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桃の色香 続章  作者:
第二章 皆元編
30/52

十三、桃太郎、友と再会する。



「若!」

 桃太郎が敵の蹴りを受け、道端にある斜面に落ちた。

 忠治は慌てて駆け寄ろうとする。だが、その暇はなかった。刺客が眼前に迫ってきているのだ。数はおよそ十。この暗がりで、一人で十人以上を相手するのは少々きつい。

 彼は舌打ちして命じた。

「私と五右衛門で前を固める。美羽、後衛を頼む!」

「え、おれもやるの?」

「うるさい、問答無用だ!」

 忠治は迫りくる刺客の刀を受け止めた。

 それを皮切りに林道は乱闘が始まった。

 五右衛門が長ドスを握って危なっかしく、敵に立ち向かう。そして忠治の背後で美羽の弓がしなる。

 忠治は刀を捌き、刺客の腹に柄頭を押し当てた。苦悶の声を上げて、刺客は地面に臥す。

「若はどこだ!?」

 忠治は叫ぶ。しかし月明かりだけで桃太郎を探すのは困難だ。斜面を下ろうとするが、刺客に阻まれる。

「退け、邪魔だ!」

 怒鳴り散らすこちらに、刺客は無言で刀を振り下ろす。それを忠治はあっさりと避け、胴に薙いだ。だがそれは浅い。刺客は腹を押さえながらも、刀を構える。

「チッ!」

「犬養さん!」

 忌々しく顔を歪める忠治の耳に、香織の声を聞こえた。忠治は眼前の刺客を睨みつけながら怒鳴った。

「これはわたしたちの戦いです! 鬼柳あなたがたの手を煩わすわけにはいかない!」

「――後ろ!」

 彼女の言葉に忠治は振り返りもせず、刀を後方に薙いだ。見事、忠治の剣は背後に迫っていた刺客の脇下を斬り裂いた。

「ぐあっ!」

 手ごたえはあった。意識をすぐに眼前の敵に戻すと、刺客はしっかりと二本の脚で立っていた。それに眉をひそめる忠治。

 ――腹部の傷はどうした?

 違和感を覚えた。が、考えている暇はない。戦いに感情はいらないのだ。相手をやらねば、こちらが殺される。

「――ッ!」

 忠治は力強く、地面を蹴った。

 一太刀目は躱され、反撃が来る。左から迫る刃を刀で受け止めた。こちらの脇はがら空きだ。刺客の蹴りが脇に繰り出された。

「くっ」

 忠治は身を低くし、蹴りを躱す。彼は這うような体勢のまま刀を振るい、刺客の軸足を断った。

「ぐあぁっ!」

 これでもう奴は動けまい。忠治は、地面でもがく刺客を見下ろしながら息をいた。

「犬養さん……」

 香織が側にやってきた。忠治は彼女の姿を見て呆れた。

「だからあなたがこれに関わる必要は……」

「く、くそ……!」

 呻き声に、忠治は瞠目した。

 それはさきほど斬り伏せた刺客ものだった。そいつはふらつきながら立ち上がろうとしている。

「なっ……」

 今さっき、この刺客の脛を断った。その傷はすぐに立ち上がれるようなものではない。それなのに、この刺客は……。

 刺客の瞳からは憎しみが感じられた。

「人間など滅べばいいものを……!」

「まさか、あなたは……」

 隣で香織が呟く。しかしその視線は定まらず、体は震えていた。

 彼女を見て忠治は一つの答えに達した。

「いや、そんなはずは……」

 忠治は恐怖を感じ、後ずさる。

 恐らく予想は的中している。

 この刺客たちは――。

 忠治は慌てて、後衛の五右衛門たちへ駆け出した。



 * * *



 千哉が目の前で立っている。彼の右手には刀がぶら下がっていた。月明かりに照らされたその表情は硬く、そして悲しさを表していた。

「……」

 桃太郎を見下ろす姿は、まるで壁のようだった。

「……千哉」

 桃太郎は彼の名を呼ぶ。震えた右腕がゆっくりと上げられ、宙をさまよう。

「久しぶりだな。桃太郎」

 千哉が静かに答えた。

「なんで……」

 震えた唇からは上手く言葉を紡げない。

 だが、千哉は答えない。ただただ桃太郎を見下ろしていた。

「かず……」

「なんであんたは邪魔をするんだ!!」

 桃太郎の声が怒声に遮られる。

 彼は驚いて首を回すと、そこにはさきほど桃太郎と対峙していた青年が木にもたれかかっていた。彼は荒い息をして、右肩を左手で押さえている。どうやら怪我をしているらしく、袖からぽたぽたと赤い血が流れていた。

