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桃の色香 続章  作者:
第二章 皆元編
29/52

十二、桃太郎、国境を越える。



 千哉は皆元城下から急いで国境へ向かっていた。

 鬼の運動神経を最大限に使い、木々を飛び越えて空を飛ぶように駆けた。変化すればもっと速くなるだろうが、生憎そんな暇も余裕もない。千哉は相当焦っていた。


 理由は言うまでもない。

 彼らが国境を越えたからだ。

「どうして……!」

 千哉は木々を飛び越えながら、呟く。

 乱丸の文を見てから覚悟はあった。もしかしたら、すぐさま彼が国を越えると思ったが、それは杞憂であってほしかった。

 だが現実となってしまった。

「どうしてだ!」

 疑念は段々と大きくなり、脚の速度は更に速くなる。力強く枝に着地すると、枝が悲鳴を上げた。枝が折れる勢いだ。

 それでも千哉は足を止めなかった。

「――愚か者が!」

 千哉は前方の暗闇に怒鳴った。



 * * *



「あれって確か……乱丸って言ったか?」

 時刻は少し戻り、桃太郎は城で夕暮れの空を見上げていた。

 眺めていると東の空から見たことのある鳥がこちらへ降りて来た。桃太郎は気になって庭へ出た。

「乱丸が帰って来たのか!」

「ぐあっ!?」

 声とともに降ってきた膝。それは桃太郎の背中に直撃し、桃太郎は庭へ転がった。

「あぁっ! すまない桃太郎!」

 降ってきたのは秋那だった。秋那は謝罪の言葉を早口に言うと、庭へ駆け出す。秋那が手を伸ばすと、鷹の乱丸は悠々と秋那の肩に止まった。

「どうかした? 乱丸」

 乱丸が悲しそうに鳴くと、秋那は心配そうな表情で乱丸に訊ねる。

 いつ見ても不思議だ。『鬼』は動物の言葉がわかるのだろうか。桃太郎は頭を掻きながら、そんなことを思う。

「秋那、どうしたの?」

 いつの間にか、縁側には美羽や香織もいた。

 桃太郎は地べたに胡坐をかいて、秋那と乱丸を見つめていた。

 すると段々と秋那の表情が曇っていく。

「え、千哉様が……?」

 その呟きに、桃太郎は立ち上がった。秋那へ近寄り、ぐっと彼女の肩を掴む。

「おい、今千哉って言ったな? 千哉どこにいんだよ!」

「桃太郎様、落ち着いてください」

 背後で香織が制するが、桃太郎は秋那に詰め寄った。

「答えろ! 秋那」

 彼女は怯えたふうに目を泳がせ、震えた声で答えた。

「か、千哉様は東にいるって、乱丸が……」

「忠治! 今すぐ東へ行くぞ!」


 ***


「くそ、一人逃がしたか」

 太陽が今まさに沈もうとしている頃。

 桃太郎は国境を越えた。

 彼は太刀を鞘に戻し、そう毒づく。その隣で忠治は眉をひそめた。

「皆元の忍びでしょうか、不味いですね」

「構わない、気にするな」

 淡々と答えると、忠治はますます眉根を寄せる。彼は右手にぶら下がった刀を軽く振った。すると足元の草に赤い血が飛ぶ。

「ですが、これで我々が国を越えたことが皆元にばれるでしょう」

「だから気にすんなって。本気で戦になったら、そっちは親父に任せる。今、オレたちに大事なのは千哉だ」

「……そうですね」

 忠治は少し間を入れて、頷いた。

 国境を越えた理由は言うまでもない。

 親友の柳千哉を捜索するためだ。もちろん、簡単に国境は越えられない。家臣たちは断固反対した。だがそれを桃太郎は黙らせてしまった。結局政春が許可を出して今に至る。

「本当に戦にならないようにも、政春様のご忠告をもう一度お伝えしておきます」

「忠治」

 こちらを呆れたように見つめる主であるが、これは大事だ。桃太郎の命にも係わるのだから。

「深入りはするな。戦闘は控えること。もし戦闘になれば一人残らず討ち取ること。……それはもう破ってしまいましたが。それから、生きて帰還すること。以上です」

「わかってる」

 桃太郎は素っ気なく答えた。

 無理やりの国越えだ。だからあまり大事を起こしたくなかったが、そう簡単にはいかなかった。今し方、国境を越えた途端に、皆元の刺客に襲われたのだった。

 撃退したのはいいが一人取りこぼしてしまった。それが今後の桃太郎たちをどう動かすかは大体想像ができる。それは桃太郎も重々理解していた。

