二十一、千哉、友と再会をする。
彼は、颯爽と風のように現れた。
千哉は茫然として目を見開いて、彼を凝視していた。
「久しぶりだな、千哉」
その声はいつものように穏やかなものだった。しかしその端正な顔立ちはいつになく真剣で、凛としていて。
「ボロボロだな。おまえ」
感情を押さえ込むようにして柔らかく笑む。
「……」
もはや言葉では言い表せない。戸惑いや怒り、さまざまな感情が胸中を埋め尽くし、まさに万感の思いであった。以前、彼と対したとき、彼はこんな感情を抱えていたのだろうか。
千哉はぐっと唇を噛みしめて顔をうつむかせた。
「どうして……」
それだけ呟くのが精一杯だった。だが、それだけで千哉の思いは届くのだ。
一色桃太郎は笑顔のまま頷いた。
「どうしてって。そんなの決まってるんだろ」
桃太郎は苦笑して言うと、太刀を左手に持ち替えて空いた右手を伸ばした。
「困ってる友達ほっとけるほど、オレは器用じゃない」
「……」
「みんなで、迎えに来た」
「みんな?」
ああ、と桃太郎は頷いて背後を振り返った。その視線は自らの従者たちを見ていない。忠治たちを越えて、雑木林の暗がりに向かっていた。
「何も、オレたちだけで国を越えてきたんじゃないさ」
ニッと勝気に笑う。
「隠密に長けるのはおまえたちの十八番だろ?」
そう言うと同時に、木々から多くの影が舞い降りた。現れるのは忍装束の集団。十人ばかしの彼らは千哉のよく知る者たち――鬼柳の鬼たちだ。
千哉はハッと息を飲んだ。
「お前たちまでっ、どうして……!」
「お兄様!」
彼の驚きの声にかぶるように聞こえた愛しい彼女の声。鬼たちの合間から無理やり出てくる少女は、その華奢な身体に不釣り合いな忍び装束を身にまとい、千哉の胸元に飛び込んだ。
「千鶴――っ!?」
千哉は妹の千鶴を受け止めきれず地面に背中を打った。胸の上で震える小さな頭を見て、千哉は言葉を失った。
「やっと……やっと、会えました」
白く小さな手でぎゅっと着物を握り締めて、漆黒の丸い瞳に涙をいっぱい溜めて言う。
「無事で何よりです、お兄様の姿を見るまで……本当に胸が苦しかった……」
「っ……。桃太郎、何故千鶴まで連れてきた」
そんな彼女を見ていられず、千哉は桃太郎へ抗議の目を向けた。
だが、桃太郎は千哉を視界に捉えておらず太刀を背負いなおして、あたりを見渡していた。
「……さて、と」
街道は荒れ果て、血の臭いが充満している。左右には傷だらけの男が片方ずつに倒れており、二人とも意識はあるようだった。そして何より問題なのは左手の男だった。
桃太郎は眉をひそめてその男に目を向けた。左腕が欠落し、背に矢の刺さったそいつは呻き声を上げ、首を動かした。
「ぐ、人間どもが……。また邪魔をするのか」
血走った眼でこちらを睨み、残った右腕で背中の矢を引き抜いた。
「嘘……まだ動けるの……!?」
「化け物かよ。あれ、熊でも倒れる毒だぞ」
美羽と五右衛門が驚愕して身構えた。さきほど、美羽が放った矢は毒が塗られていた。一度目のように準備もなしに国越えはしていない。相手が、人間ではないとわかっているのだから相当の準備はしてきた。
今目の前にいるのは以前襲撃をしてきた『鬼』。名は稔だったか。東国の鬼だ。すると忠治は早足で稔に歩み寄り、彼の首筋に刀を突き立てた。
「動くな」
「押さえられるか」
訊くと忠治は申し訳ないように顔をしかめた。
「なんとも言えません。相手が相手ですから」
「ハッ。ぼくを捕まえるなんておまえたちにできるのかよ?」
「黙っていろ」
「……ッ!」
嘲る稔を忠治は刃でねじ伏せた。稔の首筋を赤い線がつ、と流れる。忠治はしゃがみ込んで稔と目を合わせ、冷酷に告げた。
「立場を弁えたらどうだ? 言葉には気をつけろ。貴様が若に刃を向けたこと、忘れたとは言わせないぞ」
