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桃の色香 続章  作者:
第二章 皆元編
28/52

十一、皆元隆光は嘲笑う。



「偵察はどうだった? 碓氷」

「うるせぇ」

 金吾は笑いながら貞道に訊ねた。しかし貞道は卓に頬杖をついてそっぽを向く。彼の鼻面には晒しが巻かれていた。

 金吾はそれを見て再び笑い、猪口を呷った。

「お前が怪我するとはな。百姓に石でも投げられたか?」

「金吾さん、それぐらいにしてください。酒が不味くなります」

 ここは皆元領城下の居酒屋。その一角を占拠している武士のような男が三人。曖昧な表現には理由がある。それは彼らの恰好だ。

「貴様にだけは言われたくねぇよ」

 その一人である碓氷貞道はそっぽを向いたまま、鼻を鳴らした。袖の無い着物に半袴という出で立ちで、ひょろ長い背丈が特徴だ。

「それで。どんな男なんだ? そいつは」

 坂上金吾は問い続ける。襟足を刈り上げたおかっぱ頭で目つきは悪い。赤い着物を羽織るようにまとい、筋肉で固められた肉体が露になっている。

 彼の隣で困ったように眉を下げるのは熊野熊吉だ。彼の恰好は羽織袴とまともだが、六尺を超える背丈に、口元に豊かな髭をたくわえた巨漢だ。

 とてもじゃないが、一目見ただけで彼らを武士だとは思えない。

 そんな近寄りがたい三人は、酒盛りをしていた。

 話題は、四日前に渡邊頼綱の付き添いで片田舎を訪れた貞道で盛り上がっていた。その偵察は頼綱曰く反乱分子の排除であったらしい。しかしそれが真実かどうかかはわからない。頼綱は主君隆光の側近。家臣全員にも行き届いていない情報を持っていると、金吾は勘繰っている。

