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桃の色香 続章  作者:
第二章 皆元編
32/52

十五、桃太郎、切に願う。



 夜はゆっくりと更けていく。

 林道はしんと静まり返っていた。虫の鳴き声すら聞こえない。さきほどの騒動はあたかもなかったかのようだった。

 その中で、地面を掘る音だけが聞こえる。

 千哉は一心不乱に土を掘っている。爪がはがれ、手が血塗れになろうとも。


 ――鬼酒千雪は亡くなった。


 その事実は千哉にとって、とてつもなく大きな衝撃だった。

「……」

 悲哀に満ちた彼の背中。それは今までに見たこともない姿だった。鬼柳の面々も、そして桃太郎も。

「手伝うよ」

 耐え切れなかった桃太郎は拾ってきた木片で千哉の周りの土を掘った。こちらに気づいた彼は一瞬だけ桃太郎を見やり、鬼酒千雪の亡骸に目を向けた。

「……千雪」

 小さく呟く千哉。

 彼の瞳はまるで何も映っていないようだった。

 千哉に何があったかは知らない。

 隣に横たわる『鬼』と思われる人物が、彼にどんな影響を与え、どんな契りを果たしたのか……。

 そうでなければ、桃太郎の前に立ちはだかるわけがない。

 これまでの事情を聞きたい。千哉を詰め寄りたい。だが、当人がこの状態では聞けずに聞けなかった。

 ここは我慢だ。

 桃太郎は己に言い聞かせ、地面を掘った。

 すると忠治たちも鬼柳一族も手伝ってくれた。彼らに礼を言う桃太郎の隣で、千哉がぼそりと呟いた。

「千雪。俺は約束を果たすぞ」

 千哉は穿つように土を掻き出した。


 吹きさらしでは寒かろうと、千哉は千雪を土の中深く寝かせた。やがて土饅頭を積んだ墓が出来上がると、桃太郎は手を合わせた。

「千哉様」

 彼を呼んだのは鬼柳の男鬼だ。蒼白な表情をした男鬼は震えた声で尋ねた。

「本当に彼らは……我々と同じなのですか?」

「ああ」

 千哉は振り向かずに冷たく言い捨てた。

 彼の答えに鬼たちは息を飲み、男鬼は絶望したように膝をつく。

「ならば我らは、同族を……?」

 茨城稔という鬼は、十人ばかしの鬼酒の鬼を連れて、桃太郎を襲撃した。ほとんどは忠治が撃退したそうだが、鬼柳の鬼が援護したのは事実だ。

 同族を攻撃した、その事実は鬼柳の面々に深く突き刺さった。

「……顔を上げてくれ」

 頭を抱える男鬼に千哉は淡々としていた。怖いぐらいに冷めた表情で、千哉は男鬼と桃太郎を一瞥した。

「俺は今一度皆元へ戻るぞ」

「え……」

「何言ってんだよっ!」

 男鬼は目を丸くし、桃太郎は怒鳴った。

 自然と桃太郎の足は千哉に向かい、彼を睨みつける。

「みんながどんな思いでここにいるのかわかってんのか?」

 桃太郎は静かに怒りのこもった声で言う。

「みんな心配だったんだ。やっとおまえを見つけたのに……ふざけたこと言ってんじゃねーぞっ」

「お前には関係ないことだ」

「自分の仲間の思いまで関係ないって言うのかよ?」

「……」

 千哉が口を閉じた。桃太郎は素早く言い放った。

「千鶴が心配してんだ、帰って来い」

 千鶴の名を聞いて、千哉の瞳がわずかに揺れた。しかしそれも一瞬で。

「いや……今は千鶴よりも、こっちのほうが大切だ」

 その言葉に桃太郎は驚く。千鶴の名を出しても千哉は引き下がらなかった。

「俺には、果たすべきことがある」

「なんだよそれ……」

「俺は鬼だ。同族を思って何が悪い?」

「それでも!」

 桃太郎は叫んだ。もう、我慢できなかった。これ以上感情は抑えられなかった。桃太郎は唇を噛み締め、とんと千哉の胸を叩いた。

「心配かけんなよ。……頼むからさ」

 付け加えた言葉は濡れていた。

 うなだれるこちらを千哉にはどう映っているのだろうか。いつものみたく、情けないと馬鹿にされるだろうか。

 しかしそれで構わない。今の桃太郎は千哉の言葉を期待していた。

 ややあって、千哉は口を開いた。

「……稔が言っていたな」

「何」

 桃太郎はうつむいたまま訊き返す。

「鬼よりお前のほうが大事か、と。確かに普段なら迷いなく答える。だが、今は違うんだ。今の俺は『鬼』としてりたい」

 まるで幼子をなだめるような口ぶりだった。

「『鬼』として、稔を止める。それが今の俺にできる、千雪への手向たむけだ」

 千哉の意志は堅く、変わらなかった。

「だけど……」

 桃太郎は言った。今度は千哉の目を見て。

「オレにはおまえが必要なんだ。だから帰って来てくれよ」

 請う桃太郎。

 人生で今までこんなに願ったことはないだろう。それだけ、一色桃太郎にとって、鬼柳千哉は大切な友達だ。

「……」

 しかし千哉は硬い表情をしたままだった。それは苛立ったようにも見える。そんなに煩わしいだろうか。しかしそれは桃太郎自身も自覚はあった。

 そして千哉は小さく息をいた。

「元はと言えば、お前のせいだ」

 冷酷に吐き捨てられた言葉。

「…………え」

 何を言われたかわからなかった。桃太郎は大きく目を見開いた。

 息が詰まるような圧迫感を感じる。千哉の瞳は冷え切っていた。

「お前が国を越えなければ、千雪は死ななかったはずだ」

 千哉は胸にあった桃太郎の手をどけ、踏み出す。桃太郎は無意識の内に後ずさった。硬直するこちらに構わず、千哉は続ける。

「お前がここに来なければ、稔も皆元の要求を呑まなかっただろう。そして、千雪の死ぬ理由もなかった」

「……違うっ」

 桃太郎は必死に首を振った。

「違う。オレは千哉が……」

「違わない」

 千哉は即答した。

「お前が、千雪を殺したようなものだ」

「千哉さん!」

 それは五右衛門の声だった。声とともに彼は千哉と桃太郎の間に入り、千哉へ立ち塞がる。その顔は怒りに満ちていた。

「やめてくれよ。モモ様はあんたが心配だったから!」

「俺の心配よりも、一色じぶんたちの心配をしたらどうだ?」

「あんたはッ!」

 五右衛門は耐え切れなかった。拳をつくり、千哉へ振り上げた。しかしそれは造作もなく受け止められ、

「邪魔だ」

 腕を取られた五右衛門は足を払われ、地面に叩きつけられた。

「五右衛門!」

 美羽が彼に駆け寄ったときには千哉の目は忠治へと向けられていた。

「次はお前か? 犬養」

 忠治は失望したように千哉を見つめ、手は刀の鍔元にあった。

「人間は勝手に戦をすればいい、俺は俺の戦をする。俺は、あいつを止める」

 力強く言い捨てて、千哉は林の中に消えた。


 千哉が姿を消した途端、どっと汗が吹き出し、桃太郎は地面に尻をついた。

「若……」

 忠治が悲痛に顔をしかめて傍で腰を下ろす。

 桃太郎は膝を抱えて顔を埋めた。

「オレは……っ」

 震える口元。

 夜風は冷たいのに、体は異様に熱かった。

 胸の中で後悔が渦巻いた。

「オレは、間違ってたのか」

 その問いに答える者はいない。

 静かに夜は更けていく――。




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