表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桃の色香 続章  作者:
第二章 皆元編
27/52

十、千哉、決断する。



 目が覚めるとそこは見知らぬ場所だった。六畳ほどの部屋。右手には縁側があり、小さな庭があった。

 千哉は布団に寝かされていた。体を少し動かしただけで全身に痛みが走った。

「あ、お気づきになりましたか?」

 声に目を向けると部屋の左手、ふすまの隣に女がいた。

「ここは……?」

 千哉は痛みに耐えつつ、首を向ける。女は微笑んだ。

「覚えていらっしゃらないのですね。ここは鬼酒の館です」

「鬼酒……」

「今、千雪様をお呼びいたします」

 女はすっと座礼をし、部屋を出て行った。

 それを見届けて、千哉はもう一度呟いた。

「鬼酒、か……」

 千哉はこれまでのすべてを思い出した。

 茨城稔という男鬼に出会い、東の鬼の一族、鬼酒を訪ねた。そこで千哉は皆元隆光四天王の二人と戦い、一人に敗北した。

 思い出すと、脇腹に痛みが走った。千哉は顔をしかめつつ上体を起こし、己の体を眺める。晒しは主に右肩と腹に巻かれていた。

 千哉は掌を見つめた。

「……負けたのか、俺は」

 確か名は渡邊と言ったか。

『鬼』の目でも追えなかった斬撃。あの奇妙な刀は居合いに適しているのだろうか。いや、得物自体それほど重視するものではない。結果として、あの男は相当の実力者なのだ。鎖鎌の碓氷貞道や鉞の坂上金吾と比べ物にならないぐらい。

 千哉は敗北を知らない。すると理解できない感情がふつふつと湧き上がってくる。

 これが悔しいという感情なのだろう。

 ――人間はこんな気持ちも抱えているのか。

「千哉殿」

 思考が遮断される。

 千雪が現れた。彼は鬼酒一族頭領代理だ。千雪はしおらしい様子で、こそこそと部屋へ入ってきた。

「怪我の様子は?」

 千雪は布団の側に腰を下ろし、そう尋ねる。千哉は手を閉じたり開いたりした。

「大事ない。お前たちのおかげだ、礼を言う」

「それは何よりです。今回は本当に肝を冷やしました。貴殿が強くてよかった」

「当然だ、俺はこんなところで死ぬわけにはいかない」

 千哉はぐっと拳を握った。

「俺にはまだ、守るべきものがある」

 その呟きに千雪の表情が曇る。しかし千哉はそれに気づかずに訊いた。

「千雪。俺はどれくらい寝ていた?」

「四日ですよ」

「四日、か……」

 柔和な表情を浮かべる千雪に、千哉は唸った。千哉にとってそれは、すごく長く感じたのだ。千哉は続けて尋ねる。

「稔はどうした?」

「弟は城下へ出張らっています。若い男たちは皆ですよ」

 笑顔で答える千雪に返す言葉がなかった。

 すると彼の表情が変わった。もとより穏やかな顔をさらに穏やかにする。それに千哉は悪寒を覚えた。

「千哉殿。さきほど貴殿がおっしゃった、『守るべきもの』の中には人が入っているのですか?」

 千雪の、人形のような笑顔に感情はなかった。

 千哉は一瞬戸惑ったが、深く頷いた。

「……ああ。俺はあいつに約束したからな。最後まで付き合うと」

 すると千雪は小さく息をいた。

「……千哉殿は縁に恵まれていますね」

「千雪」

「縁とは不思議なものです。我々にはそれがなかったのでしょうか」

 彼は疲れたように口にする。彼の細い身がますます痩せたように感じた。千哉はいたたまれなくなり、口を開く。

「千雪、お前も稔のようなことを考えているのか?」

「それは愚問ですよ、千哉殿」

 再び、千雪は冷え切った表情を浮かべ、堰を切ったかのように話し出す。

「鬼酒はすべてを奪われました。私はずっと悔いています。あのとき彼女を行かせるべきではなかった。……彼女は何も悪くない。それなのに自ら人質となって……ぜんぶ一族のためだと言って」