 それはさておき、その偵察で貞道は牢人風情の男に敗北したのだ。

 それを耳にした金吾はこの前の仕返しとばかりに、徹底的に責めてやろうと思ったのだ。

 金吾はニヤリと笑い、酒のあてをついばむ。

「お前に教えてやる義理はない。渡邊さんにでも聞け。それにあいつは死んだ」

 苛立った声で言う貞道に熊吉が口を開いた。

「どこかの間者と思わしき者を斬って捨てるなど、渡邊さんらしくないですね」

「そこなんだよ。いくら俺が負けたからってその場で処刑しなくてもいいよな。つか処刑なら俺がやりたかった」

「お前には同意できないが。……熊吉はどう思う」

 金吾は肩をすくめて彼を見た。

「酒の席で仕事の話はあまりしたくありませんが……仕方ありませんね」

 熊吉はため息をき、箸を置いた。

「間者と言うと一色でしょうか。我らの現状を一番知りたいのは彼らでしょうから」

「一色か……まぁ、戦はすぐに始まるだろうな。お前たちのおかげで敵視されたからな。あとは殿の采配だ」

 貞道は口の端を吊り上げて言う。

「一色……」

 そして金吾は呟き、考えた。すると貞道がますます笑みを深める。

「負け戦を思い出したか?」

「違う、他のことだ」

「あ?」

 貞道は頭に疑問符を浮かべた。しかし金吾は取り合わない。

 脳裏に繰り返されるのはあの男の姿だった。

「戦になっても俺たちのやるべきことは変わらない」

「金吾さん」

「……そうだな、すべては隆光様のためだ」

 珍しく金吾と貞道の意見があった。金吾はうっとうしそうに貞道を見やり、貞道も貞道で忌々しげに口を歪ませていた。

「仕事の話は終わりですね。飲みましょうか」

 熊吉は笑って話を締め、徳利を差し出した。


 ***


 場所は変わり、皆元城内。ここは皆元隆光の自室である。

 渡邊頼綱は主君にかしずいていた。

「殿。鬼酒に不穏な動きがございます」

 頼綱は進言した。しかし主君は意にも介していない様子。隆光は煙管を吹かし、気だるそうに頼綱を見つめた。

「それがどうした。不安か?」

「いえ。ただ、いつ背中を討たれるかわかりません。鬼酒を使役することはご自重願います」

「そのときはそのときじゃ」

 淡々とする主君に頼綱は狼狽える。

「しかし、殿の御身に何かあれば、皆元家の今後に関わります」

「頼綱、何を不安がることがあるのだ?」

 隆光の声音が冷徹に変わる。頼綱は隆光の視線を真っ直ぐと受け止め黙った。

 そして隆光がため息をき、隣に居る女を抱き寄せた。

「鬼酒が儂に逆らえると思っておるのか?」

 隆光は顔を女に向け、ニヤリと笑った。端正な顔立ちで美しい女は黙ったままだ。

「のぅ? 千早」

 鬼酒千早は隆光に目も合わせない。

「可愛げのない女じゃ」

 隆光は肩をすくめて頼綱に目を戻した。

「して。お前が、鬼酒の村で見た牢人はどんな奴じゃった?」

「は……?」

 突然の質問に頼綱は目を瞬く。何故、我が主君はそのようなことを尋ねるのだろうか。硬直していると、隆光が煙管を咥えた。

「何やら奇妙な牢人だったらしいな」

「は。牢人があのような山里を訪れるのは不可解です」

「とすると、そいつは『鬼』と言うわけだが」

「まさか……」

 頼綱は否定しようとしたが、その見解は自らも考えていた。

 鬼の村は特殊な場所にあり、決して人間を近づけさせないようにしている。頼綱は正しい道を知っているからこそ、村に辿り着けるわけである。

 故に、一介の牢人があんな村を訪れるわけもない。

 黙っていると隆光は口角を上げて、千早に目をやった。

「千早。そちは鬼酒の鬼を把握しておるか?」

「……もちろんです。それは鬼酒の頭領として当然のことです」

 千早は目を合わさずに答えた。隆光は聞き届けて話をまとめた。

「その牢人風情は外から来たということになる。しかしあの村に人は近づけない。外からやって来て、なおかつ村に入れる者。つまり『鬼』というわけじゃな?」

「え……」

 千早は目を瞬き、隆光を振り返った。

「他家の鬼……?」

 そして震えた声で呟く。彼女がどうしてそのような顔をするのかなど、今の頼綱には知ったことではない。彼は無視して続けた。

「他国にも『鬼』は存在し、間者として使役していると考えられます」

「ふむ」

「……このような連中がまだ、この世にいるとは思いもよりませんでした」

 頼綱は吐き捨てた。

 頼綱は『鬼』は嫌いだ。自分たちを崇高な種族だと思っている節がある。頼綱も人間よりも優れているところは認める。強靭な肉体を目の当たりにしたときは、卑しく思うと同時に羨ましくも思った。だが、所詮は化け物だ。人間と同じ容姿をしていても、中身は違う。

 頼綱は一度、鬼の正体を目撃した。

 金色の瞳。長い爪。そして、鬼を象徴する禍々しい角。

 その姿は、まさしく化け物だった。

 説話と同じだ。

 鬼は、人に処分される対象なのだ。

「わ、渡邊様!」

 そのとき、部屋に転がり込んできたのは家臣だった。頼綱はぎょっと目を剥いたが、すぐに怒りを露にした。

「騒々しいぞ! 殿の御前で」

「何かあったか?」

 隆光が受け答えると、家臣は畳に頭を下げた。

「申し上げます。西の国境くにざかいを、何者かに突破されました!」

「なんだと!?」

 頼綱は驚きのあまり立ち上がった。

「数は!?」

「はっ、四人です」

「たった四人に突破されただと!? 隠密は何をやっておるか!」

「頼綱、落ち着け」

 激昂する頼綱を制するのは隆光だ。主君の言葉でもそれはさすがに無茶がある。

 突破されたのは西の国境。すなわち、現在緊張状態にある一色領から入られたことを意味する。そして、一色に国境を超えられた。それが何を意味するのか、餓鬼でもわかることだ。

