九、桃太郎、決断する。
「――桃太郎様!」
声にハッとなった。
桃太郎がふいっと頭を上げて、己を呼ぶ者を見つめる。呼んだのは斜め前の一色家家臣で、桃太郎の父……政春に仕える武士だ。
その家臣は呆れたようにこちらを見つめていた。
「桃太郎様、私の話を聞いていましたか?」
「あ……すまん」
桃太郎は呆けた様子で答える。彼が素直に謝ると、家臣は深いため息を吐く。
「今は何のお時間かお分かりですか?」
家臣は眉間にしわを寄せ、続ける。
「近頃の若様の言動、まさに上の空にございます。今は会議の時間、久しぶりに顔を出されてこれとは……問題がございます!」
「おい、若殿になんたることを」
隣に座る他の家臣が彼をたしなめる。しかし彼は首を横に振った。
「いいえ、ここで止めてしまっては若様の今後に関わります。いいですか、桃太郎様。貴方は一色を引き継ぐお方ですよ。貴方が現を抜かすようでは、我々家臣も気が気でありません」
「あの、」
桃太郎の隣に控える忠治が声を上げたとき、それは桃太郎に遮られた。
「すまん。悪かった」
桃太郎は薄く微笑んで謝罪した。
笑う彼に忠治は目を丸くした。それは他の家臣も同じで顔を見合わせる者もいる。諫言した家臣も黙りこくったが、それも一瞬で嘆かわしいようにため息を吐いた。
「……あの、『鬼』とかいう輩どもに何か吹き込まれましたか」
「それはっ!」
忠治は思わず息を飲み、すぐさま桃太郎の横顔を見つめた。
彼の横顔から笑みが消えて眉間にしわが寄せられる。
「若」
呼び掛けるが返事は返ってこなかった。
彼の言葉を皮切りに、家臣たちはざわめく。
「山の中に住む民か?」
「ああ、『鬼』らしいぞ」
「そんな馬鹿な」
「殿も桃太郎様もご覧になったそうな……」
家臣たちは政春から『鬼』という存在を聞いていたが、信じている者ははっきり言って一色家中にはいない。誰も鬼柳の鬼を見たことがないうえ、見たところで、あの角の生えた『鬼』とは到底信じられないだろう。
嘲笑に近い会話が続く中、忠治の右耳に舌打ちが届いた。
そのざわめきをなんと捉えたのか、家臣はついにとんでもないことを発言した。
「そうだ。若様のお力でその『鬼』たちを使いましょう、これで皆元を――」
「ふざけんじゃねーぞ!!」
ついに桃太郎はブチ切れた。
忠治は止めに入るが間に合わなかった。桃太郎は家臣へ歩み寄り、彼の胸倉を掴み上げた。
「ひぃっ」
「あいつらは一色のモンじゃねーんだよ。偉そうに説教垂れて、挙句の果てにそれかよ……ふざけんなよ、おまえ」
「若ッ!」
「桃太郎様、落ち着いてください!」
殺気立った彼に恐れをなした家臣たちが必死に止めに入る。家臣たちは彼を遠ざけ、忠治は桃太郎を引きはがした。しかしなおも桃太郎は彼へと近づく。
「離せよ、忠治」
小柄な忠治はずりずりと桃太郎に引きずられる。忠治は必死に桃太郎にしがみつき、彼の表情を盗み見た。
桃太郎は怒りを露にし、ギラギラと瞳を輝かしていた。
忠治は驚きで硬直した。これほど激昂した桃太郎を今まで見たことがなかった。常に笑顔で、しかし真剣に事と向き合う彼。だが、それほど千哉たちを大切に思っていることに忠治は痛感する。彼の安否が気に掛かる。だからこそ合議の中でも、行方の知らない千哉のことを思うのだ。
「桃太郎」
騒がしい広間に声が響いた。政春だ。部屋の最奥に座り、彼はつまらなそうに桃太郎たちの様子を眺めていた。
声に反応する桃太郎は父親を睨みつけた。彼の足が止まったことに忠治は深く安堵する。
「なんだよ?」
鋭い視線を政春は受け止めて髭を撫で、胡乱げに告げる。
「出て行け」
「あ?」
「出て行けと言った」
政春は嘆息し、脇息に体重を掛ける。
