。

 金吾は大きな舌打ちを漏らし、腰を落とした。

「だから……女がでしゃばんな!」

 薙ぎ払われる鉞。秋那を素早く身をかがめ、それを回避し、金吾の懐に飛び込む。鉞の風圧に赤い襟巻が踊るように靡き、秋那はくるりと忍刀を逆手に取った。

「な……ッ!?」

 濡れる漆黒の瞳を見て、金吾は息を飲んだ。喉許を迫る凶刃を間一髪で躱すも、しかし首元を浅く裂かれて分が悪いと感じたか、後退した。

 無論、秋那は追わない。突然の乱入に膝をつく桃太郎の側に駆け寄り、秋那は涙に濡れた声で呼びかける。

「おまえ、なんで……」

「桃太郎しっかりしろ!! 決して死ぬな!」

 秋那は必死にがくがくと揺さぶってくる。それがどうしてか可笑しく桃太郎は不思議と安堵する。

「大丈夫だって。死なないって」

「――邪魔すんな。女」

 声に全身が粟立つ。秋那の背後には大股を広げ、猛然と鉞を振り上げる影。

 桃太郎は身体が麻痺していて動かなかった。秋那が彼を守るように抱きしめ、ぎゅっと目を閉じた。

 ガン! と聞こえた金属音。

 何も起こらないことに不思議に思い、桃太郎は目を開ける。視界はほの暗い。秋那に抱きしめられているからだ。彼女の体温と胸元の柔らかさを感じていると、秋那が声を上げる。

「千哉様!」

 二人を守るのは千哉だった。両の手に刀が一振りずつ、千哉は苦しげに息をきながらも千哉は金吾の鉞を受け止めていた。

 金吾はますます顔をしかめる。

「貴様はあのときの……。貴様がいなければ浦島もれた、桃太郎こいつの首も取れた! 桃太郎の次は貴様だと取っておいたが……先に死にたいのか?」

「ふっ、手負いだからと言って甘く見るなよッ」

 千哉は唸り声を上げて二本の刀を押し出す。紅潮する顔。筋肉が盛り上がり、肌に血管が浮く。だが千哉は誰よりも怪我をしている。裂傷は絶えず、皮膚はめくれ上がっており着物の腰のあたりは赤黒く変色している。満身創痍の千哉に、桃太郎は秋那をどけて呼びかけた。

「千哉、もういいからっ……やめろって!」

「黙って、見ていろ……!」

 千哉は荒い息をきつつも下半身を落とし、『鬼』の意地を懸けて力いっぱいに金吾を押し返した。

「なんだと……?」

 金吾の表情が変わった。押され始めていることに気づいたのだ。金吾はぎりっと歯ぎしりして鉞を振り払い、千哉の腹を蹴った。

「くそが!」

「ぐあ……っ!」

 衝撃に千哉は地面に腰を打ちつけた。

 桃太郎は彼に這い寄り、無事を確かめる。すると千鶴や香織まで戦場に出て来て、桃太郎と千哉の安否を見守る。

「桃太郎様」

 千鶴の小さな声にはっとなって、桃太郎は自分を見つめる視線を仰ぐ。

「おまえら……」

 桃太郎は力強く拳を握って、雄々しく立ち上がった。

「……ちょっと借りんぞ」

 地面に落ちる刀を一振り拝借し、金吾を睨みつける。

 見やると彼は眉間にしわを刻み、ちらりと彼方を見つめてぼやいていた。

「そういや、渡邊さんとやりあって生きてるんだったな……。死にぞこないが」

 それから、再び桃太郎に目を戻して憐れむように笑った。

「従者に守られて情けねーなぁ。しかも女だぜ」

「あ……?」

 応えるつもりはなかった。だが、その見下した視線が妙に神経を逆撫でしたのだ。

 金吾は片頬を吊り上げ、馬鹿にしたように続ける。

「そしてお前は従者こいつらを守るのか?」

「当たり前だろ。こいつらが体張ってんなら、オレだって体張んなきゃなんないだろ」

「下らねぇっ!」

 金吾は鉞の穂先を桃太郎に向けた。

武士もののふたる者、ただ目の前の敵を倒す、それだけだ! 前だけ向いてりゃあいいんだよ。側で味方が倒れようが死のうがどうだっていいだろ。とどのつまりそいつが弱かったから死んだんだ。弱い奴気にする必要なんかねぇんだよ」