「殿! 直ちに戦の支度を!」

 家臣が声を上げる。しかし隆光は呆れたように言った。

「だから落ち着けと言っている。たかが四人。兵を率いる必要があると思うか?」

「しかしこれは明らかな宣戦布告です! 悠長に構えていては――」

「黙れ」

「……ッ」

 隆光の一言に家臣は口を閉ざした。

 鋭い一喝だけではない。隆光は太刀を持って、家臣の顔に切っ先を突きつけたからだ。

「儂が悠長に構えていると思うか、貴様は?」

「いえ、滅相もございま……」

「そこにいるな、隠密」

 家臣の謝罪の言葉を聞く前に、隆光は障子に訊ねた。障子の向こうには、明かりに照らされた黒い影があった。影はへつらう。

「この失態、覚悟はできております」

「それはあとだ。その四人はどんな奴らじゃ?」

「はい。あれは恐らく一色桃太郎!」

「なに……」

 隆光の表情が変わる。それは頼綱も同じだった。一色の若殿である一色桃太郎が、自ら国境を越えたのだ。これが驚かずにいられるだろうか。

「フフフ……」

 唐突に隆光の声が漏れる。彼の笑い声は段々と大きくなり、彼は狂ったように笑った。

「ハハハッ! 到頭血迷ったか、政春!」

 哄笑しながら太刀を肩に乗せる。

「たった三人の従者を連れて何をするつもりか……」

 ニヤニヤと笑う隆光を、頼綱は茫然として見つめていた。同じく茫然とする千早に、隆光は目を向けた。

「鬼酒を使うぞ」

「お待ちください!」

 千早が叫んだ。それは頼綱が聞いたこともない声だ。千早は切迫した様子で、隆光に詰め寄った。

「これ以上我らを人の戦に巻き込まないでください。お願い申し上げます」

「悪いな千早。残念だがそれは聞けん」

「どうしてですか」

「そちの若い連中が一色桃太郎の首を取りたいそうだ」

「え?」

 そのとき奥の部屋から現れたのは茨城稔と鬼酒の鬼たちだった。彼の登場に目を見張る千早に稔は笑った。

「千早様、ご安心ください。我々はあなたを助け出します」

「稔君?」

 彼は隆光を睨むように眺めた。

「一色桃太郎の首を取ってくる」

「武運を祈る」

「それが成功したら鬼酒は自由だ」

「あぁ、そうじゃな」

 稔の言葉に千早と頼綱は驚いた。頼綱が何か言う前に稔が口を開く。

「約束だ、忘れるなよ」

「案ずるな、鬼酒の若者よ」

 隆光はニヤリと笑った。

 それを見て稔は踵を返す。他の鬼たちも背を向けて部屋を出て行った。稔が部屋の仕切りを跨ぐとき、千早は震えた声で名前を呼んだ。

「……稔君」

 彼はゆっくりと振り返る。面のように張りついた笑顔に千早は背筋が凍った。

「兄さんは臆病だから……。所詮兄さんはその程度だよ。心配しないでください。あなたのことはぼくが守ってみせます」

 返す言葉がなかった。

 稔は笑顔のままだった。


「さて、」

 隆光は笑いながら太刀を鞘に収める。

「一色の連中はどう思うだろうか」

 そして千早を振り返る。

「刀で斬りつけようが、鉄砲を撃とうが、死なない者たちを……」

 隆光の表情は喜悦に満ちていた。

「――楽しみじゃ」

 戦端は開かれた。




 2015年5月3日:誤字修正・加筆

 2015年10月2日:誤字修正

 2016年1月5日:誤字修正

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