「……少し危ないな」

 そう呟くと、後ろで五右衛門が拳を空に振り上げた。

「モモ様のことはおれたちが守って見せますよ」

「あなたは何もしてないでしょ……。だけどそれには私も同意します」

 五右衛門に続き、美羽も凛とした表情をして言う。

「頼むぜ、おまえら」

 だが、今更退くわけにはいかない。桃太郎は家臣たちに向かって笑った。そして、背後の木々を眺める。

「まあ向こうはオレたちを四人と思ってる。これは使える」

 不敵に笑う桃太郎に忠治は少し不安を感じた。

「大丈夫か?」

 すると五右衛門が脇腹を小突いてきた。

「そう気張んなって。モモ様なら大丈夫だ。おれも美羽も、忠治だっているんだからな」

 彼のからかい口調が慰めてくれる。しかしそれは気に食わない。忠治は刀を触れながら、藍色の空を見上げた。

 空には一羽の鷹が旋回している。鷹の乱丸は千哉の居場所を教えてくるようだった。

「無事だろうか、千哉殿は?」

 ふと呟いた言葉に桃太郎が振り返った。

「当然だ。あいつが簡単に死ぬような奴じゃない。ほら、行くぞ」

「はい」

 一同は峠を越えて林道に入った。

 既に皆元領内だ。戦いは始まっていると言っていい。だが桃太郎の足は止まらない。どんな敵とまみえようとも、友を見つけるために戦い抜くつもりだ。

 桃太郎はずんずんと林道を下る。とっくに日が落ちた道は暗い。月が出ていないから余計か、数歩先しか見えない。明かりを持ってきてよかった。

「暗くなってきました。これ以上進むのは危険かと」

 前を行く忠治が助言する。しかし桃太郎はそれを突っぱねた。

「今日中には麓の町まで行くぞ」

「若、千哉殿を心配するお気持ちはわかります。ですがご自分の身も考えてください」

「わかってる。だけど……」

「モモ様」

「なんだサル」

 言葉を遮られて、声を荒らげたが五右衛門は気にしていない様子だ。彼は桃太郎に紙切れを渡した。それを受け取った桃太郎は口を閉じて、すぐさま前方を振り返る。

 桃太郎の表情を見て、忠治も何かを察したのか、腰の刀を抜いた。それに合わせて、五右衛門は提灯の明かりを前へ突き出し、美羽は弓に矢をつがえた。

 前方を照らす明かりはゆらゆらと揺れる。

 あたりはしんと静まり返り、闇に包まれた林道が広がる。林道は深く、そして果てしなく続いているようで不気味だ。

 桃太郎は目を細めて、闇の向こうを睨み続けた。

「……早いな」

 そう呟いた瞬間、横合いから銀色の光が走った。

「若ッ!」

 忠治がすぐさま動き、桃太郎に振りかかる凶刃を防いだ。金属同士がぶつかり、甲高い音が闇に響く。

 忠治は刃を受け止め、弾き返す。後退した相手は闇へ消えた。

 再び沈黙が訪れる。

 じとっと湿りを帯びた空気が、桃太郎たちを包む。

「…………」

 敵の数が分からないゆえ、下手に動くことはできない。こちらが圧倒的に不利な状況だ。敵は恐らく皆元の隠密だろう。夜目は利くだろうし、暗殺にも長けている。たった四人を相手に時間も掛けないだろう。

 そう。四人ならば、だ。

 こちらには強い味方がいる。もちろん忠治たちもそうだが。夜目、いや五感が鋭いのはこちらも同じだ。

「左から来るぞッ」

 頭上からの声。桃太郎はすぐさま反応し、五右衛門が提灯を掲げた。左の茂みには人の形が映し出されてそいつは驚愕に目を見張っていた。

 横で弓がしなる。

 美羽が放った矢は的確に人型の影に当たり、影はあえなく崩れた。

「さて、こちらも反撃と行くか」

 桃太郎はそう言い、太刀を抜き放った。明かりに照らされる刃は煌煌と輝く。

 政春には穏便に行動するように言われていたが仕方ない。早々に終わらせて、押し通るだけだ。

 そのとき桃太郎の隣に何かが降り立った。それは鬼柳の鬼たちだ。

「桃太郎」

 先頭にいた秋那に呼ばれる。桃太郎は振り返りもせず、答えた。

「あれを突破しないと千哉に会えないからな」

「……私たちの力を借りたいと?」

「当然。鬼は夜目も利くし、五感も鋭いだろ?」

 ニッと笑うと、秋那は背後を振り返った。そこには鬼柳の鬼たちが九人いる。千哉捜索に賛同した鬼たちだ。もちろん村にいる鬼もみんな同じ思いだ。自分たちの頭領の安否を心配しない奴などいないだろう。