 そして嘲笑った。

「弱い奴は、死んで当然だろ」

 その言葉で、頭が真っ白になった。

 桃太郎は呆然と金吾を見つめ、立ちすくむ。

 あまりにも驚愕の発言に言葉が出なかった。彼を説き伏せることのできる言葉が何ひとつ思いつかなかった。それを考えることすら煩わしくなった。どす黒い濁った思いがふつふつと沸き起こり、自分でも理解できない感情が胸中を埋め尽くす。

 要は。

 坂上金吾という人間が、どうでもよくなった。

 ぽつりと呟く。

「……かわいそーだな」

「あぁっ?」

 食ってかかる金吾に桃太郎は薄く笑った。

「そんな考え方しかできないなんて、かわいそーだな。おまえ」

「貴様ッ!!」

 奥歯を噛み締める金吾。桃太郎のその笑みは彼を激怒させた。鉞を構え、怒鳴り散らした。

「今度こそ、叩き割ってやる!!」

「やってみろよ、おかっぱ」

 両者は互いの得物を構え、睨み合う。

 二局目の始まりだ。


 ***


「――ああああっ!」

 先に仕掛けるのは桃太郎だった。気合の絶叫を上げて金吾に雄々しく立ち向かう。千哉から借りた刀――いつもと違う得物を握り締め、蛮勇とも言える勢いだった。

 金吾は深く腰を落とし、鉞の穂先を突き出した。間合いは圧倒的だ。どちらの刃が先に届くかなど、餓鬼でもわかる。金吾は相変わらず楽しそうに笑っていた。

 その表情に桃太郎は舌打ちを漏らす。彼の言動のすべてが不愉快だった。こんなにも他人を嫌悪するのは初めてだろうか。人は、己が理解しがたい相手に出会ったとき、こうも簡単に他人を軽蔑できるのか。思わず自虐で笑ってしまう。

「ッ……!」

 ぐん、と真横で唸る鉞。桃太郎は髪を靡かせ、歯を食いしばって風圧に耐えた。穂先を躱して安堵するわけにいかない。次に迫るのは分厚い刃。胸元に押し寄せる凶刃を必死に目に捉え、刀を持ち上げた。

 無論、防御という愚行はしない。鉞に刃を軽く擦って前へ踏み出す。衝撃に耐えつつ、桃太郎は受け流して金吾とすれ違った。

 ピッと赤い線が刀の切っ先に浮いた。

「こいつ……」

 彼の太い腕を流れる鮮血。だが浅い。わずかに目を見張る金吾であったが、すぐに表情を喜色に変えた。

「これからだってわけだなっ!」

 答えなかった。間髪容れずに再び駆け出す。素早く間合いを詰め、刀を閃かす。口を動かしていた金吾は一息遅れた。かろうじて鉞を手元に引き寄せ、袈裟に振るわれた剣閃を防いだ。

 競り合うのは不味い。桃太郎はすぐさま刃を離して、斬撃を叩き込む。分厚い刃に阻まれ、刃先は一向に金吾の肉体に届かなかったが、手数を増やし剣速を加速させる。刀は火花を散らして刃を毀していく。打撃に近い斬撃であったが桃太郎は金吾を攻勢に転じさせなかった。