「……稔」

 千哉は青年に目をやった。

 それに桃太郎は再び驚く。千哉は皆元の隠密を知っているのだ。驚愕に目を見開くこちらを意に介さず、千哉は青年を見つめた。

 稔と呼ばれた青年は歯を噛み締め、千哉を睨みつけていた。

「……あんたはどっちの味方だよ」

 稔が低く唸る。

「やっぱりぼくたちより、ソイツのほうが大事なのか!」

 問われて、千哉は桃太郎を一瞥した。彼の視線を桃太郎は受け止める。何か声を掛けようとしたときには、千哉はもう稔の方に目を戻していた。

「そう言われると、確かに俺はこいつを選ぶ」

「千哉……」

 声は歓喜に震えた。皆元の隠密に知り合いがいようと関係ない。千哉は千哉なのだ。桃太郎の表情は明るくなった。

 しかし。

「――だが。今は違う」

 否定の言葉。

 冷徹な声音。

「……え?」

 桃太郎は顔を上げた。一瞬で頭の中が真っ白になった。

「何言ってんだよ、お前……」

 桃太郎は彼の背中に問う。千哉は刀を鞘に収め、振り返った。その冷めた表情はいつもの千哉で……。

「すまない。桃太郎」

 千哉は感情のこもっていない謝罪だけを口にした。そして悠然としたふうに稔の方へ歩いていく。

「待てよ……」

 桃太郎は否定したくて首を振った。砕けた腰を持ち上げて、くしゃくしゃの顔で必死に、彼を呼びかけた。

「待てよ、かず――」

「ハハハッ!」

 突如、稔の高笑いが林に響いた。

 彼は髪を鷲掴みしたまま、ほくそ笑む。

 そんな彼を千哉は冷めた視線で眺めた。

「稔、一つだけ言っておく」

「なんですか?」

「俺はお前たちに協力をするつもりなど、一切ない」

「は?」

「俺は同族として、お前たちを見届けるだけだ」

「どういう意味かわからないけど。それが理由でぼくも斬ったんですか?」

 稔がだらりと下がっていた右腕を肩の上まで上げてみせた。

 それに桃太郎は目を見張った。肩口を斬り裂かれただろうに、今はなんともない様子で、稔は笑っている。

 このとき、桃太郎はやっと理解できた。

 どうして千哉が皆元の隠密と知り合いなのか? どうして黙って姿を消したのか?

「……」

 この稔と言う青年も『鬼』なのだ。

「でもぼくの邪魔をしたのは変わらない」

 稔は吐き捨てた。月明かりのもとでもはっきりとわかるように、彼の表情は厳しくなる。

 強い夜風があたりを吹きつける。桃太郎は思わず目を細めたとき、千哉が困惑したようなに稔に呼びかける。

「稔、話を……」

「見届けるだけなら、見ているだけでいいじゃないか。いきなり舞台に上がり込んで来て……。見物人は大人しく、役者の演舞を見ていろよ」

 しかし彼には届かない。稔の瞳が鮮やかな金色へと変わった。夜風は段々と強くなり、草木を揺らした。

「――ッ!」

 そのとき、桃太郎は千哉に突き飛ばされた。地面に投げ出されて顔を上げたときには、千哉は稔の蹴りを腕で受け止めていた。

「チッ!」

 稔が舌打ちをした。

「稔やめろ! それ以上力を開放するな!」

 千哉は懸命に訴えるが、稔の耳には届かない。彼の瞳の色は輝きを増し、犬歯が獰猛に尖る。

 稔は足を戻し、その場で旋回。遠心力を加えた回し蹴りが、千哉の側頭部に襲いかかる。千哉はしゃがんで避けきった。かがんだ状態のまま、千哉は刀の柄を握り、抜刀。閃く刃が稔の脚に迫る。しかし稔は軽く跳躍した。