「ついて行ってやるよ」

「あんたは頭領を探し出すんだろ?」

「これは人の戦じゃない。俺たちの戦だ」

 鬼たちはそれぞれ頷いた。

「……だそうです、桃太郎様」

 秋那の背後からひょっこり現れたのは香織だ。彼女もついてきてくれた。千鶴は城でお留守番だ。

 桃太郎は嬉しくて笑う。

「ありがとうな」

「談笑中。失礼します」

 そのとき、前方から声が聞こえた。一同は同時に振り返る。

 闇から現れたのは、合羽を羽織った青年だった。

「あなたが、一色桃太郎様でよろしいでしょうか?」

 にこやかな笑顔をふりまく彼は、すらりと腰から武器を取り出した。それは、打刀とも脇差とも言えない長さをしている刀だった。部類で言えば小太刀だろうか。

 桃太郎は青年の様子を窺いながら、太刀を構えた。

 相手は一人、いや青年の背後には影が複数揺らいでいる。こちらとたいして変わらない数だろう。

「だったらどうした?」

 桃太郎は不敵に笑って、青年に言い返す。すると青年は口元を吊り上げ、

「それはもちろん……」

 小太刀の切っ先をこちらに向ける。

「御首級、頂戴す」

 青年は走り出した。

 およそ八歩の距離を青年は三歩で詰めた。それに桃太郎は気色ばむ。走るという表現は間違いで、跳ぶと言ったほうがいいだろう。

 一気に間合いを詰めた青年は小太刀を横に薙ぐ。桃太郎は間一髪で躱した。青年の動きは止まらず、返す刀で袈裟に振り下ろす。

 桃太郎はかろうじて防いだ。青年が舌打ちをする。

ぎりぎりと刃が不協和音を鳴らした。

「若!」

「こいつはオレがやる。おまえたちは後ろの奴らをやれ!」

 桃太郎は吐き捨てるように言うと、青年を睨みつけ、

「ああぁっ!!」

 雄叫びとともに青年を押し返した。青年はたたらを踏む。それを見逃す桃太郎ではない。太刀を上段に構え、豪快に振り下ろす。直撃できなくても怪我は負わせられる。その自信はあった。しかし、そんな自負はあっさりと砕かれる。

 青年は踊るように後ろ足で飛び、斬撃を避けてみせた。

「くそ!」

 毒づいても何も変わらない。

 青年は再び突貫してくる。

 懐に入られてしまってはおしまいだ。桃太郎の持つ太刀は当然だが、打刀よりも間合いが広い。逆に小太刀の間合いが狭い。脇差でも打刀でもない、中途半端な間合いだ。はっきり言って間合いが掴めない。桃太郎は少し焦った。

 素早く、そして立て続けに振るわれる小太刀。もちろん刀身が短いゆえ軽く、手数も多い。鋭い刺突つきが顔の真横を行き交う。

 桃太郎は必死になって顔を動かした。

「ぐっ!?」

 そのとき、腹部に衝撃。

 蹴られた。そう理解したときには林道の端にある斜面に落ちていた。完全に不意打ちだったため、受け身も取れないまま坂を転がる。

 桃太郎の体は木に当たって止まった。

 背中に痛みが走り、肺の空気が押し出される。咳き込みながら上を見上げると、青年が宙を飛んでいた。そして小太刀を振り上げてこちらに降ってきた。

 桃太郎は転がりながら刃を避けた。その直後、さっきいた場所に小太刀が落ち、追撃はすぐさまやってくる。青年の爪先が桃太郎の脇腹を抉った。

 苦悶の声を上げ、再度地面を転がる。

 ここで小太刀の間合いが切れた。

「……そろそろ終わりにしましょう」

 冷酷な視線が桃太郎を見据える。

 桃太郎は太刀を支えに立ち上がった。外傷はいうほど負っていない。まだ戦える自信はあった。

 坂の上では剣戟音が鳴り響いていた。忠治たちなら大丈夫だろう。

 桃太郎は荒い息を整え、青年を睨みつけた。

 やっと月が顔を出した。青白い光が二人を照らす。

「……あなたに私怨はないです。だけどぼくたちはやらなければならない」

 ――いきなりなにを? 桃太郎は眉根を寄せた。

 青年は小太刀の峰を撫でながら呟く。

「あなたには犠牲になってもらいます。ぼくたちの自由のために!」

 彼の藍色の瞳が獰猛に輝く。

 青年の体が揺れたかと思うと、瞬く間に彼はこちらの懐に迫っていた。桃太郎はほぼ反射的に防御する。刃はかち合い、拮抗する。それも一瞬で青年は強引に押し切った。振り払った小太刀を素早く戻し、再び袈裟に振り下ろす。青年は止まることなく身体を翻し、小太刀を振るった。