「ちまちまと……うっとうしい!」

 到頭、金吾がしびれを切らした。豪快に振り上げられた鉞は桃太郎の刀を弾き飛ばした。

 たたらを踏む桃太郎に、巨大な鉞が振り落とされる。桃太郎は後ろ足で踏ん張り、刀を寝かせ、耐え忍んだ。

 だが、無謀な防御態勢は容易に破壊される。これまで無茶をさせてきた刀は尋常ではないほどの悲鳴を上げて、真っ二つに折れた。

 銀色の破片が宙を舞う。

 金吾が一笑した。

「そんな小せぇナマクラ使ってるからだッ」

「く……ッ」

 鉞が左腕を通過した。陣羽織が破れて左腕から血が溢れ出す。顔をしかめて後退する中、金吾の三白眼がぎろりとこちらを捉えた。

「逃がすかよ!」

 金吾は桃太郎に体当たりを食らわせた。籠手の鉄板が横腹に当たり、思わず嘔吐えずく。

 だが、桃太郎は屈しない。

 意識を失わないよう唇を噛んで耐え、倒れないよう懸命に踏ん張り、壊れた刀を持つ右腕を振り上げた。

「ガアアッ!!」

 金吾の脳天に柄頭が直撃した。

「ア、アァ……、うおお……!」

 初めて、金吾が地に崩れた。

 その隙に、桃太郎は彼から距離を置き、荒れた息を整えながら武器を探した。やっと、自分の太刀を見つけてゆっくりと左手に持ち替える。それから、屈する金吾に顔を向けた。

「き……きっ、貴様ぁぁっ!」

 額を押さえる金吾。指の間から血が溢れ、顔を真っ赤に濡らす。彼は血走った目で桃太郎を睨んだ。

「く……クソがっ!」

 金吾は毒づきながらも右手を這わせ、鉞をぐっと掴んだ。それに桃太郎は気色ばんだ。

「おまえ、まだ……っ」

「何、言ってんだ」

 顎先から血を滴らせて金吾は立ち上がる。ずるずると鉞を引きずりながら不気味に口元を歪めた。

「俺は武人だ。言ったはずだ、俺に退くなんて選択はぇ。退くなんて無様な真似、二度としねぇっ! 俺は、貴様を殺すまで絶対に退かねぇ! ……さぁっ!」

 金吾は鉞を構えた。

「続きだ! 桃太郎!」

 そして地を蹴る。

 真っ赤な羽織が翻って、鈍い赤色の光沢を放つ鉞が振り下ろされる。鉞の風圧により大気は唸り声を上げ、砂塵を散らせる。踏み込みだけで地面に亀裂が走り、鉞は大地を削り、一層その場は激しく変化する。

「うおおおおお――!!」

 勢いを増した金吾は台風のようだった。獣のように叫んで勢いを落とすことなく、鉞を振るい続ける。

 瞬きも、息をすることも許されない。油断すれば一瞬にして肉塊と化す。そんな状況に桃太郎がずっとついていけるわけもなく、徐々に着物が破れ、皮膚を裂き、黄土色の粉塵の中に血の赤色が混じるようになった。

 金吾は頭から血を流しながらも笑っている。爛々と目を輝かせて、この命のやり取りを愉しんでいるようだった。

「……できねぇよ」

 桃太郎は苛立って呟く。肩の向こう側を鉞の刃が過ぎたとき、柄の部分に太刀を押し当てて受け止めた。柄も鉄製なので当然斬れない。ぎりぎりと不協和音を奏で、火花が頬を打ち、金吾が忌々しそうに舌打ちをした。

「理解できねぇよ」

「何が!」

 桃太郎は腰を落として踏ん張ったまま、金吾と目を合わせた。

「そんなに……楽しいかよ」

「ああぁっ!?」

 金吾が怒鳴り桃太郎を蹴り飛ばした。転がる桃太郎を容赦なく追撃する。

起き上がった桃太郎は右手に持ったままだった壊れた刀をぶん投げた。金吾が息を飲むのが伝わる。だがすぐに鉞を振り回して飛来する刀を叩き落とし、桃太郎に迫った。

 降り注ぐ暴力を桃太郎は斜め前へ回避。土の塊が額を打ち、赤く滲む。着地してすぐに旋回。金吾の左斜め後ろ――ほぼ死角から桃太郎は太刀を構えた。

 しかし金吾も止まらない。ぶんと鉞を背後に振り回し、攻撃と防御を同時に行う。身を低くしていた桃太郎はそれを躱し、更に距離を詰める。金吾も負けず劣らず、振り切った鉞を振り戻していた。