 地面と足の間を通り過ぎる刀を、稔は踏みつけた。

「なっ!?」

 バキン、と刀が折れる。これには千哉も目を剥いた。

 その隙に稔は千哉の胸倉を掴み、片手で軽々と持ち上げた。

 そして、稔の変化は完了した。

「ぐ……っ」

「千哉さん、邪魔しないでよ」

 金色の瞳。濃い青色の長髪。額には角が一対。

 鬼の、真の姿だ。

「これ以上邪魔するなら、ぼくも容赦はしないよ」

 金色の瞳が細められた。

「稔……お前は、間違っている……!」

「なに?」

 息も切れ切れに千哉はそう言う。彼の言葉に稔は眉根を寄せ、拳に力を入れた。千哉の首元が締めつけられた。

「もう一度言ってみろ」

「……お前は……間違っているっ!」

 一度目よりはっきりとした口調に、稔の表情が歪んだ。

「ふざけるなッ!」

 稔は片手だけで、千哉を投げ飛ばした。受け身も取れなかった千哉は木に激突。全身に激しい痛みが走り、ずるずると根元に落ちた。

「千哉!」

 桃太郎の悲痛の声が聞こえるが、今の千哉に答える余裕はない。顔を上げると稔がこちらを睥睨していた。

「ぼくの、何が間違ってるんだよ?」

 稔はゆっくりとこちらへ近づいてくる。

「ぼくは、鬼酒のために今ここにいる。一族のために動いているぼくの、何が間違っているんだよ?」

 千哉は口の端を拭い、立ち上がった。

「ねえ、千哉さん?」

 稔の冷徹な瞳が千哉を射抜いた。

 千哉は息をいた。

「……お前の、鬼酒を思う気持ちは間違っていない。だが、お前の行動は間違っている」

「ぼくの、行動?」

「そうだ。お前は皆元隆光の口車に乗せられ、人間を殺そうとしている。それで本当に、鬼酒が救えると思っているのか?」

「隆光は約束したんだ。だから……」

「嫌悪する人間の言葉を、真に受けるのか?」

 すると稔が無表情になった。だがそれも一瞬で、稔は嘲笑を浮かべた。

「そうだね、人間の言葉なんて信用できない。ぼくは最初から信じていないよ。でも、一色桃太郎(こいつ)を殺せば、一色は黙っていないだろ? そしたら皆元と一色は戦争を始めてくれる。鬼酒が動くのはそのときだ!」

「戦の混乱に乗じて、皆元隆光を討つつもりか?」

「御名答。さすがですね、千哉さん」

 稔は冷笑を浮かべた。

「だから見届けてよ。鬼酒を」

「……出来ない」

 千哉は頭を振った。

「やはりお前の行動は間違っている。お前の行動は人間と同じだ」

「……黙れよ」

 その言葉がかんに障ったか、稔が噛みつく。それでも千哉は続けた。

「お前は鬼酒の自由のため、そう謳っているが中身はただの殺戮だ。お前たちの里を踏みにじった皆元と同じだ」

「黙れって」

「千雪もわかっていたんだ。だが憎しみを止められるわけもない。だからずっと堪えてきた。妻が人質になろうとも、仲間が隷属されようとも。千雪も探しているだろう、鬼酒を救う方法を」

 千哉は不意に稔を見つめた。

「稔、お前とは違う方法でな」

「黙れ!!」

 稔が叫んだ。

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッ!!」

 自分以外の全てを否定するように叫び続ける。

「臆病な兄さんがなんだ!? あんな人、鬼の風上にも置けないっ、ぼくはあの人とは違う! 千早を守れるのは、ぼくだけなんだッ!」

 彼の顔はくしゃくしゃに歪んでいた。その表情は数えきれないほどの感情が渦巻いていた。

 千哉は唇を噛み締め、ゆっくりと腕を上げて稔に向けた。

「稔。お前の矜持は、そんなものか」

 そう、願うように呟いた。

「うるさい、黙れよ!!」

 稔が両手で頭を抱える。歯を食いしばり、爪が食い込むほどに髪を鷲掴みにして、千哉を睨みつけた。

「ぼくは『鬼』だ……人間とは違う……っ」

 稔が拳を握りしめたとき、彼の目がわずかに揺れた。その視線の先にあるのは――。

 千哉は振り返った。

「愚かで、醜い、下等な種族とは違うんだっ!」

「逃げろ桃太郎!」

 稔の姿は消えて、一瞬で桃太郎の前へ姿を現した。

「え……」

 桃太郎が顔を上げたときには既に遅い。

 輝く金色の瞳が彼を捉える。

 桃太郎は稔を見つめたまま、硬直した。

 振り下ろされる長い爪は、今まさに桃太郎の命を刈り取ろうと迫る。

「桃太郎ッ!!」

 千哉が叫んだ。

 その直後。

 赤い鮮血が飛び散った。




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