「合議の邪魔じゃ。おまえがいては一向に話が進まぬ」
「……」
桃太郎は口を閉ざしたまま政春を睨み続けた。しかし政春は胡乱な目で桃太郎を見上げるのみ。
「何をしてる? さっさと出て行け」
「親父」
「鬼柳のことはおまえに一任する。頭を冷やせ、馬鹿者」
「よろしいのですか?」
政春の言葉に、忠治は思わず声を上げた。桃太郎はこちらを睨んでから政春に言う。
「当たり前だ。鬼柳は、鬼はオレの友達だ。勝手に使うな。もし、鬼柳に何かあったら親父でも許さねーからな」
「勝手にしろ」
桃太郎は吐き捨てて部屋を出て行く。忠治は慌てて、政春と家臣たちに座礼をし、追いかけた。
***
「桃太郎!」
広間から出た桃太郎に声が掛かった。廊下の向こうを見やると、二人の女が駆け寄って来る。一人は家臣の美羽。そして声の主である鬼柳一族の女鬼、秋那だった。
「秋那?」
彼女は息も切れ切れに桃太郎に駆けつけ、桃太郎の腕を掴んだ。
「千哉様は!?」
必死の形相でそう尋ねる秋那。頬は上気し、その目は少し潤んでいる。桃太郎は気まずくなって目を逸らした。
「まだ……」
「……そうか」
秋那は桃太郎の掴んでいた腕を離し、うつむいた。
鬼柳千哉が行方不明なって、もう三日が経つ。
桃太郎も鬼柳の鬼たちも必死になって千哉を捜索している。今も五右衛門や鬼柳一族が探し続けるが、有力な情報は得られていなかった。
「でも、親父に許可はもらった」
「え?」
そう言うと忠治が目を剥き、秋那は顔を上げた。
「何をおっしゃっているのですか?」
美羽が大きな瞳をぱちぱちと瞬く。桃太郎はニヤリと笑った。
「親父はオレに鬼柳を任せるって言ったんだ。だったら勝手にさせてもらう」
秋那がじっと桃太郎を見上げる。桃太郎はぽんぽんと秋那の頭を触れて告げた。
「国を越えるぞ。周辺諸国を洗いざらい調べる。美羽、サルが戻ったらこれを伝えろ。……秋那、鬼柳のみんなにちゃんと伝えろよ?」
今まで国内ばかり探し回っていた。
理由は諸国の緊張状態にあった。特に一色と皆元は一ヵ月前から一触即発の状態だ。だが、もうそんなことも言わなくていい。どうせ、戦は始まっている。海賊騒動が起きたそのときから。今度こそ総力戦になるだろう。その確率は高いのだ。
「まぁちょっくら国境越えるだけだ。やってやるさ」
「桃太郎」
秋那は潤んだ瞳を大きく見開く。今にも涙が零れそうだ。桃太郎は肩をすくめて笑い、秋那の頬に触れる。
「オレは千哉を見捨てたりしない」
「触れるな。そんなことわかってる」
秋那は己の頬に触れる手を払った。
「千哉様は我らで見つけ出す」
「ああ。見つけてぶん殴ってやるよ」
「ぶん殴るなっ!」
冗談で言うと秋那は怒鳴った。そんな彼女に桃太郎はからからと笑った。
「その調子だ。いつもみたいに気丈に振る舞えよ、秋那」
言うと秋那の頬がじんわりと赤くなった。もちろんそれを見逃す桃太郎ではない。……そういう表情もそそる。良い感じだ。
「顔、赤いぜ?」
「う、うるさい!」
秋那はぼかっと桃太郎の頭を叩いた。
「いたた……すぐ手が出るんだから……」
桃太郎は頭をさすりながら、己の背後を振り返った。
「で、おまえはどうする? 忠治」
まだ問題は残っている。最後の砦にして、最大の壁だ。
犬養忠治は誠実で頑固者だ。そんな彼の言いたいことは、長年付き合っている桃太郎にはわかる。というか、毎回言われていることだ。
「おまえも他の連中みたいなこと、言う?」
そう訊くと、忠治はゆるゆると首を横に振った。
「言っても、聞きませんでしょう」
「なんだよそれ」
「若の御身はこの犬養忠治が命に懸け、お守りいたします」
「ありがとう、忠治」
桃太郎は淡く笑い、廊下を進む。彼は拳を握りしめた。
「さあ、これからだぜ」