「――ああああああああああ!!」

「――うおおおおおおおおお!!」

 考えることをやめた。

 どう足掻いても彼との戦いは終わらない。彼を理解できないのが、それが己の欠点だとしてももはやどうだっていい。

 今は自分の成すべきことを――つまりここから退却し、一色領へ帰還すること。そのために、彼を倒さなければいけないのなら、全力で彼を倒すだけだ。

 桃太郎は本能と己の身体能力に全てを任せていた。

「――オラッ!!」

 そのとき、けたたましい爆音とともに鉞が地を割った。

 砂塵と土埃が舞い、もうもうと煙が立ち込める。

 視界が埋め尽くされる中、しかし桃太郎は恐れなかった。

 とっくの昔に思考は放棄している。本能のまま、脇目も振らず、がむしゃらに、思いっきり足を踏み出した。

 右足が鉄製の柄に乗る。

 荒々しい踏み込みは地面に突き刺さる鉞をさらに沈めた。

 跳躍は驚くほどに距離を伸ばし、桃太郎は考えるわけもなく太刀を突き出した。

 砂塵の中から現れる鋭く輝く切っ先。それは金吾の胸元へと吸い込まれる。

 桃太郎の視界に映るのは、真紅の羽織と驚愕の表情。坂上金吾は目を剥いて硬直し、そして愉しそうに大きく破顔した。

 血飛沫が上がる。

 肉を貫く感覚が手に伝う。

 鉞が地に落ちた。

「…………っ」

 その轟音に桃太郎は理性を取り戻す。

 桃太郎は太刀を突き出した体勢で動きを止めていた。突き出す右腕にある桃太郎の太刀はしっかりと金吾の肉体を貫いき、だかそれは彼の胸部ではなく、左肩部であった。

「グッ……、ううっ……」

 金吾は低く呻き目を血走らせて、己の肉体に刺さる太刀に指を這わす。金吾は苦しげな表情で片頬を吊り上げた。

「オラ……どうした?」

 固まる桃太郎に言う。ゆっくりと太刀に触れ、ぐっと握り込んだ。掌が切れ、血が溢れる。その動作に桃太郎は青ざめた顔を動かした。

「もう終わりか? 俺はまだ、闘えるぞ」

 この状況においても、坂上金吾の闘志は燃え尽きないのだ。痛覚が麻痺しているのか、金吾は倒れる気配もない。彼は血塗れの顔を歪めて、なおも愉快そうに笑う。

 桃太郎は茫然と金吾を見つめ、鮮明になっていく頭を動かして喉を震わせた。

「……闘うことが目的じゃない」

「あ? なんだと……」

 ぐっと太刀の柄を握る。金吾の顔が険しくなるが、桃太郎は真っ直ぐと彼を見つめた。

「お前の首を取るのは、戦になってからだ」

「ふざけるな!!」

 突然、金吾が怒鳴った。

「俺を馬鹿にしてるのか!? 戦う気がないだと? ふざけたこと言ってんじゃねーぞ、クソ野郎……武人は闘ってこそだろうが!!」

 激怒した金吾は太刀を引き抜いた。思わぬ行動に桃太郎は太刀から手を離して、腰を抜かす。肩口から溢れる鮮血。羽織も籠手も赤黒く染まり、それでも金吾は二本の足で立って、桃太郎を見下ろした。

「殺す覚悟もぇ奴が、戦場に出てくるんじゃねーよッ!」

 金吾は太刀を地面に叩きつけた。

 それでも桃太郎は言葉を紡げない。

「……」

 やはり彼を理解できない。戦うことがすべて。武人であるからこそ戦い、戦うからこそ武人である。戦うことがすべて。坂上金吾の精神はただそれだけに塗り固められているのだ。

「あぁっ! 貴様を見るとイライラする。……殺してやる!」

 傷を意に介すことなく、金吾は鉞を持ち上げた。

 振り翳される巨大な鉞。冷たく、憐れみを帯びた瞳が桃太郎を射抜いた。

「死ね」

 すげもなく宣告し、金吾は鉞を振り下ろす。大気を裂いて凶刃が落下してくる。桃太郎は茫然となすすべもなくそれを見つめていた。

「――ですから金吾さん、ほどほどにお願いしますよ」

「ああぁっ!?」

 声に反応した金吾。

 鉞の穂先が桃太郎の頬を掠めた。





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