「……」

「稔は鬼酒を思っての行動です。正直私はそこまでする気はないのですが。ただ……」

 千雪は言葉を切り、千哉を鋭い目で見つめた。

「それを否定するつもりはありません。皆元は我らの敵。私はこの手で、彼女を取り返えしてみせます」

 稔が燃え盛る炎だとすると、千雪は凍てつく氷だ。

 鬼酒の鬼たちは、千哉が知らないたくさんの感情を知っているのだろう。

 自責、後悔、憎悪……。千哉の抱いたことのない感情ばかりだった。

「……そうか」

 それだけ呟いて、千哉は拳をつくった。

 千雪は続ける。

「私は貴殿に協力を求めません。これは鬼酒の戦い。他家の一族を巻き込むわけにはいけませんから」

 いつの間にか千雪の表情には凛々しさしか残っていなかった。

「貴殿は早く故郷へ戻り、貴殿の守るべきものを守っていただきたい」

「千雪」

 そのとき鳥の声が聞こえた。ピー、と高い鳴き声。それは千哉が良く知る声だ。気づいたときには千哉の体は動いていた。

「千哉殿っ、傷が……!」

 後ろで千雪の制する声が聞こえたが、無視した。千哉は縁側を飛び出して庭へ出た。

 千哉は空を見上げた。

 時は夕暮れ。

 太陽は西に傾き、空は橙色をしていた。その空に黒い影がある。それはゆっくりとこちらへ飛来した。

「乱丸!」

 その鳥は乱丸だった。

 思わず声が漏れ、驚きを隠せなかった。

 乱丸は主に会えて嬉しいのか、甘えたような声を上げる。

「お前、どうしてここに?」

 千哉は乱丸を腕に止まらすと訊いた。しかし乱丸は答えず、きょろきょろと首を回す。そしてふと気づいた。

「これは……?」

 見ると乱丸の脚に文が括りつけてある。千哉は心の中で謝罪し、その文を開いた。

 それには、桃太郎が国を超えて千哉を捜索する旨が書いてある。恐らく、乱丸が これを仲間に渡すところ、偶然にもここを通りかかったのだ。なんという幸運だろう。

 隣にいた千雪が言った。

「もしかして一族からですか?」

「あ、あぁ」

「千哉殿。これに言伝すれば一族が助けに来ますよ」

「……そうだな」

 千哉は少し詰まって答えた。

 彼の言っていることはもっともだ。

 しかし千哉は考えた。

「どうかされましたか?」

 思案顔のこちらを不思議に思ったのか、千雪は首を捻る。

 千哉はしばらくして、文を元に戻した。それに仰天する千雪を無視して、千哉は乱丸の頭を撫でる。

「乱丸。ここで俺を見たことは誰にも言わないでくれ」

 乱丸が首を傾げて悲しそうに鳴いた。

「わかっている。だが、俺にはやるべきことがあるのだ」

 そう言って千哉は千雪を振り返った。

「俺は鬼酒に協力はしない」

「は、はい?」

 突然の言葉に彼は目を見張った。しかし千哉は片手を胸に当てた。

「だが、今の鬼酒を見て見ぬ振りはできない。俺は同族として、鬼柳の頭領として、鬼酒を見届け、そして見定める」

「……」

「それが、今の俺にできることだと思っている」

 千哉はそう宣言した。そして乱丸を見つめた。

「すまんな。乱丸……」

 千哉は腕を空へ上げ、乱丸を空へ飛ばした。乱丸は真っ直ぐと西の空へ向かった。

「……すまない」

 それは、皆元領に入って何度目の謝罪だろう。

 千哉は暗くなる空を見つめた。

 ――桃太郎。俺は……

 それは声にならなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