 桃太郎は後退をしながら刃を避け、防ぎ、捌いた。だが、すべてを躱せるはずもない。白刃の雨は衣服を斬り裂き、肩や脚、腕に傷をつけた。血が滲み出し、桃太郎は顔をしかめる。

 隙も毒づく暇さえも与えない。斬撃の速度は落ちることなく、ますます速くなっていった。

 ――人間離れしている!

 桃太郎は心の中で吐き捨てた。

 凄まじい勢いで繰り出される剣戟。しかし青年に疲れは見えない。現に彼は無表情だったが、その顔は汗一つ掻いていなかった。

 ――まるで千哉と戦っているようだった。

 そのとき背中に木が当たった。

 驚く暇はない。桃太郎は木を背中合わせに逃げる。その直後に小太刀が木に突き刺さった。ガリッと木を削る音が聞こえた。

「しまった!」

 青年の表情が初めて崩れた。小太刀が木に刺さって抜けなくなったのだ。

 桃太郎は思わず笑った。そのまま木の背後に回り込み、反対側から太刀を薙ぎ払った。

「ッ!」

 しかし青年の反応が早く、軽々と桃太郎の太刀を躱してみせた。

 距離を置く青年を追撃する余力はなく、桃太郎は息を整える。体中がずきずきと痛み、どっと汗が噴き出した。

「くそっ!」

 青年がぎりっと歯を鳴らした。桃太郎を睨む表情に感情が現れる。それは怒りや憎しみだった。

「大人しくやられろよ人間!」

 苛立ちを抑えるようにガシガシと髪を掻きむしる。

「調子に乗るなよ、人間如きが」

「オレのダチみたいな言い方すんなっ、腹立つ」

 桃太郎は今までの鬱憤を吐き出すように返答した。

「黙れよ……っ」

 苦痛に顔を歪ませる青年。桃太郎はますます眉をひそめ、太刀を構え直した。

「人間なんか……人間なんか……!」

「……っ」

 そのとき背中に悪寒が走った。この不穏な空気は感じたことがある。初めて千哉と出会ったときに似ていた。

「この世からいなくなればいいのに……」

 青年の瞳が金色に光ったのは気のせいだろうか。そう思ったときにはもう青年の姿はなかった。

「え、」

 突如、桃太郎の真横に現れた青年。振り上げられた右手には短刀が握られていた。

 反射的に向けた太刀。

 しかしそれと短刀が交わることはない。

 桃太郎は覚悟した。



 * * *



「…………」

 桃太郎はいつの間にか地面に尻をついていた。

「……え?」

 斬られた。そう感じたのに傷は一つもないし、血も出ていない。ただ、右手にある太刀は真ん中からきれいになくなっていた。

「……」

 言葉が出なかった。

 何が起こったかまったく理解できなかった。

 風が吹く。

 それは柔らかく前髪を揺らして、桃太郎はふと顔を上げた。

「ぁ……」

 目の前には雄々しく立つ一つの影があり、こちらを見下ろしている。それに気づいた桃太郎は驚愕に目を見開いたまま、硬直した。

 ――その影が誰なのか。

 愚問だ。

 そんなことはわかりきっている。それが誰なのかは知っている。桃太郎は嬉しさで胸が熱くなった。

 だけど、違和感を覚えた。

「……っ」

 桃太郎は壊れた太刀をほうって、右手を影に伸ばした。

 必死に口を動かす。だけど喉が痛いほど渇いて声が出ない。

 どうして……

 こんなに嬉しいことはない。それなのに視界がぼやける。

 桃太郎は切実に訴えた。

 そんな悲しい顔をするのだ?

「――千哉」

 鬼柳千哉は、桃太郎に立ちはだかっていた。




 2015年4月10日:誤字修正

 2015年5月3日:誤字修正・加筆

 2015年5月20日:誤字修正・加筆

 2015年10月2日:誤字修正

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