「やめろ、忠治」
桃太郎が諌めると、忠治は不服そうにゆっくりと刀を引いた。
「それと……」
桃太郎は稔から目を離し、反対側に首を向けた。
木の根元にうずくまるのは三十代の男。襤褸のような陣羽織と破損した鎖帷子。その破片が肌に刺さっていて痛々しい。刀傷と流血の激しい男は顔を歪めながら不気味に笑った。
「一色の倅だな……?」
「そうだよ。オレも訊くけど、あんたは人間だよな?」
「当然だ、そこの化け物と一緒にするな」
男は千哉を顎で指して言い、桃太郎を見上げる。
「お前は、化け物どもを飼っているのか?」
その一言に鬼柳の鬼たちは厳しく顔をしかめる。千哉の側にいた秋那が食ってかかろうとするのを桃太郎は制して、言い返した。
「違う、オレの仲間だ。家畜みたいに言ってもらっちゃ困るな」
「何を言ってる? お前は。鬼は俺たちに害しか及ぼさん。むしろ問いたいものだ。人を忌み嫌うそいつらをどうやって手籠めにした……」
「おっさん」
桃太郎は男の言葉を遮って太刀を振り下ろした。男の鼻先に落とされるのは鉄金具で拵えた鐺。見下ろされた男はまじまじと鐺を見つめ、押し黙った。
「あんた、名前は」
桃太郎は口元だけ笑みをつくって訊ねた。
「ハッ……。面白いな、一色の倅は」
しかし男は肩を揺らして笑うだけで答えなかった。
「……渡邊頼綱。皆元隆光の側近だ」
それは千哉のものだった。彼は仲間に支えられながらこちらへ顔を上げていた。残念ながら桃太郎はピンと来なかったが、忠治は驚きの声を上げた。
「渡邊頼綱!?」
「誰だよそれ?」
「何おっしゃるのですか。今の皆元の宿老ですよ! 皆元隆光の腹心であり……何よりっ、正座居合大槻流の大槻玄斎を師に持ち、若輩ながらその剣技は達人の域を越し、彼の居合いは雷光の如しと……!」
「あ、そう」
なんだか興奮気味に話し出す忠治をほっておき、桃太郎は男――渡邊頼綱に目を戻した。
「おっさん、そんなに偉いのか?」
「良く知っている小僧だ。……ふん、名が知れるのは気分の良いものではないな」
頼綱は深々と息を吐き、灰色の空を見上げた。
「ままならぬものだ……。皆元の栄華のため禍根は断ちたかったが……我ながらになんと情けないことか」
そして片頬を上げたいやらしい笑みを浮かべて、桃太郎に言った。
「皆元の家老の首だ……高いぞ? さぞや貴様の父親も喜ぶだろう。取れることを光栄に思え、若造」
「……」
桃太郎はじっと頼綱を見つめ、やがておもむろに口を開いた。
「サル、」
「は……」
「適当に手当てしてやれ」
「はっ。……は? え、ええっ?」
思いもよらなかった命令に五右衛門は目を白黒させた。背負った道具一式を下ろすところで動作を止めてしまう。それは当の頼綱も同じで、呆気にとられた様子で桃太郎を見つめ、怒りに顔を紅潮させた。
「冗句がきついぞ……。俺を助ける気かっ!」
「助けるつもりはないさ」
「一色の。それには私も賛同しかねるぞ」
頼綱と一緒に声を上げたのは鬼柳の鬼だった。男鬼の彼は厳しく桃太郎を見据え、進言する。
「こいつは千哉様に危害を加え、我らを家畜同然だと言った。そんな輩に情けなど不要。すぐさま処断すべきだ。それが一色のためにもなるんだろう? ならば断然そうすべきだ」
彼の言い分に他の鬼たちも頷いた。だが、桃太郎は首を縦に振らない。
「あのな。オレたちは戦いに国越えしたんじゃないだろ? 目的は千哉の救出だろ」
「それは、そうだが……。しかし、我らにも矜持がある!」
「それはそれ、これはこれ。そういうのは本気で戦になったときに取っておくさ」
桃太郎は素っ気なく答えて頼綱を振り返った。
「おっさん、オレたちは戦いに来たんじゃない。戦う気なんか最初からねーんだよ。悪いな、死ねなくて」
「貴様……」
「あんたの首は、戦場で取る」
頼綱が目を丸くする。
桃太郎は太刀を肩に置いて、不敵に宣告した。
「そのときは容赦しない。オレは民や国を守るために戦って、徹底的にあんたたちを潰す。覚悟しとけよ、おっさん」
「…………フハッ」
しばし呆然としていた頼綱だったが、堪えきれなくなったのか到頭噴き出した。呻くように笑いながら桃太郎に訊ねる。
「若造、名を訊こう」
「知らないのかよ、ったく……。オレは一色家棟梁一色政春の子、一色桃太郎だ」
「俺は渡邊頼綱という。……二言はないな? 後悔しても知らんぞ」
「当然。まっ、戦なんて起きねぇだろーか」
「阿呆が。戦は既に始まっている」
「言ってろ」
桃太郎は笑った。
そのとき千哉が千鶴と一緒に近寄った。振り返る彼は相変わらず爽やかな表情で軽口を叩いた。
「おう千哉、元気か」
「お前は……少しは自分の身を案じたらどうだ」
「助けてやったのに説教かぁ? 千哉」
「お兄様っ」
「千鶴そんな顔で見るな。……俺のことなどほっておけばいいだろ」
妹の非難の視線を振り切り、千哉はぶっきらぼうに言い捨てた。無論桃太郎はそれを受け止めなかった。
「何度も言わせんなよ。おまえはオレにとって大事な親友だ、絶対に見捨てない」
絶対に変わらないで真っ直ぐな彼に、千哉は何も答えられなくなって目を逸らした。
「……今回は、助かった」
「素直じゃねーなー」
からから笑って桃太郎はふと千哉の背後を見やった。視線はそのままで千哉に言う。
「あっちは任せるわ」
「良いのか?」
千哉が戸惑うような顔つきをするので桃太郎はおかしくて笑ってしまう。
「頑張ってどうにかしてくれ、オレにゃあ押さえ切れない。……サル、こっちは頼むわ。他は周囲の警戒を頼む。オレはちょっと休憩」
「承知しました」
ぷらぷらと手を振って命令を下す。五右衛門は複雑そうな顔をしながらも頼綱に近寄っって背負った道具を下ろした。
「…………」
千哉は友人の横顔を見つめてふっと息を吐き、まず地面に横たわる彼女を背負い、
「秋那、香織。千早を介抱してやってくれ」
「え……。は、はい」
戸惑う二人は容姿端麗な女性を受け止めた。二人の視線が彼女が誰なのか尋ねたいと物語っている。だが、千哉はそれを振り切って千鶴を引き離す。
そして、彼に向き直った。
凝固した血にまみれた稔の姿は頼綱以上に重症である。腕の欠落など人間には正気でいられない。稔は金色の瞳を爛々と輝かせこちらを睨み、荒く息を吐きつつも、立ち上がって、千切れた左腕を拾った。
そんな彼を見て千哉は悲痛に唇を噛んだ。
「稔、話は聞いてくれないか」
「馬鹿言うなよ。もう話すことなんかないだろ。ぼくは変わらない」
「稔……」
「さあ、千早を返せよ!」
左腕を持ったまま右手を突きだした。
「…………」
千哉はぐっと拳を握り、震える喉を鳴らした。
「俺はっ」
そのとき、千哉の耳が何かを拾った。ばっと顔を上げて耳を澄ませる。稔も怪訝そうに目を動かし、鬼柳の鬼たちもあたりを見渡した。
「千哉?」
急に黙ったこちらに桃太郎たちが首を傾げる中、仲間が千哉に耳打ちする。
「頭領。何か来ます」
仲間の言葉に千哉は街道の彼方を見つめる。すると地面に耳をつけた鬼が目を剥いた。
「蹄の音だ……それも、かなりの数だぞ!」
「感づかれたのか?」
「千早の追っ手かもしれない」
忠治の言葉に千哉は即答する。
桃太郎は千哉の言葉に聞き慣れない単語が聞こえて、眉を寄せた。しかし千哉はこちらの視線を無視して、秋那と香織に支えられる女性を守るように立つ。それが誰だかわからなかったが、今は迫りくる何者かに集中した。陣羽織の裾を握る千鶴を抱き寄せ、桃太郎は静かに鞘から太刀を引き抜く。
「ともかく引き上げるぞ。せっかく千哉と会えたのに帰れなくちゃあ意味ねぇっ」
「では、私が殿を」
「忠治、私も付き合うわ」
忠治と美羽は顔を見合せ、力強く頷き合う。
「無理はすんな――」
言い終わる前に耳をつんざくような音が街道に響いた。
「ぐっ……!」
「大丈夫か!?」
鬼柳の一人が地面に倒れた。撃たれたのだ。今の炸裂音はどう考えても鉄砲だ。桃太郎は耳を押さえつつ、音の聞こえた方角を振り返った。
「ヤバいな、あれは」
そしてそこにあるたくさんの影に思わず笑ってしまった。
「桃太郎よ」
背後から掛かる声は頼綱のもの。彼は愛刀を手に立ち上がり、皮肉たっぷりに笑った。
「約束は違えん、今は休戦といこう。だが、得意の口八丁は奴には効かんぞ」
「忠告どうもっ!」
桃太郎は太刀を構えつつ、街道の向こうを睨んだ。
道を塞ぐのは十以上の騎馬。
さっき撃った鉄砲の火薬の匂いが鼻につく。鉄砲を持った騎馬の兵士が「当たった!」と歓喜の声を上げていた。
その先頭で馬にまたがるのは二十代の青年。おかっぱ頭で真紅に染め上げた羽織を着た筋骨隆々の男。鷹のように鋭い目つきの彼は自分の背丈ぐらいある巨大な鉞を担いでいた。
坂上金吾だ。
「偵察は正解だったな。さすがだ熊吉」
「お褒めに預かり光栄です」
金吾は隣の男に言った。
口元に立派な髭をたくわえた巨漢の男は粛々と答える。熊野熊吉。坂上金吾の配下にあり、隆光四天王のひとりだ。熊吉は街道を見据え、続けた。
「一色は小国と言えど、当主政春は家督を継いでから、国内で戦をしておらず、敵の侵攻を許していない。政春に戦なし、不戦の謀将と呼ばれる男です。そんな男と正面切って戦うなど愚策にもほどがあります。現に、碓氷さんが動いていません」
「だろうな。あいつは小賢しいが肝が小さい。ハッ、情けねぇなー」
「石橋は叩いて渡るべきですよ、金吾さん。くれぐれも油断なさらぬよう」
熊吉の忠言に、金吾は呆れて肩をすくめた。
「お前は慎重すぎるがな。図体はデカいくせに」
「あなたが考えなしに動きすぎなだけです、まったく……」
熊吉はため息を吐きつつ、哨戒と思わしき部隊を眺め、驚愕した。
「あれは、渡邊さんですかっ?」
「なに」
金吾も気づいてわずかに瞳孔を開く。そして、顔を喜色に染めた。
どうして、と呟く熊吉を無視して金吾はますます笑みを深めた。彼の視線の先にあるのは高価そうな陣羽織を羽織った眉目秀麗の青年、桃太郎だ。
「おい。これは幸運だな! 目の前に大将首があんじゃねーか!!」
「金吾さん、まずは渡邊さんの保護から。怪我をなさっているようです」
「ああっ? そんなことはお前がやれ」
金吾は右手に鉞を持ち直して今にも突撃をかけようとしていた。熊吉は慌てて彼を止める。
「待ってください! 我々はすぐさま本隊に合流せねばなりません。優先事項は渡邊さんを保護と一色への侵攻を――」
「黙ってろ熊吉!」
一喝に熊吉は口を閉じてしまった。金吾は鋭い視線を熊吉にぶつけ、冷淡に促した。
「今、止める理由があるのか? 言ってみろ。前のように、俺の命が危ういか?」
「……」
熊吉は押し黙り、顎を撫でて考え込む。しかし答えは出なかったようで、やがて深々とため息を吐いた。
「……はぁ。首を取れる自信が?」
「今度こそ確実に取る。一色のボンボンなんかに負けるかよ」
「ではすぐに終わらせてください。優先すべきは渡邊さんの保護です。無理だと判断すれば、我々は勝手に退きますから」
「構わねぇ。俺は暴れるだけだ」
金吾は鉞を担ぎ上げ、高らかに名乗りを上げた。
「皆元隆光四天王が一人、赤鉞の金吾! 敵をかち割る!!」
同時に、数頭の騎馬が桃太郎たちへ駆け出した。
頭にあるのは敵兵の殲滅、そして脅威とも思える猛者との出会い。死と隣り合わせの戦場で考えるのはそれだけ。
金吾は顔を愉悦に歪めた。
2016年2月8日:誤字修正




